明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常172 御苑に近き学び舎に

こんにちは。

 

今回の寒波はとくに西日本、関西地区に大きな影響をもたらしたようですね、私の住む地域でも、珍しく、積もった雪が翌日まで融けず、ガチガチに凍ってしまって、道路や鉄道に相当大きな支障をもたらしました。転倒事故やスリップ事故が多発したようです。また、線路のポイント故障で10時間以上列車に閉じ込められて、体調を崩した方もいらっしゃったそうです。さまざまな被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

 

さて、今回のタイトルは何のことか、さっぱりわからない方がおそらくほとんどでしょう。これは作家荒木源氏による2019年の著作のタイトルです。荒木氏は「ちょんまげぷりん」「オケ老人!」などの娯楽小説(映画化もされていますね)で人気を博している方ですが、この小説は少し雰囲気が異なりますし、発行元も京都新聞出版センターというローカルな出版社です。たまたまネットでこの本を見つけたのですが、タイトルを見てちょっとびっくりしました。というのは、この言葉、私が卒業した小学校の校歌の一節だったからです。ひょっとして、と思って調べてみると、やはり荒木氏は同じ小学校卒業で、私より5年ほど後輩にあたるようです。ということは、私が6年生の時に彼は1年生だったはずで、同時期に通っていたことになりますね。(ちなみに、この荒木氏、中学校・高校も私と同じでした。)

そしてこの本は、私達が卒業した小学校の設立の経緯を、フィクション、ノンフイクションを交えながら小説化したものだったのです。

京都市は、明治維新天皇が江戸(東京)に移られて、一気に活気がなくなってしまった時期がありました。公家の人々はもちろん、これまで天皇家等を相手に商売していた人達(
いわゆる皇室御用達)の多くが東京に移っていったのです。例えば、ようかんで有名な虎屋は、今でこそ東京土産としても重宝されていますが、もともと京都が本店で、今でも御所のすぐ近くに店があります。このような変化は、京都の経済を停滞させただけでなく、社会的不安の増大による治安の悪化をも招いたのです。

東京に移った政府も、そんな京都を荒れ放題になるのを放置しておくわけにはいかなかったのでしょう。なんといっても、つい最近まで天皇がお住まいになる「都」だったのですから。相当の資金援助が行われました。それによって、京都は何をやったのか、と言いますと、主なものとして以下が挙げられます。

① 琵琶湖疎水の建設・開通

② いち早い電気事業の開始

➂ 子供に教育を施すための学校の設置

①は琵琶湖から人工河川(運河)を京都に引き込み、水道事業とするものです。これは今でも水が流れています。琵琶湖が近畿の水がめと言われるのは、この琵琶湖疎水のおかげです。そして②は、その水を使った水力発電から始まっています。これも、小規模ながらいまだに稼働中の発電所が、関西電力によって運用されています。また、それを利用して、日本初の市内電車が走ったのも京都です。

 そして➂です。当時の京都にはもちろん寺子屋は多数ありました。しかしそれは、比較的経済的余裕のある家庭の子どもしか通うことができないものでしたし、京都全体としては、決して初等教育が充実して行われていたわけではありません。

そこで、1869年(明治元年)、京都じゅうに大号令がかけられ、市内中心地域すべてに学校が作られることになったのです。具体的には、当時の住民自治組織であった番組(ばんぐみ)単位で学校を作るというもので、その数は上京(かみぎょう)・下京(しもぎょう)あわせて66校の設置が計画され、その設計図のモデルも示されました。また、資金に関しては京都府から相当の額が各番組に支給・無利子融資されましたが、それだけでは足りず、番組内で寄付金を募る形で集められました。金額は番組によって異なりますが、おおよそ半分の額は各番組で独自に調達せざるを得なかったようです。そして、資金調達が簡単ではない2つの番組が共同で学校を建てることも認められ、結果的には、翌1870年(明治2年)末までに、計画された全地域を網羅して、64校が開校したのです。これを「番組小学校」と呼んでいます。計画からわずか2年で、すべての番組で資金を集め、用地を確保し、教員を集め、校舎建設を行ったのですから、たいしたものです。(用地や教員の確保は、各番組が担いました。)ちなみに、私の卒業した小学校は、この年の12月22日、年末ギリギリに、しんがりの64番目の番組小学校として開校しています。

なぜ、こんな大事業が行われたのか、というと、まず、すべての子ども達が等しく教育を受けられる体制を整え、それを京都という町の新たな発展の礎にしようとした、ということになります。とはいえ、はじめからすべての番組で賛成が得られたわけではありません。とにかく大きな資金が必要な事業で、住民からの寄付を募ることによって何とか成立するような状態でしたから、「そんなものを建てるより、商売の援助を優先すべきだ」という声は、当初相当根強かったようです。そこで、学校にコミュニティ・センター的な役割を持たせたり、火の見やぐらを設置したりして、「地域のために幅広く役に立つものだ」という意識を植え付けさせていき、なんとか賛成・推進へと方向転換させていったようです。

学校の建設や運営は各番組にとって、経済面だけではなく、さまざまな面で相当の負担であったことはたしかです。しかし、京都市京都府が資金を出すこと以外の援助をしなかったことから、逆に、自分たちの望むような形でこれを運営していくことが可能になったのです。つまり、行政に下手な口出しをさせない、ということですね。例えば、子供たちに教える教科については、現在でいうところの国語と算数が基本となることはすべての学校に共通していましたが、その他、各地域の特性(商業地域か、職人の多い町か、それとも住宅地か、等)に合わせて、さまざまな特色のある科目が設定されたようです。

こうして、行政側と各番組が時に協力し合ったり、時に反目しあったりしてできあがった学校の体制ですが、なんといっても特徴的なのが、街を活性化するための教育の基本として、まず初等教育に手をつけたことです。前々回の投稿で大学のことについて書きましたし、日本の文部行政はどうしても高等教育に大きな力を注ぐ方向で動く傾向がありますが、本当の基礎はすべての子どもが受けることのできる初等教育にこそあるのだ、ということを当時の人々は、さまざまな議論や実践を通じて認識していったのです。番組小学校がスタートした当初、これに通う子供は該当する子供の20%程度だったのですが、それから10年も経たないうちに、就学率が50%に達し、せっかく作った校舎が手狭になってしまって、改修・移転を迫られることになったところもかなりあったそうですから、人々の認識がそれだけ広がったと言って良いのでしょう。

もちろん、これは実際に行われた教育が質の高いものであったということがうかがえる話でもあるのですが、翻って、現代における初等教育の今後の方向性と社会全体における位置づけを考えるうえでも、大いに参考にできることではないか、と思うのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常171 2類か?5類か?

