明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常145 村上選手のホームラン記録をめぐって

こんにちは。

 

急に肌寒い季節になりましたが、皆さん体調を崩したりしていないでしょうか?

私は、今週は3か月ぶりの眼科の検診がありましたが、白内障手術の跡についてはとくに問題はなく、追加の治療や投薬の必要もない、ということで一安心しています。

こうした比較的平穏に暮らすことができていることは本当に幸せなことだな、と思っています。というのも、アントニオ猪木さんが全身アミロイドーシスによりわずか78年の生涯を閉じられたというニュースに接したからです。以前の投稿でも触れましたが、アミロイドーシスとは、簡単に言えば余計なたんぱく質(繊維状で、不溶性のもの)が内蔵のさまざまな臓器に付着して、その働きを弱めていくという病気で、根本治療は困難と言われているものです。そして、私も約4年前に心アミロイドーシス(心臓にたんぱく質が付着する)の可能性があると言われた経験があるだけに、猪木さんのことは他人事とは思えないのです。テレビで紹介されている猪木さんの病室での様子等を見ていると、その辛さがよくわかります。もともと人並外れた体力と気力を持っている人だっただけに、思うように動かなくなった自分の身体には忸怩たる思いがあったことでしょう。日本におけるこの病気の発症率は100万人あたりわずか約2.7人と推定されていますから、一般にはあまり馴染みのない病気ですが、これを機会に一般の理解や治療への取組が進むようになるといいですね。

 

さて、最近よく話題になるスポーツ選手としてあげられるのが、プロ野球ヤクルトスワローズの村上宗隆選手でしょう。こちらはもちろん、明るい話題です。彼の今シーズンの活躍は目覚ましいもので、セントラル・リーグの打撃三冠王(ホームラン、打率、打点の3部門でのトップ)を獲得したうえ、ホームラン数では最終的に56本まで到達し、元読売ジャイアンツのレジェンド、王貞治さんの55本と言う記録を58年ぶりに抜いたのですから、大きな話題になったのは当然のことでしょう。

ただ、マスコミでのこの話題の取り上げ方には少々違和感を覚えざるを得ません。というのも、56本というのは決してこれまでの日本プロ野球の最高記録ではないにもかかわらず、あたかも新記録であるかのような伝え方をしているからです。

1964年に王さんが55本を打った時、彼は日本中の注目と尊敬を集めるヒーローのような存在でした。そして、その後も1973年、1977年の二度にわたって50本以上のホームランを記録し、1973年、1974年のついては三冠王も獲得した彼は、野球にまったく興味のない人でもしばしば注目にするようになり、神格化されていったのです。

王さんの記録やその存在感がすさまじいものだったことは否定のしようがありません。ただ、その存在が大きすぎて、55本という数字はいわば「神の領域」となり、誰もそこに立ち入ってはならないような雰囲気が野球界全体に広がってしまったのです。

それがもっとも顕著に出たのが、1985年、王さんの記録にあと1本まで迫った阪神タイガースランディ・バース選手の例です。この年の最終戦、既に全チームの順位は決まっており、個人記録だけに注目が集まっていたのですが、そんななかで行われたジャイアンツ対タイガースの試合、ジャイアンツの投手陣は完全にバース選手との対決を回避しました。「自分のチームの偉大な大先輩の大記録に他チームの外人選手が並んでしまうなど、許されない」という雰囲気がまん延していたようです。しかもこの時、ジャイアンツの監督は王さんだったのです。もちろん、王さん自身が勝負を避けろなどという指示はしなかったでしょうが、周囲がびくついてしまったことは確かでしょう。

ここには、単に他チームだから、というだけではなく相手が「外人選手」だったということが深く関係しています。今でこそ考え方は少し変わってきていますが、当時この言葉には出稼ぎ者、よそ者といったニュアンスが含まれた、やや差別的な言葉として使われていたのです。だからこそ、記録面で王さんに並ぶ、あるいはそれを抜いてしまう、などというのはあってはならないことだったのです。(バース選手の場合、タイガースを18年ぶりに優勝に導いた立役者として、タイガースのファンにはとても愛されていたのですが・・・)

その後、今世紀に入ってからは少し風向きが変わってきました。2001年に近鉄バッファローズのローズ選手、2002年に西武ライオンズカブレラ選手が、相次いで55本のホームランを打ち、王さんの記録に並んだのです。ただし、この二人は、いずれもパシフィック・リーグにいたので、バース選手ほどのプレッシャーは受けていなかったかもしれません。「外人選手」というレッテルを貼られていたのは同じですが、少し時代は先に進んだのです。

そして2013年、ヤクルトスワローズバレンティン選手が、60本というとんでもない記録を打ち立て、一気に最高記録保持者となりました。これまでよりも5本も多い彼の実績は、もはや外人だとかジャイアンツ所属ではないなどという妙なこだわりを吹き飛ばす、画期的なものだったのです。まったくの私見ですが、その後も日本球界にとどまり、活躍を続けた彼の存在は、外国人選手に対する偏見をも笑い飛ばしてしまうようなパワーがあったのではないかと思います。

このような過去の経緯を振り返ると、今年、ついに日本生まれの日本人である村上選手が56本という数字をマークし、大きな話題になったことにはやや複雑な感情が湧いてきます。

ひとつは、バレンティン選手による60本という大記録が既にあったからこそ、村上選手はもちろん、対戦チームの選手も含めて、「55本の呪縛」にはあまりとらわれずに済んだであろうこと、そして、むしろマスコミやファンのほうがまだその呪縛から逃れられていないのかもしれない、ということです。そしてもうひとつは、今回紹介した外国人選手たちのホームラン記録をめぐる顛末が、今回マスコミではほとんど紹介されておらず、こうした先人たちに対していささか失礼な扱いになっているのではないか、という思いです。

伝える側にもいろいろと「大人の事情」があるのかもしれませんが、数字による記録を扱う以上、それぞれの選手の記録をもっと公平に扱うべきだと感じざるを得ないのです。どこの国で生まれた人であろうとも、日本のプロ野球でプレイした、という点では共通しているのですから。そして、現在の選手たちの活躍は、これまでの選手たちによる蓄積や少しでも前進しようとする姿勢と努力の上にこそ、成り立っているのですから。

 

もちろん、村上選手の記録の価値が薄められるということはありません。何より、彼はまだ24歳であるということが驚異的です。彼がこのまま活躍を続ければ、今後どのようなプレイでプロ野球ファンを魅了してくれるのか、と思うとワクワクしてきます。スポーツに限らず、どの分野でも同様なのですが、若い人の活躍こそが未来を切り開いていくものなのです。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。