明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常113 合唱音楽に未来はあるのか?

こんにちは。

 

季節が一ヶ月ほど進んでしまったのではないか、と思えるような高い気温が続き、熱中症で倒れる人が続出しているようですが、皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか。よく言われることですが、結局「水分をたくさん撮る」ことに尽きるみたいですね。お茶などは利尿作用があって、水分補給には向いていないので、なるべく「水」を取るよう心がけたいものです。

 

さて、今回は久しぶりに音楽ネタです。

以前、私が趣味として合唱団に入っていたことは書いたと思います。

音楽にさほど興味のない方と話していて「合唱をしています」と言うと、たいていの場合、相手はどうやって話題をつなげていけばよいのか戸惑ってしまい、「えっと、第九とか・・・?」と聞いてこられます。ベートーヴェン交響曲第9番は俗に「合唱付き」などと呼ばれますし、第4楽章で歌われる「歓喜の歌」のメロディを知らない人はいませんから、まあ、仕方のないことなのですが、演奏時間70分を超えるこの大曲で、合唱が出てくるのは最終楽章15分ほどだけです。実際のステージでは、それまで合唱団はオーケストラの後ろに座って、なるべく動かないようにしながら、ひたすら出番を待つ、ということになります。また、この曲の合唱はやたらとキーガ高く、歌うのはけっこう大変なのです。そんなわけで、実は私はこの曲をステージで歌ったことはありません。

いや、上に書いたのは単なる言い訳です。実際、素晴らしい曲だし、ハマってしまう人は毎年これを歌わないと、年が越せないようです。そういう意味では、やはり合唱曲の代表格といっても間違いではないでしょう。

ただ、合唱というジャンル、クラシック音楽の中でもあまり重要な位置を占めているとは考えられていないようです。教会でのミサで歌われる宗教曲の伝統があるヨーロッパでは少し事情は異なるようですが、少なくとも日本ではクラシックと言えば交響曲、あとはショパンピアノ曲・・・といった風潮が根強くあります。合唱経験者なら誰でも知っているような曲や作曲家も、かなりクラシック音楽を聴いている人でさえ、よく知らないというのが現実なのです。「筑後川」や「蔵王」といった曲、多田武彦高田三郎の名前、知らないですよね?(やや自虐です)

なぜそんなことになっているのでしょうか? 大きく分けて、三つの要因があるように思います。

ひとつは、合唱が学校の音楽教育に無理やりといった感じで組み込まれており、いやでもそれに参加させられる、という経験をもつ人が多いことです。皆さんの中にも、中学あるいは高校時代にいやいやクラス対抗合唱コンクールで歌わされ、それがトラウマになっているという方がいらっしゃるのではないでしょうか。そんな経験があったら、もう一度合唱に触れてみようなどとは考えないですよね。

もうひとつは、プロの声楽家の中にも合唱を軽んじる傾向が少なからずある、ということです。彼らは、合唱をソロでは歌う力のない人がやるものだ、という考えに陥っている傾向があります。つまり、ちゃんと聴こうとせずに、馬鹿にしているのですね。

最後に指摘しなくてはならないのが、プロの合唱団を維持運営することがむずかしい、ということです。合唱を演奏するにはある程度の人数が必要で、コンスタントに演奏活動をしていくには相当のコストがかかります。また上に書いたような事情で、合唱のプロとしてやっていこうとする人の数そのものがさほど多くありません。加えて、合唱音楽にあまり人気がない、となると常設のプロ合唱団をつくることはとてもむずかしいことは、容易に想像できますよね。私の知る限り、コンスタントに活動を続けているのは、日本では東京混声合唱団、日本合唱協会など、数えるほどしかありません。

というわけで、日本で合唱音楽を支えているのは、主にアマチュア合唱団ということになるのです。指導者がプロである場合はありますが、それも少数派で、「学生時代からやっていて、好きで好きでたまらない」という人が自ら合唱団をつくり、指揮台に立ち、運営にも深くかかわっているという例の方がおそらく圧倒的に多いと思われます。

こうした団の演奏会は、身内や友人、他の合唱団団員等が来てくれますので、それなりに集客を見込めます。しかし、合唱にさほど興味のない人へのアピールという面では少し弱い、というのが現実で、かなり「閉じられた世界」の中で活動が続けられています。そのために、外部の人間は余計に入っていきにくい、という悪循環が生まれてしまうのです。それだけ、「特殊な世界」になってしまっているのですね。

実は、先日京都府合唱祭という大きなイベントに出かけてきました。これは京都府合唱連盟に属する大小数十団体が一堂に会して、それぞれ10分ほどの演奏を披露する、というもので、どこの都道府県でも似たようなイベントがこの時期に開催されています。ただ、京都の場合は、参加団体がとても多く、ローム・シアター(以前の名前は京都会館)にあるふたつのホールで、朝から夕方までびっしりとプログラムが組まれるという大々的な催しになっているのです。つまり、これをある程度チェックすれば、各団体の現状をおおよそ把握できるわけです。

そんなにたくさんの演奏を聴いたわけではないのですが、参加者はみんな元気でしたし、少人数でも頑張っている団体はたくさんありました。この2年ほどは練習も思うようにはできなかったでしょうし、ステージでもマスクをつけたまま演奏しているところも多く、その意味では不完全燃焼だったかもしれませんが、さまざまな制約がある中では、よくやっていたというのが正直な感想です。実は、高校や大学ではどこでも合唱団の人数が激減しており、演奏活動を継続していくのは大変なはずですが、まだまだ衰退してしまうようなことはないな、とホッとしたものです。

ただ、相変わらず合唱が「閉じられた世界」であることには変わりがなかったのも事実です。色々と工夫はしているようでしたが、それが一般の音楽ファンにどれだけ届いていたのか。吹奏楽の場合はアニメ「響けユーフォニアム」の大ヒットもあり、けっこう入団希望者が増加しているようなのですが・・・

この点については、もう少し考えていきたいと思っています。

 

合唱に関しては、まだまだ書きたいネタがたくさんありますが、それはまた別の機会に。

ただ、少しでも「聴いてみようかな」と思った方のために、初心者でも入りやすく、その美しさに感動してしまう作品を3曲だけ紹介しておきます。

J.S.バッハ 「マタイ受難曲」より 第1曲「来たれ、娘たちよ」

・W.A.モーツアフト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

多田武彦 男声合唱組曲「雨」より 第6曲「雨」

マタイ受難曲」は演奏時間が全部で3時間にも及ぶ大曲ですが、第1曲だけでも十分その魅力とバッハの凄さがわかると思います。モーツアルトは5分強の短くて美しい曲、多田武彦組曲で演奏時間は全部で20分以上ですが、これもとりあえず最終曲である第6曲だけでも聴く価値はあります。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。