明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常162 酒造りの文化

こんにちは。

 

先日、病院の待合室でのことです。看護師さんが年配の患者さんに問診をしている会話が聞こえてきました。

看護師さん「タバコは喫ってます?」

患者さん「いや。もう20年ぐらい前にやめた。」

看護師さん「それはよかったね。じゃあ、お酒は?」

患者さん「毎日ビール3本ぐらいかな。」

看護師さん「えっ、3本? ちょっと飲みすぎかなあ。」

患者さん「だって、美味しいんだもん。」

・・・周囲の人は皆さん苦笑していました。まあ、お酒を美味しく飲めるっていうのは幸せなことですけどね。

 

次の日、京阪電車の特急に乗っていたのですが、私の前の席に初老の紳士が座ったかと思うと、いきなりビールのロング缶を取り出しました。関西在住の方ならご存じだと思いますが、京阪電車の特急は非常に快適な座席で、初めて乗った方は、間違えて有料の車両に乗ってしまったのかと思ってしまうほどの豪華さです。もちろん一部を除いてロング・シートではありません。つまり、JRの特急と遜色ないのです。ただ、それにしても座席でビールを飲む人は見たことがありません。というのも、大阪・京都間は45~50分程度で着いてしまうので、お酒を飲んでゆっくりしているほどの時間はないのです。よほど好きなんだろうなあ、と思っていると、ちょうど中間地点にあたる樟葉(くずは)という駅に着いた頃に飲み干し、間髪入れず、2本目を取り出したのです。これにはさすがに驚きました。45分でロング缶2本、しかも「つまみ」はなし・・・恐れ入ります。この方も、ビールが好きで好きでしょうがないんでしょうね。

 

というわけで、今回は少しお酒(アルコール)の話を。

と書くと、私のことを個人的にご存じの方は「いよいよ来たか」と思われるかもしれません。そう、私はかなり酒が好きで、以前はよく飲んでいたものです。それで身体を壊した、ということはないのですが、大病を患って長期入院して以来、かなり酒量は減ってしまいました。飲むのは1週間に2~3日程度でしょうか。(不思議なもので、入院中はまったく酒を飲みたいとは思わなかったものです。まあ、病室で飲酒したら、即刻強制退院になるらしいですけど。)

個人的なことはともかくとして、日本では、そして世界中で、近年は「酒離れ」の傾向がかなり顕著になってきているようです。とくに若い世代でこの傾向が見られることは、どうやら世界共通のようです。

世界のアルコール消費量の変化

日本における聖人一人当たりのアルコール消費量の変化



また、厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によると、日本人の飲酒習慣率は、1996年には男性52.5%、女性7.6%であったのに対して、その20年後の2016年には男性33.0%、女性8.6%となっているそうです。男性の場合は年齢に関係なく全世代で飲酒の習慣が少なくなってきているのです。女性については、増加傾向にあると見るのか、それとも誤差の範囲なのか、ちょっと判断が難しいですね。

もちろん、アルコールは嗜好品ですから、飲む、飲まないは個人の自由です。また、そもそもアルコール分解能力が低く、控えるべき人もたくさんいらっしゃいます。健康面のことを考えれば、この傾向は良いことなのかもしれません。ですから、アルコール消費量減少そのものを嘆くつもりはありません。「とりあえずビール」とか「酒は人生の妙薬」というセリフは過去のものになりつつあるのかもしれません。

ただ、どの国や地域においても、酒はひとつの文化として定着してきた歴史があります。食事をおいしくいただくためのものとしてはもちろん、友人・知人とのコミュニケーション手段として、富裕層のステータス・シンボルとして、またある時は宗教的な儀式に用いるものとして、幅広く利用されてきました。そしてそれらがその地域の風土や風習などと結びついて、それぞれ独自の発展を遂げ、味わいのある文化を形成してきたことは、忘れ去られてはならないことだと思います。それだけ、幅広く、そして奥深い文化をもっているのが、酒というものなのです。

文化という観点から見た時、「酒造り」そのものも文化として定着してきたわけですが、それも少しずつ変化しつつあるようです。

日本酒の酒造メーカーにとって、杜氏の存在は欠かすことのできないものでした。彼らは、その年の米や水の状態、気象条件等を見極めながら、酒造りのすべてを取り仕切っていく専門家であり、職人です。かつては日本酒造りが本格化する冬の時期だけ、地方の農家出身の方が出稼ぎの形でこの仕事に従事する人が多かったそうで、その出身地域から、南部杜氏岩手県)、越後杜氏新潟県)、丹波杜氏兵庫県)、能登杜氏(石川県)などと呼ばれていました。何らかの事情で他の造り酒屋に杜氏さんが移動してしまうと、大きなニュースになったことさえあるのです。

しかし、季節に関係なく日本酒が作られるようになると、このような出稼ぎ仕事に頼ることはできなくなり、酒造メーカーの社長や幹部自身が杜氏を務めることが多くなりました。そして今、杜氏制度を完全に排してしまうメーカーも出てきているのです。その代表が山口県の旭酒造で、「獺祭」というブランドの酒は、その軽やかなのにコクのある飲み口で、今や日本中の「酒飲み」の垂涎のマトとなっているのです。そして、これに追随する形で、杜氏制度を廃止して、IT技術を最大限利用するメーカーが少しずつ増えているのです。IT、AIの急速な進化という局面が、酒造り文化にも大きな影響を与えているのです。

もちろん、「日本酒は杜氏の腕次第だ」と言う方は今でもたくさんいらっしゃいます。しかし、一流の杜氏になるには長年の経験と豊富な知識が必要ですし、一人前になるまでには相当の時間が必要であるこの仕事をめざす若者はどんどん減っている現状を考えると、杜氏文化というものを今後も維持していく事はどんどん困難になるでしょう。むしろ、新しい方法が日本酒造りの敷居を低くすることができれば、それが日本酒そのものに新たな光を当て、新規顧客を増やすことになるかもしれないのです。そして、それは決してこれまで築かれてきた文化の破壊ではなく、新たな文化の創造として捉えるべきだろうと思うのです。

 

あらゆる文化は決して不変のものではありません。変化することによってこそ、未来へと受け継がれていくものなのでしょう。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。