こんにちは。

 

大変強い寒波がやってきているようで、北日本だけでなく、日本中で降雪の予報が出ていますね。気温もかなり低くなることが予想されています。気象庁は「10年に一度の・・・」と警戒を呼び掛けていますが、個人的には5年前、2018年の大雪が強く印象に残っています。下の写真はその時の、私が勤務していた大学のキャンパスの様子です。今見ても、凄まじいですね。よくこんなところに通勤していたものです。当時、ちょうど試験期間中だったのですが、さすがに大学側はすべての授業・試験を行わないことにしたものです。

雪に覆われた大学キャンパス


私はマンション暮らしで、自動車は持っていなかったのですが、一軒家住まいで自動車通勤している人は大変です。朝起きると、天気が悪くなければ、まず屋根の雪下ろしです。それが終わると通勤したいところですが、駐車場も雪に埋まっていますので、公道に出るまでの通路を確保するため、またもや雪かきです。やっとの思いでそれが終わって、渋滞でまったく前に進まない道をノロノロと会社に向かうと、今度は会社の駐車場の雪かきが待っています。大体これだけで昼過ぎまでかかってしまうのですが、こんな日に来客はあるはずありませんので、午後はぐったりとしたまま過ごします。そして夕方になるとまたノロノロと帰宅することになります。そんな合間にもどんどん雪は容赦なく降り積もったりするわけです。北国の労働生産性が低いとしたら、こんなこともひとつの要因かもしれません。

北海道や東北、北陸にお住いの知り合いの方がいらっしゃれば、お見舞いの言葉をおくるだけでなく、シップ薬と簡単に用意できる食品でも送ってあげてください。(笑)もっとも、高速道路や国道が閉鎖されていて、宅配便はなかなか届かないかもしれませんが。

 

さて、岸田首相は先日、新型コロナ・ウイルスによる感染症感染症法上の位置づけをこれまでの2類相当から季節性インフルエンザと同じ5類に引き下げる方向で検討を進めることを表明しました。移行時期は4月または5月になるそうです。政府のコロナ対策はこれによって大きな方向転換となるのでしょうか。また、私達の生活はどのように変化するのでしょうか。

 現行の感染症法では、下の表のような分類が行われています。これを見ると、これまでの2類相当というのは、結核等と同等の扱いで、その危険性がかなり重大視されていたことが改めてよくわかります。

厚生労働省の資料より

 

ただ、2類「相当」となっているのには意味があります。下の表は、現在の措置を日本経済新聞がまとめたものですが、「外出自粛要請」「健康状態の報告」「無症状への適用」に関しては法的措置である2類よりも厳しい措置が取られてきたのです。それだけ、このウイルスの脅威がすさまじかったことを示しています。未知のウイルスだったため、止むを得なかったとは思いますが、感染症が広がりつつあった3年前のゴールデン・ウイークの閑散とした雰囲気は、ちょっと異様な感じがしたものです。

日本経済新聞によるまとめ


それだけ厳しい措置を取っても、感染症はやはり拡大してしまい、現状で第8波にまで至っています。ただ、ワクチンの開発は進み、新薬も間もなく実用・普及する段階にまで来ている現在、これをそのままにしておくことはあまり意味がないことなのかもしれません。

しかし、5類になったと仮定して、この表に当てはめると、就業制限はできなくなり、医療費の公的負担もなくなります。これが、私達の生活に新たに大きな負担となることは間違いありません。5類に引き下げるということは、少し荒っぽく言えば、政府としては「調査を行い、その結果を公表だけで、現場で行われる患者への治療やその生活には関知しない」ということなのです。たしかに、例えば現在無料で行われているワクチン接種をいつまで公的な負担で行い続けるのか、というと「そろそろ止め時かな」と感じないでもありません。費用面での負担はもちろんですが、集団接種のための会場・人員確保は相当の負担になっているはずです。こんなことを延々と続けられるのか?という疑問が出てくるのは当然でしょう。

ただ、ウイルスがどんどん変異する中で、私達への感染リスクが減ったわけではありません。また、高齢者や免疫力が低下している人が感染・重篤化してしまう危険性は、これまでと何ら変わっていません。ですから、医療関係者の間でも歓迎する声がある一方で、不安や懸念の表明が相次いでいる状況なのです。

私たちは、今後どのように「withコロナ」の社会で暮らしていけばよいのでしょうか。結局のところ、これまでよりもさらに冷静かつ慎重な自己判断が求められるということに尽きると思います。マスクの脱着にしても自分で判断するしかなくなるのです。

ただ、医療機関の体制がきちんと保たれるかどうかは、私自身も非常に不安を感じています。もちろん「やってみないと、どうなるかわからない」こともあるでしょうが、人の生死にかかわることである以上、少しでも医療体制逼迫の兆候が見られれば、素早い対応ができるように、警戒態勢を解かないでもらいたいものです。また、就業制限については、勤務先によってあまりにも対応が異なってしまうことは問題です。これは季節性インフルエンザについても同様なのですが、「熱がたいして上がっていないのなら、甘えていずに、出社してこい」などと乱暴なことをいう事業所が出てこないように、ある程度の規制はかけてもらいたいものです。

この問題はもう少し議論が深まってから実際の対応が決まるでしょうから、その経過を注意深く見守っていきたいですね。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常170 今さら考える「大学の役割」

こんにちは。

 

今回はまず前回の補足から。

前回の投稿の中で神戸市長田の震災復興が思うような形で進んでいないという主旨のことを書きました。しかし、これはこの地区がさびれてしまったという意味ではありません。大きな災害があったにもかかわらず元気に営業している店はたくさんありますし、新たにこの地区に移り住んできた方も少なからずいらっしゃるようです。商店街も、以前ほどではないにせよ、少しずつ活気は戻っています。ただ、行政主導で「再開発」されたビルは地元でもあまり人気がないようです。もともと小さな工場や商店が良い意味でごちゃごちゃと密集していたが故にあった賑わいは、そこには見られなくなっています。この地区の復興計画は震災後わずか2か月の間に大枠が作成されたそうです。そこには神戸市の多大な努力があったことは間違いありませんが、復興を急ぐことと地域住民がそれに納得あるいは満足し、本当の意味での活気が街に戻ることとの両立がいかに難しいのかを、この事例は物語っているのです。

 

さて、今回は前々回からの流れで、大学というものに焦点を当てたいと思います。

日本において、学生たちは何を求めて大学に入学してくるのでしょうか。建前を書けば、高校までに学んだことの中で自分が興味を持ったことをさらに深めていく、ということになるのでしょうが、残念ながら、そんな純粋な志をもっている学生の数はそんなに多くありません。学部や専門分野によっても異なりますが、まず自分は理系タイプか文系タイプか(というより、はっきり言ってしまえば数学が比較的得意か、それとも苦手か)を見定めたうえで、それぞれの中で、自分が模擬試験で得た偏差値等を参考にして、進学する大学や学部を決めていく、というのが一般的なようです。もちろん、そこに家庭の事情や経済的事情が加わることは言うまでもありません。(ただし、医学系や教員養成系、実技系や芸術系の学部は初めから将来進むべき道を見定めている学生の方が圧倒的に多いはずです。また、最近増えてきた文理融合タイプの学部の場合も、特定の目的意識をもって入学してくる学生が少なくないのだろうと思います。) つまり、大学とは文字通り最高レベルの研究を行い、それを教育する場であり、学生はそれを修得することこそが本来の目的であるはずなのですが、そういった目的は副次的なものとなり、履歴書的な意味での自分のキャリを積み重ねる手段として捉えられているのです。だからこそ、大学卒業後の進路、すなわち就職についても「就職に有利な大学」とか「多くの会社社長や官僚を輩出している大学」などが注目を集めたりするのです。

教育基本法では「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探求して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する」ものと規定されています。しかし、たいていの人はこれが形式的な定義づけに過ぎないと思っているのではないでしょうか。そして、このようなギャップが、日本における大学の役割を曖昧なものにしているひとつの要因なのです。

