明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常93 「美しい」ということについて

こんにちは。

 

まずは、前回に引き続いて京都散歩の巻。

下の写真は、城南宮という神社にあるしだれ梅です。京都市南部に位置し、平安遷都以来の歴史を有する神社ですが、周辺に観光スポットがないせいか、数ある京都の寺社の中では、さほど有名な存在ではないかもしれません。ただ、神苑は見事で、季節折々の花が咲き誇りますし、年中行事として伝統の「曲水の宴」が開かれたりもします。京都にはたくさんの梅が見事なスポットがありますが、これだけ見事なしだれ梅は珍しいかもしれません。その美しさに惹かれる人はとても多いようです。

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人は美しい風景や絵画、音楽等に接するとき、どこに「美しさ」を感じるのでしょうか。もちろん、対象そのものがもつ絶対的な美しさに惹かれる、というパターンもあるでしょう。他方で、その背景や裏側にある「何か」を豊かに想像あるいはは妄想し、そこから美しさを感じ取る、というパターンもあります。そしてこの場合、これを鑑賞する人間の想像の余地が大きければ大きいほど、言い換えれば解釈の仕方が様々であればあるほど、人はそこに魅入られてしまうように思うのです。「こんな風にも見えるし、あんなふうにも解釈できる」というわけですね。例えば、満開のしだれ梅はもちろん堂々としていて素晴らしいのですが、散ってしまった花びらにも美しさ、というか「もののあはれ」のような情緒を感じますよね。それは色々に感じられるからこそ、おもしろいのです。

 

話は違いますが、フェルメールの有名な絵画のひとつに、「窓辺で手紙を読む女」というのがあるのはご存じでしょうか。フェルメールと言えば、部屋の中に差し込む光を効果的に描く、印象的な絵を思いうかべますが、この絵でも、左側の窓からの光の中で手紙を読む女性が描かれています。しかしその表情はさほどはっきりとしているわけではなく、私たちは「この手紙はいったい誰からの、そしてどのような内容のものなのだろうか」と想像することになります。見るたびにその印象は変わってくるかもしれません。そしてそれがこの絵の大きな魅力のひとつになってきたような気がするのです。

しかし、近年の科学技術の進展は著しく、この絵の背景にある壁には元々弓矢を持ったキューピッドの立像が描かれていたことが分かりました。当初はフェルメール自身が塗りつぶしたものと思われていたのですが、実は彼の死後に誰かによって手を加えられてしまったことも判明し、このたびこれをはがす修復作業が行われたのです。現れたキューピッド(愛の神)は、地面に転がる仮面を踏みつけているのですが、これは偽装や偽善を乗り越える誠実な愛の証しとして解釈できるそうです。そのことから、女性が読んでいる手紙は愛しい人からの恋文である、と考えられるようになったそうです。

このことは、作者がこの絵に込めた思いがようやく解明された、ということで美術界では大きな話題になっており、今、東京で行われている「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」でこの実物を見ることができます。

(どんな絵か、写真を張りつけようかと思ったのですが、権利関係のことがよくわからないので、止めておきます。フェルメール著作権がないことは当然ですが。。。 気になる方は、ご自分でネット検索等してみてください。)

私は、こうした科学技術の進歩にも、そしてフェルメール研究の深化にも敬意を払いますが、他方で、壁が塗りこめられていて謎に満ちていた絵の方が「ひょっとしたら面白かったかも」とも思ってしまいます。何が正解なのかはよくわかりませんが、少なくとも芸術分野に関する限り、解釈が明解なものとなり、それが唯一絶対のものとされていくことが、人間の想像力醸成という観点からすると、必ずしも、豊かなことであるとは限らないような気がするのです。

 

今回は、ちょっと独りよがりな文章で、失礼しました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。なお、ちょっと所用が立て込んでいたり、左目の白内障手術があったりするため、多分これから10日間ほどはブログ投稿をお休みさせていただきます。

それでは、また。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常92 「書くこと」の意味と京都の夜

こんにちは。

 

このブログをはじめた昨年7月頃、私は、自分自身の備忘録として、また、入院していた当時お会いすることができずにご無礼してしまった仕事関係の方々や知人に対する、今さらながらの釈明の場として、このブログを考えていました。まったくの見知らぬ方との交流は、正直なところ、さほど期待してはいなかったのです。

しかし、あれから約9か月が経ち、これまでの総アクセス数が5500に迫る中で、時々ですが、私と同じように厄介な病気に罹患している方等からコメントや連絡をいただけるようになりました。先日も、同じ病気を抱えている私より年上の女性からコメントを頂いたのですが、この方は多発性骨髄腫と診断されてから既に12年経過しておられ、現在は無治療の状態で元気にお過ごしになっているそうです。こうした方のお話を聞くと、やはり勇気づけられますね。ブログをやってみてよかったと思える瞬間です。

私にとって、文章を書くということは、軽い頭の体操という意味もあります。2000字から3000字程度の文章を書くことは、これまでの仕事柄、まったく苦にはならないのですが、論文等の原稿を書く時とは異なり、まずは読者に少しでも興味をもっていただけるネタ探しから始まる作業を、けっこう楽しんでやっています。ちなみに、ネタの候補は新聞やネットの記事、そして自分の経験等から考えていますが、常に10本以上は用意していますので、しばらくはネタ切れになることはないでしょう。

本当は、もっと短い言葉で表現できるもの、例えば詩や短歌、俳句等にも挑戦してみたい気持ちもあるのですが、これらにはまだ手を付けられないでいます。できることなら、日本語修業はずっと続けていきたいものです。(テレビ番組「プレバト」を見ていると、俳句という文芸ジャンルの奥深さ、そして合理性がよくわかりますね。俳人である夏井いつきさんの解説や添削を見て、興味をおぼえた方は多いのではないでしょうか。)

 

ところで、ようやく日中の最高気温が20度を超える日がやってきたりして、春本番も近いと感じられるようになりましたね。まだ時折冷たい風も吹きますが、それでも暖かそうな陽の光に誘われて、外に出かけたくなる気持ちも増してきました。まあ、オミクロン株の先行きがなかなか見通せないのが辛いところですが。

そんなわけで、先日は京都市で開催されていた「東山花灯路2022」というイベントに行ってきました。(これは夜のイベントなので、陽の光は関係ありませんが、夜も随分暖かくなってきましたよ。)昨年秋、「嵐山花灯路2021」をご紹介しましたが、その姉妹イベントで、これまで京都市が開催してきたものですが、嵐山と同様、財政難の影響もあって、今回で最終回となるそうです。残念なことです。相変わらず外国人観光客がいませんので、さほど混雑していませんでしたが、清水寺に向かう二年坂、三年坂あたりはそれなりに賑わっていました。この周辺は、もともと観光地として有名なところなので、昼間に訪れたことのある方は多いと思いますが、夜の京都にはやはり独特の風情がありますね。ほどよいウエットな感じが何とも心地よいものです。光量がむやみに多く、自己主張が強すぎる東京のライトアップ・イベントとは一味違います。

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夜空に浮かぶ法観寺八坂の塔

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今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常91 骨髄検査は難物だ

こんにちは。

 

前回は白内障について書きましたが、まずは少しだけその補足を。

先日、バレーボールの男子日本代表選手でもある藤井直伸さんに関する少しショッキングな記事が新聞紙上を賑わせました。彼は、少し前から目の不調を感じていて、「ボールが2つ、あるいは3つに見える」という自覚症状があったようですが、精密検査をしたところ、なんと胃がんのステージ4であることが判明したのです。新聞報道にはあまり詳しくは記載されていませんが、彼自身、おそらく「まさか」という気持ちだったでしょう。つまり、目が不調だからと言って、必ずしも目の病気とは限らないということです。とくに目は脳に近いところにありますから、そちらの方面の病気も疑わなくてはなりません。藤井さんの場合も、胃がんが脳に転移して、それが視覚の異常という形で外に現れたのでしょう。

このことから言えることは大変シンプルです。症状として自分の体に現れる不調から自分の病気を素人判断してはならない、ということですね。

思い返してみると、私の場合も、最初はただの腰痛かと思っていたら、実は多発性骨髄腫という厄介な病気だったという経験があります。医師の判断や診断がいつも必ず正しいとは限りませんし、「重大な病気を見逃した」という事例もしばしば目にします。しかし、少なくとも医学的知識のほとんどない人間が勝手に判断するよりはマシなはずです。もちろん、どの医師のどの言葉を信じ、あるいは信じないかは個人の自由ですが、不調を感じたら、まずはきちんと検査を受けて、判断すべき客観的情報を入手する、ということは必要だろうと思います。

