明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常135 病院経営の問題点

こんにちは。

 

前回の投稿で、地蔵盆のことを紹介しましたが、それを書いている時に思い出したことがあります。

皆さんのお住まいの地域では、子供が1から10まで数を数えるとき、どんな言葉を使いますか? おそらく「だるまさんがころんだ」を使う地域が圧倒的に多いでしょうね。ところが、関西でこの質問をすると、かなり様子が変わってきます。多くの関西人の答えは「坊さん(ぼんさん)が屁をこいた」というものです。私自身、子供の時は当たり前のように使っていましたが、冷静に考えてみると、いかにも関西らしいユニークなものですね。由来はまったくわかりませんが、寺や僧侶といった存在が身近にあることの表れなのかもしれません。ちなみに11から20までの数え方はもっとシュールです。

「匂いだらくさかった」・・・そりゃあ臭いにきまっているだろう。というか、なぜわざわざ匂いを嗅ぐのでしょうか? 法事等でお経が唱えられるのを聞きながら、退屈のあまりこんな数え方を考えてしまった人がいるのでしょうか?

ちなみに、少し調べてみると全国には他にもいろいろな数え方があるようです。

「ちゅうちゅうたこかいな」

「くるまのとんてんかん

「インディアンのふんどし」

他にもいろいろあるようです。ちなみに「ちゅうちゅうたこかいな」は「ちゅう」で2、次の「ちゅう」で4、「たこ」で6、「かい」で8、最後の「な」で10というように数えるようです。言葉の地域による違いって面白いですよね。

 

さて、どうでもいいような話題で失礼しました。気を取り直して、今回は少し硬めの話題を取り上げます。

前回の投稿の中で、病院が非常に混みあっていたことも書きました。コロナ禍の影響もあって、規模の大小にかかわらず、医療機関はどこも非常に混雑しており、長時間待たされたり、待合室に入りきらない人たちが外で並んだり、などということも起きているようです。こういう状況を見て、「病院は忙しいけど、儲かっているのだろうな」と思う人も少なくないかもしれません。国民医療費の総額は例えば1980年代に比べると約2倍にも達していることもありますから、そのような印象を持つ人が多いのも不思議ではありません。

ところが現実はそんなに甘くないようです。全日本病院協会等が行った2020年度の調査によると、約68%の医療機関が赤字に陥っており、また、4分の1以上がボーナス・カット等人件費の削減に手を付けざるを得なくなっている状況なのです。

コロナ禍への対応のため、一時的に他の患者の受け入れや手術を停止していたり、病院自体がクラスター化しないようにするために、さまざまな措置を講じたりしなくてはならなくなっている、という事情ももちろんあります。しかし、病院経営が全体的に苦しくなってきているというのは、コロナ以前から既にはっきりした傾向として見られていたことなのです。

では、その原因・対策として、どのようなことが考えられるのでしょうか。

これについては、さまざまな分析がなされていますが、少なくとも人件費が大きすぎる、ということはありません。医療を支える医師や看護師の給与は、単純に他産業と比べると決して低いとはいえませんが、これは時間外手当や休日出勤手当が頻繁に発生する仕事であるからであって、その仕事の過酷さから考えると、「働きに見合った給料をもらっているわけではない」というのが彼らの素朴な感覚です。そもそも、常に人の命を預かるという気の張る仕事に従事しているわけですから、もっと報いられても良いのではないかと思ってしまうのです。

実際、私も入院中にある看護師さんから「どうして我々の給料って、こんなに低いんでしょうねえ」という愚痴を聞いたことがあります。とりあえず「幼稚園の先生と同じですが、昔は若い女性の仕事というように考える風潮が強く、そのため家計を支えるための給料という視点がなかったのかもしれませんね。昔は結婚や出産を機に退職する人が多かったでしょうから。きっとその名残りがあるのでしょう。」と答えました。ただし、これは当たっているのかどうか、まったく自信はありません。

また、同じく入院中のことですが、早朝5時頃に起きて、病院内をブラブラと散歩していると、待合室の椅子に不自然な格好で眠りこけている若い医師の姿を何度か見かけました。おそらく、その日の夜勤がよほど大変だったのでしょうね。

そんなわけですから、彼らの働き方を今のままにしておいて、賃金カットなどに踏み切るのは愚策でしょう。優秀なスタッフが流出してしまうのは、目に見えています。

では、他に考えられる原因は何でしょうか? 一言でいえば、マネジメント感覚の欠如ということになるのではないか、と私は思っています。

スタッフ皆さんは大変がんばって働いておられます。ただ、スタッフ同士の連携となると、これまでお世話になった病院を見ている限り、今一つ工夫が足りないような気がしてなりませんでした。情報共有の仕組みやその伝達経路を整備すれば、同じことを何回も確認しなくて済みますし、職場としての一体感も生まれます。このことは残業や時間外勤務の削減にもつながるはずです。そして、こうしたことに気を配るのは、管理職(看護師長など)や非医療スタッフの重要な役割となるのです。

もうひとつは、他の医療機関との連携の強化です。どんな大病院であっても、その中だけでできることには限りがあります。また、そこに患者が集中してしまうと、多くのスタッフを抱えているところでも、パンクしてしまいます。たいていの医院、病院は午前中の外来診療を12時までとしていますが、どんどん時間がずれ込んで、本来午後にやるべき仕事にシワ寄せがいってしまっているのが現状なのです。

これを改善するためには、近隣の医療機関や開業医との情報共有、患者担当の融通などを柔軟に行えるようにする必要があります。現在でも、初診の場合、紹介状が必須となっているところは多いと思いますが、そうしたことだけでなく、相互に患者を紹介し、情報を共有していく体制をもっと積極的に構築して言うべきなのです。そうすれば、それぞれの医療機関がその得意分野にある程度特化した効率的な診療が可能となり、ひいては収支改善にも役立つはずなのです。一台数千万円から数億円もするような高価な医療機器の相互利用も進めることができれば、かなりの支出軽減になるのではないでしょうか。

医療行為というものは、本来患者一人一人に対する丁寧な対応を基本とするものですから、何もかもを効率的に進めるという方策は正しい方向性とは言えません。ですから、医療機関の経営に、一般の民間企業の経営方法を安直に導入することは避けなければなりません。しかし他方で、すべての患者に対して安定的に医療を提供するためには、組織としての効率的で円滑な運営体制の構築とそのマネジメントが進められなければならない、ということを、コロナ禍での経験は物語っているように思います。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

次回はもう少し柔らかい話題を書こうと思いますので、またよろしくお願いします。