明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常92 「書くこと」の意味と京都の夜

こんにちは。

 

このブログをはじめた昨年7月頃、私は、自分自身の備忘録として、また、入院していた当時お会いすることができずにご無礼してしまった仕事関係の方々や知人に対する、今さらながらの釈明の場として、このブログを考えていました。まったくの見知らぬ方との交流は、正直なところ、さほど期待してはいなかったのです。

しかし、あれから約9か月が経ち、これまでの総アクセス数が5500に迫る中で、時々ですが、私と同じように厄介な病気に罹患している方等からコメントや連絡をいただけるようになりました。先日も、同じ病気を抱えている私より年上の女性からコメントを頂いたのですが、この方は多発性骨髄腫と診断されてから既に12年経過しておられ、現在は無治療の状態で元気にお過ごしになっているそうです。こうした方のお話を聞くと、やはり勇気づけられますね。ブログをやってみてよかったと思える瞬間です。

私にとって、文章を書くということは、軽い頭の体操という意味もあります。2000字から3000字程度の文章を書くことは、これまでの仕事柄、まったく苦にはならないのですが、論文等の原稿を書く時とは異なり、まずは読者に少しでも興味をもっていただけるネタ探しから始まる作業を、けっこう楽しんでやっています。ちなみに、ネタの候補は新聞やネットの記事、そして自分の経験等から考えていますが、常に10本以上は用意していますので、しばらくはネタ切れになることはないでしょう。

本当は、もっと短い言葉で表現できるもの、例えば詩や短歌、俳句等にも挑戦してみたい気持ちもあるのですが、これらにはまだ手を付けられないでいます。できることなら、日本語修業はずっと続けていきたいものです。(テレビ番組「プレバト」を見ていると、俳句という文芸ジャンルの奥深さ、そして合理性がよくわかりますね。俳人である夏井いつきさんの解説や添削を見て、興味をおぼえた方は多いのではないでしょうか。)

 

ところで、ようやく日中の最高気温が20度を超える日がやってきたりして、春本番も近いと感じられるようになりましたね。まだ時折冷たい風も吹きますが、それでも暖かそうな陽の光に誘われて、外に出かけたくなる気持ちも増してきました。まあ、オミクロン株の先行きがなかなか見通せないのが辛いところですが。

そんなわけで、先日は京都市で開催されていた「東山花灯路2022」というイベントに行ってきました。(これは夜のイベントなので、陽の光は関係ありませんが、夜も随分暖かくなってきましたよ。)昨年秋、「嵐山花灯路2021」をご紹介しましたが、その姉妹イベントで、これまで京都市が開催してきたものですが、嵐山と同様、財政難の影響もあって、今回で最終回となるそうです。残念なことです。相変わらず外国人観光客がいませんので、さほど混雑していませんでしたが、清水寺に向かう二年坂、三年坂あたりはそれなりに賑わっていました。この周辺は、もともと観光地として有名なところなので、昼間に訪れたことのある方は多いと思いますが、夜の京都にはやはり独特の風情がありますね。ほどよいウエットな感じが何とも心地よいものです。光量がむやみに多く、自己主張が強すぎる東京のライトアップ・イベントとは一味違います。

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夜空に浮かぶ法観寺八坂の塔

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今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。