明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常139 名月とうさぎ、そしておはぎ

こんにちは。

 

皆さん、中秋の名月はご覧になりましたか? 私の住んでいる所では、夕方まで分厚い雲が空を覆っていたので半ばあきらめていたのですが、夜半頃にすっきりと晴れあがり、写真のような月を見ることができました。スマホで撮ったのであまり鮮明ではありませんが、ご容赦ください。


ところで、ある程度以上の年齢の方なら、「月」といえば「ウサギ」という連想がすぐに浮かんでくると思いますが、この両者ってどのように関係しているか、ご存じですか?

もちろん、月のクレーターの影の形がウサギの餅つきのように見える、という話もありますが、本当に古代の人々はあの影からウサギの姿を思い描いたのだろうか、と思って、少し調べてみたところ、これをさらに遡るような昔話が出てきました。それは今昔物語に出てくる次のようなお話です。

「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三匹の獣がいました。彼らは誠の心を起こして菩薩の修行をしていました。ある日、猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えました。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えました。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかったのです。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだのです。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせまし。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だとも言われます。」(以上は、インターネット上に紹介されている複数の文章を元に書き起こしたものです。)

なんとも切ない話ですが、もともとはインドにおける「ジャータカ神話」という仏教説話で、これが中国を経由して日本にも伝わったようです。このような自己犠牲の話をどのように解釈するのかは意見が分かれるところかもしれません。実際、今昔物語の結末ではウサギをあまりにも哀れだと思った人が多かったのか、帝釈天が一度死んだウサギを生き返らせた、というものや、猿と狐が起こしたと思った火は、実は帝釈天の神通力によるものであったので、まったく熱くなく、うさぎが死ぬことはなかった、というように結末を変えて、言い伝えられているものもあるそうです。

少なくとも現代において、自己犠牲の挙句の果て死んでしまう、というような姿勢を無条件に賛美するような説教は、多くの疑問や反発が投げかけられるでしょうね。

それはともかくとして、9月の中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれています。(この芋は里芋のことです。)そして、10月には「栗名月」があります。今回見逃した方も、来月(10月8日)はぜひ夜空を見上げてみてください。

そういえば、秋になってくると、夏とは違うお菓子が色々出回りますね。その代表格がおはぎでしょうか。

でも、おはぎってぼたもちとどのように違うのか、ご存じですか?

地域によっては、多少形や大きさ、原材料を変えたりすることはあるそうですが、和菓子屋さんによると、このふたつは実は基本的には同じものだそうです。春に出回るのがぼたもち、秋に出回るのがおはぎ、というわけですね。両方とも、ぼたん、萩という花の名前に由来していることは言うまでもありません。

では、夏と冬はどうなっているのか?

実はこれらにもちゃんと名前があります。夏は「夜船」、冬は「北窓」です。これらの名前は、花の名前とはまったく関係はなく、単なるダジャレです。つまり、夜の船とは、いつ波止場に着いたのかわからない、ということから普通の餅のように杵でつかないこのお菓子の名前となったようです。また、北を向いている窓は、月が見えない、ということで、これも餅を杵でつかないという特徴に結びつけているのです。つまり、餅を搗かない→搗き知らず→着き知らず(月知らず)というわけです。なお、このふたつの言葉、比べてみると、やはり夜船には夏が、そして北窓には冬が似合いますね。

単なるダジャレなのですが、なんとなく雅(みやび)な名前のような気がしませんか? もっとも、このふたつの名前を使っている和菓子屋さんは、かなり少なくなっているようです。それどころか、春でも「おはぎ」として売っている所も少なくありません。でも、こういうちょっとしたことから季節感を演出するというのは、いかにも日本的な風情で、私は決して嫌いではありません。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。