明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常114 「擦り合わせ」の音楽

こんにちは。

 

関東地方では、早くも梅雨入りしたそうですね。最近は、季節の進み方が「一歩一歩」という感じではなく、一足跳びに1か月、2か月ぐらい先へ進んだり、また逆戻りしたり、というような極端な感じになっていますが、「開花宣言」とか「梅雨入り宣言」などという言葉を聞くと、何となく「ああ、もうそういう季節なのか」と実感できます。

 

前回の投稿で、合唱という音楽をめぐる状況について書きましたが、もっとも肝心なことを書き忘れていました。それは「合唱音楽の魅力」です。

クラシック音楽における合唱のルーツは、中世ヨーロッパにおける教会で歌われていた聖歌の数々でしょう。その後、ルネサンス期、バロック期を通じて次第に洗練化するとともに、宗教的内容を扱わない曲(世俗曲)も多く作られるようになりました。また、国によってもその発展の仕方は異なっていたため、一言で合唱と言っても、ずいぶんバリエーションに富むものとなりました。

現代のヨーロッパでとくに合唱が盛んなのは、豊かで深く、柔らかい響きを特徴とするスウェーデンフィンランドなど北欧諸国、中世から少人数で歌う合唱曲がたくさん作られ、学生のグループ等で歌い継がれるとともに、学究的分析も進んでいるイギリス、広く市民が歌えるような簡単なコーラスがブラームスシューマンなどロマン派の著名作曲家によって作られているドイツなどです。スウェーデンの合唱指揮者故エリック・エリクソンは「合唱の神様」とも称されて、その弟子たちや彼のつくった合唱団が今も世界中で活躍しています。イギリスではケンブリッジ大学キングズ・カレッジでの活動がとくに盛んで、その卒業生による6人組コーラス・グループ「キングズ・シンガーズ」は、クラシックに限らず、ジャズやポップスなど非常に幅広いレパートリーで私達を楽しませてくれています。そしてもちろん、他の国々でもそれぞれ面白い作品や演奏団体は多数あります。

日本では、宗教曲としてつくられた合唱曲はさほど多くありませんが、その代わり、堀口大學北原白秋中原中也草野心平など、名のある詩人の作品を歌詞とする独自の味わい深い作品が多く作られるようになりました。また、もっぱら合唱曲ばかりを書く作曲家が現れたのもおもしろい展開です。前回ご紹介した多田武彦氏は、京都大学男声合唱団の出身で、卒業後銀行マンとしての仕事の傍ら、数多くの男声合唱曲を作曲しています。

このように、色々と異なる点はあるのですが、すべての合唱に共通しているのは、「ヒトの声が重なり合うことによる新たな魅力」です。人間はそれぞれ声帯も体格も異なるので、一人一人出す声は異なります。どんなにヴォイス・トレーニングを積んでも、誰かとまったく同じ歌声になるということはありません。ですから、団員が一斉に声を出すと、「誰の声でもない、新たな歌声」が生まれます。もちろん、それを美しい響きにしていくためには、それなりの練習と工夫が必要ですが、誰か一人ががんばればそれで何とかなるというものではありません。たとえ団員それぞれの理想とする声や音楽性は異なっていても、全員でひとつの楽譜に基づいて歌を紡いでいくことによって、決して一人では達することのできない領域にまで、自分たちの音楽を高めることができるかもしれないのです。そしてそのためには、練習を重ねることにより、歌声をひとつの響きへと擦り合わせていくことが求められるのです。このことにこそ、器楽奏者あるいはソロ歌手が味わうことのできない合唱の魅力があるのです。100人を超える大合唱でも、1パート一人ずつの少人数アンサンブルでも、このことには変わりありません。

 

ここまで書いたことは、クラッシックにおける合唱を念頭に置いています。しかし、ジャズ・コーラスも、ポップスにおけるコーラスも、基本的には同じだと思います。山下達郎さんのように「一人アカペラ」をやっている人もいますが、これは、スタジオ・ワークとしては非常に面白いでしょうし、かなり音域が広くないと成立しないものですが、基本的に、自分の声を重ねているだけですから、声が交りやすいのは当たり前ですし、他人と擦り合わせていくという合唱音楽のだいご味はありません。勝手な想像ですが、山下達郎さんも、本当は自分と同レベルで歌える人を集めてコーラスすることを望んでいるのではないか、と思うのです。

単にいくつかのパーツを組み合わせるのではなく、それを擦り合わせていくという作業は、非常に人間的な営みであり、そこにさまざまなアプローチが生まれる。だからこそ合唱という音楽の形態に惹かれる。合唱に魅力を感じる人はそんなふうに考えているのではないか、というのが私なりのとりあえずの結論なのです。

 

今回も、最後まで読んでくださってありがとうございました。