藤井さんの早期回復をお祈りしています。

 

さて、私自身は一昨日新型コロナ・ウイルスの3回目のワクチンを接種してきました。過去2回と同様モデルナです。巷ではモデルナの方が副反応が出やすいという話で、少しばかりは緊張していましたが、結局、過去2回と同様、ほとんど副反応らしきものはありませんでした。発熱や腕の痛みはもちろん、倦怠感もほとんどありませんでした。これから接種される方も多いと思いますが、注射した部分を保冷剤(タオルで巻き付けたもの)で冷やし、水分をいつもより多めに取る、というだけで、随分違うようですよ。会場で接種後肩の部分を冷やしていた方はほとんどいらっしゃらなかったようですが、試してみる価値はあります。

この後どのぐらいの期間で中和抗体が増加してくるのかはよくわかりませんが、とりあえずは一安心です。もちろん、ワクチンを接種したからと言っても感染するリスクはある程度あるので、相変わらず注意が必要であることは言うまでもありませんが。

 

今回はもうひとつご報告です。

以前の投稿でも少し触れたのですが、少し前に骨髄検査を受けました。最近は血液検査や尿検査の結果が非常に良好だったので、「一度、もっと詳しい検査をして、がん細胞がどの程度残っているか確認してみましょう」ということになったのです。

ただ、この骨髄検査というやつ、かなり手ごわいです。これまでにも数回受けたことがあるのですが、何とも形容しがたい独特の痛みがあるのです。まあ、当然と言えば当然です。非常に太い注射針のようなものを骨髄にさして、これを吸い出すのですから。事前には2~3本の麻酔注射を打つのですが、それでも思わず声が漏れてしまうような痛みがあるのです。刺すような痛みではないのですが、あまり何度も経験したくはない代物です。

以前入院していた病院で相部屋になった患者さんは、事前に「けっこう痛いよ」と言われていたらしく、担当医師にしつこいぐらい何度も繰り返して「痛いですか?」と尋ね、最後には、あきれた医師から「私も自分で受けたことはないので実際のところはよくわかりません。」と突き放されていました。気持ちはわかりますが、あれは思わず少し笑ってしまったなあ。

さて、そしてその結果ですが、骨髄中のがん細胞の割合は0.0036%というものでした。つまり1万分の1にも満たない数値ですね。医師の見立てでは「これまでの治療の効果のためか、非常に微量になっていますが、陰性か陽性か?と聞かれたら、陽性になってしまうんですねえ。」とのことで、とりあえずはこれまで通りの治療を継続することになりました。陰性と判断されるには、完全にゼロになってしまわないとダメなようです。そうなれば「深いレベルの寛解(奏功)ということになるのですが、私の場合はその一歩手前のようです。

ただ、この結果には私はまったく失望していません。もちろん、陰性になれば、若干治療方針は変更される可能性はありましたが、いずれにせよ、これで治癒(完治)ということにはなりません。いつまた再発するかわかりませんし、薬のせいで免疫力は低下していますので、なんらかの感染症にかかるリスクは相変わらずです。むしろ、予定通りに治療を進めていけることに安堵すべきなのでしょう。このブログを書き始めた当初にも書いた事なのですが、この病気とは長年つきあっていく覚悟が必要なのです。決して「克服」とか「闘病」などという勇ましい言葉を使うのではなく、日常生活の中で、なるべく平常心で自分の病気に向き合っていきたいものです。もうすぐ診断を受けてから8年になりますが、その頃は「10年以上生存する人もいる」という程度の生存率しかなかったのですから・・・。

 

本日はここまで。

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常90 白内障・・・

こんにちは。

 

今朝の報道によると、ロシア軍はウクライナにあるヨーロッパ最大の原発を攻撃し、このため現地では火災が起きているそうです。このニュースに関しては、現段階ではまだどの程度の被害が出ているのか確かめられていませんし、果たしてクレムリンの指示によるものなのかどうかも不明ですが、これが本当だとしたら、ますますロシアは国際的に孤立への道を歩むことになってしまうと思われます。もちろん、あらゆる戦争は否定されるべきものですし、核を用いることには世界中がさらに神経質になっているわけですが、相手国の原発を攻撃するなどという蛮行はその中でも最大の禁じ手ではないでしょうか。これを支持する人は、さすがにほとんどいないでしょう。

 

このことはさておき、今回は予告通り、私自身に起きた白内障について書いていくこととします。

まず、白内障とは、目のレンズの役割をする水晶体が白く濁り、目が見えづらくなるもので、高齢者に非常に多く、年齢と共に発症者が増えます。50歳代で37~54%、60歳代で66~83%、70歳代で84~97%、80歳以上ではほぼ100%の人に、程度の差はあるものの白内障の症状が見られたという調査結果があります。つまりトシを重ねれば、誰でもそのリスクは高まるのです。眼科の医師は「白髪と同じようなもので、必ずしも病気とは言えない」と言っています。

ただ、原因としては、加齢以外にもいくつか考えられるようで、私のように、ステロイド系の薬を長年服用してきたことによってそのリスクが高まることもありますが、赤外線や紫外線の浴びすぎ、基準値を超える放射線の照射、1日20本意上の喫煙なども、この原因となります。多くの場合は、これらと加齢が重なって白内障となるのですが、これ以外にも、外傷性のものもあります。つまり、目に何か硬い物があたってしまい、それが原因でしばらくしてから白内障になる、というケースもあるのです。私の知人である木工職人は、木材の切断中に木片が顔に飛んできたことが原因で、白内障になっています。(今はもう完全に復活しています。よろしければ、以下のサイトをご覧ください。・・・宣伝です 笑)

森風社公式サイト  https://simpoosha.com/

木工といっても、大きな家具等ではなく、主として玩具や置物を製造・販売しています。

 

では、白内障の症状とはどのようなものでしょうか。水晶体の濁り方によって異なるのですが、代表的なものは、モノがぼやけて見える、目がかすむ、目に光が十分に入らないことによって、すべてが薄暗く見える、あるいは逆にすごく眩しく感じる、などがあげられます。当然ながら、視力はかなり低下してしまいます。

厄介なのは、これらの症状はいきなり悪化するのではなく、徐々に進行するために、気がつくのが遅くなったり、また気がついていても日常生活によほどの支障がない限り放置してしまう人がかなりいらっしゃるということです。しかし、このまま放置しておくとどんどん進行し、最悪の場合失明してしまうこともあるそうです。先進国では手軽に行える手術の技術が発達し、そこまで悪化する人はほとんどいないそうですが、発展途上国では貧困や医師不足、医療設備不足などから、いまも白内障によって失明してしまう人が多く、世界全体では失明原因の第1位が白内障だということですから、恐ろしい話です。

私の場合も、しばらく前から症状には気がついていたのですが、まあ、本を読んだりするのが少し不便だな、とか暗い夜道は前より歩きにくいな、と思ってはいたものの、もともとの持病の方が気になっていて、ついつい放置していました。それが、今年に入り、1月下旬になっていよいよ事態が深刻になったため、いつもの病院で相談のうえ、病院内の眼科で診察を受けたところ、すぐに白内障との診断を受けたのですが、このご時世、大きな病院はベッドの空きも細かな手術を行う余裕もない、とのことで、近隣の眼科医院を紹介され、そこで日帰り手術を受けることになったわけです。

医院(といっても、個人医院としてはけっこう規模は大きく、スタッフの数も多かったです。)で詳しく検査を受けると、やはりかなり視力が落ちていることは明らかで、なるべく早めに手術を受けることになりました。ただ、もともと弱視のため、慎重な処置が必要だ、とのことで、一ヶ月に一度だけ手術日のある、外部の大病院から来ている医師に、執刀してもらうことになったのです。そして、まずは右目の手術。これが行われたのが2月21日でした。

白内障の手術というのは、簡単に書けば、濁った水晶体を取り除き、その代わりに人工のレンズを挿入する、というものですが、一人あたり10~15分程度の短いもので、麻酔も注射ではなく目薬で行うため、痛みや肉体的負担は、まったくといってよいほど、ありません。

ただ、手術4日前からは一日4回抗菌のための点眼薬をささなければいけませんし、手術後もしばらくは感染症対策のため、点眼薬が必須となります。(今でもさしています。)

