明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常196 上岡龍太郎という生き方

こんにちは。

 

去る6月2日で、多発性骨髄腫と宣告されてから丸9年経ちました。これまでにも機会あるごとに書いてきましたが、最初に宣告を受けた時は5年生存率が20%程度だと言われたのですから、ずいぶん長持ち?しているわけです。薬の服用や定期的な通院は欠かせませんし、これからも続いていくのでしょうが、なんとかもう少し色々とこの世界を満喫していきたいものです。とりあえずは、あと1年、10周年を目指していくつもりです。

 

ところで、先日上岡龍太郎さんが亡くなりました。死因は間質性肺炎と肺がん。この二つの病気は連動することもあるようで、つまるところ肺の機能が著しく低下してしまっていたということなのでしょうが、それにしても享年81歳というのは、まだまだ若かったのに・・・と思わざるを得ないです。

上岡龍太郎さんといっても、30歳以下の若い方や関西以外にお住まいの方はあまり馴染みがないかもしれませんが、1960年代に漫画トリオという3人組漫才による時事ネタをふんだんに盛り込んだテンポの速い漫才(「今週のハイライト!」という導入文句が斬新で、それこそ毎週のようにテレビに出演していました。)で人気が爆発し、トリオ解散後はピン芸人あるいは司会者として関西を中心に多くの番組にレギュラーとして出演していました。

そんななかで私が印象に残っているのは、やはり「探偵!ナイトスクープ」と「鶴瓶上岡パペポTV」です。その他にも「ノックは無用」や「ラヴアタック」など多くの番組を担当しておられたのですが、やはり代表作となると前にあげた2つでしょう。

とくに「ナイトスクープ」は深夜帯に放映されていたにもかかわらず、一時は関西地区での視聴率が毎週25%程度を記録するというおばけ番組でした。上岡さんが「局長」という位置づけで、視聴者から届いたさまざまな疑問を探偵(当時レギュラー出演していたのは、間寛平さん、北野誠さん、越前屋俵太さん、桂小枝さん等)がロケに出かけて解決する、というもので、作りそのものは比較的シンプルでしたが、依頼内容によってはかなり内容の濃い、しかも、ちゃんと笑いの要素がふんだんに入ったものとなっており、とても見応えがあったものです。その代表作が「アホバカ分布図」というものでした。これは視聴者から届いた「アホという言葉とバカという言葉の境界線はどこですか」というものでしたが、これを大々的に調査し、ついにはこれに関する言葉の分布を全国各地で調査し、地図で明示する、という大変大掛かりな調査になったのです。また、その過程で方言周圏論(日本の言葉は、京都を中心にして、次第に同心円的に地方へと伝播していくという説。したがって、実は京都から遠く離れた地域ほど古い言葉が残っているとされます。これを蝸牛考とも呼びます。)の検証も行っています。そして、そのように番組の方向を決定づけたのが上岡さんでした。最初は「東と西の境界線だから、岐阜県あたりかなあ」などと単純に考えていたスタッフに対して、「これは柳田國男民俗学研究に匹敵する調査になるよ」と指摘し、その暗示を受けたスタッフが、全国調査の実施を決意したのです。そしてもちろん、この調査でも随所に笑いの要素が散りばめられ、決して小難しい番組となっていなかったのは言うまでもありません。

この番組、こんな大掛かりのネタばかり扱っていたわけではありません。中には「トラックの『バックします。』という音声が『ガッツ石松』に聞こえます。調べてください。」などという馬鹿馬鹿しいネタも沢山あったのですが、それらのすべてを、上岡さんはある時は優しい笑顔で、そしてまたある時は怒りに満ちた厳しい顔で、受け止めていたのです。

彼がとても毛嫌いしていたのは占いや心霊現象など、科学的根拠をまったくもたないことに関してだけでした。しかしまた、そうしたはっきりした姿勢がファンの数を増やしていたことも事実なのです。

上岡さんは2000年、58歳の時に突然引退を表明し、以降は、ほとんど公の場には顔を出しませんでした。後輩の独演会等を見に行くときも、「一般人だから」と言って、自分でチケットを購入して出かけたそうです。その潔さは、多くの人にあこがれを抱かせることになりました。働いている人間は、誰でも「いつ完全引退するのか」ということで悩みます。もちろん「生涯現役」を貫き通す人もいますが、体調や周囲の状況から「潮時かな」と感じながらも、何となく決断できないでいる人が大多数でしょう。自分の老後をどのように設計していくのか、そこには自分なりの芯の通った考え方が必要でしょう。

私の場合は、病気による健康不安が大きな引き金になったわけで、上岡さんほどのきっぱりとした決断力があったわけではありませんが、現在の日常の中で、「あの時に辞める決意を固めてよかったな」と思っている次第です。

あらためて、故人のご冥福をお祈りします。

 

今回も、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

 

京都・藤森神社にて 紫陽花の季節ですね