こんにちは。
先日、近鉄(近畿日本鉄道)京都線で、始発電車が京都駅を出発した直後に脱線するという事故がありました。早朝ということで乗客数は少なかったため、幸いけが人は出なかったようですが、これが通勤ラッシュ時の満員状態だったら、と思うと、大げさではなく、背筋が凍る思いです。実は、この路線は、私が中学生・高校生の時には毎日のように使っていた路線であり、現在もたまに利用しているので、大きなショックを受けた次第です。路線は約30時間後に全面復旧・運転再開となったのですが、まだ原因は特定されていません。これって大丈夫なのでしょうか。もちろん、利用者としては早い復旧に越したことはないですし、そのために努力してくれた近鉄社員の皆さんには敬意をはらうものですが、なぜ脱線したのかわからないのに、そのまま電車を走らせるということに、危うさを感じてしまうのは私だけでしょうか。
さて、以前も書きましたが、映画館に出かけた時の楽しみのひとつとして、本編が始まる前に流される数本の予告編が挙げられます。未知の映画やそこで描かれる世界を手軽に知るチャンスとして、予告編はとても価値があるのです。場合によっては、本編と同じぐらいのインパクトを私達に与えてくれると言ったら言い過ぎでしょうか。
そして、今回取り上げる映画は、以前紹介した映画「オールド・オーク」を観に行ったときに予告編ではじめて知ったものです。詳細は繰り返しませんが、「オールド・オーク」は、シリアから逃れてきた難民たちがイギリスの田舎町に住むことになるにあたって生じるさまざまな問題、軋轢を描いたものでした。(未読の方は、第348回、2026年5月15日を一読ください。)そして、今回取り上げる「アイ・ワズ・ア・ストレンジャー」(原題:”I Was A Stranger” ブラント・アンダーセン監督・脚本)はその前段階、つまり、長期化する内戦で荒廃しつつあったシリアに暮らす人々が命がけで祖国を脱出していこうとする様子を、膨大な取材に基づいて映像化した、とても重い内容の映画です。
映画の紹介の前に、シリア内戦について少しだけ。アサド大統領による長期独裁政権への不満を発端に、シリア政府軍と反体制派の間に勃発したシリア内戦は、2011年から2024年まで続いた史上最悪とも言える内戦です。現在までに判明している犠牲者数は40万人以上。そして、長期にわたる戦禍から逃れるため、1,400万人もの人々が国内外への避難を余儀なくされています。アサド政権の崩壊によって2025年に一応の収束を得たものの、現在もなお国内各地で小規模な戦闘が続いているという現実を知るだけでも、その深刻さ、悲惨さが伝わってきます。
そんなとんでもない状況に置かれた国、シリアにおいて、引き裂かれる家族と、彼らに関わる人々の姿を多角的に描き出したのがこの映画です。
主な登場人物は5人。
・危険を承知のうえで娘を連れて国外脱出を図る医師アミラ。
・政府軍に属しながら、その強引で無慈悲なやり方に疑問を持ち始めた兵士ムスタファ。
・国外脱出の手引きをしながら、大金を手にし、その金で息子とともにアメリカへの移住を目論むトルコ人密航業者マルワン。
・その業者の手引きで小さなボートに乗り込み、家族とともに国外脱出をはかる詩人ファティ。
・命からがら脱出してきた難民たちを助けようとするギリシャ沿岸警備隊の船長スタヴロス。
国籍も職業も立場も異なる者たちの思惑が、戦争という悲劇によって交差し、わずかに見える希望の光を目指して、絶望の淵から逃れるべく、決死の行動に走るのです。そして重要なのは、彼らそれぞれには愛すべき家族がいる点です。壊滅的状況に追い込まれた人々の恐怖と絶望を描きながらも、愛する者を守り、希望を手放さずに生きようとするひたむきな姿が鮮明に描かれているのです。
この映画、5つのパートに分かれていて、それぞれ上に紹介した主要登場人物を追いかける形でストーリーは展開していきます。しかし、全体は大きな繋がりが持っており、シリアの状況がいかに混とんとした、そして救いがたい状況にあるのかがとてもリアルに、まるでドキュメンタリーであるかのように描かれています。テイストとしては、ストーリーの展開はとても早く、なおかつ淡々としているとの見方もできるかもしれません。しかし、それによって、2時間足らずの間、鑑賞する側は必要以上に落ち込みすぎることなく、客観的に、なおかつ緊迫感をもって状況を理解することができます。
また、個人的には、もっとも「人間」をよく描けているな、と感じたのは、密航業者マルワンです。彼は、密航希望者たちから高額の料金をふんだくったうえで、小さなボートに乗せ、仲間には「あいつらが密航に成功しようが失敗しようが、俺の収入は変わらない」とうそぶくのです。その点だけを見れば、とても冷徹な人物のようですが、家で待つ子供との新たな生活を夢見ているからこそ、カネを荒稼ぎすることに必死なのです。そんな側面をもつ彼の姿は、映画全体のなかでも、クセのある人物として、ひときわ目立っているように感じたのです。
映画の冒頭、爆弾が落とされる続ける最中、病院に次々と運びこまれる怪我人の治療にてんてこ舞いになる医師の姿を追いかけるシーンを見るだけで、私達は圧倒されてしまうのですが、映像そのものはあくまで客観的で、見る側に過剰な思い入れを押し付けようとするアプロ―チは注意深く避けられています。そのような工夫がなされているところに、監督の演出手腕がうかがえると思うのは私だけではないでしょう。そうです。この映画、シリアの悲惨な現実を訴える、ということが大きなテーマであることは事実ですが、それを多くの人が鑑賞する映画作品として昇華させることに注力されているがゆえに、とても強い訴求力をもつことができているのです。
ところで、とても気になるのがこの映画のタイトルです。単純に考えれば、stranger(よそ者)とは見知らぬ土地へと逃れていく難民たちのことを指すかのように思ってしまいますが、それならば、なぜweではなくIなのか、またなぜ現在形ではなく過去形なのか、という疑問が湧いてきます。難民の悲惨さを伝えたいだけなのなら、”we are strangers”でよかったはずです。彼らを「難民」という言葉で一括りにしてしまうことの愚かさを戒めるためにあえて主語を単数形にした、とも考えられるかもしれません。しかし、それにしても彼らの苦難はシリアからの脱出後も続くわけで、問題は解決していません。そんなことは、制作側は百も承知のはずです。すると、過去形にしていることの説明はつきません。
映画館を出た後もしばらくこのことを考えていたのですが、どうにも「これだ!」という答えは見つかりません。
ひょっとすると、実はstrangerとは、この状況をスクリーンを通して見ることしかできていない私達観客側、そして映画を製作した側のことを指しているのかもしれません。私達は、シリア難民のことを単に「知識」として知っているのみであった鑑賞前に比べれば、多少は「よそ者」から脱却するきっかけが与えられたのかもしれません。そんな風に観客に働きかけることができたら・・・制作側のそのような期待を込めて、あえて過去形の文章にしているのかもしれません。・・・いやいや、ちょっと考えすぎかもしれません。ただ、色々な解釈が可能なタイトルであることは間違いありません。たからこそ原題に込められた思いを変に曲解・誤解されることを避け、その雰囲気を壊さないようにするために、邦題はこれを単にカタカナに置き換えるという一見するとカッコ悪い措置が取られたのかもしれませんね。いや、単なる思いつきです。
いずれにせよ、この映画を鑑賞することが、今でも世界各地で続く内戦や戦闘の実情に少しでも関心を持ち、翻って、日本という国が置かれている現状を見直すきっかけになれば、と思った次第です。

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。