また、手術日はしっかりとしたガーゼで目を保護し、さらに保護眼帯を24時間つけなければいけませんでした。このため、帰宅時は残っている左目(実はこちらの方が白内障は進行していました。)だけで歩かざるを得ず、これはかなり怖かったです。ガーゼは、次の日に医院に行ったときにはずしてもらいましたが、その瞬間は本当に世の中が眩しく見えたものです。保護眼帯はその後も3日間は24時間つけ続け、その後は昼間は外してもよいけれど、就寝時はかけるように、と指示されました。多分、寝ている時に無意識に強く目をこすったりすることを避けるためでしょうね。

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保護眼帯


また、手術日に入浴禁止であることは想像していましたが、その後も4日間は「風呂は首から下だけなら浸かってもよい。ただし、洗髪・洗顔はNG」とのことでした。このあたりはひょっとすると医院や病院によって異なるのかもしれませんが、とにかく、4日間も洗顔ができない、というのはけっこう辛かったです。まあ、顔の下半分はタオルでそっと拭くぐらいはOKでしたけどね。これが真夏だったら、と思うとちょっとゾッとしてしまいます。

さて、そんな感じで慎重な対策を取ったためでしょうか。今のところ経過は大変良好とのことです。目の充血は見られましたが、次第に収まってきています。それで、左目の手術の準備を行うことになったのですが、上に書いたように、1ヶ月に一度しか手術日がないため、次の手術は3月22日になってしまいます。ということは、これが全部無事終わったとして、放免されるのは今月末か4月初めになりますね。まだ先は長いなあ、というのが実感です。

以上がこれまでの私の経緯です。つくづく思うのは、ちょっと気になっただけのことでも放置しておくのは良くないなあ、という当たり前のことです。私と同じような世代の方、他人事だと思わず、ご自身の健康には日々十分留意してください。医師によると、違和感を感じたら、まずは片目でセルフチェックしてみるとよいだろう、とのことです。

手術そのものはすぐに終わる、と書きましたが、やはり繊細な部分にメスを入れるわけですので、術後には角膜浮腫、虹彩炎、眼圧上昇などの後遺症が出ることがあります。また、感染症リスクにも注意を払わなければなりません。手術をしないで薬による治療だけで済む初期の段階で眼科に相談すれば、それだけさまざまなリスクを回避できるわけですから。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常89 ロシアへの想い

こんにちは。

 

突然ですが、ショスタコーヴィチ交響曲第7番(作品60)「レニングラード」という曲をご存じでしょうか。レニングラードとは、現在のサンックトペテルブルグのことで、ソ連時代はこのように名づけられていました。

1906年、この街で生まれたショスタコーヴィチは、その後国家体制がソ連へと変わってから、同国でもっとも人気のある作曲家の一人として活躍し、第二次大戦中の1941年、この街でこれを作曲しています。(ただし第4楽章だけは疎開先で作られたそうです。)当時、圧倒的な兵力をもつナチス・ドイツ軍に包囲されたレニングラードは、いつ陥落してもおかしくないような状況でしたが、人々のナチスに対する抵抗は根強く、推定100万人にものぼると犠牲者を出しながら、90日間にわたって耐え抜いたのです。そんななかで熱い愛国心によって作曲されたこの曲は、多くの人に感動を与え、抗戦意欲を高めるのに役立ったと言われています。とくに、この街での初演である1942年8月9日のレニングラード放送交響楽団による演奏は、まだ包囲網が解かれず、多くの危険が迫る中で敢行され、ソ連国内だけでなく、世界中の人々を勇気づけたそうです。この日はまさにドイツ軍のレニングラード侵入予定日でしたが、ソ連軍の司令官であったレオニード・ゴヴォロフが、演奏会を開催させるために、軍事作戦を発動し、激しい砲撃を行ったため、演奏が始まった5分後には砲撃音が聞こえ、会場内のシャンデリアが揺れたのですが、市民は砲撃音に慣れていたことから、音楽に聴き入ったと伝えられています。ちなみにこの曲、戦争をテーマにしているため、けっこう激しい曲調で、誰にでも受け入れられるようなとっつきやすさ、聴きやすさが前面に出ている曲ではありません。

ショスタコーヴィチは、次のように述べています。

「…私は、かつて一度も故郷を離れたことのない根っからのレニングラードっ子です。今の厳しい張り詰めた時を心から感じています。この町はわたくしの人生と作品とが関わっています。レニングラードこそは我が祖国、我が故郷、我が家でもあります。何千という市民の皆さんも私と同じ想いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、一番美しい広場、建物への愛情を抱いていることでしょう。」

もちろん、この話にはいくつもサイド・ストーリーがあります。ショスタコーヴィチ自身はかなりレーニンに心酔していていた愛国主義者で、強烈な革命思想をもっていたと言われています。またこの曲は、作曲者自身の思いから離れて、ソ連のみならずアメリカをはじめとする諸国で反ナチスの政治的プロパガンダとして利用された、ということも事実です。それでも、音楽の力が戦争に苦しむ人々に勇気と光を与えたことには変わらないのです。

さて、そんなことがあってから80年もの月日が経った今、ウクライナで起きていることは何なのでしょうか。国家体制はソ連からロシアへと変わりましたが、この国の周辺国に対する接し方に大きな変化があったとは思えません。今のロシア(というよりプーチン政権)は一体どんな気持ちでキエフ等への爆撃を行おうとしているのでしょうか。あの時、国土と人民がとんでもない危機に瀕した記憶は、もうとっくに失われてしまったのでしょうか。

もっと言ってしまえば、人は、自分が殴られた痛みをあっさり忘れて、平気で他人を殴ることができるような愚かな存在なのでしょうか。

ちなみに、私の所有しているこの曲のCDはロシア出身のワレリー・ゲルギエフが指揮をしていますが、この人、つい先日、現在のポストであるミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の座を解任されてしまいました。もともとプーチンと親しいとされていた彼ですが、ミュンヘン市の「明確に、無条件に距離を置くように」との要請にまったく反応を示さなかったためだそうです。彼の気持ちも聴いてみたいものですね。

私は、スポーツや芸術の世界にまでロシアをディする風潮が急速に広がっていることに、全面的に賛成するわけではありません。ただ、大国同士の軍事力による争いになってしまうことは絶対に避けなければならないですし、経済封鎖はどこまで効果を発揮するのか不透明な現状では、ある程度このような動きが広がるのもやむを得ないのかもしれない、と思ってしまいます。とにもかくにも、一日も早く冷静な話し合いが行われ、銃声が止むのを願うばかりです。

 

今回は、白内障について書くつもりでしたが、ウクライナのことはどうしても一度は書いておかなければ・・・と思い、テーマを変更しました。次回こそは、もっと身近なテーマでブログを書きたいものです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常88 お久しぶりです

こんにちは。

 

ご無沙汰しています。ブログ投稿に関しては、少し長めのお休みをいただきましたが、皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。

実は、まだ白内障の治療はまだ右目だけしか済んでいないのですが、左目の手術も含めて全部終わるのは来月末になってしまいそうなので、このあたりで再開することにします。

この短い期間に、北京オリンピックが終わったり、オミクロン株は猛威を振るったり、最近ではウクライナをめぐる情勢が緊迫化していた李・・・というように、世相は相変わらずせわしないですが、今日のところは久しぶりなので、私の身の回りのことで感じたことについて書きます。

 

白内障に関しては、いつも通っている大病院ですぐに診察結果が出たのですが、今のご時世「こちらでは手術を受け付けていないんですよ」と言われ、この方面の経験が豊富にある眼科医院を紹介してもらいました。ひとつの病院でまとめて面倒を見てくれると楽なのですが、まあしょうがないですよね

訪れた眼科医院は、白内障緑内障の手術から眼鏡やコンタクトレンズの新調・調整に至るまで、かなり幅広く扱っている所で、その分、患者数も大変多かったです。ということは待たされる時間もそれなりに長く、それはちょっとうんざりするところですが、高齢者の方から今度小学校に入学するのかな?という感じの子供まで、患者の個性もヴァラエティに富んでいて、それを観察しているとけっこうおもしろいです。

もっとも感心したのは、看護師さん達の子供とのやり取りでした。2つだけ、ご紹介しましょう。

看護師さん「あ、新しいゲームやっているんだ。これ○○っていうやつだよね。これって、△△すると、××になって、パワーアップするんだよね。」→すみません。こういったゲーム事情にはまったく明るくないので、何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。ただ、看護師さんがこんなところにもアンテナを張っていることに、まずはびっくりです。

