明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常73 「第九」と「蛍の光」

こんにちは。

 

大雪は収まったようですが、その代わりに今度は日本海側で雨が降るようですね。雪の後の雨って、融雪に役立ちますが、逆に、落雪や雪崩の危険は増します。また、道路がシャーベット状になってしまい、大変足元が悪くなりますので、こうしたリスクある地域の方はお気をつけください。今冬はかなりの積雪になると予想されていましたが、本当にその通りになっています。また、大晦日頃には、また大きな寒波が来るようですので、しばらくはあんしんできませんね。

 

ところで、皆さんは年の瀬によく流れる曲というと、何を思い浮かべるでしょうか。紅白歌合戦で毎年のように流れる曲、例えば石川さゆりさんの「天城越え」が頭の中を流れる人も少なくないでしょうが、どの世代にも共通するのは、やはりベートーヴェン交響曲第9番、いわゆる「第九」ではないでしょうか。

毎年12月の一か月間に日本全国で「第九」はどのぐらい演奏されるのか? 今年、昨年は減っていますが、多い年だと150回にものぼっているそうです。ものすごい数ですね。日本を代表する指揮者だった朝比奈隆さんは、その生涯に251回も「第九」を指揮したそうですから、まさにギネスブック級ということになるかもしれません。

ただ、例えばヨーロッパの実情を見ると、この曲は「とても大切にしなければならない、特別な曲」であって、一生のうちで、その本当の節目やスペシャルな機会にだけ演奏されるもの、という位置づけになっているようです。有名なところでは、例えばベルリンの壁が崩壊したことを祝して1989年12月25日にレナード・バーンスタイン(ミュージカル「ウェストサイド物語」の作曲者としても知られるアメリカ人指揮者)が指揮台に立ち、東西ドイツの一流オーケストラが合同で演奏を行ったコンサートがよく知られています。ちなみに、このコンサートでは、バーンスタインは、元々の詩にあった“Freude(歓喜)”という言葉を“Freiheit(自由)”に変更して歌わせています。

では、日本ではなぜ年中行事のようにこの曲が扱われるようになったのでしょうか。

色々と説はあるのですが、その音楽的価値とはあまり関係のない、しかし興味深い説明として、オーケストラ団員のボーナス(というか、いわゆる「モチ代」)を支給するため、というのがもともとの目的だった、というのがあります。この曲、比較的大規模な合唱団が必要となります。そのほとんどはアマチュア合唱で、自分の出るコンサートのチケットを、知人等に売ってくれます。すると、会場は大入りとなり、オーケストラもかなりの額の収入を見込むことができる、というのです。オーケストラ団員は、プロとは言え、収入面では必ずしも恵まれていない方も多いため、こうした仕組みが日本の音楽界を支える一助となってきたのかもしれません。

もちろん、こうしたことだけが目的ではないでしょうし、何よりも、この曲のもつ強いメッセージが、多くの人を惹きつけてやまない、ということが前提であるのは当然ですので、生々しい話だけで演奏されているわけではありません。

なお、以前も少し書きましたが、私は学生時代からかなり長い期間、合唱団に所属していました。大病してからは、ちょっとご無沙汰になっていますが、今でも、合唱はかなり思い入れのある音楽ジャンルのひとつです・・・という話をすると、たいていの方が「やっぱり第九ですか」とお尋ねになるのですが、実は、まだ歌ったことがありません。

それは、この曲が嫌いだからではありません。あまりのも大きな曲であり、ちゃんと歌うにはかなり練習をつまないといけない難曲であるため、なんとなく敬遠してきた、ということになります。難曲、というといわゆる「歓喜の歌」のメロディだけをご存じの方は不思議に思うようですが、この曲、全体像をみると、決して簡単なメロディだけで作られているわけではありません。合唱団の出番は、第4楽章だけですので15分程度なのですが、全体的にかなり高い音を出すことが要求されますし、かなりのパワーをもって歌わなければなりません。ドイツ語の歌詞を、ほぼ暗譜状態で歌わなければならないことは言うまでもありません。蛇足ですが、第1楽章から第3楽章までは聴いているだけなのですが、出番になってからぞろぞろとステージに登場するわけにはいきませんので、曲が始まってから約1時間、ステージに設けられた椅子に座って、ひたすら第4楽章を待つことになります。何もしないでよい、とは言え、ステージに上がっているわけですから、客席からはずっと見られているわけで、これはけっこう緊張するものだろうと思います。

そんなわけで、ちょっと怖気づいた結果、今に至る、というのが正直なところですが、死ぬまでには一度はちゃんと歌いたいな、という気持ちがあることもまた事実です。経験者は皆さんによると、歌いきった後の充実感は何にも代えがたいそうですから。

 

ところで、ヨーロッパで年末に必ず流れる曲、とは何でしょうか。もっとも一般的なのが、スコットランド民謡の“Auld Lang Syne”という曲です。ご存じないですか? 日本でも誰でも知っている曲、「蛍の光」の原曲です。この曲、日本でイメージされるような別れの曲ではなく、旧友との再会を祝し、酒を酌み交わす、という大変陽気な歌詞だそうです。そして、例えば大晦日に年をまたぐ瞬間、カウントダウンがゼロになると同時に、大騒ぎし、皆で踊りながら、この曲を合唱する、というのがよく見られる風景だそうです。

新年の迎え方も、国や地域によってずいぶん異なるものですね。

 

さて、そんなわけで、このブログも年内は今回を最終回にします。新年はいつから再開するか決めていませんが、これまでと同様、気が向いたときに覗いてみて下されば幸いです。

 

2022年が皆さんとって素晴らしい年になりますように。