明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常62 遠くへ行きたい

こんにちは。

 

さて、2回続けてオーストリアでのコロナ対策をめぐる混乱状況を取り上げてきましたが、私たちが普段オーストリアとかウイーンとかの地名を耳にしたとき、真っ先にイメージするのは、そういった生々しいことではなく、「モーツアルトの生まれた国」とか「音楽の都」というフレーズですよね。そして、そんなイメージの中心に位置しているのが、世界最高峰のオーケストラのひとつとも言われるウイーン・フィルハーモニー管弦楽団ではないでしょうか。クラシックにさほど興味のない方でも、1月2日にウイーン楽友協会大ホール(ムジーク・フェライン・ザール)で行われるニューイヤー・コンサートの様子をテレビで見たことがある、という方は多いだろうと思います。

1870年に竣工したこのホールは、別名「黄金のホール」とも呼ばれており、1939年からの長い歴史を有するニューイヤー・コンサートでは、観客全員が正装で訪れるという、大変きらびやかなものです。おそらく、ウイーンの人達は、これを聴いてはじめて、新年を迎えたという実感を抱くのでしょうね。

私の友人に、あのステージでベートーヴェンの第九を歌ったといううらやましい奴がいますが、それはさておき、ウイーン・フィルにはもうひとつ、大切な年中行事があります。それは、毎年6月頃にシェーンブルグ宮殿の庭園に屋外ステージをしつらえて行われるサマーナイト・コンサートです。ハプルブルグ家の夏の離宮だったこの宮殿で行われるコンサートは、2004年から始まった比較的新しい行事ですが、今や夏の始まりには欠かせない季節の風物詩になっているようです。ニューイヤー・コンサートとは異なり、こちらはカジュアルな雰囲気で行われるのですが、もうひとつの特徴として、毎年ひとつのテーマが設定されていることなのです。

今年のサマーナイト・コンサートは観客を3000人に限定し、医療従事者や教育関係者を招待して行われたのですが、そのテーマはFernweh(フェルンヴェー)でした。この、あまり聴きなれないドイツ語は非常に観念的な言葉で、ドイツではいわゆるホームシックの反対語として使われるようです。これを日本語に無理やり訳すとすれば、「遠方への憧憬」ということになるようです。つまり「遠くへ行きたい」ということですね。(「遠くへ行きたい」と聞いて、懐かしいテレビ番組を思い浮かべた方、あなたは私と同世代か、もう少し年上でしょうか 笑 ちなみに、あの番組、まだ日曜朝にやっていますよ。すごい長寿番組ですね。)なお、似たような意味の言葉に、Wanderlust(ヴァンダールスト)というのがあり、こちらは一か所にとどまらない放浪をも意味するようで、しばしば詩の世界にも登場すします。これに対してFernweh(フェルンヴェー)はもうちっと単純に、「どこか遠くに行かないと、気が変になってしまうよ。とにかく、どこか遠くへ行きたい。」というような意味合いが込められているそうです。(ドイツ語にそれほど精通しているわけではありませんので、若干不正確かもしれません。悪しからず。)

これって、コロナ禍でのステイ・ホームで多くの人が感じてしまう気持ちそのものですよね。そう、日本人も、オーストリア人も、そしておそらく世界中の人々が同じような感情を持ち続けて、この2年弱を過ごしてきたのです。そう考えると、何だかしみじみとしてしまいます。そして、こうした言葉がテーマに選ばれるというところに面白さを感じます。

ヨーロッパの一部ではデモを通し越して、暴動のような騒ぎも起きているようですが、ああやって暴れている人の多くも、実は、横暴な政府によって人権が制約されるという危機感というよりは、Fernwehに近い感情に揺り動かされているのではないだろうか。そんな風に考えると、もう少し冷静な話し合いの糸口も見つかるような気がしてきます。今、何ができるのか、そして何を避けるべきなのか。一人一人が落ち着いて考えていく必要がありますね。政府による対策もそのような方向で考えてほしいものです。

それにしても、私も旅行に出かけたいものです。できれば、魚の旨い日本海側とか、この時期はいいですよね。まあ、個人的には免疫威力低下という問題も抱えているし、来年にはGo To トラベルのキャンペーンが再開されるかもしれない、とのことなので、もうしばらくは我慢でしょうか。

 

今回も、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。