子供「うん。(嬉しそうに)でも、××にはなかなかならないんだよね。」

看護師さん「そうなんだ・・・それで夢中になってるんだね。」

子供「そうだね。昨日は2時間ぐらいやってたかな。」

看護師さん「そうね。でも××になってしまうと、その先の楽しみが減ってしまうみたいだから、一日30分でゲームは止めておこうね。」

子供「はーい。」

もう一つの例はもっと簡単です。

看護師さん「○○ちゃん、その眼鏡、すごく素敵。多分世界でいちばん可愛いよ。だからきっと、お友達がうらやましがって、ちょっと貸して、って言うと思うんだ。でもおもちゃじゃないんだから、貸しちゃだめだよ。」

子供「(嬉しそうにスキップしながら)はーい!」

ふたつの例に共通しているのは、決して頭ごなしに、命令するような言い方はしない、ということでしょう。子供とは言え、いや、子供だからこそ、病院に来るというのはそれなりに緊張するだろうし、そこで叱られるような言い方をされてしまっては、どんどん委縮してしまいます。そうならないように雰囲気づくりに気を配っていることがよくわかりました。

もちろん、高齢者、例えば耳が遠くなっている方や杖がないとうまく歩けないような方には、それなりの接し方をされています。そのあたりの切り替えも見事なものでした。

この医院にかぎったことではありませんが、患者に接する時間がもっとも長いのは、医師ではなく看護師です。ですから彼らの果たすべき役割はとても大きいのです。そして、もっとも要求される能力のひとつが、こうしたコミュニケーション能力だと思うのです。私もこれまでにずいぶん色々な看護師さんにお世話になってきましたが、比較的話しやすい方、そうでもない方、色々いらっしゃいます。もちろん、専門職なのだから、医療技術やその周辺のことがきちんとできればそれで良い、という意見ももっともなのですが、彼らの言葉ひとつで、その場の雰囲気や患者の気持ちは随分変わることも事実なのです。

 

昨日、いつもの病院に通院した時こんな会話をしました。

看護師さん「目の具合、どうですか?」

私「おかげさまで、ずいぶん明るくはっきりと見えるようになりました。まだ片方だけなんですけどね。」

看護師さん「よかった。でも、今日はあまり近づかないでおこうっと。私の肌荒れがはっきり見えると困るもん。」

私「・・・(笑うしかない)」

変な気の配り方よりも、ずっと良いと思いませんか?

 

こうした直接的な対人コミュニケーション、最近減ってはいませんか?まあ、我々のような年代の人間は大丈夫でしょうが、例えば10歳代の青少年で、これから人との付き合い方を自分自身で経験し、学んでいかなければならない世代の人達の関しては、ちょっと心配してしまいます。オンラインのコミュニケーションだけでは、やっぱり不十分ですよね。

それとも、「そで十分だ」という時代がやってきてしまうのでしょうか。すべてのことをキーボードやタッチパネルで行うほうが気楽だ、という人達もすでに多くなってきているみたいですし、そういう志向の人から見れば、私など「旧世代」にしか見えないのかもしれません。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。そして、今後ともよろしくお願いします。次回は、白内障について、もう少し詳しく書きたいと思っています。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常87 ご報告

こんにちは。

 

今日で、ダラキューロ治療の第7クールが終了しました。血液や尿の検査結果が良好なので、次回診察時(再来週)で、骨髄を採取したうえでのより精密な検査を行うことになりました、この結果がOKなら、「深い寛解状態に入った」と判断できるとのことです。まあ、あまり期待しすぎずに、この検査を待つこととします。ただ、骨髄の採取ってけっこう大変なんですよね。部分麻酔をしたうえで、かなり太い針を腰に入れて採取するので、きちんと同意書も取られます。後に少し痛みが残ることもあるので、ちょっとへっぴり腰になってしまいます。(笑)

ところで、前々回の投稿でお知らせしましたように、白内障の手術を受けることになりました。様子を見ながら、片目ずつ行うので、全部終了するのは、おそらく3月上旬あたりになるだろうと思います、それまでの間、なるべく目に余計な負担を与えたくないので、パソコンやスマホの使用もなるべく控えていこうと思っています。したがって、このブログへの投稿も、小休止します。再開は、3月中旬頃になってしまうかもしれませんが、忘れずにいてくだされば幸いです。

なお、日常生活に何らかの支障を来しているわけではありませんので、心配なさらないでください。

 

それでは皆さん、再会できる日までお元気で。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常86 あなたにとっての「学び」とは?

こんにちは。

 

北京の冬季オリンピックが始まりましたね。当たり前のことですが、冬の協議はすべて「滑る」競技なので、一瞬のミスで終わってしまうことも多々ありますから、選手には相当の集中力が要求されるでしょう。そんな阿呆なことをぼーっと思いながら、チラチラとテレビを見ています。

このオリンピックについては、色々と論評や批判がありますが、開会式の演出そのものは、おおむねとてもよくできたものだったのではないでしょうか。聖火ランナーウイグル族のスキー選手を起用したところは、露骨な政治的意図が感じられましたが、その他、とくに映像面の演出はとても優れていたと思います。全体の時間が少し短めだったのもよかったですね。

 

ところで、今日は抽象的な話題になります。若干読みにくいかもしれませんので、あらかじめご容赦ください。

先日、知人で、時々このブログも読んでいただいている梶山亮子さんというキャリア・コンサルタントの方から、「学びの入り口の探し方」と題する玉稿を送って頂きました。この方、実は以前私の元で社会人大学院生として学んでおられた方で、狭い意味では、私が「教え」、彼女が「学ぶ」という関係だったのですが、社会人としてのキャリアが豊富な方で、私自身も随分勉強になったものです。

彼女は、学びの入り口には2つあると言います。ひとつは身近な人から得られるもの、そしてもうひとつは目的を達成するためのものです。このうち、後者については目的がはっきりしている、つまり学んだことをどのように活かしていくのかの道筋が最初から明確なので、比較的わかりやすいですね。これに対して前者は、必ずしも「学ぶ」ことを前提にしていない日常的なコミュニケーション等も含めて考えなければならないので、かなり広範囲で多様なものになります。プログラム化することも困難です。しかし、実はそこに大きな意味があることは、テレワーク推進のために、職場の同僚との対話が減ってしまっている方の多くが感じておられるのではないでしょうか。私自身、この2年間ほとんどの学会や研究会がオンライン開催になってしまって「つまらないなあ」と思ってしまうのは、こういった学びが減っているからだろうと思います。ただ、後者についても、例えば資格取得のための勉強のつもりで読んでいた本から想定外の「学び」を得るということもありますよね。

そんなわけですから、基本的には「学び」の入り口あるいはルートは多種多様なものであった方がよいだろうと思います。最近の学生は何かを調べようとすると、すぐにインターネットによる検索に頼りがちですが、それだけが道筋ではありません。まずは「マルチ・ルート」を意識することでしょう。(要するに、アンテナを幅広く張り巡らす、ということです。)

ただ、そうやって得られたものは、そのままでは決して自分のものにはなりません。得られた「データ」(客観的なもの)を自分の価値基準や主観的意図に基づいて、自分にとって有用な「情報」へと変換していかなければならないのです。

コロナ禍のために直接的対人コミュニケーションが減っている現状では、まずはその不足、欠乏をどうやって補っていくのかが当面の課題なのですが、いずれにせよ、集めたデータをパソコンのハードディスクに保管しておくだけでは、さほど意味はないのです。

実は、この「データを情報へと変換する」(一般には、情報処理と呼ばれる作業ですね)という行為こそがとても重要であり、本当の意味での「学び」につながるのではないか、と思います。そして、この変換プロセスを正しく機能させるには、自分自身の立ち位置を客観的に把握しておくことが必要です。これは「メタ認知」とも呼ばれるものです。

ちなみに、メタ認知とは、「自分の認知活動を客観的にとらえる、つまり、自らの認知(考える・感じる・記憶する・判断するなど)を認知すること」などと定義されます。ご参考まで。

これがしっかりしていないと、溢れかえるデータに振り回されて自分を見失うかもしれません。あるいは、知らず知らずのうちに極論、暴論に走ってしまう、などということが起きてしまいます。そしてその結果のひとつが、ネットにおける「炎上」という現象だろうと思います。ところが、「すぐに役に立つ」ことを念頭に置いた教育では、このような「自分の基準を正しく作り、認識する」ことをまったく教えない傾向にあります。

 

結局、「学ぶ」とは「知る」→「整理・分析する」→「身につける」という一連のプロセスの総称であり、それらをきちんと認識したうえで学んでいかなければ、他者にとっても有用な「発信」はできないような気がします。これを学校で教えるのは大変難しいことでしょうが、そのきっかけを与えるような教育は、もっと見直されるべきではないでしょうか。

 

今回は面倒くさい文章になってしまいました。最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常85 抗がん剤と白内障

