明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常102 「命を預けるー命を預かる」ということ

こんにちは。

 

最近、我が家の近くは、小鳥たちが朝からさえずっていて、その鳴き声で起きることも、しばしばです。どこにいるのかな、と思って窓の外を見てみると、すぐ近くの電柱のてっぺんに止まっていたりして、街の中にもかかわらず、ちょっとした自然の営みを感じます。今の時期は、木々の緑もだんだんと勢いを増してきていますし、一年の中でもっとも生命力あふれた時期ですね。

そんな中ですが、またまた悲惨な事故を報じるニュースが流れています。皆さんご存じのように、北海道知床半島で、観光船が沈没し、乗客と乗組員合計26人のうち、約半数の死亡が確認され、残りの方々もいまだに消息が判明していない、ということです。

知床半島は、人間が足を踏み入れられるのは途中までで、その先は船に乗って海の上から観光するしかありません。ただ、クマやシカ等自然の姿を観察できる機会は多いようですし、直接海に落ちる珍しい滝があったりして、非常に人気の高いところです。私も随分以前から行きたいと思いつつ、いまだに実現できていないスポットです。北海道でも端にあるので、けっこう遠いんですよね。網走までは2回行ったことがあるんですけど。

さて、4月の北海道の海は、まだまだ冬の様相を呈していて、水温はかなり低いですし、しばしば荒れ模様になります。このあたりの桜の見ごろは、例年、ゴールデン・ウィークあるいはそれを過ぎてからということのようなので、季節感はだいたいわかります。

そんな感じですから、冬の間休業していた観光船をいつから再開するのかは難しいところであるのはたしかです。どの船会社もゴールデン・ウィークには間に合わせたいという点では共通しているでしょうが、それをいつまで前倒しするのかは、結局それぞれの会社の判断にならざるを得ないのかもしれません。そして、観光客は「船会社が大丈夫だと判断しているのだから、まさか事故になるようなことはないだろう。」と思って、乗船するわけです。

しかし、今回はまったく大丈夫ではなかったわけです。しかも、ウトロ港(知床観光の拠点)周辺の人々が「今日は危ないから出港しない方がよい」と進言していたにもかかわらず、船は出てしまったのです。現時点で会社側の法的責任ははっきりしていませんが、船の準備をしながら、切符を発券して、客を桟橋に誘導し、乗船させる、ということがすべて船長の独断でできるわけはありませんので、会社としての責任、そして今回のことにかかわった複数の社員の共同責任ということを免れることはできないでしょう。もちろん、事故を起こした第一責任者は船長ということになりますが。

誰に責任があるのかは、いずれ明らかにされるでしょうから、ここではさて置くとして、大事なのは「なんとかなるだろう。」という甘い判断があり、万が一に備えての体制が不十分だったことです。これでは、はっきり言ってプロと失格です。プロとは、船を巧みに操る、ということや狭い意味での「客の満足」をめざす、といったことを指すのではありません。それと同様に、あるいはそれ以上に重要なのが、人の命を預かるプロ、という意識なのです。

もちろん、これは観光船に限った事ではなく、あらゆる交通機関に従事している人々とその運営会社に共通することです。去る4月25日はJR福知山線(愛称は宝塚線)で脱線事故があり、107人もの方が犠牲になってからちょうど17年にあたります。この場合は、ほぼ並行して走る阪急電鉄宝塚線とのスピード競争が過熱しすぎて、1分の遅れも許されないという強迫観念にさらされた運転手によるスピードの出しすぎが直接的な原因とされていますが、会社側に乗客サービスというものを狭く捉え過ぎて、運行上の安全こそが最優先されるべきだという考えが欠如していたことが、その根幹にあるのです。そういう意味ではやはり人の命を預かる者(会社)としてのプロとして猛省しなければならない事故だったのです。

ただ、運用・運営する側に「命を預かる」という意識が大事なのと同時に、私達にももう少し「命を預ける」という意識が必要なのかもしれません。例えば、私達が病院に行くとき、医師や看護師の指示や判断が適切でなかったら命にかかわってしまう、ということをよく知っていますから、彼らの話はしっかり聞き、理解このブログでも、何度も書いてきましたが、疑問点があれば遠慮なく尋ねるべきですし、必要に応じて、セカンド・オピニオンを求めることも大事です。「自分の命にかかわることなのですから、当然ですよね。「命を預けるー預かる」という関係であるという点では、病院も交通機関も同じわけですから、少なくとも同程度の意識を、私達利用者・顧客側も持った方がよいような気がするのです。

私は、今回の知床での事故が「危険かもしれないのに、乗った方も乗った方だろう」と言いたいわけではありません。ただ、もしも「せっかく遠くまで来たのに・・知床なんて次にいつ来れるかわからない。。。」といった声が聞こえてくれば、会社側も、多少無理してでもこれに応じようとするかもしれません。そういった言い訳を会社側にさせないためにも、私達は「モノ言う顧客」」(やたらとクレームを持ち込むという意味ではありません)でなければならないのです。

繰り返しますが、今回のことで、乗客側には何の責任もありません。ただ、「他人に命を預ける」とはどういうことなのか、きちんと考えることによって、私達が「賢い顧客」になっていくことが、サービスを提供する側の意識を高めさせることにつながるのではないか、と考える次第です。

 

今回の事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、たとえわずかでも生存されている方がいらっしゃることを祈ってやみません。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。