明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常39 「自分の居場所」

こんにちは。

 

前回の投稿で、献血について書きましたが、今日はまずその補足から。

献血ができない条件について、いくつか列挙しましたが、年齢制限についての記述が抜け落ちていました。

現在の献血は以下の表の通りとなっています。文章で書くよりも、表を丸ごと載せた方がわかりやすいので、これまた日本赤十字社のホームページからそのまま転載します。

ここでとくに注意が必要なのは、65歳から69歳までの年齢の方です。女性の場合は、血小板の成分献血は54歳までですが、それ以外は男性、女性、全血献血成分献血のすべてで69歳まで可能となっているのですが、これには条件があり、「65~69歳の者については、60歳に達した日から65歳に達した日の前日までの間に採血が行われた者に限る。」と書かれているのです。つまり、この5年間の間に一度でも献血を行った経験があれば、その後69歳まで引き続き献血を行うことができる、というわけです。

対象となる年齢に差し掛かっている人は、お気を付けください。

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閑話休題

今回は少しおもむきの異なる話です。

私はよく朝日新聞朝刊の一面の下の方に連載されている鷲田精一氏の「折々のことば」というコラムを読んでいます。簡単に言えば、さまざまなジャンルの有名人から無名人まで、あらゆる人々の発した言葉の中から、鷲田氏のアンテナに引っかかった言葉を紹介して、それに簡単なコメントをつけている物なのです。そして今朝、はそこで漫画家である萩尾望都氏のこんな言葉が紹介されていました。

 

『「今いる場所がすべてじゃないんだ」と考えると、脳が活性化しますね。』

 

ここで「場所」とはおそらく二つの意味があります。それは地理的物理的な意味と精神的な意味です。私は、このうち前者については、必ずしもこの言葉通りだとは思いません。たしかに、いろいろなところに自分の居場所を持っている人は、色々と刺激を受け、そこから新しく考え、成長していくということが可能かもしれません。しかし他方で、例えばフランスやイタリアの山村に暮らす老人が「世界中でここが一番だよ。他のどこにも行ったことはないけどね。」などと話しているのを見ると、なんだか格好良くて幸せそうだなあ、と思ってしまうのです。決して、「この人は思考停止に陥っている」とは思わないですね。

他方、精神面での「場所」となると、話が少し混み入ってくるような気がします。鷲田氏もそのことを念頭において、「自分の中に居座っている日常の窮屈な決まり事や囲いから自分の視線や感覚を解き放つ」というコメントをつけています。

ヒトは誰でも日常生活を繰り返す中で、知らず知らずのうちに自分で自分を狭い檻に閉じ込めてしまい、そのことに苦しくなって、やがてはさらに自分を追い詰めてしまう、という傾向があるように思います。そうなってしまうと、もはや「脳の活性化」など望むべくもありません。そんな時、自分のいるべき場所は、ここ以外にもいくつもあるんだ。」と思うことができれば、すごく気持ちが楽になれるでしょう。

このブログの中心テーマである、何らかの病気にかかり、場合によっては長期入院せざるを得なくなった人についてみてみると、このことはより明白だと思います。毎日毎日、ただ病気に立ち向かう、などという姿勢を貫き通すことは、普通の神経の人間にはできるものではありません。たとえ退院の見込みがたっていなくても、退院後の自由な生活を思い描き、妄想することは、決して現実逃避ではありません。むしろ、「明日を生きる」ためには必要なことなのです。といっても、別に前だけを向く必要もありません。自分の歩いている場所から眺められるのは、前だけでなく、左右にも広大な世界が広がっているし、後ろにも自分の歩いてきたたしかな道が続いている。360度見渡して、その時になんとなく魅力のありそうな場所に行ってみることは、きっとそれなりの意味があるのだろうと思うのです。

ただ、だからといって「何か新しいことを見つけなくては」などという強迫観念に捕らわれるのもよくないですよね。「脳の活性化」を目的にしてしまう必要もありません。いかにして、自然体で生きていく中で檻を破る、あるいは飛び越えることができるかどうかなのでしょうね。そうして、最終的には自分の確固たる居場所を見つけることができれば、あとはどんなに日常生活が機械的なものになっても、ちゃんと安定した精神状態でやっていけると思うのです。

皆さんはどう思われますか。

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。