明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常41 ワクチン・パスポート

こんにちは。

 

最近、朝晩はすっかり秋の様相ですね。でも、昼間は意外に気温が上がったりします。寒暖差に気をつけないといけない季節です。来週はまた台風が来るかもしれないし。

 

さて、秋といえば行楽シーズンですが、最近、ワクチン・パスポートなるものの議論が盛んになっています。簡単に言えば、新型コロナ・ワクチンを2回接種した人に、接種証明書の提示を条件に、宿泊や食事に割引その他のサービスを付加する、というものです。摂取していない人、する予定のない人については、PCR検査の陰性を証明する書類があれば、それで代替する、ということらしいです、

既に、民間業者でこのようなサービスを実施しはじめているところは、けっこう多くなっているようです。民間業者がどのような優待プランを実施しても、それが社会的に認められないようなものでない限りは、厳しく規制することはできないでしょう。ただ、現在のワクチン・パスポートの議論は、これを国や自治体が後押しすることの是非についてです。また、民間業者に対して、何らかの網をかける必要はないのか、ということも議論の対象となっています。(その他、海外渡航の際に利用できないか、という議論もありますが、これは相手国との関係もありますので、とりあえず、今日の話の中では扱いません。)そして、その推進派の主張するメリットは、景気浮揚策としての期待とワクチン接種そのものの推進・啓発という2点に集約されると思います。他方慎重派の最大の主張は、これがワクチン接種差別を助長してしまうのではないか、という点でしょう。個人情報保護や人権の観点からすると、ワクチン接種がそれこそ社会のさまざまな場面での「パスポート」となり、その利用が無制限に広がってしまうことによる問題点がまだ十分に議論されていないのではないか、ということですね。

さて、この議論、皆さんはどうお考えでしょうか。

私自身は、上のような論点はいずれもなるほどなあ、と思いますが、まあ、無制限に利用広がって、接種していない人の肩身がどんどん狭くなっていくようなことがないように配慮する枠組みは必要だろうと思います。

ただ、それ以上に懸念されることがあります。それは「そんなにワクチンを信用して大丈夫なのか」という点です。ワクチンを2回摂取しても、抗体がどの程度できているかは個人差がありますし、現に感染してしまっている人も多数報告されています。先日のニュースでは、群馬県のある病院でクラスターが発生したのですが、感染者25人のうち24人が2回接種済みだったそうです。(こういう感染をブレークスルー感染というそうです。)

以前から医療関係者が警告していたように、ワクチン接種は、感染を100%抑えるものではないし、マスクの着用や手の消毒はこれまでと同様必要ですし、日常的な行動に慎重さが求められることも変わりがありません。ただ、感染してしまった場合重症化してしまうに確率は減るかもしれない、ということです。そして、症状が抑えられるということは、感染したことに本人が気がつかず、結果として他の人へと感染を広げてしまうことも十分に考えられるのです。

さらに言うなら、次々と新しい変異株が見つかっている現状では、その特徴や危険性を見極めないまま、どんどん話を進めることはかなりのリスクを伴うのではないでしょうか。

このように考えると、推進派の思いは十分に理解できるし、本格的な行楽シーズンに間に合わせたいという思惑もわかるのですが、本当に大丈夫なのか?という疑念が大きくなってしまうのです。

なお、PCR検査も同じことです。あれは、検査時点で陰性か陽性かを診断するものに過ぎませんから、極端なことをいえば、その数時間後には感染している可能性だってあるのです。つまり、絶対的な安全性を証明することにはならないわけですね。「3日前陰性でした」と言われて、「じゃあ、今日も大丈夫ですね。」と判断してしまうのは、少し乱暴なような気がするのです。

少し否定的なことを書いてきましたが、実際にこうしたサービスを受けられるホテルやレストランを見つけたら、それにつられて予約してみようか、と思ってしまう自分がいることも事実です。

人間は本当に弱いものです。私たちは経済活動を行う主体ですが、人間が本質的にもっている弱みを利用したり、つけこんだりするようなマーケティングや企業活動には注意しながら接していくことが必要なのでしょう。

 

余談ですが、「クラスター」あるいは「ブレークスルー」は、経済学や経営学の世界ではずいぶん以前から、どちらかというと良い意味で使われてきた言葉です。前者は、特定地域における関連産業の効率的な集積を表す言葉として、後者は従来のやり方を根本的に変革するような革新的な方策という意味で使われてきたのです。しかし、コロナ騒動のせいで今後こうした言葉が使いにくくなってしまうとしたら、なんだか変な話だなあ、と思わずにはいられません。

 

今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。