明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常76 寅(虎)のこと

こんにちは。

 

前回の投稿について、kihachijyouさんから、「古来、日本には虎はおらず、中国に渡って寅を実際に見た人もほとんどいなかったはずだが、どうやってあんな風に描くことができたのだろうか」という主旨のコメントをいただきました。これは私も以前から疑問に思っていたことでしたので、少し調べ、また、考えていたのですが、そうこうしているうちに、単にコメントに対して返信するだけでではもったいないような気がしてきましたので、このような形で投稿することにしました。Kihachijyouさん、申し訳ありません。(懲りずに、またコメントをお願いします。)

 

さて、虎を描いた日本画というと、真っ先に思い浮かぶのが江戸時代の絵師、円山応挙です。彼がなぜ虎という素材に魅せられたのかは不明ですが、中国や朝鮮半島において武勇や王者の象徴とされていた虎は、日本でも龍とともに霊獣とされ、絵画のモチーフにしばしば用いられていたそうです。したがって、虎の絵そのものは応挙の専売特許ではありません。ただ、彼はきわざわざ中国から毛皮を取り寄せて、その質感を研究するとともに、姿や形については中国の絵画も参考にしたようです。しかし、当時から「よく似ている」と言われていた猫をモデルにし、その動きを参考にしたという話も伝わっています。

ただ、よく考えてみると、野生動物である虎の生息地は基本的に森林地帯であり、当時の中国の人々にとっても、そんなに身近な動物ではなかったはずです。そうすると、ある程度は想像で描いていくしかありません。なんといっても霊獣なのですから。龍の場合は本当に想像上の動物ですが、虎は現に生息している動物であることはわかっているのに、それを描こうとすると、大いなる想像力が要求される。こんなところにも、多くの芸術家が魅せられた要因があるのかもしれません。

そんなわけですから、現代の目から見ると、江戸時代の絵には若干違和感を覚えるところもあります。例えば応挙の場合は、手足のバランスがなんだかおかしいような気がしますし、何よりも、顔が愛くるしすぎます。これも猫をモデルにしたことが原因でしょうか。

応挙の絵も素晴らしいのですが、私が最も好きな絵は、応挙の弟子であった長澤芦雪の描いた襖絵です。これは、和歌山県串本町無量寺の一室の襖絵3枚に描かれた堂々たる大作で、虎は前かがみになって、何かを狙っているような姿勢をとっています。私は幸いにも実物を見たことがあるのですが、長いしっぽに刺々と逆立ったヒゲ、そして何よりも絵の大きさに圧倒されます。そして襖からはみ出そうな勢いの、伸び伸びとした筆致は、応挙にはあまりなかったものかもしれません。しかし、よく見ると顔があなんだか可愛い。おやっと思って、裏側の襖に描かれた絵を見ると、そこにははっきり、池で泳ぐ魚を狙っている猫が描かれています。そして、にらまれた魚の驚愕の表情も、見逃せません。そう、つまり表側の虎の絵は、魚から見た猫の姿、ということなのです。芦雪は虎が猫に似ている、という情報を得ていたものの、「いやいや、そんなに可愛らしいものではないはずだ」と思い、このような仕掛けを施した絵を描いたのでしょうね。視点を変えると、見えるものの様子も大きく異なってくる、ということなのです。まあ、芦雪自身はかなり破天荒な生き方をした人らしいので、そんな教訓めいたことを伝えたかったのではなく、「遊び心」だったと思いますが。

その他にも、虎を描いた絵画や工芸作品はたくさんあります。寅年のこの機会に、見て回るのも面白かもしれませんね。

それにしても、十二支というのは不思議なものです。どうして現在のような12匹のラインアップになったのかは、研究者にもよくわからないそうです。比較的身近な動物や、人間のあるべき方向性を指し示す象徴のような動物が選ばれた、という説もありますが、なんとなく後付けの理屈っぽくも感じます。ちなみに「なぜ、もっとも身近な動物である猫は入っていないのか」という疑問に対しては、「ネズミにだまされて、うその集合日時を教えられた」という説もあるようです。中国にもトムとジェリーがいたのでしょうか??

 

そんなわけで、今回も少し正月っぽい話題となりました。本当には他にも色々と書きたいネタはあります。例えば、紅白歌合戦大泉洋さんの司会が少しウザかった、とか孤独のグルメ年末スペシャルは、昨年、一昨年の方が良い出来だったとか。しかし、こうしたネタで引っ張っていくのも、既に日常のリズムを取り戻しつつある皆さんには面白くないかもしれませんので、このあたりで終わりにしておきます。ただ最後に一言。紅白の大トリで歌ったMISIAさんは、おそらく必ずしも完璧な出来栄えではなかったと思うのですが、それでもあの圧倒的な歌唱力! 現在におけるディーヴァ(歌姫、いや歌の女神というべきかもしれません)とは、この人のことを指すのだ、としみじみ感じた大晦日でした。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。