明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常100 鉄道に未来はあるのか?

こんにちは。

 

タイトルにありますように、今回の投稿のナンバリングが100となりました。とは言っても、実はこれが103本目の投稿となります。最初の挨拶にあたる00があるのに加え、カウント間違いで16と36がそれぞれ重複してしまっているからです。(これは既に修正済みです。)いずれにせよ、拙い、そしてしばしば長ったらしい文章をいつも読んでくださりありがとうございます。

 

さて、実は私は子供の頃から鉄道にかなり興味を持っています。いわゆる「鉄オタ」というほどではありませんし、やたらにお金と時間がかかる「乗り鉄」でもなければ、線路内に無断で入ったりして迷惑をかけている「撮り鉄」でもありません。ではどのような志向なのか、というと「時刻表好き」なのです。「乗換案内」等のアプリが普及した現在は、時刻表を使う人はかなり減ってしまいましたし、私自身もほとんど手にすることはなくなりましたが、小学生・中学生の頃は時刻表1冊あれば、一日中でもそれを眺めて、自分だけの妄想旅行の世界に入っていけたものでした。安上がりの趣味ですね。

意外に思う人もいるかもしれませんが、あの当時、鉄道弘済会日本交通公社という2社から毎月発行される時刻表は、日本におけるすべての雑誌売り上げのトップを競っていたものです。ちなみに、旧国鉄時代には数回、全国の鉄道網に及ぶ大規模なダイヤ改正(白紙改正、と言います。)が行われたのですが、その月の時刻表は、今でも大変人気があり、復刻版が電子書籍で発行されているぐらいですから、鉄道ファンの数というのはあなどれないものなのです。昭和36年(1961年)10月と昭和43年(1968年)10月に行われたダイヤ改正(それぞれ「サンロクトオ」、「ヨンサントオ」という俗称が現在も残っているぐらい大規模なダイヤ改正でした。)に関する時刻表はとくに人気があるようです。

そんな私にとってけっこうショッキングなニュースが先日流れてきました。それは、JR西日本が極端に採算の悪化している17路線区の収支状況を公表し、「このままではJR西日本の経営努力だけで路線を維持するのは難しくなる。沿線自治体との協議を行っていく。」と。発表したのです。例えば、中国山地の山間を走る芸備線東条~備後落合間における2019年度の輸送密度(1キロあたりの1日平均輸送人員)は11に過ぎません。また同区間の営業係数(100円を稼ぐために費用がいくら必要かを示す数字)は25416、つまり100円の収入に2万5416円を要する計算になります。これでは、民間企業としては「やってられない」となるのは当然かもしれません。この数字そのものを検討するのが今回の目的ではありませんので、詳細は割愛しますが、ワースト10を見ると、山陰地方にこれに該当する路線区間が多いことがよくわかります。

JR西日本でとくに採算が悪化している路線区


国鉄からJRに経営が移管する以前から、極端な赤字路線に関して廃止あるいは第三セクターへの転換がかなりの数行われてきました。とくに北海道では、全盛時に比べて見る影もない、と表現したくなるぐらい、路線数が減ってしまいました。つまり、今回の問題は、これまでにもしばしば浮上してきたことなのです。日本の公共交通における鉄道の役割はどんどん小さくなってきたのです。鉄道ファンとしては寂しいことですが、道路網の整備等を考慮すると、止むを得ないことなのかもしれません。なお、山陰地方でこれまで路線が維持されてきたのは、代替交通機関の整備が困難である等との理由によるものだったのです。

しかし、コロナ禍の影響で、これまで「稼ぎ手」とされてきた大都市近郊路線や新幹線さえも乗客数が減っており、民間企業であるJR西日本としては、公共交通の維持という社会的使命を認識しつつも、「背に腹は代えられない」ということが上記の発表につながったのです。ちなみに、JR西日本の大株主は、ほとんど銀行や投資会社等であり、企業の社会的役割よりも経営の健全化を優先しようとするのも、これまたやむを得ないと言えるのかもしれません。

ただ、JR側はこれらの数字を即廃止等に結びつけようとしているわけではないようです。記者会見での社長の発言を聞く限り、あくまで単独での努力だけでは困難なので、関係者等との議論の出発点としたい、ということのようなのです。

これまでの経緯や現状を踏まえると、最悪の場合、不採算路線を順次廃止するという選択肢も現実味を帯びてくるかもしれません。大変残念なことなのですが、ここではそういった個人的感情は抑えて、私なりに鉄道そして駅の役割やそれがもたらす地域へのプラスの効果を考えてみたいと思います。

鉄道を単なる輸送機関と捉えれば、代替措置としてバスを走らせることで問題は解決します。いや、バスの方が小回りが利くし、必要に応じて停留所の数を増やすことができる、という点では、その方が良いという判断もあり得ます。管理費用もかなり抑えられます。バスの欠点としては、鉄道に比べて一度に輸送できる人数が少ないこと、そして道路状況や天候によっては定時運行が維持しにくい時がある、といった点でしょうか。これらをどのように判断するのかは、それぞれの地域の事情にもよりますから、一概に結論を出すことはできません。

他方、駅というものの役割についても考えなければいけません。鉄道の駅には、きちんと列車が走り、そこそこの需要があれば、多くの人が集まってきます。すると、そこにはそうしたお客さんを目当てにした店が並ぶようになるでしょう。最近は、JR自身が「駅ナカビジネス」に積極的になっているぐらいです。また、乗客同士あるいは乗客と駅周辺に住む人々との交流も生まれる可能性があります。つまり、駅というものは、単に列車が停車して人が乗り降りするだけではなく、それらの人人々行き来することから様々な可能性を生み出すものでもあるのです。言い換えれば、その地域における大事な拠点となりうるのです。ですから、これをうまく活用できれば、それを起爆剤あるいは核として、地域における「街づくり」が進むかもしれないのです。

ただ、そのためには様々な工夫が必要ですし、それをJRの努力だけに期待することは難しいでしょう。だからこそ、鉄道会社と地域自治体等との綿密な協議が必要であり、それは単なる「乗客数増加策」の検討に留まってはいけないのです。

将来的に、どの程度鉄道というものの必要性が残っていくのか、私にもよくわかりません。しかし、例えば貨物輸送の分野ではモーダル・シフト(トラック等の自動車で行われている貨物輸送を環境負荷の小さい鉄道や船舶の利用へと転換すること)が注目されるなど、その役割や価値が見直される動きもあります。

関係者の皆さんには、目の前にある数字だけに振り回されずに、これからの日本社会あるいは地域社会をどのように作り直していくのか、という幅広い観点から議論をしていただきたいものです。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。