明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常193 ぼんやり過ごすのもいいもんだ

こんにちは。

 

最近は、1時間も歩いていると、うっすらと汗をかくようになってきました。でも、このまま夏になるというわけではないようです。とにかく、寒暖差が激しいのには参りますね。それにしても、一日の間に10度以上気温が変化するって、昔はそんなに頻繁にはなかったような気がするのですが、どうでしょうか。

 

前回は、「タイパ」について書きましたが、この話は結局のところ「時間の使いかた」ということに尽きるでしょう。そして時間を「効率的に使う」という最近の風潮が本当に効率的なものなのか、というのが私の基本的な疑問でした。

今回も、これと少し関連する話題を書いていきます。

 

突然ですが、デフォルトモード・ネットワークという言葉をご存じでしょうか。

これは自動車に例えると、エンジンのスイッチは入っているのだけれど、走っていない状態にあたります。つまり、何となくぼんやりとしている時など、人間の頭の中が、働いていないように見えるときの神経活動のことを指します。言い方を変えるなら、何か特定のことに注意を向けたりしていないで過ごしている瞬間ですね。実は、睡眠中も含めると、脳が特定のことに神経を集中させて物事を考える時間よりも、こうした「ぼんやり時間」の方がかなり多くの時間を占めているそうです。

このような時、脳は働かないで休憩しているわけではありません。それまでに経験したり蓄積したりした言葉や記憶その他の外的な刺激の情報を処理しているのです。デフォルトモード・ネットワークとは、こうした処理のために、脳のさまざまな部分が相互に連絡しあっている神経回路のことで、この「ぼんやり時間」にこそ、その活動を活発化させるそうです。

例えば、風呂で湯船に浸かっている瞬間、無目的に散歩している時、電車やバスに揺られている時などがこうした時間にあたります。もちろん、こんな時でも本を読んだり、仕事の段取りを考えたり・・・と忙しく頭を働かせることもありますが、あえて、まったくそういうことをせずに、意味があるような、ないようなことをぐるぐると考えたり、昔の経験を何となく思い出している時に、ふと、新しいアイデアが閃いたり、仕事に集中している時にはまったく気にも留めなかった事柄が実は意味を持っていることに気がついたりしたことは、誰にでもあるはずです。こうして、「創造性」が発揮されていくことが、人間を成長させるのかもしれません。それが、デフォルトモード・ネットワークの重要な働きなのです。

つまり、意識的に何かをしているのではない「ぼんやり時間」は、一見すると無駄な時間のようにも思えますが、実はそうとは限らないのです。限られた時間の中に、できる限りのことを詰め込む、という時間の過ごし方ばかりをしていると、結局、情報やスケジュールに追われ、それを「こなす」ことに終始してしまい、自分の中でこれまでに蓄積された情報や経験を掘り起こすことができず、創造性が生まれる余地はどんどん減ってしまうのかもしれません。

このように考えると、パソコンやスマホの電源を切って過ごす時間を、日常的に意識して設けた方が良いのかもしれません。使い古された言葉で表現すれば、「onとoffをはっきりと区別する」ということなのですが、off時間にもスマホの画面から目を離せないでいる現代人には、ますます必要なことだと思うのです。

テレビ番組「チコちゃんに叱られる」のチコちゃんの決め台詞は「ぼーっと生きてんじゃねえよ」ですが、ぼーっとすることにも意味があるんですね。

 

ただ、デフォルトモード・ネットワークが過剰に働きすぎると、同じことをくよくよと考えたり、堂々巡りしたりしてしまいます。そしてそれは心配や不安を増幅させてしまう。これは精神疾患の原因のひとつであるとも言われており、その方面からの研究も進みつつあるそうです。

京都/鴨川の河原にて こんなところでぼんやり過ごすのもいいですよ


今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。