明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常169 震災から28年経って・・・

こんにちは。

 

前回の投稿の冒頭部分で触れた高橋幸宏さんについてですが、その後の報道によると、死因は誤嚥性肺炎だったようですね。これは、食べ物や飲み物、唾液などが誤って気道内に入ってしまうことから発症する肺炎であることはよく知られています。気道に異物が入ってむせることがあっても、ある程度の体力があれば、大事には至らないことが多いのですが、高齢になり、飲み込みに関する機能が低下(嚥下障害)すると、こうした異物とともに細菌等が入り込み、肺炎が誘発されてしまうのです。日本では毎年4万人程度の方がこれによって亡くなられており、死亡原因としては第6位に位置づけられています。また、70歳以上の肺炎患者のうち、誤嚥性肺炎の患者はなんと70%にものぼるそうで、私たちにとっては、かなり身近な病気のひとつということになります。実際、私の知人にもこれが原因で亡くなられた方が何人かいらっしゃいます。

ただ、高橋幸宏さんの場合はまだ70歳で、これが原因で亡くなる方としてはかなり若い方だと思います。つまり、それまでの病気によって、かなり体力が弱っていたからこそ発症しやすかったのでしょう。残念なことです。

飲食の際にむせてしまうことがよくある方(私もその一人です)、気をつけましょう。予防策としてすぐに実践できることは、ゆっくり少しずつ飲み食べする、ということぐらいでしょうか。

 

さて、今回は前回のテーマから引き続いて、大学というものに焦点をあてるつもりだったのですが、1月17日が阪神・淡路大震災からちょうど28年になることを思い出して、急きょ、内容を変更することにしました。

あれから28年もの年月が経ち、今の30歳以下のほとんどの方が直接経験していない「歴史上の出来事」になってしまいましたが、私自身は、あの日のことはよく覚えています。当時は関西には住んではいなかったのですが、両親をはじめ、知人・友人の多くは関西地区在住でしたので、その安否情報にやきもきしたものです。とくに地震発生から数時間は電話がまったく通じなかったために、不安な気持ちを抱えたまま、仕事に向かったものです。ただ、関西地区内同士および他地域から関西への電話は通じなかったものの、関西から他地域への電話はなんとか通じましたので、徐々に連絡が取れるようになり、一息ついたものです。ただ、あの時のショックは忘れることができません。そして、まさかその16年後にこれを上回る被害の出る地震が発生するなどとは夢にも思っていなかったものです。

この震災での死者数は約6500人ですから、2011年に起きた東日本大震災に比べれば少ないと言えるのかもしれません。ただ、神戸という大都市やその近郊の人口密集地を襲ったことで、その後、都市直下型地震への備えに大きな影響を及ぼしたことは事実です。私たちが持つ「都市での生活=安全」というぼんやりしたイメージを、自然の脅威はあっさりと破壊していったのです。

 

ただ、気をつけなくてはならないのは「地震」と「震災」は異なるということです。明治から大正期、そして第二次大戦終戦直後まで活躍した地震学者、今村明恒氏は「地震は人の手で防ぐことはできないけれど、震災はある程度防ぐことができる」と言ったそうです。この方、1923年の関東大震災発生を予言的中させたことで有名になったのですが、地震予知云々よりも大事なのが、亡くなる少し前まで「地震への備え」を説いて全国を回っていたということです。いくら予知ができたとしても、地震発生の正確な日時まで特定することはおそらく不可能ですから、それよりも「防災」に力を入れることこそ、地震大国である日本列島に住み続ける人間ができる、そしてしなければならないことだ、というのが氏の強い思いだったのです。

 

現在、日本の建築物の耐震化率は、全国平均で約90%となっており、この20年間でかなり改善されてきたようです。下のグラフにあげたのは住宅用建物についてですが、公共的な建物に関してはこれよりも高い数値になっているようです。これは行政側の努力の賜物といえるでしょう。

住宅用建物の耐震化率(2018年) 国土交通省の調査より


ただ、それでもこの数字の裏を返せば、10軒うち1軒は耐震化が終わっていないということです。そして言うまでもないことですが、襲ってくる地震が想定を上回るものであったなら、耐震化を施した建物であっても安全とは限りません。つまり、私達としては、建物の頑丈さに100%の信頼を置いてしまうのではなく、万が一に備えて、きめ細かな対策を日頃から考えておくこと、ということになるでしょう。

 

もう一点、考えておかねばならないのが震災からの復興に関してです。

これも、被災者へのケアからインフラの復旧、直後に必要な短期的対応から街そのものを再建するための長期的復興策に至るまで、多様な観点が必要ですが、ここでは、神戸での経験から学ぶべきことを一点だけ紹介しておきます。

神戸市の中心よりも少し西に長田という地区があります。ここはいわゆる下町的な雰囲気の漂う街で、地震の前は「人情あふれる町」として賑わいを見せていました。しかし古くからの木造住宅が多かったこともあり、地震後は一帯が焼け野が原のようになってしまったところもあったのです。この街を復興させるために行政が立てた計画は、「市街地の復興と防災公園などを中心とした防災拠点の構築、良質な住宅の供給、地域の活性化や都心拠点にふさわしい都市機能の整備」を見据えた大変立派なものでした。(神戸市のホームページより)しかしそれは地元の住民からは、安全性は格段に高まるものの、それまでの長田の魅力であった泥臭さ、昔ながらの雰囲気、そして地域内のコミュニティを壊してしまうもの、というように見えてしまったのです。その結果、立派なビルは立ち並びましたが、町の賑わいはあまり戻らず、店舗・住宅用スペースの約半分が売れ残ったままになっています。そして神戸市自身も300億円以上の赤字を抱え込んでしまっているのです。

復興は早く行わなければなりません。そして安全性を重視した街づくりも重要なポイントです。しかし、それだけで魅力的な町ができるとは限りません。何よりも、それまでそこに住んでいた人々の考えや思い、そして知恵が反映されたものでなければ、元のような活気を取り戻すことはできないのです。長田地区の再復興については、地元の方々や有識者も交えて、今も試行錯誤が続いていますが、今後起きるであろう都市災害の際の教訓として、神戸の経験はさまざまなことを教えてくれているように思うのです。

 

改めて、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。