明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常120 カルカントという職業

こんにちは。

 

全国ほとんどの地域で梅雨が明けました。そして連日最高気温が35℃を超える

猛暑日が続く、とのことで、早くも夏バテ気味の方も多いのではないでしょうか。

気になるのは、体調だけでなく、電力需給の逼迫状況ですね。今後、真夏になって水不足という事態が訪れたら、どうなるのだろうか、と心配になってきます。ただ、ここで注意しなければならないのは、「こういう電力需給の状況なのだから、原発再稼働の安全基準を緩和せよ」という声が上がってくることです。実際、各電力会社の株主総会では、そのような発言が少なくない株主からあったそうです。もちろん、電力不足は私達の生活に大きな影響をもたらしてしまいますので、何とか工夫をしていかなければならないのは確かですが、原発の安全性の問題は、それとはまったく別の問題として対応しなければなりません。このあたりは、議論をごちゃごちゃにしないで、冷静に対応してもらいたいものですね。個人的には、今夏はとにかく電力会社間の融通等を最大限利用して乗り切るとして、長期的には、こういう機会を、次世代エネルギーによる発電拡大に向けて、もっと本格的に取り組む契機としてほしいと願っています。

 

こんな暑い日、寺院や神社、教会といったところを訪れると、その門をくぐっただけで何となく涼やかな気持ちになるのは何故でしょうか。あの、凛とした雰囲気が人間の精神に何らかの作用をもたらすのでしょうか。

神社の傍にある森を散策するのも、お寺の本堂に座って仏さまと対峙するのも良いですが、教会の椅子に座って、何も考えずに佇む、というのも実に気持ちの休まるものです。そしてそんな時、パイプオルガンの音色が聴こえてきたら、最高ですね。あの、柔らかだけど堂々とした音は、その場の空気をソフトなものにするとともに、私達の背筋を伸ばしてくれるものです。それは「癒し」などという使い古された言葉を超えたものだと思います。

ところで、パイプオルガンという楽器、どうやって音を出しているか、ご存じでしょうか。鍵盤楽器ですから、演奏者は手足を使って鍵盤を操作しているのは当たり前ですが、問題は、実際に音が出るパイプにどうやって風を送り込んでいるか、です。オルガンは、大きさの如何にかかわらず、風を送り込まなければ音は出ません。皆さんの中にも、小学校時代の音楽の時間に、足踏みオルガンを弾いた経験のある方はたくさんいらっしゃるでしょう。あれも、足元のペダルを踏むことによって、風を送り込んでいるわけですね。つまり“ふいご”が必要なわけです。

パイプオルガンはたいていの場合、かなり大きな装置ですので、風を送るのも大変なことです。この楽器が発明されてからしばらくの間は、水力を使って“ふいご"を動かしていました。しかし、これでは安定した風量にならないという欠陥があったようです。そこで、中世以降は、下の絵のように、人力で”ふいご“を動かし、安定的に、そして曲調に合わせて自在に風を送る方式が主流になりました。この、”ふいご“を動かし続ける人のことをカルカントと言います。1曲の演奏の間、絶え間なく安定した風を送り込まなければならないので、相当の体力と技術が必要だったのです、その働き次第で演奏の質は大きく変わったようですが、あくまで「裏方」ですので、名前が残るわけではありません。そもそも、音楽家とは認められていませんでした。

それでも、彼らがいなければ、オルガニストがいくら頑張っても音は出ないわけです。例えばバッハはよく夜中にオルガンを弾くことがあったそうですが、カルカントは、それにつきあって、夜中まで仕事をすることがしばしばであったという記録が残っています。音楽学者の故磯山雅氏は「音楽史を裏から支える大切な存在であった」と指摘しています。

また、19世紀に活躍したドイツの大作曲家ブルックナーの場合は、実弟がカルカントを務めていたそうです。この人は職人としてのプライドが非常に高い人であったらしく、「兄貴がどれだけ偉いのか知らないが、俺がいなければ、結局あいつは何もできないのさ」という言葉を残しているそうです。

電動モーターによって“ふいご”を動かすようになったのは、20世紀になってからで、それとともにカルカントという職業は消えていったのです。もっとも、今でもヨーロッパには人力で“ふいご”を動かすオルガンが、数は少ないものの残っているそうです。電動モーターの発する機械音や振動を嫌う傾向がまだ残っているということでしょうね。

 

ここまで書いてきて、さらに思うこともありますが、それは次回に回しましょう。

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。