明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常108 島唄の魅力

こんにちは。

 

皆さんは、沖縄の歌というと、どんな曲を思い浮かべるでしょうか? もちろん世代によっても異なるでしょうが、ザ・ブームThe BOOM)が大ヒットさせた「島唄」(宮沢和史作詞・作曲)が真っ先に出てくる人も多いのではないでしょうか? しかし、実は宮沢さんは沖縄出身ではなく、海のない山梨県で生まれ育った方です。たしかに、この曲の冒頭部分は、いわゆる沖縄音階(曲全体がド・ミ・ファ・ソ・シの5音で作られていて、レとラは基本的に用いない音階のことです。)で作られています。試しに、お手元に何か楽器がある方は、上の5音を順に鳴らしてみてください。ほとんどそのまま、「島唄」の冒頭部分のメロディになります。

しかしこの曲、展開部分からはこうした制約から外れて、普通の西洋音階の音楽になります。つまりこの歌、宮沢さんが沖縄への憧れを抱きながら、自分はその地元の人(うちなーんちゅ)にはなれない、という思いの中で作られた曲なのです。

しかし、そうした事情を知らないで、沖縄民謡の教室や師匠の家を訪れて、「島唄」をやりたい、と希望する人が続出したそうです。

さて、ここからが面白いところなのですが、普通、このような希望を聞いた民謡の先生は「あんなものは民謡ではない!」と突っぱねるところでしょう。当初はたしかにそのような門前払いも多かったようなのですが、次第に「これが沖縄民謡への興味を広げるきっかけになってくれれば」と、受け入れるようになり、沖縄でもスタンダードな曲のひとつとして定着していったのです。つまり、伝統的な沖縄民謡という文化の中に、西洋音楽が溶け込んでいったのです。

なお、石垣島出身の3人組のバンドBEGINのリーダー比嘉栄昇さんは「BOOMさんの『島唄』は画期的だった。それまでは沖縄のミュージシャンは本土でどう歌えばよいか分からず、本土のミュージシャンも沖縄で歌うのは遠慮があった。その橋渡しをポンとしてくれたのがBOOMさんの『島唄』です。ありがたかった。」と述べているそうです。

ただ、このように沖縄音楽との融合が果たされたのは、必ずしもこれが初めてというわけではありません。沖縄の側から積極的に異文化を取り入れていこうとする動きは色々あったのです。

1970年代から80年代には沖縄本島コザ出身の喜納昌吉さんが、自身のバンドであるチャンプルーズを率いて、強烈なビートに乗せた「ハイサイおじさん」や今もバラードの名曲としてしばしば取り上げられる「花」を大ヒットさせ、沖縄のミュージシャンの存在を本土の音楽好きに強く印象づけました。また、同じ時代に活躍したりんけんバンドのリーダーであった照屋林賢さんは、民謡演奏を主とする音楽家であったお父さん、お祖父さんの影響を強く受けながら、それを現代に息づかせるための工夫を様々に行いました。

他方で、沖縄にはアメリカ軍基地がある関係で、アメリカの音楽が本土よりも直接入ってくることも多かったようで、とくにハードロックのバンドはたくさん生まれています。「紫」や「コンディション・グリーン」といったバンドは1970年代から現代まで活動し続けているそうですから、ちょっと驚きですね。そして、彼らのサウンドは、本場アメリカやイギリスのロックの影響を強烈に受けながらも、やはりそこに沖縄の風土や雰囲気を感じさせるものとなっている、と評価されています。

前回の投稿で、沖縄という地が周辺諸国との交流を重ねながら発展してきたことを書きましたが、それは文化・芸能の面でも同様です。沖縄料理にゴーヤ・チャンプルーというのがあるのはご存じですよね? この「チャンプルー」とは簡単に言えば、「ごちゃまぜ」という意味で、沖縄文化の特徴をそのまま表した言葉なのです。今回の投稿では音楽のことばかり紹介しましたが、彫刻、美術、工芸、染色など他のジャンルも同様で、日本、中国、朝鮮、東南アジアその他の国々との交流の中で、それらを取り入れ、なおかつ、軸となる伝統的な独自文化の大切さを見失うことなく、発展させてきたのです。どのような文化を取り入れても、歴史の中で受け継がれてきたものの価値は揺るぎない、という力強さに、沖縄文化の真の魅力があり、そこに私達は惹かれるのだろうと思います。

ちなみに、本来の沖縄民謡である島唄は、例えば沖縄本島石垣島竹富島などでそれぞれ少しずつ異なっており、それがきちんと現代にまで受け継がれています。石垣島の場合は、自ら三線を弾きながら、少し憂いを帯びた節回しで歌うスタイルがけっこう多いようですが、竹富島では、三線は使わず、その代わりに太鼓をたたきながら、荒々しく、そして力強く歌われるのが一般的なのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。