こんにちは。

ここのところ、私自身の体調や健康状態については、全然書いてきませんでしたが、今回はちょっと大きなことがありましたので、ご紹介しておきます。

今のダラキューロを中心とした治療は、現在第7クールに入っています。今のようにほぼ毎週通院して、注射を受けなければならないのは、第8クールまでで、その後は経過に問題がなければ、ほぼ1ヶ月に1回の通院に切り替わる予定です。3月末か4月初めあたりからそうなるのかな。ちょうど春を迎える時期なので、これは少しうれしいですね。

ところで、「ダラキューロを中心とした」という言葉の意味はあまり詳しく説明してこなかったと思います。実は、この注射を受けるにあたっては、いくつかの薬を併用することが、強く推奨されています。その主なものが、ベルケイド(注射)、そしてレナデックス(内服薬)です。両方とも、いわゆる抗がん剤の一種で、ダラキューロだけでなく、さまざまな薬と併用されています。2000年代に入ってから認可された、比較的新しい薬ですが、今ではかなり普及しており、私も、ダラキューロ治療以前から、単独で、あるいは他の薬と併用して、使い続けてきました。少し間が空いた時期もありましたが、もう5年弱になると思います。

そういうわけで、私にとってはもはや日常になりつつある注射や薬の服用なのですが、実は、少し気をつけなければならないことがあるのです。

レナデックスという薬は、いわゆるステロイド系に分類される薬です。

ステロイドは、もともと体内の副腎(ふくじん)という臓器でつくられているホルモンで、このホルモンがもつ作用を薬として応用したものがステロイド薬(副腎皮質ステロイド薬)です。外用薬(塗り薬)をはじめとして、内服薬や注射薬などもあり、さまざまな病気の治療に使われています。私達がよく耳にするのは、スポーツの世界におけるドーピングの一種としてのステロイド注射ですね。ここで問題とされるのがタンパク同化男性化ステロイド薬(Anabolic Androgenic Steroids:AAS)というもので、大きくわけて「男性化作用」と「タンパク同化作用」の2つの作用をもつ薬剤であり、これを外因的に投与された場合に禁止薬物となります。要するに、体外からこれらのホルモンを注入して、いわば「肉体改造」を行うもので、これがまん延すると、選手の身体の状況を無視して、「試合に勝つため」の肉体を作ることだけを目的にした無制限な使用が広がってしまい、結果的に健康被害を引き起こすからこそ、厳しく禁止されているわけですね。

私はもちろんアスリートではありませんが、それでも長期使用による弊害はあります。それが「白内障を発症するリスク」なのです。

ご存じの方も多いでしょうが、白内障そのものは、加齢によって、かなり多くの方が患ってしまいます。(医師の説明によると、必ずしも病気ではなく、白髪と同じようなものだ、とのことですので、発症という表現は正しくないのかもしれません。)

白内障のメカニズムは、簡単に書けば、目の中のレンズの役割をしている水晶体が濁ってしまい、光が通りにくくなり、見えにくくなるというものです。 主な症状は、ぼやける、かすむ、まぶしい、視界が暗く感じる、視力が落ちる、だぶって見えるなどです。そして厄介なのは、今のところ、特効薬のようなものはなく、放置しておくと、どんどん進行してしまうということです。有効な治療法は、手術しかないようです。

というわけで、私は見事に?白内障になってしまいました。「年齢の割には進んでしまっているので、やはりステロイドの影響だろう。」とのことです。血液内科の先生からも、「これぐらいステロイドを使っていれば、白内障になっても全然おかしくない。」というお墨付き?をいただきました。。

まだ手術の日程は決まっていませんが、遅くとも来週には、手術の方針やタイミングを含めて、担当してくださる眼科医と相談してくるつもりです。

ご存じの方も多いかもしれませんが、私はもともと弱視で、視力は正常な方よりも相当悪いのですが、やはり「これ以上悪くはしたくない」という気持ちは強いので、なるべく早く手術を受けようと思っています。日帰りの手術になることもありうるという話なので、スケジュール的には、比較的決めやすいはずです。

この件については、また進捗があればこのブログでも書いていきます。

それにしても、色々ありますね。やれやれ、です。でも、他のもっと深刻な病気ではなかったことに、少しほっとしています。

 

今回も、最後まで読んだくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常84 今日は小ネタを連発

こんにちは。

 

あっという間に2月になりましたね。間もなく節分、そして立春を迎えます。

近年では、節分と言えば、豆撒きよりも恵方巻を思い浮かべる人も多いようですが、発祥とされる関西でも、以前はさほどポピュラーな行事ではなかったと思います。主に商家で行われていた行事で、一般家庭に広まったのは、1989年にセブンイレブンの広島にある店が仕掛けたことに端を発し、その後イオンが大々的に展開したことにより、一気に全国に広まったようですね。(恵方巻という名称も、この2社が広めたものです。)ちなみに、元々の起源には諸説ありますが、大阪の海苔問屋が販売促進のために始めた、という説もあるそうです。いずれにせよ、商売がらみ、というわけで、まあ、2週間後のバレンタインデーの広まり方と同じようなものみたいです。

 

前回の投稿が長い文章になってしまいましたので、今回は小ネタを3つばかり。

その1 北京オリンピックが間もなく始まりますが、その直後に開催されるはずのパラリンピックについては、ほとんど報道されていないような気がします。何故でしょうか。東京の時は、「オリパラ」などと称して、過剰とも思えるほど気を遣っているマスコミもあったのですが。

もちろん、理想としては「オリ」「パラ」と区別するのではなく、同じ日程の中で、多様性の一環として競技が行われることが望ましいのですが、東京の時との扱いの違いに若干戸惑いを感じます。感染症対策の方がニュース・バリューはありますし、オリンピックに比べれば小規模な大会とはなりますが、それでも世界から600人の参加者を迎えるそうですから、もう少し取り上げられてもよいのではないでしょうか。

その2 相変わらずのオミクロン株ですが、ちょっと気になるのは、「弱毒化している」という情報を無条件、無批判に信じる傾向が強すぎることです。たしかに感染者の中で重症化したり、死亡したりする人の割合は、これまでの株よりも減っているようですが、それでも感染者数増大に引きずられるように、死者数は少しずつ増加する傾向にあります。優先順位をつけながら対応していく必要があることは言うまでもありませんが、大変な状況に陥っている方も決して少なくない、ということは見過ごしてはいけない事実です。バランスをとっていくことは、ますます難しくなっているようです。直線的に物事を進めることにはリスクが伴うことを、もっと認識しなければならないと思います。

その3 ここまでで止めようと思ったところ、今、灯油販売のクルマが「雪やこんこ」(「こんこん」という曲名だと思っている人が多いですが、これは間違いです。「こんこ」とは「来む」(来い = 降れ)という意味だそうです。)の曲を流しながら、通り過ぎていきました。そこでふと思いついたのですが、仕事をさぼってばかりいることをなぜ「油を売る」と表現するのか、という疑問です。調べてみると、もともとは、江戸時代、髪油を売り歩く商人が客である女性を相手に話し込みながら商いを行ったことが、この言い回しの起源だそうです。なるほど、と納得はできるのですが、もう少し深堀りしてみましょう。たしかに無駄話ばかりで終始するのなら「さぼっている」と言われてもしょうがありません。しかし、その会話の中で相手の嗜好や商品を使っての反応、要望などの情報を得ることができるとしたら、決して無駄ではありません。現代風に言えば、一種の「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」です。相手が女性ばかりだったので、それを見ていた人がやっかみ半分でこのように言い始めたのかもしれませんが、富山の薬売り等と同じような機能をもっていたのかもしれません。

結論 油を売ることは必ずしも悪いことではない。

 

本日も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常83 入試問題の流出をめぐって

こんにちは。

 

オミクロン株によるコロナウイルス新規感染者数、なかなかピークアウトにならないですね。これだけ増えてしまうと、正直なところ、もう濃厚接触者は追いきれていないでしょう。そして、どこにいてもウイルスは潜んでいる、と覚悟を決めたうえで、日常生活を送っていくしかしょうがないですね。結局のところ、私たちにできる対策はこれまで通りでしかないのですが。

まあ、基礎疾患のある私はますます気をつけなくてはならないのはたしかです。こんな時は、必要以外の外出はなるべく避けて、音楽鑑賞や読書など、屋内での趣味の時間をゆったりと過ごすのがいちばんなのでしょうね。

職場の人手が足りなくなって、イライラしている方もいらっしゃるでしょうが、こんな時こそ、努めて、ゆっくりと過ごす時間を作った方がよいと思います。そうやって心に栄養を与えることが、きっと後日役に立つはずですから。