 しかし、現実と建前のギャップは大学そして大学教員側にもあります。

大学の教員は、ほとんどの場合、研究者になることを目指して大学院等で勉強を続け、その成果を評価されて、現在のポストを得た人達です。実務経験を持っている人が大学教員になる場合も、たいていの場合は、自分の実務経験を理論的・学問的に整理し、これを精緻化しようとすることが大きな目標だろうと思います。つまり、ざっくり言ってしまえば、ほとんどの大学教員はあくまで研究者志向であって、初めから教育者志向を持っている人は珍しいのです。

しかしいったん大学教員としてのポストを得たならば、そこで要求されるのは研究と同等の、あるいはそれ以上のウエイトを持って、学生の教育・指導に力を注ぐことなのです。また最近は、自身の知見・経験を活かした様々な積極的な社会貢献・地域貢献も必須となっています。彼らが仕事に費やす時間の多くは教育や社会貢献のためのものとなっており、もっともやりたかったはずの研究活動は、その時間の隙間を見つけて行っている、という場合も珍しくないのです。そして、教育活動等が「自分の性に合っている」と感じることのできた人はまだ幸せなのですが、より強い研究職志向の人の中には「学生の相手は苦手だ」と明言する人も少なからずいるのが現状です。もちろん、学生の前で面と向かってそんなことを言う人は少ないと思いますが、教員同士の何気ない会話の中でそんなことをふと漏らす人には、私も出会ったことが一度や二度ではありません。

私の場合は、幸いにも授業やその準備、そして学生指導といった仕事は、とくにストレスを感じるものではありませんでした。授業の計画を立てるのは楽しい作業でしたし、授業そのものは自分の個性や考えを表現する良い機会でした。また、学生との対話の中では、自分が考えもしなかった新たな発見もしばしばありました。しかしこれは結果論であって、正直なところ「この仕事が性に合っているかどうかは、経験してみないとわからない」のです。このギャップに苦しんでいる人は、けっこう多いかもしれない、と感じています。

この件に関しては、私自身が長年現場にいたので、まだまだ書きたいことはあるのですが、あまり長くなりすぎてもいけませんので、さしあたって、どのような方向に問題解決の糸口を見出せばよいのか、ということを自分なりに整理しておきます。

ひとつは、研究志向大学と教育志向大学をはっきりと区分することです。さらに、研究志向といっても、世界のトップを狙うような先端的研究志向と、もっと地味な基礎的研究、あるいは地域に根差した研究に特化する大学など、いくつかに分類する必要があります。また、教育志向といっても、どのような学生を対象にするのか(例えば、世界を飛び回るようなビジネスマン等の養成か、地域密着型の仕事をしようとする人の養成か、あるいは起業家養成か、留学生教育主体かなど)によって、大学の機能は大きく変わってくるはずです。

第二に、上に書いたような分類を行っても、そこに序列づけ、ランク付けを行わないことです。これは、行政、大学関係者、学生や受験生、そしてそれ以外の方すべてに必要な意識改革であり、制度改革です。先にも書きましたように、教員の多くは研究職志向ですから、どうしても研究志向大学の方が上になると思ってしまいがちです。また、当事者だけでなく、世間の見る目も、そのような傾向が強いことは否定できないでしょう。政府の予算配分等においても同様のことが起きています。例えば、文部科学省は今年秋に向けて「国際卓越研究大学」を指定する予定です。そのこと自体はけっこうなことなのですが、これに選ばれた大学にはかなり多額の財政支援が見込まれており、その割を食って配分される予算(国公立大学の場合は運営費交付金など、私学の場合は私学助成金)が減額されてしまう大学が出てくることが懸念されます。「富める大学」と「貧しい大学」の格差はますます広がってしまうかもしれないのです。さらに言うならば、選ばれた大学の中でも、財政的に潤うのはおそらく特定の研究プロジェクト等だけであり、大学内格差も広がってしまう可能性はおおいにあると思います。

お金の問題だけでしたらまだ良いのですが、上に書いたようなランク付けがよりはっきりしてしまい、各大学はそれぞれの個性を打ち出してアピールすることが難しくなってしまうならば、大きな問題です。そのようなことが起きないようにするために、大学の価値や役割をひとつの物差しだけで測ることがないようにする必要があるのです。

地方の比較的新しい私立大学の中には、独自のカラーを打ち出して全国的な知名度を上げているところもあります。例えば「入学時の偏差値が低くても全員が良い就職ができるような教育を徹底する」ことをうたい文句にする金沢工業大学、徹底した英語教育で注目される秋田の国際教養大学などは良い例でしょう。先端的研究ばかりに目を向けるのではなく、こうした取組こそがもっと評価され、他大学に波及していくべきなのです。

まったくの個人的な意見ですが、上に書いたふたつの条件がそろえば、日本における大学というものの役割、位置づけは現在よりかなりはっきりしたものになり、社会も大学に何を期待すればよいのか、明確になってくるだろうと思うのです。ただ、それにはおそらくかなり長い年月が必要でしょう。しかし、今世紀後半にでもそんな社会になれば、日本社会を取り巻く閉塞感そのものも少しは解消されるのではないでしょうか。それぐらい、教育をめぐる問題が社会に及ぼす影響は大きいのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常169 震災から28年経って・・・

こんにちは。

 

前回の投稿の冒頭部分で触れた高橋幸宏さんについてですが、その後の報道によると、死因は誤嚥性肺炎だったようですね。これは、食べ物や飲み物、唾液などが誤って気道内に入ってしまうことから発症する肺炎であることはよく知られています。気道に異物が入ってむせることがあっても、ある程度の体力があれば、大事には至らないことが多いのですが、高齢になり、飲み込みに関する機能が低下(嚥下障害)すると、こうした異物とともに細菌等が入り込み、肺炎が誘発されてしまうのです。日本では毎年4万人程度の方がこれによって亡くなられており、死亡原因としては第6位に位置づけられています。また、70歳以上の肺炎患者のうち、誤嚥性肺炎の患者はなんと70%にものぼるそうで、私たちにとっては、かなり身近な病気のひとつということになります。実際、私の知人にもこれが原因で亡くなられた方が何人かいらっしゃいます。

ただ、高橋幸宏さんの場合はまだ70歳で、これが原因で亡くなる方としてはかなり若い方だと思います。つまり、それまでの病気によって、かなり体力が弱っていたからこそ発症しやすかったのでしょう。残念なことです。

飲食の際にむせてしまうことがよくある方(私もその一人です)、気をつけましょう。予防策としてすぐに実践できることは、ゆっくり少しずつ飲み食べする、ということぐらいでしょうか。

 

さて、今回は前回のテーマから引き続いて、大学というものに焦点をあてるつもりだったのですが、1月17日が阪神・淡路大震災からちょうど28年になることを思い出して、急きょ、内容を変更することにしました。

