明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常50 「個性」って何だろう

こんにちは。

 

今回は、前々回に引き続き、クラシック音楽ネタを少し。

先日まで、第18回ショパン国際ピアノコンクールポーランドワルシャワで開催されていました。これは5年に一度(ただし、今回はコロナ禍のため6年ぶりの開催)、約一か月間にわたって行われる、若手演奏家にとっての一流ピアニストへの登竜門とも言われるコンクールで、世界中から将来を嘱望される才能が、ショパンの生まれ故郷であるポーランドに集まってきます。5年に一度の開催であるため、ほとんどの挑戦者にとっては生涯で一度、多くても二度ぐらいしかチャンスがなく、まあ、ピアニスト達のオリンピックといってもよいものです。ポーランドの人々にとってショパンは郷土の誇りであり、このコンクールはいわば5年に一度の「祭り」であるようです。

これを主催しているショパン協会というところは大変太っ腹で、参加者すべての演奏が、ライブでYouTube上に無料公開されているだけでなく、アーカイブでいつでも好きな演奏を視聴することができます。しかも、音質、画質ともに、そのまま商品になるほどの高いレベルのもので、世界中のクラシック愛好家が夢中になるのです。かくいう私も、全部とは言いませんが、けっこうたくさんの演奏を視聴させてもらいました。このコンクール、現地の会場で聴こうとしても、チケット入手はきわめて困難なのですが、インターネットは本当に便利なものです。

ここで演奏されるのはすべて「ピアノの詩人」とも称されるショパンの曲。それを約100名もの参加者が入れ替わり立ち代わり弾くわけですから、当然、演奏曲目はかなり重複してきます。ふつうに考えれば、同じような曲ばかり延々と聴くことになるのですから、飽きてくるだろう、と思いますよね? ところが、これがまったく退屈しない。むしろ、さまざまなタイプの演奏に接することによって、次第にちょっとした違いやそれぞれの演奏者の意図もなんとなく見えてきて、おもしろさが増してくるのです。

これをありふれた言葉で表現すれば「個性」ということになります。

 

私は、すべての人は二種類に分けられると思っています。一方は、個性を強く押し出そうと努力し続ける人、そしてもう一方は、なるべく個性を前面に出さず、平均的な「普通の生き方」をしていこうとする人です。そのどちらが良いのか、ということを論じるつもりはありません。ただ、本来人間には、それぞれ隠そうと思っても隠し切れない、その人だけがもつ個性があり、それが色々な機会ににじみ出てくるものではないでしょうか。ですから、変に「自分の個性」とか「自分らしさ」などというものを意識しすぎることは、かえって自分を見失うだけなのです。上に紹介したコンクール参加者は、これから音楽界でスターになろうという人達ばかありですから、当然自分の個性をいかに前面に出そうとするでしょう。そのアピールのための演奏でもあるわけです。ところが、これを意識しすぎると、バランスの崩れた、不自然な演奏になってしまうのです。

私達の日常生活は、彼らのような厳しい競争環境にさらされているわけではありませんが、それでも、日々の言動には「自分らしさ」が表れるものです。それは、たとえ他人から押し付けられた仕事であっても、あるいはマニュアルに沿って遂行することが求められる仕事でも、変わりません。そこに人間というもののおもしろさがあり、一人一人の人間にしか出せない「味」というものがあるのです。

そのように考えれば、生活の中で自分の精神をすり減らしてしまうような感覚には襲われないのではないでしょうか。自分の行動をひとつの枠にはめ込もうとする試みも、そこから飛び出そうとする試みも、結局のところ「枠」を強く意識してしまっているという意味では、同じなのです。近年は、さまざまな理由でメンタルヘルス問題を抱えておられる方がたくさんいらっしゃいますが、ぜひ、自分の構えをもっとゆったりした自然体に近いものにできるようになっていただければいいなあ、と思わずにはいられません。私自身はそちらの方面の専門家ではありませんので、そうした人を助ける具体的な方法を提示することはできませんが。

 

本日も駄文を最後まで読んでくださって、ありがとうごあいました。