明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常130 ジェンダー・ギャップ その2

こんにちは。

 

前回、男女間不平等(ジェンダー・ギャップ)の問題を取り上げました、そして、日本ではとくに政治や経済の分野において、改善の余地があまりにも大きいということを紹介しました。

しかし、男女に同等のチャンスが与えられていないのはこうした分野だけではありません。というわけで、今回は、クラシック音楽の世界という伝統的な考え方や風習が色濃く残る世界での事情を書いていきます。

先日、京都市交響楽団京響)は来年度からの常任指揮者として現在ドイツ在住の沖澤のどか氏が就任することを発表しました。この方について、私はまったく知らなかったのでプロフィール等を調べてみたところ35歳という若さ。前任者の広上淳一氏が64歳ですから、親子ほども年齢差があり、一気に若返りがはかられたことになります。京響の歴史の中でも最も若い常任指揮者ということになるのではないでしょうか。

この人が大きな話題になっている理由は、もちろん年齢だけではありません。女性であることがクラシック界に少なからぬインパクトを与えているのです。女性指揮者という存在は、世界的にも非常に少数で、とくに、このような大きなポストを得た例は、これまでに数えるほどしかないのです。最近ではブザンソン国際指揮者コンクールで女性初の優勝をした松尾葉子氏やCMなどマスコミ媒体にも積極的に登場する西本智実氏の活躍は注目されていますし、大学の指揮科にも女性は少しずつ増えているようですが、指揮者としての職業、ポストを得ている人の数は男性の方が圧倒的に多いのが現状です。

 なぜ女性の指揮者が少ないのでしょうか? ピアニストやヴァイオリニストには、たくさんいるのに・・・

これについては、色々と「説明」がなされてきました。例えば、「指揮者になろうとする人は、自己顕示欲が強い人間でないと務まらないという仕事です。 そのような性質は女性より男性に多く存在すると考えられるので、結果、女性の指揮者が少ないのではないかともいえそうです。」というものがあります。また「女性の多くは論理的思考が不得手だ」とか「統率力を発揮するのが苦手だ」という声も少なくありません。しかし、性格というものには個人差がありますから、これらは客観的な論拠に基づいた説明とは言えませんね。まるで「女性は話が長い」という不用意な発言のために、オリンピック組織委員会会長の職を棒に振った某氏のようです。

 色々と調べたり、考えたりしてみたのですが、クラシックという音楽がもともと教会音楽に根ざすものであり、とくにカトリック教会においては「旧約聖書」にある「女性はリンゴを食べるという悪を働いた者」という言い伝えが受け継がれてきたうえに、「月に一度不浄の血を流す」というとんでもない理由で教会への立ち入りを許されない時代が長く続いた、ということがその根底にあるようです。

余談ですが、そのような事情のために、教会で聖歌を歌う役割は男性だけに認められてきた長い歴史があります。ただ、そのために男性の中でファルセット(裏声)を駆使して高音部を担当するカウンター・テノールというものが生まれ、今でもこの人達が活躍する音楽はたくさんあるのですから、話は少し複雑ですね。

 それはさておき、上に書いたことがひとつの理由だとすると、なぜ指揮者以外の演奏家はどんどん女性が増えているのに、指揮者だけはなかなか女性にとって門戸が狭いままなのか、という疑問が湧いてきます。これについては、想像でしか言えないのですが、時代の流れとともに少しずつクラシック音楽の世界に女性を受け入れる風潮は広まったものの、指揮者というリーダーとしての役割を担う存在については、伝統的なというか古めかしい考え方に胡坐をかいている男性演奏家にとって、うとましく、厄介な存在だったのではないか、と思われます。あえて乱暴な言葉を使うなら「女なんかに指揮されたくない」ということですね。まあ、会社で女性上司に抵抗を感じる男性社員がいまだに多い、というのと同じような図式です。

 ただ、未来永劫今のような風潮が続くのかというと、そんなことはない、と言い切ることができます。ここで、世界最高峰のオーケストラのひとつと言われるウイーン・フィルハーモニー管弦楽団の例を挙げておきましょう。このオーケストラ、毎年1月2日に行われるニュー・イヤー・コンサートが日本でもNHKで生中継されますので、ご覧になったことがある方も多いと思います。アンコールのいちばん最後に演奏される「ラデツキー行進曲」を聴かないと、一年が始まったような気がしないという熱心なファンもいるほどです。

ところが、このウイーン・フィル。1990年代半ばころまで、女性団員は一人もいませんでした。それどころか、オーストリア人あるいはオーストリアで音楽の専門教育を受けた経験のある人以外には門を固く閉ざしていたのです。そしてその最大の理由は、「ウイーンの伝統に根差した音楽観をもち、そのリズムや響きを体現できるのは我々だけだ」という強い思い込みだったようです。しかし、世界中の音楽大学や専門学校での教育水運はどんどん上がり、どの国・地域からも優秀な演奏家が出てくるようになった今日、そんなことは言っていられなくなったのです。つまり伝統にしがみついていては、肝心の演奏技術の水準の面で他のオーケストラに追い越されてしまう、という危機感が彼らの中にも芽生え始めたのです。こうして国籍や性別にこだわらないで団員を採用するようになったのが、21世紀に入ってからということになります。

現在、ウイーン・フィルの女性比率は約10%ですから、まだまだ少ないと言えます。しかし、最近では、コンサート・マスター(演奏を行っていくうえでの団の中のリーダーであり、指揮者と団員の意志疎通を円滑にする役割を果たす重要な人、たいていの場合ヴァイオリンのトップ奏者がこれを務めます。)に女性が就任するようになり、これと相前後して、女性指揮者がこのオーケストラの指揮台に立つようになったのです。こうしたことは、一度突破口が開かれてしまえば、後はどんどん自然に広がっていくものです。2019年には、現在世界最高とも言われるピアニストであるマルタ・アルゲリッチ(女性)がはじめてウイーン・フィルとの協演を果たしています。彼女はそれまで「男性しかいないオーケストラと一緒に演奏するなんて考えられない」と言って長年協演を拒否し続けてきたのですから、ある意味、時代が変わったことを象徴する出来事でしょう。

つまり、今は10%しかいなくても、既に突破口は開かれているのですから、この後10年~20年もすれば、この比率はもっと大きなものになっていると予想できるのです。そしてこの流れはもう止まらないでしょう。

ただ、本当は、男性とか女性とかいうことをまったく意識せずに、実力ある人がそれ相当のポストを得ることができるようになることこそが理想なのでしょう。

 

有名な作曲家であり、ウイーン・フィルの初代指揮者であったグスタフ・マーラーは次のような言葉を残しています。「伝統とは灰を崇拝することではなく、炎を伝承することである。」

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。