あれから28年もの年月が経ち、今の30歳以下のほとんどの方が直接経験していない「歴史上の出来事」になってしまいましたが、私自身は、あの日のことはよく覚えています。当時は関西には住んではいなかったのですが、両親をはじめ、知人・友人の多くは関西地区在住でしたので、その安否情報にやきもきしたものです。とくに地震発生から数時間は電話がまったく通じなかったために、不安な気持ちを抱えたまま、仕事に向かったものです。ただ、関西地区内同士および他地域から関西への電話は通じなかったものの、関西から他地域への電話はなんとか通じましたので、徐々に連絡が取れるようになり、一息ついたものです。ただ、あの時のショックは忘れることができません。そして、まさかその16年後にこれを上回る被害の出る地震が発生するなどとは夢にも思っていなかったものです。

この震災での死者数は約6500人ですから、2011年に起きた東日本大震災に比べれば少ないと言えるのかもしれません。ただ、神戸という大都市やその近郊の人口密集地を襲ったことで、その後、都市直下型地震への備えに大きな影響を及ぼしたことは事実です。私たちが持つ「都市での生活=安全」というぼんやりしたイメージを、自然の脅威はあっさりと破壊していったのです。

 

ただ、気をつけなくてはならないのは「地震」と「震災」は異なるということです。明治から大正期、そして第二次大戦終戦直後まで活躍した地震学者、今村明恒氏は「地震は人の手で防ぐことはできないけれど、震災はある程度防ぐことができる」と言ったそうです。この方、1923年の関東大震災発生を予言的中させたことで有名になったのですが、地震予知云々よりも大事なのが、亡くなる少し前まで「地震への備え」を説いて全国を回っていたということです。いくら予知ができたとしても、地震発生の正確な日時まで特定することはおそらく不可能ですから、それよりも「防災」に力を入れることこそ、地震大国である日本列島に住み続ける人間ができる、そしてしなければならないことだ、というのが氏の強い思いだったのです。

 

現在、日本の建築物の耐震化率は、全国平均で約90%となっており、この20年間でかなり改善されてきたようです。下のグラフにあげたのは住宅用建物についてですが、公共的な建物に関してはこれよりも高い数値になっているようです。これは行政側の努力の賜物といえるでしょう。

住宅用建物の耐震化率(2018年) 国土交通省の調査より


ただ、それでもこの数字の裏を返せば、10軒うち1軒は耐震化が終わっていないということです。そして言うまでもないことですが、襲ってくる地震が想定を上回るものであったなら、耐震化を施した建物であっても安全とは限りません。つまり、私達としては、建物の頑丈さに100%の信頼を置いてしまうのではなく、万が一に備えて、きめ細かな対策を日頃から考えておくこと、ということになるでしょう。

 

もう一点、考えておかねばならないのが震災からの復興に関してです。

これも、被災者へのケアからインフラの復旧、直後に必要な短期的対応から街そのものを再建するための長期的復興策に至るまで、多様な観点が必要ですが、ここでは、神戸での経験から学ぶべきことを一点だけ紹介しておきます。

神戸市の中心よりも少し西に長田という地区があります。ここはいわゆる下町的な雰囲気の漂う街で、地震の前は「人情あふれる町」として賑わいを見せていました。しかし古くからの木造住宅が多かったこともあり、地震後は一帯が焼け野が原のようになってしまったところもあったのです。この街を復興させるために行政が立てた計画は、「市街地の復興と防災公園などを中心とした防災拠点の構築、良質な住宅の供給、地域の活性化や都心拠点にふさわしい都市機能の整備」を見据えた大変立派なものでした。(神戸市のホームページより)しかしそれは地元の住民からは、安全性は格段に高まるものの、それまでの長田の魅力であった泥臭さ、昔ながらの雰囲気、そして地域内のコミュニティを壊してしまうもの、というように見えてしまったのです。その結果、立派なビルは立ち並びましたが、町の賑わいはあまり戻らず、店舗・住宅用スペースの約半分が売れ残ったままになっています。そして神戸市自身も300億円以上の赤字を抱え込んでしまっているのです。

復興は早く行わなければなりません。そして安全性を重視した街づくりも重要なポイントです。しかし、それだけで魅力的な町ができるとは限りません。何よりも、それまでそこに住んでいた人々の考えや思い、そして知恵が反映されたものでなければ、元のような活気を取り戻すことはできないのです。長田地区の再復興については、地元の方々や有識者も交えて、今も試行錯誤が続いていますが、今後起きるであろう都市災害の際の教訓として、神戸の経験はさまざまなことを教えてくれているように思うのです。

 

改めて、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常168 共通テストは大変だ

こんにちは。

 

前回の投稿で、坂本龍一さんの最新の演奏について触れましたが、その坂本さんと一緒にYMOイエロー・マジック・オーケストラ)で活躍していた高橋幸宏さんが亡くなりました。享年70歳。(坂本さんと同い年です) 2年ほど前に脳腫瘍と診断され、その後手術、治療、リハビリなどを繰り返していたものの、結局根本的には健康状態が回復しないままでした。直接の死因は明らかにされていませんが、最近は肺炎を患っていたそうです。

私が高橋さんを知ったのは、YMOよりもっと前、1970年代に加藤和彦さんが率いるサディスティック・ミカ・バンドという先鋭的でありながらとてもお洒落な雰囲気のあるバンドでドラムを演奏していた頃です。その後、どんどん活躍の場を広げていった高橋さんの熱心なリスナーではなかったものの、時々流れてくる、機械のように正確なリズムを刻むことができるのに、どこかに人間臭さを感じさせるドラミングと、決して表現力があるわけではないものの、独特の少し喉にひっかかるような歌声には、耳を奪われたものです。ご本人は復活をめざしておられたようなのですが、結局それがかなわなかったことは大変残念でなりません。

高橋幸宏さんのご冥福をお祈りします。

 

さて、気を取り直して今回の本題です。

昨日と今日、(1月14日、15日)は、大学入学共通テストが行われました。この後、各大学による二次試験等がありますから、受験生にとっては、まだまだひと安心という段階ではありませんが、それでも、ご家族も含めて、少しホッとしている方も多いでしょうね。

入試は、受験生にとって厳しい関門であることは言うまでもありませんが、これを実施する側にとっても、大変な緊張感を強いられるものです。毎年のこととはいえ、気の休まらない2日間と言うことになります。とくに、昨年の入試では、傷害事件やスマホを利用したカンニングが発生してしまったので、万が一に備える対策がさらに強化されて、関係者はおそらく準備が大変だっただろうと思います。また、受験生の体調不良に備えて、インフルエンザを発症した受験生、ノロ・ウイルスにやられた受験生に対しては以前から別室受験を行っていたのですが、近年はコロナ対策もありますので、それへの備えも欠かせません。それぞれの症状に応じて、別の部屋を用意しなければなりませんし、その部屋では、たとえ受験生が1人だけでも、試験監督は最低2名が配置されることになっていますので、場合によっては、予定よりも相当多数の部屋と人員を用意しなければならないのです。また、さまざまな突発的事態に備えて、入試にかかわる事務職員と試験監督(教員)は受験生が来るよりもかなり早い時間帯に出勤しなければなりませんし、大雪の降るような地域だと、それにも配慮しなければなりません。最悪の場合、前日から泊まり込んで備える職員の方もいるのです。

