明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常128 キース・ジャレットの決断

こんにちは。

 

コロナ感染に加えてサル痘騒ぎが勃発。ということで相変わらずなんどか騒々しい世の中ですね。まあサル痘のほうは今のところさほど脅威ではなく、自然治癒することの方が多いようなので、あまり神経質にならないことが大事でしょうね。

それにしても「行動制限のない夏休み」っていうのも、なんだか引っかかるフレーズです。たしかに、今は緊急事態宣言等は出ていませんが、宣言にせよ、まん延防止等重点措置にせよ、私たち個人の生活が何らかの形で法的に制限されるものではありません。昨年、一昨年の一昨年の夏も「お願い」や「要請」はあったものの、最終的にどのように行動するのかは個人の判断に任されていたはずです。ですから、数は例年よりも少なかったでしょうが、レジャーや旅行に出かけた人はいたのです。

そして、「最終的には個人の判断が重要」ということは、今年の夏もまったく同じなのです。このように書くと、重箱の隅をつつくような、あるいは細かな言い回しに難癖をつけるような表現のように感じられるかもしれませんが、私はもっと本質的な問題ではないかと思っています。つまり、現代の日本社会では、個人が自身の判断で動く、という行動パターンを取りにくく、「上」からのお達し(命令ではないに沿って行動するということが当たり前の社会になっているな、と感じるのです。同調圧力のような問題もあるのでしょうが、こういう時にこそ、自分の考えと行動に責任を持つ、という姿勢が大事になってくるのではないでしょうか。もちろんそのためには、きちんと情報を集めて、それを読み解く、という作業が必要ですが。

 

さて、今回の本題は、前回と関連するものです。前回は吉田拓郎さんの「引き際」について書きましたが、もう一人、最近音楽活動からの引退を発表したミュージシャンについて私なりの感想を書いておきたいと思います。

それは、キース・ジャレットというジャズ・ミュージシャンです。ジャズに興味がなくても名前ぐらいは聞いたことがある、という方もいらっしゃると思います。

1945年生まれのキースは、1970年前後からの長きにわたって、アメリカ・ジャズ界を代表するピアニストとして活躍してきました。ヨーロッパ(ドイツ)からの移民にルーツをもつキースですが、幼い時からゴスペルやブルースなど、「アフリカン・アメリカン」系の音楽に大きな影響を受け、10歳台半ばからさまざまなジャズ・グループで活躍するようになり、1970年にマイルス・デイヴィスのバンドに加入以降、一気にその名前を世界中で知られるようになりました。マイルスのバンドに在籍したのはわずか2年ほどでしたが、脱退後も、いくつかのグループを自身で結成し、ジャズ界に新風を送り込むと同時に、ソロ・ピアニストとしても何枚もの名盤を残しています。さらに、クラシックにも深く傾倒し、モーツアルトやバッハの作品を録音しています。つまり、1970年代から2010年代にかけて、常に陽の当たる場所で活動を続けてきたのです。

そんな彼が、今後ピアノ演奏活動を行うことができないと宣言したのが、2020年でした。実は、その数年前から脳卒中を2回発症してしまい、半身麻痺の状態を脱することが不可能と判断されたようでした。キースの体調がさほど芳しいものではないことは、その少し前から伝えられてはいましたが、まさかいきなり引退宣言をするとは思われておらず、世界中のジャズ・ファンは大きな衝撃を受けたものです。そして、「まだ完全引退には年齢的にもったいないだろう」とか「リハビリで何とかならないのか」という声が多く寄せられたのです。

たしかに、過去にはジストニアや重度の腱鞘炎を発症し、再起不能ではないかと思われていたのに、リハビリの結果見事復活したピアニストはたくさんいます。また、事故や病気で右手の自由を失いながら、左手だけで演奏することを選んだピアニストも、ジャズ、クラシックを問わず、何人もいらっしゃいます。さらに言うならば、そうした人のために、左手だけで演奏することを想定して作られた曲も多数あります。(もっとも有名なのは、ラヴェル作曲の「左手のためのピアノ協奏曲」でしょう。)

キースという人はもともと完璧主義的なところがあり、ライヴにおいても、自分の思うような演奏ができなかったり、客席の様子(例えば聴衆の発する咳など)が気になったりすると、演奏を止めてしまうようなところがありました。プロモーターからすれば、大変扱いにくいミュージシャンだったわけですが、逆に言えば、それだけ、ひとつひとつのパフフォーマンスに真剣勝負で挑んでいたのです。そんな人ですから、以前のようなパフォーマンスをできなくなった自分の身体が許せなかったのかもしれません。年齢を考えれば、これから長年のリハビリを行うというのは現実的ではない、という判断もあるかもしれません。

いずれにせよ、詳しい病状を知らないままに「まだできるはずだ」などと言うこと自体、とても無責任の発言でしょう。これほどの才能ある人はそんなには出てきませんから、もう新譜を聴けないことを残念に思う気持ちは私も同じですが、一人の人間としての「引き際」というものを考えれば、私達にできることは、彼の決断を静かに受け入れることだけなのです。

ただ、この引退が必ずしも自分で望んだものではなく、そこに断腸の思いがあったとしたら、気の毒という言葉では片づけられないほど残念なことです。

前回の投稿でも書きましたが、「引き際」を自分の意志で決めることができる人は幸せですよね。

 

最後に、私の愛聴するキース・ジャレットのアルバムを3枚挙げておきます。

1 「ケルン・コンサート」:ピアノ・ソロのライヴ盤です。タイトル通り、ドイツのケルンで行われたコンサートの実況録音盤ですが、会場はジャズ・コンサートのそれとは全く異なり、まるでクラシックの会場のような静寂さと凛とした雰囲気が漂っています。キースのピアノは、1曲目の出だしから、一気に聴く者の心をわし掴みにするほど、美しさと緊張感に溢れています。

2 「マイ・ソング」:北欧のミュージシャン達と一緒に作ったアルバム。とても暖かな雰囲気が心地よく、ピアノの音も非常に柔らかです。とくに、アルバム・タイトルになっている曲はメロディの美しさと親しみやすさもあって、ジャズ史上屈指の名曲のひとつにも数えられています。

3 「バイバイ・ブラックバード」:恩師であったマイルス・デイヴィスを励ますため制作したアルバムですが、直後にマイルスは没してしまったため、実質的には追悼アルバムになってしまいました。しかし、内容は非常にファンキーで、キースをはじめとする演奏者たちは、リラックスした中で、アグレッシブな演奏を展開しています。ストレートなジャズがお好みの方には、3枚の中でもっともお勧めです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。