明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常184 流水不争先

こんにちは。

前回は、中国の古い言葉「上善如水」を紹介しました。

少し調べてみると、中国には水にかかわる格言のようなものがたくさんあるのですね。さすがにさまざまな思想家を輩出した国です。そんななかで、とくに印象に残るのが「流水不争先」(流水先を争わず)という言葉です。

人間には、欲望や煩悩が必ずあります。「あれが欲しい」とか「もっと出世したい」、あるいは「あの人よりも世間に認められたい」といったことをまったく思わない人はいないかもしれません。これ自体は、自然なことですし、それが自分を高めていくことのエネルギーにもなるのですから、これを全否定することは正しくないでしょう。例えば、ライバル関係にある人と争ってお互いに高みを目指していくことは、素晴らしいことですよね。

しかし、それが行き過ぎると、心の焦りを生じさせ、他人を押しのけてでも自分の欲望をかなえようとする行動に繋がってしまいます。過度の「承認欲求」といってもいいかもしれません。

スガシカオさんの”Progress”という曲の出だしにこんな歌詞があります。

「ぼくらは位置について、横一線でスタートを切った

つまずいているあいつのことを見て

本当はシメシメと思っていた」

こんな気持ちをもったことなど一回もない人は多分いないですよね。

しかし、そうやって得られた満足は、どこかに歪んだものが出てきてしまいます。それに、欲求というものにはキリがありませんから、そうした行動はどんどんエスカレートしてしまいかねません。ハードルの高い欲求ほど、それをかなえるのはむずかしいことですから、これは当然です。

また、もうひとつの大きな問題として、周囲の人達にも同じように考え、行動している人が少なくないという事実です。他人をかき分け、押しのけ、自分が先頭に立とうとする。たしかに、自分はそれを活力としているわけなので、充実感があるかもしれませんが、その結果、周囲と軋轢や摩擦が生じることに無頓着になってしまうとしたら、どうでしょうか。

社会生活を送る中で「いや、自分は絶対にそうはならない」と言い切れる人はほとんどいないと思うのです。(もちろん自戒を込めて)

水はいつも上から下へと流れていきますが、その際、前を行く水を追い抜いていこうとするようなことは決してありません。あくまで自然に任せて流れているのであり、時々岩やその他の障害物にあたって渦巻や波しぶきがあがることはあっても、それ自体も「そんなこともあるさ」と言わんばかりに、すぐにもとの穏やかな流れに戻っていきます。

上に書いた言葉は、こうしたことを踏まえて、水の流れを眺めることによって、自分の行動を見つめなおそう、ということを言っているのだと思います。

日本でも、古来この言葉を愛してきた人はたくさんいます。例えば古田織部以来、茶室にこの言葉を書いた軸がかかることはしばしばあるようですし、武道場の額にあげられていることもあるようです。囲碁本因坊として名声を博した高川秀格氏もそうです。つまり、他人との競技で常に「勝つか負けるか」という世界に身を投じている人でさえも、この言葉の重みを感じておられる方は少なくないようです。もちろん、ビジネスの世界でも同様です。

 

水、といえば、日本庭園の様式のひとつに「枯山水」というのがあります。竜安寺の石庭をご覧になったことのある方は少なくないでしょう。古くからの禅寺にはこの様式の庭を持っていて、縁側に座してこれをゆっくりと鑑賞できるところもたくさんあります。

私たちは枯山水庭園に接するとき、どうしてもそこに配置されている岩や苔などに目を奪われがちです。しかし、本当に大事なのは、本来そこに流れているべき水の存在であり、その流れを表している砂紋のようです。波や渦の動きをその紋様からイメージすることにこそ、実は大きな意味があるのです。作庭家である重森千靑(ちさを)氏は「美しい場所を見ると、真似してつくろうと考えますが、大自然をそのまま凝縮しても無理がある。ですからその美しさに思いを馳せつつ、狭い空間でどう表現するかを試行錯誤するのです」と語っています。そんな作庭家や毎日これを手入れしている方々に思いを馳せながら、庭園に佇むのも、この暖かい季節にふさわしいレジャーではないでしょうか。

重森千青氏の作庭した真如堂枯山水

こちらは、重森氏の父、三玲氏の作庭した光明院の枯山水


昨日、ミュージシャン坂本龍一さんの訃報に接しました。坂本さんのことについては、以前も書きましたので、ここでは詳細は触れません。(第167回、2023年1月12日投稿)

実は、昨年末頃から今年にかけて、世界的に著名で、多くの実績を残してきた洋楽のミュージシャンが相次いで亡くなっています。

洋楽を聴く人間なら誰もが名前を知っているような方だけを挙げても、以下の通りです。

デイヴィッド・クロスビー(David Crosby)

バート・バカラックBurt Bacharach

ジェフ・ベック (Jeff Beck

ボビー・コールドウェル (Bobby Caldwell)

トム・ベル(Thom Bell)

クリスティン・マクヴィー(Christine McVie)

アイリーン・キャラ(Irene Cara)

ガル・コスタ(Bal Costa)

ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)

クーリオ(Coolio)

高橋幸宏

坂本龍一

 

他にも多数の方が亡くなっています。私達にできることは、故人の冥福をお祈りする事だけです。ただ、大変残念なことではあるのですが、彼らの残した優れた音楽は輝きを保ったままです。例えば、散ってしまった桜の花びらが水面に浮かんでいるのがとても美しいのと同じように。ですから、これからも私は彼らの残した音楽を聴いていくつもりです。



今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。