試験監督も楽な仕事ではありません。事前に分厚いマニュアルを渡されていて、全国すべての試験会場、すべての試験室で、同じ条件で試験が行われるように、受験生への指示のセリフも細かく決められていて、基本的には、これを逸脱することは認められません。試験中は、不正行為が行われないように注意を払い続ける他、部屋の温度や採光に問題がないかどうかという点にも配慮します。英語のリスニングの試験時間は、機械の故障等の事態にも備えなくてはならず、すべてが終了するまで、相当の緊張感の持続が強いられるのです。それでも不測の事態は色々と起きてしまいますので、マニュアルは年々分厚くなってしまっている始末です。(軽い打ち合わせのため、監督同士が小声で話をしたことについて、後日、受験生から「うるさかった」と苦情が寄せられたこともあるそうです。)

問題作成についても、色々と苦労が多いようです。共通テスト(旧、センター入試)の問題作作成は全国の大学教員から独立行政法人大学入試センターが依頼して、実際の試験実施の約2年前から1ヶ月に1度ぐらいのペースで集まって、次第に問題を練り上げていく、という作業を行っています。問題作成にあたる教員は毎年約400名にのぼるそうです。また、一度選ばれてしまうと、自分で後任者を見つけるまで辞めることができない、という噂もあります。(これはあくまで噂です。)問題は高校の学習指導要領に沿ったものでなくてはなりませんし、当然ながらミスは許されません。当日まで問題が漏洩することなど、絶対にあってはならないことですので、すべての会議は東京の大学入試センター内部で行われますが、そうすると、首都圏以外に住んでいる方にとっては、そのたびに出張となり、その負担も小さくありません。また、昨年からは、高校での教科指導に経験があり、教育委員会で行政経験も積んだ方々が「試験問題調査官」として任命されて、問題の適切性について審査を行うようになりましたので、その対応も必要になっているでしょう。私は経験したことがなかったのですが、こうやって書いていても、「大変な仕事だろうなあ」と思わざるを得ません。

これだけ注目度が高く、試験を実施する方も、受験生やそのご家族も大変な思いをさせられる共通テストですが、それが毎年色々と問題を指摘されながらも多額の国費を使って実施され続けているのは、あたり前の話ですが、大学へ入学する(入学を許可する)ためです。つまり、試験はゴールではなく、大学で学ぶための出発点に過ぎません。それでは、これを無事クリアして、入学した大学ではどのような勉強、あるいは生活が待っているのでしょうか。さらに言えば、大学は社会に対して、学生に対して、どんな役割を担っているのでしょうか。

なかなか難しく、さまざまな議論のあるテーマですが、次回は、少しだけこのことについて考えていきたいと思います。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常167 三井寺と坂本龍一

こんにちは。

 

正月明け、コロナ・ウイルスによる感染症に罹患する人が急激に多くなっていますね。現在のシステムだと、正確な患者数はわからないのですが、死亡する方が大幅に増えているところを見ると、病院に行っていない方、報告されていない事例が相当あり、実際の患者数は発表されている数よりもかなり多いのではないかと思われます。巷では、中国での爆発的感染拡大に対応して、何とかこれを水際で押しとどめようとする動きについて、各国の政治的思惑も含めて、色々とコメントされていますが、中国のことを「対岸の火事」とは思わず、現在の「行動制限のない状況」の中でも気を付けなければならないことについて、改めて認識する必要があると思います。これを読んでいただいている方、くれぐれもご自愛ください。

 

ところで、前回の投稿で滋賀県大津市にある三輪神社のウサギの写真をご紹介しましたね。ここはあまり有名な神社とは言えず、境内もこじんまりとしているのですが、実は、有名な三井寺のすぐそば(というか敷地内?)にあり、同寺院の守護社として位置づけられている神社です。ここを訪れたのは1月4日でしたが、「せっかく来たのだから」ということで、三井寺(正式名称は天台寺門宗総本山 長等山園城寺)にもお参りしてきました。

ここは大変広大な境内を有しており、貴重な仏像も多く収められているのですが、なんといっても有名なのは、高さ155cm、口径124.8cm、重さ2250kgの巨大な梵鐘です。その重厚で美しい音色から「三井の晩鐘」と呼ばれ、江戸時代から「近江八景」のひとつとして地元で愛されてきたもので、国の重要文化財に指定されている貴重なものなのです。ところが、冥加料800円を納めれば、誰でもこの鐘を撞くことができるのです。

私は撞かなかった(別に800円がもったいなかったわけではありません 笑)のですが、けっこう頻繁にトライしている方がいらっしゃったおかげで、何回かその音色を聴くことができました。そして、それが噂に違わぬ素晴らしいものであることを実感した次第です。かなり大きな鐘ですので、相当の重低音だろうということは予想できたのですが、何よりも驚いたのは、響きの分厚さです。音は周囲の空気全体を震わせるような響き方で、10秒以上、いや、もっと長く鳴り続けます。その空気の振動がこちらの肌にも伝わってくる感覚は、どのような言葉で説明してもちゃんと伝わらないと思いますので、これ以上言葉を重ねることは止めておきますが、とにかく視覚、聴覚だけでなく、触覚でその存在の大きさを実感することのできるものでした。(私は実際に触れてはいませんが、空気の振動を感じたことにより、触れたのと同じような気持ちになれたと思っています。)

 

少し話は変わるのですが、先日テレビで坂本龍一さんが昨年12月にスタジオで録音したピアノ・ソロをテレビで見ることができました。坂本さんはこの数年間がんのステージ4と診断され、かなり壮絶な療養生活を送っておられます。今回の演奏も「こんな形での演奏はもう最後になるかもしれない」「体力が落ちているから、1回に数曲しか演奏できない」と述べていましたが、そんな中で作った新しい曲に加え、古い曲(YMOの代表曲であるTong Poo=東風、映画音楽として有名になったMerry Christmas, Mr. Lawrence=戦場のメリー・クリスマスなど)を新たにピアノ・ソロ用に編曲したものも披露していました。

彼はあくまで作曲家であり、ピアニストではありません。「自分の表現手段としてもっとも得意なのがピアノだから、これを弾いているだけです。ピアニストとしての技量はひどいものですよ。」と自嘲していましたが、実際の演奏は、そこいらのピアニストはほとんど裸足で逃げ出すに違いない、と思われるような中身の濃いものでした。指が速く動くわけではありませんし、すぐれたピアニストが持っているような多彩な音色で曲を聴かせるわけでもありません。ただ、一音一音を丁寧に、慈しむように弾いている姿がとても印象的だったのです。そして、「なるほどなあ」と思ったのが、「響きを大切にするために、ゆっくりしたスピードで弾いている」というコメントです。彼は、自分の出した音の響きをしっかりと確かめながら、演奏を進めていたのです。だからこそ、味わい深い、坂本龍一という人間の内面を吐露するかのような演奏に聴こえたのでしょう。

 

ここで話は三井寺での経験とつながってきます。

考えてみると、コンピュータやシンセシザーで作られた電子音がまん延している今、ナマ音の響きをこんなに感じる体験ができたのは久しぶりだったような気がします。「響き」とは簡単に言ってしまえば、音の広がりのことだと思うのですが、広がりながらも徐々にはかなくも減衰していくからこそ、音の響きというものに深淵な気持ちを抱くことができるのかもしれません。それは自然の波長が作り出すものであって、人の手によって音響工学的に作り出すことは、おそらく不可能に近いのではないでしょうか。坂本さんはYMOをはじめとするシンセサイザー演奏を極めたキャリアを持っているからこそ、今のような境地に達したのかもしれません。

