明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常 245 フジコ・ヘミングの人生とキャリア

こんにちは。

今回は、最近のニュースで気になったことについて、ちょっとした私見を交えて紹介したいと思います。

それは、ピアニストであるフジコ・ヘミングさんがすい臓がんのため、92歳で亡くなられたことです。昨年11月に自宅で転倒された後、静養されていたのですが、今年春にすい臓がんと診断されていたそうです。すい臓がんは発見された時には既にステージ4に進行していることも多いため、止むを得なかったのかもしれませんが、残念なことです。

この人は、スウェーデン人の画家・建築家であるお父様と、日本人ピアニストであるお母様の間に1931年にベルリンで生まれ、しばらくは日本に居を構えました。しかし、お父様が日本に馴染めなったこともあって、比較的幼少時からお母様と日本で二人暮らしをすることになりました。しかし、幼少の頃から馴染んでいたピアノの腕は相当なものだったらしく、「天才少女」と騒がれ、1961年には国立ベルリン音楽大学に留学しています。日本からヨーロッパの各地に留学する道が広く開かれている現代ならいざ知らず、この時代のこの経歴だけでも彼女の才能がいかに秀でていたのか、よくわかります。ただ、経済的にはとても貧しい状態が続いていたようで、「この地球上に私の居場所はどこにもない...天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたそうですから、かなり追い詰められていたのかもしれません。

しかも、やっとめぐってきた大きなチャンスであるソロ・リサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力を失ってしまうという大きなトラブルに見舞われて、それまでの苦労がすべて水泡に帰してしまいます(その後、左耳の聴力は40%にまで回復)

その後は、主にストックホルムでピアノ教師として糊口を 凌いでいたのですが、1995年にお母様が亡くなったことをきっかけに、日本に帰国しています。そして、母校である東京芸術大学奏楽堂でコンサートを行ったりしたのですが、そのことが既に60歳を超えていた彼女にとって大きな転機となったのです。

1999年にNHKで放映されたドキュメンタリー番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」は、当時彼女が住んでいた東京の下町のアパートでの普段の飾り気のない暮らしを中心に、無名でありながら、実に楽しげにピアニストとしての活動を細々と続けていた彼女を追いかけた素晴らしい番組でした。私は偶然、途中からですが、これをリアルタイムで見ることができました。そこに映される、大好きな絵画やネコ達に囲まれながら、お母様の形見でもあるグランド・ピアノを奏でる彼女の姿はとても輝いていました。そして、後に彼女の代表的な演奏曲目となるリストの「ラ・カンパネラ」やショパンのいくつかの曲も、猫たちが周りをウロウロと遊び回る中で演奏されたのですが、これが実に素晴らしいものでした。リストの作品は「ラ・カンパネラ」に限らず、ピアニストにとってかなり高度なテクニックを必要とする難曲が多く、これを演奏するピアニストにとっては「チャレンジ!」という感じになって、必要以上に肩に力の入ったものになりやすいのですが、フジコさんの演奏はそれとは一線を画するものでした。今思い返しても、あんなに艶やかで、抒情的で、歌心に溢れた演奏に出会ったことはありません。大げさに言えば、リストに対する考え方を変えるきっかけとなった演奏だと言っても過言ではなかったのです。

私と同じような感想を持った方は、全国に数多くいらっしゃったようで、その後まもなく、全国に「フジコ・ブーム」が訪れます。そして、既に65歳になろうとしていた彼女は、いきなり売れっ子ピアニストになってしまい、つい最近まで、レコーディングに、コンサート活動にと大忙しの日々を送っておられたのです。

少し詳しくプロフィールを紹介しましたが、「こんな人生の送り方もあるんだなあ」というのが素朴な感想です。こんなキャリアの重ね方は、どんなキャリア・マネジメントの本にもおそらく載っていないでしょう。唯一、教科書的にまとめられることがあるとすれば、「人生、何があるかわからないから、あきらめないで続けることだ」ということぐらいでしょうか。しかし当たり前のことですが、すべてのピアノの道を目指す人がこのような成功を収められるわけではありません。私の身内にずっとピアノを弾いてきて、それを究めようとしてきた人がいますが、60歳代半ばにもなると、「今後できることは何だろうか」と考えるようになるのが普通で、これからまったく新たなステージに向かうことを考える人はまずいないだろう、と言います。というか、そもそもピアノをやめてしまう人の方が圧倒的に多いはずです。

ただ、その後の彼女は、売れっ子になったのは良いのですが、スケジュールはプロモーターやマネジメント会社に厳格に管理され、ほとんど自分の思うようにはできなかったようです。しかも、どこに行っても、リストやショパンの同じ曲の演奏ばかりを求められていました。これが70歳を超えた老ピアニストにとって、本当に幸せなことだったのか、私には判断ができませんが、少なくとも彼女に「トシを取ったのだから悠々自適に」という老後がなかったことは確かです。もちろん、経済的には若いときのような苦労はしなくて済んだでしょうが。

これをどのように感じるのかは、人によって異なるかもしれませんね。難しいところです。

 

なお、彼女がブレイクするきっかけになったドキュメンタリー番組は、以下のスケジュールで再放送されるそうですから、興味のある方はぜひご覧になることをお勧めします。

【番組名】おとなのEテレタイムマシン

ETV特集 「フジコ~あるピアニストの軌跡~」

【放送日時】Eテレ 5月4日(土・祝)22時~22時45分

(再放送)5月 6日(月・休) 13時10分~13時55分

(初回放送1999年 2月 11日)

また、彼女がスペインを訪れたドキュメンタリーの再放送も以下の通り決定しています。

【番組名】フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して

~スペイン・マヨルカ島への旅~

【放送日時】NHK BS 5月4日(土・祝) 11時00分~12時29分

(初回放送2022年12 月28日)

 

今回、もうお一人、スポーツ界で紹介したかった人がいるのですが、フジコさんの紹介だけでかなり長くなってしまいました。上記の通り、再放送の日程が迫っていますので、とりあえずここまでで筆?を置くことにします。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。