明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常17 まさかの・・・

こんにちは。

オリンピック、始まりましたね。正直なところ、私は中止した方が良いのではないか、と思っていたのですが、ここまで来た以上、途中で中止するような事態に陥ることがないよう、祈るばかりです。昨日の開会式は、ピクトグラムが最高でしたね。

それから、挨拶が長い人は嫌われる、とよく言いますが・・・まあ、その話はやめておきましょう。 笑

 

さて、前回書いたように、2014年10月初旬、私はやっと退院することができました。今後さしあたっては、一か月に一度程度通院し、検査を受けて経過を観察することになるはずでした。

自宅に戻った夜、ずいぶん久しぶりにアルコールを口にしました。たしか、頂き物のシードルだったと思います。オードブルをつまみながらの夕食は、解放感に満ちたものでした。もちろん、状況は「寛解」に過ぎず、いつまたがん細胞が活発に動き出すかわかりませんでしたが、とにもかくにも一段落です。

ところが、その夜あたりから微熱が出てきました。(ちなみに、私の入院していた病院では、37.0度以上を微熱、そして37.5度以上を高熱というように分類していました。おそらく、他の病院でも似たようなものだと思います。体温計の違いや測り方による誤差をどのように勘案するかは謎ですが)

とりあえずは解熱剤を服用して、翌日様子を見ていたのですが、熱が下がる気配は一向にありません。寒気もしてきました。退院したばかりで、あまり気が進まなかったのですが、しょうがありません。入院していた病院の夜間診療を受けるため、タクシーに乗ることにしたのです。

しばらく待たされた後、受けた診察の結果は、肺炎、というものでした。すぐに入院ですね、という当直医の先生の言葉に抵抗して、なんとか通院で・・と考えたのですが、両方の肺が真っ白になってしまっているレントゲン写真を見せられては、観念せざるを得ませんでした。

こうして、私の束の間の解放感はあっけなく崩れ去り、またもや入院生活が日常になったのです。これは、かなり落ち込みました。肺炎ですから、本来は呼吸器内科の範疇ということになるのですが、これまでの経緯がありますので、これまでと同じ血液内科の先生に見ていただくことになり、病室もつい2日ほど前までいたのと同じ病棟になりました。看護師さんの「あらあ、もう戻ってきたの」という言葉が胸に刺さります。

皆さんもご存じの通り、肺炎には随分たくさんの種類があります。痰を検査すれば、おおよその目星はつくようなのですが、当初はなかなか出ず、原因や種類を特定するのに時間がかかってしまいました。その間、様々な抗生剤を試す、ということになったのですが、なかなか効果の出るものが見つからず、ずっと微熱が続くという状態のまま、2週間ほど経ってしまいました。

苦しかったのは、微熱だけではありません。

まず、極端な食欲不振に陥り、ほとんど食事をとれない、ということがしばらく続きました。点滴で栄養剤を入れてはいたのですが、それだけでは到底必要な量の栄養を摂取できません。この時は、家族が自家製のスープを作ってくれ、その栄養で生き延びていたようなものでした。そう、液体を飲むことだけはなんとかできたのです。神経が過敏になっていたtのでしょうか。同室の患者さんが食べている物の匂いをかいだだけで気分が悪くなることさえありました。(あの時の煮魚の匂いはちょっとトラウマになっています。)

もうひとつ、おそらく自分に合わない抗生剤の副作用だと思うのですが、低血糖で意識を失いそうになる、ということが一度ありました。これはブドウ糖の点滴でなんとか危機を回避し、その後は「とにかく何でも良いから、甘いものを一杯食べてください。」といういささか荒っぽいと思えるアドバイスを受けました。その時はすでに、少しは食べられるようになっていましたので、院内の売店でチョコレートや砂糖菓子を買ってきては、むしゃむしゃと間食したものです。ただ、同室には糖尿病のため糖分の摂取を厳しく制限された方がいらっしゃったため、いささか申し訳ない気持ちになったことをよく覚えています。(その患者さん、隠れてキャラメルを4つも食べたため、自分の孫のような年齢の看護師さんに厳しく叱られていました。)

肺炎の原因ですが、自分の体の中にいる菌が悪さをしたらしい、とのことでした。たしかに、人間の体の内部にはさまざまな菌が住みついています。しかし、通常の免疫力があれば、まず絶対にかからない病気なのです。そういう肺炎にかかったということは、それだけ私の免疫力は極端に落ち込んでいたということでしょう。外から入ってくる菌やウイルスには気をつけていたつもりですが、体の内部から、となると防ぎようがありませんね。

そんなわけで、結局この入院は約一か月に及び、ようやく退院が許可されたのは11月10日頃になっていました。退院時に体重を測ってみると、最初に入院した6月に比べて、なんと10キロ以上も減っていました。それも、そのほとんどは肺炎入院中の一か月でのことだったのです。

人によって違うのでしょうが、私の場合、体形の変化は主にウエストの縮小と、下半身(つまり足と尻)の筋肉が落ちる、という形で現れました。下半身の肉が落ちると、上半身をうまく支えられなくなるものですね。まっすぐ立っていると、すぐにふらついてしまうし、歩く足取りもなんだか怪しい、ということがしばらく続きました。自分の足を見ても、それが見慣れた自分のものとはどうしても思えなかったものです。

 

本日はここまで。次回からは社会復帰のプロセスを書いていきます。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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