そんなわけで、前回に続きやや能天気なネタを書こうと思ったのですが、元大学教員としてはどうしても気になる大きなニュースが報じられましたので、今回はこれについて現時点で想うことを書きます。

それは、皆さんのご存じの通り、1月15日に行われた大学入学共通テストで、試験時間中に問題が外部に流出したという事件です。当初、複数の犯人による組織的な犯行あるいは最新鋭のIT機器を用いた巧妙な犯罪と思われていましたが、一昨日、現在はどこかの大学に在学中の女子学生でもある受験生が出頭し、自供を始めたそうですね。つまり彼女は仮面浪人だったわけです。仮面浪人を経験した学生には何回か接したことがありますが、大学に籍を置き、ある程度はそこでの勉強をこなしながら再受験をめざすというのは、かなりの負担であり、精神的にもかなりキツい日々を送ることになるようです。友達と話す機会もかなり限られますしね。ましてや、思うように成績が上がらなければ、プレッシャーは半端ないものになるでしょう。もちろん、だからといってこのような犯行が許されるわけではありませんが。

伝わっている自供によると、彼女は上着の袖口にスマホを隠し、動画で問題を撮影し、それを何らかの方法で30枚ほどの写真に変換(そんなことが簡単にできるアプリがあるのでしょうか? そちらの方面はまったく詳しくないもので、よくわかりません。)して、あらかじめ依頼していた外部の人間に送信していたようですね。私のような旧世代の人間には、袖口にスマホを隠したままで、テキスト文章も入力していた、ということだけでも驚いてしまいます。

驚いてばかりしていてもしょうがないので、彼女の自供をもとにすると、今回の事件の構図は以下の通りになるようです。

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産経デジタルの記事より

さて、ここまでは新聞報道等でご存じの方も多いでしょう。そしてすぐに思い浮かぶのが「試験監督は何をやっていたんだ? 本当に気がつかないなんてありえるのか?」という疑問でしょう。

そこで、試験監督が実際にどのように行われているのか、毎年のように経験していた者の立場から簡単に説明していきます。

まず、試験監督にはあらかじめ相当分厚いマニュアル(暑さ1cm程度)が配布され、監督員説明会も実施されます。このマニュアルには、当日の諸注意やタイム・スケジュールはもちろん、各試験時間に監督が行うべきこと、行ってはいけないことが事細かに記載されています。受験生に対しての指示のセリフも全部書かれていて、「この通りに喋れ」ということになっています。全国同じ条件で試験が行われるように、という配慮でしょうが、これを読んでいるだけでうんざりしてきます。それでも、これから大きく逸脱するようなことをする監督は多分ほとんどいないはずです。万が一の時には監督の責任が厳しく問われる可能性があるからです。ただ、共通テストに関しては、受験会場は居住地によって決まっているだけなので、自分の目の前にいる受験生たちが自分の大学を志願しているわけではありません。正直言って、これでは気合が入らないですね。

試験は、種々のアクシデントに対応するべく、あらかじめ対策が取られており、それもマニュアルを読めば、ちゃんと書かれています。ただ、毎年のように事項が付け加えられるので、あらかじめ大体把握しておかないと、いざという時にどこを読めばよいのか、焦ることになってしまいます。また、非常時対応や相互チェックのため、監督は最低でも各部屋に2名は配置されるはずです。インフルエンザ等の理由により別室受験が認められた者に対しても同様です。つまり、受験生1名に対して監督2名、という部屋も出てきます。昨年や今年のようにコロナ対応をしなければならないと、おそらく現場は人手がぎりぎり、あるいは足りない状況の中で、何とか回していくことになります。

机の上に出してもよい物は決められていて、もちろん、あらかじめ受験生には伝えられています。もちろん、携帯電話やスマホは禁止です。こうした通信機器は、電源を切った上で、カバンの中にしまわせます。また、カバンそのものは、教室の後ろや外の廊下など、受験生からは離れた位置に置かせます。(廊下には、連絡担当の事務の方が常にいらっしゃいますので、盗難の恐れはありません。)

ただ、それでもスマホを隠し持っていた、となるとその発見は難しいかもしれません。とくに女性の場合だと、あまりジロジロ見るのも失礼かな、と遠慮してしまうかもしれません。よほど怪しげな態度をとらない限り、見過ごしてしまう可能性は十分にあります。また、監督は全員ある程度以上の年齢ですから、今の高校生等のスマホ操作技術の高さは想定外のものかもしれません。先に書きましたように、上着の袖口隠したままテキスト文を入力するなどという行為は、およそ想像の外の世界になってしまうのです。

試験監督に関してはまだまだ紹介して面白そうなネタはたくさんあるのですが、長くなりすぎますので、ここからは、今回の事件に関する事だけ書きます。

私は当初、首尾よく外部から答えが返ってきたとしても、その画面を見ることが可能なのかどうか、疑問に思っていました。この点については、どのような方法をとったのか、まだ報道されていませんが、文章の入力ができたぐらいなら、これも簡単にできるのか、それとも彼女がどこかでウソをついているかのどちらかですね。実は私は、彼女の単独犯行だという説明をまだ100%は信じきれないでいるのですが、それはこうした疑問があるからなのです。

いずれにせよ今後こういったカンニング行為のリスクはますます増えるでしょう。通信機器も腕時計型や眼鏡型など、昔ならSFかスパイ映画の世界だと思っていた物がどんどん実用化され、手軽に入手できるようになっています。既に腕時計に関しては対応が取られ始めているようですが、眼鏡に関しては、普通に必要でこれをかけている人間にまで「外せ」ということはできないですから、厄介ですね。

根本的な方法としては、電波を遮断する装置を各会場に取り付けることですが、全国すべての会場、教室に取り付けるとなると、膨大な費用が発生してしまいます。なお、このような装置自身も電波を発しているので、その電波が総務省による規定以上の量である場合は、別途免許が必要美なります。つまり、万全を期そうとして大規模な装置を導入することは、安直にではできないのです。

これからの入試シーズンに向けて、文部科学省は「監督の徹底を」という指示を出しているようですが、実はこれも簡単ではない事情があります。過去の受験生からの苦情で、「試験監督の足音がうるさくて、試験に集中できなかった」というものがあり、それ以来、あまり教室の中をウロウロと歩き回るのはNGだとされているからです。だからといって、監督人数を増やそうとしても、上に書いたような事情で、おそらくどこも既にほとんど余裕がない状態です。

さて、こんな状況でこれからの入試をどのように行っていけばよいのでしょうか。私にも明確な答えがあるわけではありませんが、大学も「全入時代」つまり倍率1.0を切る大学が続出し、どこでもよいと思えば、どこにも入れないということはない、という時代に突入して言う今、学校に入るための試験、というものを根本的に見直すべき時期にさしかかっているのかな、という思いを強くした今回の事件でした。決められた期日に行われる入学試験という制度に膨大なエネルギーを注ぐような方法は、やがて終焉を迎えるのかもしれません。

 

今回は、ずいぶん長くなってしまいました。最後までつきあってくださり、ありがとうございます。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常82 坂本龍一さんのこと

こんにちは。

先日のニュースで、病気療養中のミュージシャン、坂本龍一さんが、自身音楽監督を務める「東北ユースオーケストラ」の3月公演に出演することが報じられました。このオーケストラは、東日本大震災の被災地の小学生から大学生が参加しており、あれから11年が経過したのを機に、約3年ぶりに演奏会を行うことになったそうで、坂本さんもステージに登場し、ピアノを演奏する予定、とのことです。

坂本さん、2014年に中咽頭がんを患い、その後復帰したのですが、2020年に今度は直腸がんが見つかり、治療に専念していたそうです。最初にがんが見つかった時は、ちょうど私が罹患して間もない時期だったので、罹患部位は異なるものの、その後の回復具合はずっと気になっていました。そういうわけなので、今回のステージ復帰は大変うれしい知らせです。ただし、まだ療養は継続中だそうですので、これで完全復活、というわけにはいかにようです。くれぐれも、無理はされないことを祈ります。