耳をそばだてて、自然の音をキャッチし、それを体に染み込ませる。そんな経験を大切にしていきたいものです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常166 「日常」の大切さ

こんにちは。

 

正月モードもそろそろ終わり、日常が戻ってきた感のある今日この頃です。

実は、個人的には、無事年を越すことができたなあ、と実感するのはこの時期なのです。正月はどうしても色々と行事があったり、朝からおせち料理を食べたりして、普段とは異なる暮らしをすることになるのですが、それが落ち着き、いつも通りの生活が戻ってきたからこそ、感じることなのかもしれません。

そんななかでふと思い出すのが、今から8年半前、長期入院の間に出会った人々のことです。

私は基本的にはほとんど4人部屋で過ごしていましたので、入院している間には、ずいぶん様々な患者さんが出入りしていきました。そんな中には、印象に残っている方も少なくないのです。

<早く退院しないと・・・友達が待っているんだよね」とニコニコ話しておられた方は、無事日常生活に戻れたのだろうか。あの人、毎朝周りに気を遣いながら、軽く体操していたなあ>

<「退院しても、自宅でも一人なので、ずっとここにいたい。」と言いながら、毎日イヤホンでテレビばかり見ていたあの人はどうしているのだろうか>

<甘いものが好きで、いつもキャラメルを隠れて食べては、看護師さんに「糖尿病なのに・・」と怒られていた人もいたなあ。あの人は本が好きで、よく書店に直接電話で注文していたっけ>

<従業員5人の小さな会社だけど、俺がいないと仕事が回らないんだ」と言っていたミニコミ誌の編集者は、病院中のパンフレットを集めては眺めていたなあ。やっぱり職業柄デザインとか誌面配置とか、気になったんだろうな>

<がんがかなり進行してしまったあの高齢の人は、終末医療専門の病院に転院していったけれど、その後どうしただろうか>

<19歳で大学に入学して間もないのに、脳腫瘍に罹患してしまい、苦しい闘病生活を強いられ、結局ご両親に連れられて、実家のある新潟の病院に転院していった若者は、今はどうしているのだろうか。病院側は、転院のための長時間ドライブもあまり勧めていなかったけど・・・>

 

その他にたくさんの人のことを覚えています。もちろん、年齢も、それまでの経歴も、そして現在の病状もそれぞれ異なる人々です。(そんなに詳しく個人的事情を聞いていたわけではありませんが)ただ、ほとんどの人に共通するのは、「こんなはずじゃなかった」「なぜ自分はこんなところにいるんだろう」という思いだったような気がします。それは私自身も含めてのことです。

たいていの場合、入院というものはある日突然日常生活から切り離されることを意味しています。よく「治療に専念して・・・」という言葉を聞きますが、実際のところ、検査等で多くの時間を取られるのは入院初期だけで、治療方針が固まり、とりあえず容態が安定してくれば、基本的には一日のほとんどが暇を持て余す時間になってしまいます。そんななかで、人はどうしても色々とネガティブなことを考えてしまいます。それと同時に、当たり前の日常生活がいかにありがたいものであったのかを実感することになるのです。

そう、正月のこの時期にこんなことを思い出すのも、「日常」というものと関連があるのかもしれませんね。

 

私たちは、日常生活を何気なく送っています。しかし、本当の幸せはそんなところにこそあるのかもしれません。人生全体の計画をたてたところで、そんなに思い通りの人生を送れる人など、ほとんどいないはずです。むしろ、たびたび起こる偶然の出会いや、岐路に立った時、どちらかを選択しなければならないことに感謝し、その一瞬一瞬に喜びや充実感を見出せるようになりたいものです。きっと、そのほうが、トータルで見た時、悔いのない人生を送れるような気がします。

以前にも少し紹介しましたが、アメリカのキャリア研究者であるクランボルツ氏は「プランド・ハップンスタンス」という理論を提唱しています。カタカナで書くとなんのことだかわかりにくいですが、planned happenstanceつまり「計画された偶発性」ということで、簡単に要約すれば、個人のキャリアの8割は予想できない偶然の出来事によって形成されているのだが、それをキャリアップにつなげられるかどうかはそれぞれの努力次第であり、また日頃からの準備・心がけ次第である、というものです。少し似た言葉として、日本では昔から歌舞伎役者の世界には「銭は舞台に落ちている」、野球選手の世界では「銭はグラウンドに落ちている」というのがあります。これは別にキャリアや職業にだけ関連することではありません。結局、毎日を丁寧に生きていくことこそが、人生を充実させることになるのだ、ということでしょうね。

今回は、年の初めらしく、少し「これからの生き方」について考えてみました。

 

今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

滋賀県大津市・三尾神社にて

同上

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常165 2023年新春に思う

明けましておめでとうございます

 

 

2023年が明けました。と言っても、急に何かが変わるわけではありませんが、それでも、年明けというのはそれなりに気持ちが改まるものです。どんな年になることやら、想像もつきませんが、まあ自分のペースを崩さないようにやっていきたいと思っています。

ただそれは、同じことの繰り返しの日々が待っているという意味ではありません。どんな日常生活にも少しずつ変化はありますし、必ず 新たな出会いがあるはずです。それは、人との出会いとは限りません。本、映画、音楽、あるいはアート・・・それらとの新たな出会いは、きっと私達の生活に刺激と潤いを与えてくれるはずです。それらのひとつひとつに感謝しながら、丁寧に日々の暮らしを送っていきたいものです。

 

今年は卯年ということで、ウラギが祭られている神社はどこも参拝客で長蛇の行列ができているようです。そのことを見越して、私は年末のある日、京都市左京区にある岡崎神社にお参りをしてきました。その時の写真は、前回の投稿で添付しましたが、その他にも、狛犬ならぬ狛ウサギがいたりして、インスタ映えするスポットとなっていました。ただ、ここにいる多くのウサギ達、見たところ比較的新しいものが多く、最近になって参拝客集めに力を入れた結果なのかなあ、と邪推してしまいました。

十二支の動物たちにはそれぞれ意味があるそうですが、卯には「飛躍」への願いが込められているそうです。また、卯の方向とは真東を指します。さらに、卯の刻とは午前6時頃のことだそうで、別名「日出(にっしゅつ)」と言うそうです。

こうしてみると、全部とても前向きのイメージですね。ウラギ自体はおとなしい動物ですが、やはりその跳躍力に魅力を感じ、そのイメージを干支としての卯に重ねようとした人が、昔から多くいたということでしょうか。

干支そのものは必ず12年に一度回ってくるものですから、この年だけが特別ということはありませんが、1年経って振り返った時に「卯年らしい一年だったね」と思えるような年になるといいですね。

これを読んでくださっている方々のご多幸をお祈りしています。

そして、これからもよろしくお願いいたします。

1年間ありがとうございました

これから1年、よろしくお願いします

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常164 年末はなんだか慌ただしい

こんにちは。

 

