明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常49 インフォームド・コンセント

こんにちは。

 

約一か月前の投稿で、十五夜と十三夜について書きましたが、去る10月18日が、その十三夜でした。この日、月をご覧になった方はいらっしゃったでしょうか。私は、残念ながら曇天だったため、この日はまったく月見をすることはできず、片見月になってしまいました。まあ、一応夜空を2度ほど見上げてみたので、月を見ようとする努力はした、ということで月の神様には許してもらい、栗でも食べましょうか。(十三夜の月は、別名「栗名月」とも呼ばれています。)

ところで、この十三夜の月見、始まりは平安時代にまでさかのぼるようです。もっとも有力な説は、醍醐天皇が月見の宴を催した時だ、というものだそうです。そして、日本以外でこのような「少し欠けている月」を愛でる習慣はないそうです。完ぺきではないものに美しさを見出す、というのは日本独特の美意識、文化のようですね。なお、十五夜を一日過ぎた十六夜を満月の名残として大事にする習慣も、日本以外にはないようです。同じものを見ていても、どこに美を感じるのか、国や地域によって異なるというのはおもしろいものです。

 

ところで、前に父の入院の話も書きましたが、今週ようやく無事に退院してきました。結局ちょうど3週間かかってしまいましたが、トシもトシですし、急に冷え込んだりしましたから、しょうがないですよね。入院生活で足腰は弱っているようですが、杖を頼りにすれば自力で歩いています。段差のある所はむずかしいですし、当面は風呂に入るのも恐いでしょうが、少しずつ慣れてくれれば、と思っています。介護用品専門店からレンタルで手すり等も入手しましたし、ゆっくり経過をみていきます。食事はちゃんと摂れていますから、体力は次第に回復する筈ですし。

退院の一週間ほど前、主治医の先生から説明がありましたので、私も病院に出向き、同席させてもらいました。実は、この日は私自身の通院もあったので、「病院のはしご」をすることになってしまったのですが、仕方がありません。

一度でも入院した経験のある方ならわかると思いますが、現代医療の世界では、ある程度大事な医療行為が行われる際には必ずインフォームド・コンセントが実施されます。つまり、医師や看護師からデータや画像に基づいて病状の詳しい説明とその後の治療方針・予定について詳細な説明があり、患者およびその家族側は自由に質問することができる機会を、病院の相談室あるいはカンファレンス・ルームのようなところで行うわけです。病院によっては、それらをすべて記録し、「たしかにインフォームド・コンセントを受けた」というサインを患者に求めるところもあります。もちろん、記録された書類は、そのコピーを貰えます。看護師がその場でパソコンに速記入力している場合もあります。

「患者が自分の治療について自分で決める」ことの大前提となるこの制度は、現代では必須となっていますが、日本で紹介され、この考え方が広まり始めたのは1960年代以降です。そして、日本医師会生命倫理懇談会が「説明と同意」と表現してその意義を認め始めたのは1990年のことですから、意外なほど新しい話です。

では、インフォームド・コンセントにはどんな意味があるのでしょうか。私なりに整理してみると、以下のような感じになります。

① 患者側に納得感、安心感を与える。そして、治療方法等の「自己決定」の材料とする。

② 医師側は、納得してもらえるだけのデータ等をきちんとそろえて、これに臨む必要があるので、事前にかなり正確かつ丁寧な検査、診療を行うようになる。

➂ インフォームド・コンセントで示したことについては、責任がともなうようになるため、医師側と患者側、そして医療機関の間で、責任の所在が明確になる。(そのためにも、記録文書は大事なのです。これがないと「言った、言わない」の争いになってしまいかねません。)

④ 自由な質疑応答がなされることによって、医師と患者のコミュニケーションはかなり密になる。

⑤ ともすれば感情的、悲観的になってしまいがちな患者側が、少しでも冷静に、客観的に自分の病気に向き合うきっかけとなる。

 

とはいえ、要するに両者の会話がスムーズに行われることによってこそ成立する制度ですから、話下手だったり、妙に遠慮したりすることによって、せっかくのインフォームド・コンセントがさほど効果を発揮しなくなることもあります。医師の方々には、経験を積み重ねることによって、柔らかで自然な雰囲気を作れるよう、努力を重ねてもらいたいですね。

ちなみに、私自身の経験からすると、医師は、まず悪い結果になる場合のことをきちんと説明します。決して「絶対に大丈夫です」とか「失敗はありません」、「すべて任せてください」などという、ドラマで出てきそうなセリフは喋りません。これは、その後の責任を考えると当然のことだろうと思います。発言に、明快さと柔和さを併せ持つことができるような医師が求められるのです。

 

今回も、最後まで読んでくださってありがとうございます。

急に冷え込んできて、季節が一気に進んだような気がします。皆さん、くれぐれも健康にはお気をつけください。