坂本龍一さんと言えば、私と同世代の方にとってはやはりYMOでの華々しい活動や映画「戦場のメリー・クリスマス」への出演などがすぐに思い出されるでしょう。

私自身、YMOに最初から興味があったわけではないのですが、1979年に行われたワールド・ツアーでのドイツやアメリカでのライヴの様子をたまたまラジオで聴いて、大変衝撃を受けたことをよく覚えています。当時のYMOは、テクノ・ミュージックの元祖のように位置付けられていて、無機質とも思えるサウンドの中にチラっと見せる職人技的なテクニックとパワーが魅力だったと思うのですが、サポート・メンバーにギターの渡辺香津美さん、キーボードの矢野顕子さんというとても「サポート」とが言えないような強力な2人が参加したこのツアーはまったく様相が異なっていました。既に日本国内ではかなり名の売れていたサポート2人は、すさまじいエネルギーとアクティブな演奏でYMOの3人や観客を煽っている、というちょっと独特の雰囲気の演奏が展開されていたのです。そういえば、当時、坂本さんと矢野さんは夫婦でしたね。この時の音源は残念ながら廃盤になっており、CDの入手は簡単ではないかもしれませんが、私の耳にはまだあの白熱のライヴが残っています。(この時のライヴは「パブリック・プレッシャー」というタイトルで今も販売されていますが、契約の関係で、これには渡辺さんのギターは全部カットされています。ギターの入ったヴァージョンは、You Tube等でなら聴けるかもしれません。)

しかし、私が坂本さんの活動としてぜひご紹介したいのは、YMOのそれではなく、ブラジル人のジャケス・モレレンバウム(チェロ)&パウラ・モレレンバウム(ヴォーカル)夫妻と一緒に制作した「CASA」というアルバムです。これは、全曲アントニオ・カルロス・ジョビンだけを収めた純粋のボサノヴァ・アルバムで、録音もジョビンの住んでいた家で行われたそうです。

坂本龍一ボサノヴァ、という組み合わせに違和感を覚える人は少なくないと思いますが、このアルバムは、とても美しいのです。ボサノヴァ特有の軽いリズムはさほど強調されませんが、メロディと歌声の美しさに酔いしれることができます。ピアノとチェロでボサノヴァを演奏するというのも珍しいと思いますが、これも、サウンドを上質かつ上品にするのに役立っています。曲によっては、まるでドビュッシー等のフランス音楽を聴いているような気分になります。そして、シンセサイザーの申し子のようなデビューの仕方をした坂本さんが、実はアコースティック・ピアノを弾かせても超一流であることがよくわかるのです。

ボサノヴァは、知的水準の高いエピキュリアン(享楽主義者)のための音楽だ」と評した人がいるそうですが、テレビをつけると気が滅入るようなニュースばかりが流れる昨今、こういうサウンドに身を浸して、ぼんやりと過ごす一日があっても良いように思います。

そういえば、坂本さんとともにYMOのメンバーであった高橋幸宏さんも、脳腫瘍のため、現在療養中ですね。彼の回復のニュースも、待たれるところです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常81 ゼロ・コロナ? ウィズ・コロナ?

こんにちは。

 

ここのところ、毎日のようにコロナ・ウイルスの新規感染者数急増のニュースが報じられていますね。どこまでいけば高止まりするのか、とうんざりしてしまいますが、ヨーロッパの状況を見ると、いったん増加が止まって、減少傾向に入ったように見えても、その直後にまた増加に転じている国がいくつもあります。つまり、なかなか先行きを見通すのは難しいということでしょうね。長い目で見ていくしかないようです。

そんな中で、北京オリンピックの開幕(2月4日)が近づいてきました。中国政府はこれを何としてでも予定通り開催するべく、かなり強硬なコロナ対策を実施しているようです。いわゆる「ゼロ・コロナ」政策です。

報道によると、香港では、ペットのハムスターを通して人間が感染した可能性がある、とのことで、ペットショップで飼われていた数千匹のハムスター殺処分が決定されたとのことです。また、チンチラ、ウサギ、モルモットなどの小型哺乳類を「予防措置」として殺処分することも発表されています。このハムスターはオランダから輸入されたとのことですが、動物から人間への感染が確定しているわけではないにもかかわらずです。

また、北京では患者の感染源がカナダからのエアメールである可能性がある、として警告を発しています。こちらも、関連性が証明されているわけではありません。そもそも、紙に付着したウイルスが、死滅せずに、大陸と海をまたいで中国にまで到達するというのは、あまりにも非現実的です。

このふたつの事例を見るだけでも、現在の中国政府がコロナ・ウイルスを抑えるためにかなりヒステリックになっていることがうかがえます。まあ、「日本はオリンピック開催を1年遅らせたが、わが中国は予定通り開催できる。それだけ、保険行政が優れているのだ。」と言いたい気持ちはわかりますが。

そもそも世界中でこれだけ感染拡大が続いている中で、「ゼロ・コロナ」などということが本当に可能なのか、というと、それは理想かもしれないが、まず無理だろう、と断じざるを得ません。

これまでに人類が完全に撲滅させることができたのは、天然痘だけです。かつて猛威を振るったこの病気ですが、WHOによる根絶計画が成功し、1977年ソマリアにおける患者発生を最後に、地球上から消え去りました。その後2年間の監視期間を経て、1980 年5月WHO は天然痘の世界根絶宣言を行ったのです。

天然痘のウイルスを撲滅できたのには、3つの大きな要因があるそうです。

(1)天然痘は不顕性感染が少ない。

天然痘ウイルスに感染すると皮疹をはじめとした明確な症状が出るため、知らないうちに感染して他人にうつすようなことがありません。

(2)天然痘ウイルスはヒト以外に感染しない。

インフルエンザウイルスのように鳥や豚にも感染できるウイルスだと、ヒトの集団から一掃してもまた動物から感染してしまいますが、天然痘はそういうことがありません。

(3)天然痘には有効性の高いワクチンがある。

イギリスの医師、エドワード・ジェンナーが開発した種痘を改良した天然痘ワクチンが用いられました。

 

逆の言い方をすると、こうした条件がそろわないと、ウイルスを完全に撲滅することは困難だということになります。だからこそ、数多ある感染症で、地球上からなくすことができたのは一種類だけ、ということなのです。

新型コロナ・ウイルスの場合、これらの条件のうち(3)は今後の研究の進展で可能になるかもしれません。(現在のワクチンは、「短期間に開発された割にはよくできている」というレベルで、皆さんもご存じのように新株に対する有効性はまだ評価が分かれるところです。)しかし、(2)に関してはまだはっきりと解明できていません。そしてもっとも厄介なのが(1)です。気がつかないうちに感染したり、他人に感染させたりしてしまうという可能性があるからこそ、このウイルスは蔓延してしまっているわけですね。

こうし整理してみると、「ゼロ・コロナ」がいかに実現不可能な方針であるかは、誰にでも理解できることです。中国のように強引のこの政策を進めると、さまざまな弊害やあつれき、社会分断が起きてしまうかもしれないのです。

今取るべき方策は、むしろ「ウィズ・コロナ」だということは明らかなのです。

既に、いくつかの国ではこの方向にしたがって政策が打ち出されています。例えばイギリスでは、新規感染者数が少し減ったことを受けて、屋内の公共施設でのマスク着用の義務など、規制の多くを撤廃する方針を明らかにしています。以前の社会生活になるべく近い形に戻していこうということで、これは「ウィズ・コロナ」の方針に基づいているものでしょう。新規感染者数や死亡者数だけを見ると、まだまだ油断できないレベルなので、これはかなり思い切った政策と言えますね。

日本でも、このような方向を目指すべきだという議論は少しずつ大きくなってきています。コロナ・ウイルスが日本に上陸してから早くも2年。人々が疲弊してしまうよりは、多少のリスクを背負いながら、現状を受け入れていくタイミングとしては、悪くないでしょう。

何よりも大事なのは、なるべく冷静に、そして落ち着いて、今後の経緯を見守っていくことだと思います。もちろん、できる範囲での感染予防対策は必須ですが。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

今週は2回とも少し硬い話だったので、次回は気楽な話ができればいいな、と思っています。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常80 医薬分離って面倒だ?

こんにちは。

 

相変わらずオミクロン株が猛烈な勢いで拡大しているようですが、例えば第5波の時と比べると、社会全体の危機感は薄いような気がします。感染拡大のわりには重症者数の増え方が鈍いからでしょうか? そろそろ経口薬が使えるようになりそうだからでしょうか? それとも単純に、「コロナ疲れ」が進んでしまったからでしょうか?