クリスマスも過ぎ、いよいよ今年も押し迫ってきました。この時期になると、毎年なんだかあわただしく感じてしまうのはしょうがないのかもしれませんね。

「今年中にあれをやっておかないと・・・」

「できればあの仕事は年をまたぎたくないなあ」

そんな気持ちになるのは何故でしょうか。別に、年が改まったからと言って、何かが大きく変化するというわけではないのに。

私の父は昔銀行員だったのですが、その頃、各支店や営業部での合言葉は「めざせ、紅白歌合戦」だったそうです。といっても、銀行勤めの皆さんが全員あの番組をどうしても見たかったわけではありません。当時紅白歌合戦は21時から始まっていたのですが、なんとかそれまでにすべての仕事を終わらせよう!というのがこの合言葉の意味するところだったのです。コンピュータによる処理などほとんど普及していなかった頃ですから、銀行窓口は現金取引が中心になり、年末に集金等を終えた業者が銀行に預けに来るため、どうしても店内は紙幣と硬貨がいつもより相当多く積み上げられてしまいます。そして、その総額と帳簿を照合していくのが大変な作業で、1円でも齟齬があれば、その原因が判明するまで、帰宅できなかったのですから、当時の「できるだけ早く帰宅したい」という思いはかなり切実だったでしょう。

実際、父の帰宅が「紅白」を越えて「ゆく年くる年」の頃になったこともあります。以前、「1円ぐらいポケットから出して、間違いがなかったことにしてしまわないの?」と聞いたことがあります。父は苦笑いするだけでしたが・・・

まあ、それは冗談としても、なぜどうしても年末に数字をピタリと合わせなければならないのか、多少は年始に持ち越してもかまわないのではないか、と子供心に思ったものです。

 

結局、年末にあわただしくするのは「正月はゆっくりしたい」と思うからですよね。でも、実際には逆に時間を持て余してしまい、とくに興味のないテレビ番組を何となく見ている、という人が多いような気がします。そして、1月1日の夕方には早くも家でゴロゴロするのに飽きてしまい、外出することになります。しかし、初詣以外にはとくに行きたいところはなく、「そういえばおせち料理以外のものが食べたいなあ」などと思いついて、ラーメン屋やファースト・フードの店を覗く人も少なくないようです。(実際、この日の夕方のラーメン屋は驚くほど混みあっているそうです。)

結局のところ、私達にとって、いつもの日常生活がいちばん居心地が良い、ということの表れかもしれませんね。

なんだか否定的な書き方をしてしまいましたが、正月にゆっくりすること、そのために年末に少しがんばる、ということ自体は悪いことではないと思っています。そうしたことをきっかけに、過ぎ去った一年とこれからの一年に思いを馳せるのはとても大事なことだと思うからです。つまり、そういう「節目」を意識するのは大きな意味があるのです。

私自身は、今年は白内障の手術などがあり、相変わらず健康面ではなかなか絶好調というわけにはいきませんでしたが、それでも何とか平常運転のスタンスで年を越せそうだ、と少しほっとしているところです。

社会を見渡すと、今年は、相変わらずのコロナ禍とロシアによるウクライナ侵攻に明け暮れた一年でしたが、来年は、少しでも明るい光が見える年になるといいですね。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

多分、年内の投稿は今回で最後になります。新年は、新たな気持ちでこのブログを続けていくつもりですので、よろしければ、またおつきあいください。

末筆になりましたが、2023年が皆さんにとって幸多い年となることをお祈りします。

京都・岡崎神社のうさぎ達

 

 

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常163 サンタクロースは今どこに?

こんにちは。

 

クリスマスが間近ですが、日本中天気が荒れ模様で、大変なことになっている地域もありますね。この週末はどうなるのでしょうか。「ホワイト・クリスマス」程度なら良いのですが台風並みの風が吹き荒れる寒波は勘弁してもらいたいものですね。とくに雪の多い地域の方、くれぐれもお気をつけください。

 

ところで、クリスマスと言えばすぐに思い浮かぶのがサンタクロースです。

サンタクロースの起源は、4世紀ころに今のトルコに実在していたニコラウス神父という方だったことは、今や定説になっています。この人は元来大変子供好きで、とくに親のいない子供たちを助ける活動を積極的に行っていたそうです・

ある時、3姉妹のいる大変貧しい家庭が、いよいよ金策に行き詰まり、この姉妹たちを身売りすることになってしまったのですが、ニコラウス神父は、これを助けるために、この家の煙突から3枚の金貨を投げ入れたのです。その金貨は暖炉に置いていた靴下の中に落ち、これによって身売りは避けられた、という逸話(伝説?)が残っていて、これが現在のサンタクロースのイメージの原型になっているのです。その後、この話がヨーロッパじゅうに広がり、その地域の民間信仰・伝承と融合する形で、次第に物語が形作られていったのです。なお、彼の命日である12月6日は聖ニコラウスの日として、今でも各地で祭が開かれているそうです。

多くの山間地域で行われている聖ニコラウス祭では、善の象徴でもあるニコラウスが悪の象徴でもある「クランプス」という怪物を引き連れて、村中を回るのですが、このクランプスが、容姿も役割も日本の「なまはげ」とそっくりで、悪い子供をひどく懲らしめたり、連れ去ってしまったり、という暴れ方をするそうです。子供たちに善と悪をはっきりと教えるという大事な意味を持っているのですが、この衣装が、大人から見てもかなり本気で恐ろしいのです。興味のある人はネットで検索してみてください。色々写真が出てくるはずです。

聖ニコラウスがなぜクリスマスと結びついたのか、そしてフィンランドに住んでいることになったのかについては諸説あるようですが、1927年にフィンランドのラジオ局が冗談で「サンタクロースはコルヴァトゥントゥリ(フインランド・ラップランドの山の名前)に住んでいる」と発表したことがきっかけだとも言われています。

また、太った体に白いひげ、そして赤い服という一般的なサンタクロースのイメージが広がったのは、1931年にアメリカのコカ・コーラ社がプロモーション材料として赤と白を基調としたサンタクロースの絵を使用したことが契機となっているようです。冬にもコーラを飲んでもらうためにかなり強力な販売促進を行ったのですね。ただし、赤い衣装そのものは、聖ニコラウスが儀式で着用していた服に端を発するという説もあります。

このように、少し調べてみるだけでも、サンタクロースにまつわる話はさまざまなヴァリエーションがあり、由来や歴史にも色々な説があるようです。ただ、イメージが定まっているようで、実はよくわからないことが多いからこそ、人々の想像力を掻き立ててくれる、魅力的な存在になっているのかもしれません。

小さいお子さんだったらきっとこんな疑問を持つでしょう。

「サンタさんって本当にいるの?」

「普段は何をしてるの?」

「子供たちにあげるプレゼントはどうやって集めてるの? そのお金はどうしてるの?」

「1日で世界中の子供にプレゼントを渡すなんて無理だよね? だったら、サンタさんは一人じゃなくて、たくさん仲間がいるのかな?」

こういった疑問について、あれこれと妄想をふくらませて、新たな物語を考えていくのも楽しいですよね。

ちなみに、アメリカの航空宇宙防衛司令部(NORAD)は1955年から毎年クリスマスイブに、サンタクロースが今どこの空を飛んでいるのか、レーダー等を使って追跡し、公開するという任務?を果たしています。インターネットで情報は見られるようになっていますし、InstagramなどのSNSを通じて、その動きを知ることもできるそうです。世界情勢が殺伐としているだけに、こうした公的な機関が遊び心を忘れないでいてくれることには、なんどかほっとさせられます。詳しくは、以下のサイトを見てください。

 

