明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常122 改めて、多発性骨髄腫罹患の経緯を書きます

こんにちは。

 

前回お伝えしましたように、このブログを開始して、1年が経ちました。もともと、他人に読んでもらうためというよりは、自分の備忘録的なものとして書き始めましたので、考えていたより多くの方に読んで頂けて、本当に感謝しています。また、長期入院中にきちんと話をすることができなかった知人・友人にも読んでいただいている方がいらっしゃるようで、少しは埋め合わせができたのかな、と思って居ります。

他方で、最近になってこのブログをお知りになった方もいらっしゃるようなので、改めて、自己紹介をさせていただきます。

私は元大学教員で、約2年前までは某国立大学の文系学部で教鞭をとっておりました。現在は、特定の職業にはついておりません。このブログを書くきっかけは、多発性骨髄腫という比較的患者数の少ない病気に罹患した経験を、ちゃんと残しておこうと思ったからです。そういうわけですので、なるべく包み隠さず、余計な装飾も加えずに、ひとつの私的な記録として読んでいただければ幸いです。とは言っても、これまで120本にも及ぶ投稿のどこから読めばよいのか、と戸惑う方もいらっしゃるかもしれません。

私の病気に関する投稿は、主に通し番号00から33あたりに集中的に書いています。その、おおよその経過は次の通りです。

2013年頃            腰痛に悩まされるようになる。

2014年6月         総合病院で精密検査を受けた結果、即日多発性骨髄腫ステージ3と診断され、そのまま入院となる。

2014年10月       放射線療法、化学療法、造血幹細胞自家移植という一連の治療が終わり、退院。しかし、直後に肺炎を患いわずか3日ほどで病院に逆戻り。

2014年11月       ようやく退院。(この間に体重は約10kg減) その後、産業医と相談して、2015年3月末まで休職し、自宅療養を続けることになる。

2015年4月         職場復帰。

2017年頃から     がん細胞に再活性化兆候が見られたため、レブラミドによる治療を開始。

2018年4月         通勤途中に、突然倒れて心肺停止状態となる。心筋梗塞と思われるが、多発性骨髄腫の新興に伴うアミロイドシスの可能性もあり。

2018年5月末     埋め込み型除細動器(ICD)を心臓のそばに埋め込み、無事退位。

        職場復帰。

2020年3月         まだ定年前ではあったが、健康上のことを考えて、退職。

2020年6月         引っ越し。これに伴い、通院する病院も変更。

2021年6月         レブラミドの効果が次第に弱まってきていたので、新薬であるダラキューロを中心とした治療に切り替え。

2022年2月         両眼の白内障が進行したため、手術。長年のステロイド抗がん剤服用も大きな要因と考えられる。

 

こうした経緯をほぼ時系列に沿って33までに書いているのですが、その後は、病気や治療に関する状況を時折織り交ぜながら、それ以外の一般的な話題を積極的に取り上げるようになっています。テーマはかなり多岐にわたりますが、なるべく専門的になりすぎないようにしているつもりです。あくまで私見に基づく文章ですので、もし偏った見方をしている所があれば、ご容赦ください。

             

ところで、今度の日曜日は参議院選挙ですね。この暑い気候の中でも、選挙カーは元気に走り回っているようです。あの、拡声器を使って候補者名をひたすら連呼するタイプの活動は、暑さをますます助長しているようで、正直なところ、うんざりしてしまいます。「名前を覚えてもらわなくては、何も始まらない」というのはわかるのですが、それだけで終わってしまっても、やはり何も始まらないと思うのですが、いかがでしょうか。

日本以外の国で、あのような選挙カーはほとんど見かけないそうですね。明確に違法とされている国もたくさんあるそうです。ただ、例えばアメリカでは選挙カーは使われていない代わりに、戸別訪問による活動は法的に認められているそうです。

うーん、どちらがまだマシなのか、よくわかりませえんね。

 

実は、私は現在の政党政治のあり方に大きな疑問を持っています。というか、限界を感じています。現在、日本では無所属の候補者以外はすべてどこかの政党に所属していますので、その発言や行動は党議によってある程度拘束されます。それ自体は、組織に所属することの代償として、止むを得ないことだと思うのですが、問題は、その党議等と自分自身の考えとに食い違いが出てきたときどうするのか、ということです。党議の定めるところに対して、いつもあらゆる事項で賛成する人ばかりだとはちょっと思えないですよね。そんなに簡単に離党することはできない、とすれば、そこに何らかの妥協、擦り合わせが必要になります。おそらく、どんな政党に所属していても、個人として身も心もすべてをささげているのでないかぎり、必ずこのようなことに直面する場面は出てきます。しかし、例えばテレビ等の討論番組では、与野党ともに、その党の考え方を代弁するような話しぶりばかりが目立ち、個人の姿が見えてこないと感じてしまうのです。

今回の各候補者が、この問題(ざっきり言ってしまえば、個人と組織の関係性についての問題です)を自分自身の課題としてどのように考え、行動するのか、という点がまったく見えないところに、何ともはっきりしないモヤモヤ感が残るのです

とはいえ、投票には行くつもりです。行動しなければ、「無関心」というレッテルを貼られるのと同じ扱いになってしまいますから。

 

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。