まあ、これらすべての要素が絡み合っているのでしょうが、私は、今後の収束を見据えた時、もっとも重要なのは治療薬の普及であることは間違いないと思っています。

そんなわけで、今回は、病気や怪我に悩まされた時、必ずお世話になる薬にまつわる話を少し書きます。(コロナの話ではありません。)

 

以前も書きましたが、私はレブラミドという特殊な薬を服用していたときは、これが院内処方しか許されていないため、他の薬も一緒に病院の薬局で出してもらっていました。しかし、通常医師が処方する薬は、その医療機関ではなく、院外の調剤薬局で入手する決まりになっています。(院外処方・・現在は私もそうです。)いわゆる医薬分離という制度ですね。

この考え方や制度は意外なほど古くからあり、歴史を遡ると、ローマ帝国のフリードリヒ2世の名前が出てきますから、13世紀頃のことでしょうか。ただし当時は、国王などの権力者が、陰謀に加担する医師によって毒殺されることを恐れて、このような制度を導入したということなので、現在とは事情が全く異なります。

日本での導入は、GHQの指示を受けて1951年にいわゆる「医薬分業法」という法律が施行されてからですので、これも決して最近の話ではありません。その後、医療の高度や専門化、細分化が進むにつれて、現在のような形に定着したのです。ただ、医師に薬を処方してもらうという経験のない方にとっては、よくわからない制度ですし、今でも時々、病院内の薬局で「???」と迷っておられる方は時々見かけます。

では、現代医療の世界でなぜこれが有効と考えられているのでしょうか。厚生労働省等の説明を要約すると、以下の3点のメリットがある、ということのようです。

(1)より質の高い医療サービスの提供

(2)高齢化社会に向けてより安全な薬の利用

(3)医療費の適正化

 簡単に言ってしまえば、医・薬それぞれの専門性をもっと活かせるようにして、安全で安定的な薬の供給を行うとともに、医師が独断で必要以上の薬を患者に渡して「薬漬け」にしたり、国全体の医療費が高額になってしまったりすることを防ぐ、ということになります。

費用に関して言えば、日本全体で薬剤費は9.46兆円となっており、国民医療費43.07兆円に占める薬剤費の比率(薬剤費比率)は22.0%だそうですから、たしかに決して小さな数字ではありませんね。(2017年度のデータ。この数字は2000年代に入ってからあまり変化していないようです。)

しかし、デメリットがないわけではありません。まず、患者が医療機関調剤薬局の2カ所へ足を運ぶ必要があります。たいていの大きな病院の近隣には薬局がいくつかあり、そこに行けば、ほしい薬が手に入らないということはないはずです。しかし、例えば交通量の多い道路を渡らなければならないとか、やっと薬局に辿りついても30分から1時間近くも待たされる、ということもよくあります。当たり前のことですが、薬を欲しい人は病気や怪我を負っているわけですから、これは、相当な肉体的精神的負担になります。また、小さな医院(町医者)の場合は、近くに薬局があるとは限りません。ドラッグストア等でも「処方せん受付」という看板をよく見かけますが、こういったところでは品揃えがイマイチであることが珍しくないのです。

もう一点、大きな問題として、患者一人当たりの医療費が増えることがある、という点が指摘されます。院外処方になると、処方せん料や特定疾患処方管理加算などの医療機関への支払いに加えて、調剤基本料や薬剤服用歴管理指導料、薬剤料などの調剤薬局での支払いが発生します。つまり、両方に対して管理費用等に当たる分を患者が支払わなければならなくなるのです。気がついていない人も多いですが、国の医療費負担は減っているかもしれないけれど、個人の財布の負担が増えているとしたら、なんだか割り切れない気持ちになりますよね。

今のところ、医薬分離の仕組みを大きく変更するような議論や動向はほとんど見られません。医療がますます高度化し、新薬も次々に開発される状況下では、むしろその今の制度の安定化の方が重要ということでしょう。

ただ、患者側も「面倒だ」「カネがかかる」と文句を言うだけではなく、自分でできることも考えるべきだろうと思います。処方せん薬局というと、医師が発行した処方せんに基づいて薬を用意するだけだから、どこでも同じだと思う人が多いようですが、実際には必ずしもそんなことはありません。医療機関側と密に連絡を取り合って、処方せんの適正性をきちんと判断しているところや、薬を受け取りに来た患者に色々と話を聞いて、実際の服用量や時期についてアドバイスをするところなど、まさに専門性に基づいて医療の大変重要な部分を担っているという強い自負をもっている薬局はあるのです。私も、ある日自宅でくつろいでいたら、薬局から「その後お変わりありませんか」と電話がかかってきたことがあり、その丁寧な対応に驚いたことがあります。薬局も、求められる役割が高度・専門化するにしたがって、差別化を意識する時代になってきているということでしょうか。

薬局がどのような姿勢で仕事に臨んでいるのかは、その外観からはわかりませんし、普通は、途中で薬局を変えるということはほとんどないかもしれません。ただ、「薬局にもいろいろなところがある」という認識は持っておいて損はないだろうと思うのです。「薬局を選ぶ」のも自分の健康を考えるうえで大事になってくるのかもしれません。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常79 明日は1月17日です

こんにちは。

 

今回はまず訂正から。

前回の投稿で「大学入試センター試験」と表記しましたが、昨年度から名称が「大学入学共通テスト」に変更されているのですね。この改革は、計画段階では、記述式の問題を大幅に取り入れるとか、英語に関しては民間試験の利用などが検討されていましたが、さまざまな理由により結局そのほとんどが断念というかペンディングになったため、私自身の頭の中で「ほとんど変更がない」と意識してしまい、ついつい旧名称を使ってしまいました。大変失礼しました。

それからもうひとつ。これは訂正ではなく補足です。前回の投稿の主旨は、入試の絶対的な公平性を確保するというのは困難なことなのだから、当事者にとって納得できるような取り扱いを目指すべきだ、というものでした。しかしその具体策についてはほとんど触れませんでしたね。

通常通りの試験(共通テストと二次試験)を受験する人と、共通テストを受けられなかった人との不公平感を少しでも解消し、不安感を払拭するには、後者を入学定員とは別枠で合格基準を設けて、別途合否判定するしかありません。つまり、前者の定員からいくらかの人数を後者に回すために空けておく、というようなことをすると、合否ラインぎりぎりになった受験生にとっては大きな問題となる可能性があるからです。

ただし、この措置にはひとつ条件があります。

実は、文部科学省は各大学(国公立、私学共通)に対して、入学者数の管理を徹底することを求めています。つまり、あらかじめ公表されている入学定員に対して、実際の入学者数が多すぎた場合、大学としての評価が下がり、運営交付金(私学の場合は私学助成金)にも悪影響が及ぶようなペナルティが課される、というものです。これは、いわゆる「詰め込み教育」を排して「教育の質的保証」を行うと同時に、今後激化する大学間競争に一定の歯止めをかけようとするものなのです。

この方針そのものについても色々と議論があるかもしれませんが、とにかく、この方針が絶対的なものとして維持されてしまうと、今回のようなイレギュラーな入試を行う時には、各大学は柔軟な対応ができなくなってしまう可能性があるわけです。予定していた方式とは異なるルートで入学してくる学生がどの程度の数になるのか、今の段階ではわからないわけですからね。

ですから、文部科学省としては、早めに各大学にこうした措置を少なくとも今年度は取らない、ということを表明するべきなのです。そうすれば、現場は安心して、さまざまな対応をとることが可能になるだろうと思います。

 

それにしても、昨日から始まった共通テスト、色々と大変なようですね。東京では試験会場近くで高校生による傷害事件が起きてしまいました。また、トンガ近くで起きた火山噴火の影響で、日本にも大きな津波が来るかもしれない、とのことで、沿岸部の公共交通に影響が出たり、一部の会場で試験そのものが中止になるなど、まさに想定外の事態が次々と発生しています。とくに前者に関しては、被害にあった2人の受験生はもちろんですが、おそらくその周囲にいたであろう他の受験生に大きな精神的ショックがあったでしょうから、これをどのようにフォローしていくのか、大事なポイントですね。

 

火山噴火という言葉からすぐに連想してしまったのが、1995年の阪神淡路大震災でした。明日、1月17日であれから27年になるわけですが、あの時のショックはいまだに忘れられません。そして、まさかその16年後にはそれを上回る大きな被害を出す地震が発生するとは思いもしませんでした。

私はもともと関西出身なので、当時神戸やその周辺にはたくさんの知り合いが住んでいたのですが、周囲には、幸い亡くなった方はおられませんでした。しかし、さまざまな被害にあわれた方は多数に上りましたし、「知り合いの知り合い」の中には残念ながら命を落とした方もいらっしゃいます。

今ここで、当時の思い出を色々と勝手に書き連ねるのは、被害にあわれた方に対して何となく失礼な気がします。その代わり、というわけではないですが、今日、そして明日は、自分の心の中で、あの日あったことを思い起こして、静かに過ごしたいものです。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。