明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常88 お久しぶりです

こんにちは。

 

ご無沙汰しています。ブログ投稿に関しては、少し長めのお休みをいただきましたが、皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。

実は、まだ白内障の治療はまだ右目だけしか済んでいないのですが、左目の手術も含めて全部終わるのは来月末になってしまいそうなので、このあたりで再開することにします。

この短い期間に、北京オリンピックが終わったり、オミクロン株は猛威を振るったり、最近ではウクライナをめぐる情勢が緊迫化していた李・・・というように、世相は相変わらずせわしないですが、今日のところは久しぶりなので、私の身の回りのことで感じたことについて書きます。

 

白内障に関しては、いつも通っている大病院ですぐに診察結果が出たのですが、今のご時世「こちらでは手術を受け付けていないんですよ」と言われ、この方面の経験が豊富にある眼科医院を紹介してもらいました。ひとつの病院でまとめて面倒を見てくれると楽なのですが、まあしょうがないですよね

訪れた眼科医院は、白内障緑内障の手術から眼鏡やコンタクトレンズの新調・調整に至るまで、かなり幅広く扱っている所で、その分、患者数も大変多かったです。ということは待たされる時間もそれなりに長く、それはちょっとうんざりするところですが、高齢者の方から今度小学校に入学するのかな?という感じの子供まで、患者の個性もヴァラエティに富んでいて、それを観察しているとけっこうおもしろいです。

もっとも感心したのは、看護師さん達の子供とのやり取りでした。2つだけ、ご紹介しましょう。

看護師さん「あ、新しいゲームやっているんだ。これ○○っていうやつだよね。これって、△△すると、××になって、パワーアップするんだよね。」→すみません。こういったゲーム事情にはまったく明るくないので、何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。ただ、看護師さんがこんなところにもアンテナを張っていることに、まずはびっくりです。

子供「うん。(嬉しそうに)でも、××にはなかなかならないんだよね。」

看護師さん「そうなんだ・・・それで夢中になってるんだね。」

子供「そうだね。昨日は2時間ぐらいやってたかな。」

看護師さん「そうね。でも××になってしまうと、その先の楽しみが減ってしまうみたいだから、一日30分でゲームは止めておこうね。」

子供「はーい。」

もう一つの例はもっと簡単です。

看護師さん「○○ちゃん、その眼鏡、すごく素敵。多分世界でいちばん可愛いよ。だからきっと、お友達がうらやましがって、ちょっと貸して、って言うと思うんだ。でもおもちゃじゃないんだから、貸しちゃだめだよ。」

子供「(嬉しそうにスキップしながら)はーい!」

ふたつの例に共通しているのは、決して頭ごなしに、命令するような言い方はしない、ということでしょう。子供とは言え、いや、子供だからこそ、病院に来るというのはそれなりに緊張するだろうし、そこで叱られるような言い方をされてしまっては、どんどん委縮してしまいます。そうならないように雰囲気づくりに気を配っていることがよくわかりました。

もちろん、高齢者、例えば耳が遠くなっている方や杖がないとうまく歩けないような方には、それなりの接し方をされています。そのあたりの切り替えも見事なものでした。

この医院にかぎったことではありませんが、患者に接する時間がもっとも長いのは、医師ではなく看護師です。ですから彼らの果たすべき役割はとても大きいのです。そして、もっとも要求される能力のひとつが、こうしたコミュニケーション能力だと思うのです。私もこれまでにずいぶん色々な看護師さんにお世話になってきましたが、比較的話しやすい方、そうでもない方、色々いらっしゃいます。もちろん、専門職なのだから、医療技術やその周辺のことがきちんとできればそれで良い、という意見ももっともなのですが、彼らの言葉ひとつで、その場の雰囲気や患者の気持ちは随分変わることも事実なのです。

 

昨日、いつもの病院に通院した時こんな会話をしました。

看護師さん「目の具合、どうですか?」

私「おかげさまで、ずいぶん明るくはっきりと見えるようになりました。まだ片方だけなんですけどね。」

看護師さん「よかった。でも、今日はあまり近づかないでおこうっと。私の肌荒れがはっきり見えると困るもん。」

私「・・・(笑うしかない)」

変な気の配り方よりも、ずっと良いと思いませんか?

 

こうした直接的な対人コミュニケーション、最近減ってはいませんか?まあ、我々のような年代の人間は大丈夫でしょうが、例えば10歳代の青少年で、これから人との付き合い方を自分自身で経験し、学んでいかなければならない世代の人達の関しては、ちょっと心配してしまいます。オンラインのコミュニケーションだけでは、やっぱり不十分ですよね。

それとも、「そで十分だ」という時代がやってきてしまうのでしょうか。すべてのことをキーボードやタッチパネルで行うほうが気楽だ、という人達もすでに多くなってきているみたいですし、そういう志向の人から見れば、私など「旧世代」にしか見えないのかもしれません。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。そして、今後ともよろしくお願いします。次回は、白内障について、もう少し詳しく書きたいと思っています。