明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常19 産業医との面談、そして職場復帰へ

こんにちは。

 

案の定というか、テレビはオリンピック一色になっていますね。私もチラチラと見ているのですが、たしかに、世界最高峰のアスリート達が力を尽くして競技する姿は、熱く、美しく、理屈抜きに人を感動させるものです。

ただ、私は根がひねくれ者であるせいか、日本人選手だから、という単純な理由だけで、見ず知らずの選手を応援する気持ちには、あまりなれないのです。どこの国や地域の出身であろうとも、彼らの輝いている姿は、私達に普段芽生えないような感情を湧き上がらせます。それだけで十分なのではないか、と思ってしまうのです。そういう意味では、日本人も、アメリカ人も、ジンバブエ人も、同じように応援したい。こういう考え方って変なのでしょうか。

 

さて、話を本題に戻しましょう。仕事をもっているがん患者にとって、入院・療養生活の後、どのように職場に復帰していくのか、そして、その後の「治療と仕事の両立」をどのように成立させるのか、というのは大変大きな課題です。

私の場合も、11月に退院後しばらくしてから、このことを真剣に考えるようになりました。職場の人事係に相談したところ、復帰にあたっては、必ず産業医による面談を受けるように、と指示されました。私の職場では、病気やけがで一か月以上仕事を休んだ場合、産業医の判断を仰ぐというプロセスを必ず経るように決められているのです。また、定期的な面談が、年度の変わり目(3月中旬または下旬)に実施されます。

産業医といっても、何をする人なのか、ピンとこない人もいるかもしれませんね。彼らの仕事は、「事業場(職場)において労働者が健康で快適な作業環境のもとで仕事が行えるよう、専門的立場から指導・助言を行う医師」と定義づけられます。もう少し具体的に言うと、病院の医師(主治医)の出した診断書や指示書を「翻訳」して、患者が実際にどのように仕事をしていけばよいのかを示唆する、つまり病院と職場をつなぐ役割を担っているのです。例えば、「仕事は軽微な作業に限定されるべき」という診断が下った場合に、「軽微な作業」の具体的内容を考え、本人と相談の上、上司や管理者に伝えるわけです。なお、その医師の本来の専門診療領域とは関係なく、あらゆる病気やけがを負った従業員を対象に、面談は実施されます。近年は、職場におけるメンタル・ヘルス問題がかなりクローズアップされていますので、その方面の医師を産業医として選任する例も多いようです。(うちの職場は、医学部や附属病院をもっていますので、人材には事欠かないようです。私が面談を受けた方の本来の専門領域は、循環器内科でした。もちろん、実際の仕事内容を決定するのは、管理者・管理職ですが、産業医の書いた意見書は大いに参考にされますから、その役割の重要性は理解してもらえると思います。

現在は、従業員数50人以上の職場では、産業医を選任すること、さらに、従業員数1000人以上等の職場では、専属の産業医を置くことが、義務づけられています。(「労働安全衛生法第13)」「労働安全衛生法施行令5条」による)

平たく言ってしまえば、事業所は雇用している従業員の安全衛生に十分に注意することが求められており、それを専門的な見地からサポートするのが産業医、ということになります。

 

説明が長くなってしまいました。私は11月下旬ころに面談を受け、その結果、年度終わりにあたる翌年3月末まで休職し、新年度から復帰することになりました。退院した以上、一日も早く復帰したい気持ちも強かったのですが、体力と免疫力が低下している現状を考えると、無理は禁物との判断には納得できました。とくに、インフルエンザの流行が本格化する冬、多くの学生が集う大学という職場は、ウイルスの巣窟となってしまう可能性が高く、そんな場所には来るべきではない、というアドバイスには「確かにそうだなあ」と思わずにはいられませんでした。

そんなわけで、引き続き自宅での療養を続けることになった私ですが、体だけではなく頭のリハビリにも次第に着手していきました。といっても大したことをしていたわけではありません。1日に2時間程度、調べ物をしたり、文章を書いたり、アイデアをまとめたり、という感じで過ごしていただけで、午後の時間帯は、だいたいゆっくりと過ごしていました。ただ、仕事上のプレッシャーやストレスがまったくなかったこの時の蓄積は、その後の研究と原稿執筆に随分役立ったものです。

職場には、一度だけ、指導しているゼミの学生達の研究発表が行われた時に、顔を出しました。それまでも、メールや電話などで色々とアドバイスはしていたのですが、やはり、久々の直接のコミュニケーションは、気持ちをリフレッシュさせるのに大いに役立ったと思います。

また、この4か月の間にも、私の退院を聞いて、会いに来てくれた卒業生が何人かいました。

彼等には、本当に様々な形で支えてもらいました。感謝しても、しきれないぐらいです。

 

こうして、2015年4月1日、私は無事職場に復帰し、ほぼ通常通りの仕事をこなすようになりました。もちろん、定期的な通院は続いていましたし、不安が全くなかったわけではありませんが、やっと、晴れ晴れとした気持ちになり、咲き始めた桜を眺めたものです。

 

本日はここまで。職場復帰はしましたが、まだまだ話は終わりません。ただ、この投稿でちょうと20回目となりますので、また少しだけインターバルをおいて、8月1日頃からブログ投稿を再開します。

 

長い文章を最後まで読んでくださって、ありがとうございました。