明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常126 大原孫三郎という人物

こんにちは。

 

ここ数日は悪天候が続いていますね。水害や土砂災害が出ている地域もあるようですが、皆さんのお住まいの地域は大丈夫でしょうか。それにしても、この調子だと、梅雨明け宣言の日付の訂正があるかもしれませんね。

(数年前でしたが、今年とは逆のパターン、つまり8月になってから「もう梅雨は空けていました」という間の抜けた発表があったと記憶しています。)

なお、私の住んでいる地域は、今日は本格的な暑さが戻ってきています。いよいよ(やっと?)夏本番と言うところでしょうか。

 

さて、前回の投稿で銀閣寺のことに触れましたが、そこで書き忘れたことをひとつ。

多くの観光客は、銀閣寺を訪れた後、哲学の道の方へと歩を進めます。たしかに、ここにもいくつもの見どころがあり、とても気持ちの良いところですが、実は、この付近にもう一か所隠れたスポットがあります。それは「白沙村荘・橋本関雪記念館」という見事な日本庭園と小さな美術館が一体となったところです。ここは日本画橋本関雪(1883―1945)が自身の制作を行うアトリエとして造営した邸宅です。10000平方メートルの敷地内には大正〜昭和初期に建築された居宅、日本画の制作を行っていた3つの画室、茶室、持仏堂などの建造物が点在しています。また、彼の作品を展示する小さな美術館が併設されています。橋本関雪といってもご存じない方もいらっしゃるかもしれませんが、中国の文人画の影響を色濃く受けながらも、独自の手法で日本画に新たな境地を開いた人で、展示されている絵はいずれも大変見応えがあります。また、蓮の葉が浮かぶ静かな池のそばで佇むのも一興です。何よりも、訪れる人が少なく、ゆっくりできるので、密を避けたい人、人ごみにつかれた人にはお勧めです。場所は、銀閣寺を出て、そのまままっすぐ進み、哲学の道の方には曲がらずにバス停「銀閣寺道」を目指していけば、その途中、左手です。銀閣寺からは徒歩で5分ぐらいでしょうか。

 

ところで美術館には、国や自治体が設立・運営している公立美術館と橋本関雪や堂本印象のようにアーティスト自身が私財等でつくったものの他に、資産家や富豪、あるいは企業がつくったものがあります。その目的は、社会的ステータスを高めようとするもの、事業で得た利益を社会に還元しようとするもの、財団を作って節税対策とするもの、単に自分の金に糸目をつけない趣味・道楽の延長、というように様々だと思いますが、いずれにせよ、独自の建物を建て、美術品を収集して、これを安定的に管理運営していくには相当の資金が必要ですので、現代社会では、大企業の創業者等限られた人にしかできないことです。

そして、その先駆けとなったのが、おそらく岡山県倉敷市にある大原美術館だろうと思います。ここは、倉敷紡績(現、クラボウ)と倉敷絹織(現、クラレ)の創始者である大原孫三郎氏が「日本に本格的な西洋絵画を紹介したい」という思いから、画家であった児島虎次郎をヨーロッパに派遣し、数多くの絵画や彫刻等を買い付けさせて、収集した名品を公開している美術館で、今や岡山県で一二を争う観光スポットとなっています。また、そのすぐ近くにある倉敷アイビー・スクエアは、現在ホテルとして営業していますが、もともとは倉敷紡績の工場だった建物です。つまり、多くの人が訪れる「倉敷美観地区」と呼ばれるエリアそのものが、大原氏によって作られたものだというわけです。美術館を建てるにあたって、孫三郎氏にどのような意図があったのか、本当のところはよくわかりません。(表向きの理由は上に書いたとおりですが、それだけが理由なのかどうかはよくわかりません。)しかし、少なくとも結果として、倉敷という街を一大観光地にした、つまり地方活性化に大きく寄与したことは、大変な功績と言って差し支えないでしょう。

それだけではありません。孫三郎氏という人は、経営者であり、資産家でありながら、働く人や市民のことにも気を配っていたようで、倉敷紡績の付属機関として倉敷中央病院を開業し、さらには研究機関として大原奨農会農業研究所(現、岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所(現、大原記念労働科学研究所)、大原社会問題研究所(現、法政大学大原社会問題研究所)、教育機関として倉敷商業補習学校(現、岡山県立倉敷商業高等学校)などを次々と設立したのです。彼がどれだけ幅広い視野を持ち、社会全体を見据えていたのかがよくわかりますね。またご子息である総一郎氏もこの理念を受け継ぎ、各事業をさらに推進するのに大きな役割を果たしておられます。

第二次大戦後、GHQによって大原家は「財閥」と認定されてしまったため、営利企業の経営からは完全に身を引くことになりますが、この親子の尽力がどれだけ後世に大きな影響をもたらしたのかは、そのほとんどが今でも精力的に活動を行っていることからも推察できるところです。

ひるがえって、現代の日本にこういった視野と行動力をもつ企業経営者はどれだけいらっしゃるのでしょうか。

自分の資産で宇宙に飛び立つのもかまいませんし、その宇宙船にアーティストを載せていく、というのも結構なことですが、現代の富裕層と呼ばれる方々には、社会全体にとって未来に向けての「タネ」となるような活動に取り組んでもらいたいものです。それは、単なる寄付や一過性の奉仕活動よりも、はるかに大きな意味を持つはずですから。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。