 

https://unavailable.jp/norad-tracks-santa-2022/

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

NORADのサンタクロース追跡プロジェクト

 

都ホテルオークラのクリスマス・ツリー

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常162 酒造りの文化

こんにちは。

 

先日、病院の待合室でのことです。看護師さんが年配の患者さんに問診をしている会話が聞こえてきました。

看護師さん「タバコは喫ってます?」

患者さん「いや。もう20年ぐらい前にやめた。」

看護師さん「それはよかったね。じゃあ、お酒は?」

患者さん「毎日ビール3本ぐらいかな。」

看護師さん「えっ、3本? ちょっと飲みすぎかなあ。」

患者さん「だって、美味しいんだもん。」

・・・周囲の人は皆さん苦笑していました。まあ、お酒を美味しく飲めるっていうのは幸せなことですけどね。

 

次の日、京阪電車の特急に乗っていたのですが、私の前の席に初老の紳士が座ったかと思うと、いきなりビールのロング缶を取り出しました。関西在住の方ならご存じだと思いますが、京阪電車の特急は非常に快適な座席で、初めて乗った方は、間違えて有料の車両に乗ってしまったのかと思ってしまうほどの豪華さです。もちろん一部を除いてロング・シートではありません。つまり、JRの特急と遜色ないのです。ただ、それにしても座席でビールを飲む人は見たことがありません。というのも、大阪・京都間は45~50分程度で着いてしまうので、お酒を飲んでゆっくりしているほどの時間はないのです。よほど好きなんだろうなあ、と思っていると、ちょうど中間地点にあたる樟葉(くずは)という駅に着いた頃に飲み干し、間髪入れず、2本目を取り出したのです。これにはさすがに驚きました。45分でロング缶2本、しかも「つまみ」はなし・・・恐れ入ります。この方も、ビールが好きで好きでしょうがないんでしょうね。

 

というわけで、今回は少しお酒(アルコール)の話を。

と書くと、私のことを個人的にご存じの方は「いよいよ来たか」と思われるかもしれません。そう、私はかなり酒が好きで、以前はよく飲んでいたものです。それで身体を壊した、ということはないのですが、大病を患って長期入院して以来、かなり酒量は減ってしまいました。飲むのは1週間に2~3日程度でしょうか。(不思議なもので、入院中はまったく酒を飲みたいとは思わなかったものです。まあ、病室で飲酒したら、即刻強制退院になるらしいですけど。)

個人的なことはともかくとして、日本では、そして世界中で、近年は「酒離れ」の傾向がかなり顕著になってきているようです。とくに若い世代でこの傾向が見られることは、どうやら世界共通のようです。

世界のアルコール消費量の変化

日本における聖人一人当たりのアルコール消費量の変化



また、厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によると、日本人の飲酒習慣率は、1996年には男性52.5%、女性7.6%であったのに対して、その20年後の2016年には男性33.0%、女性8.6%となっているそうです。男性の場合は年齢に関係なく全世代で飲酒の習慣が少なくなってきているのです。女性については、増加傾向にあると見るのか、それとも誤差の範囲なのか、ちょっと判断が難しいですね。

もちろん、アルコールは嗜好品ですから、飲む、飲まないは個人の自由です。また、そもそもアルコール分解能力が低く、控えるべき人もたくさんいらっしゃいます。健康面のことを考えれば、この傾向は良いことなのかもしれません。ですから、アルコール消費量減少そのものを嘆くつもりはありません。「とりあえずビール」とか「酒は人生の妙薬」というセリフは過去のものになりつつあるのかもしれません。

ただ、どの国や地域においても、酒はひとつの文化として定着してきた歴史があります。食事をおいしくいただくためのものとしてはもちろん、友人・知人とのコミュニケーション手段として、富裕層のステータス・シンボルとして、またある時は宗教的な儀式に用いるものとして、幅広く利用されてきました。そしてそれらがその地域の風土や風習などと結びついて、それぞれ独自の発展を遂げ、味わいのある文化を形成してきたことは、忘れ去られてはならないことだと思います。それだけ、幅広く、そして奥深い文化をもっているのが、酒というものなのです。

文化という観点から見た時、「酒造り」そのものも文化として定着してきたわけですが、それも少しずつ変化しつつあるようです。

日本酒の酒造メーカーにとって、杜氏の存在は欠かすことのできないものでした。彼らは、その年の米や水の状態、気象条件等を見極めながら、酒造りのすべてを取り仕切っていく専門家であり、職人です。かつては日本酒造りが本格化する冬の時期だけ、地方の農家出身の方が出稼ぎの形でこの仕事に従事する人が多かったそうで、その出身地域から、南部杜氏岩手県)、越後杜氏新潟県)、丹波杜氏兵庫県)、能登杜氏(石川県)などと呼ばれていました。何らかの事情で他の造り酒屋に杜氏さんが移動してしまうと、大きなニュースになったことさえあるのです。

しかし、季節に関係なく日本酒が作られるようになると、このような出稼ぎ仕事に頼ることはできなくなり、酒造メーカーの社長や幹部自身が杜氏を務めることが多くなりました。そして今、杜氏制度を完全に排してしまうメーカーも出てきているのです。その代表が山口県の旭酒造で、「獺祭」というブランドの酒は、その軽やかなのにコクのある飲み口で、今や日本中の「酒飲み」の垂涎のマトとなっているのです。そして、これに追随する形で、杜氏制度を廃止して、IT技術を最大限利用するメーカーが少しずつ増えているのです。IT、AIの急速な進化という局面が、酒造り文化にも大きな影響を与えているのです。

もちろん、「日本酒は杜氏の腕次第だ」と言う方は今でもたくさんいらっしゃいます。しかし、一流の杜氏になるには長年の経験と豊富な知識が必要ですし、一人前になるまでには相当の時間が必要であるこの仕事をめざす若者はどんどん減っている現状を考えると、杜氏文化というものを今後も維持していく事はどんどん困難になるでしょう。むしろ、新しい方法が日本酒造りの敷居を低くすることができれば、それが日本酒そのものに新たな光を当て、新規顧客を増やすことになるかもしれないのです。そして、それは決してこれまで築かれてきた文化の破壊ではなく、新たな文化の創造として捉えるべきだろうと思うのです。

 

あらゆる文化は決して不変のものではありません。変化することによってこそ、未来へと受け継がれていくものなのでしょう。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常161 サッカー・スタジアムの再利用

こんにちは。

 

年末恒例の「今年の漢字」が発表されました。今年はなんと「戦」だそうです。このイベントは単純に投票数が多かった漢字が選ばれるようなので、この字に投票した方にはまったく罪はないのですが、それにしても、一年を代表する文字あるいは言葉がこんなにストレートに殺伐としたものになってしまうことに、砂を噛むような気分になってしまいます。来年こそは、もっと平和な文字が選ばれるような世相になることを祈るばかりです。

 

さて、今回はカタールで続いている熱い闘いに関する雑感、前回の続きです。ちなみに、「戦」と「闘」の違いってご存じでしょうか。漢和辞典等によると、勝ち負けや優劣を決めるのが「戦」、困難に打ち勝とうとする場合など精神的な事項や目に見えないことに関しては「闘」という字を使うことが多いようです。つまり、サッカーの試合は、その両方を含んでいるのですが、試合そのものの勝ち負けだけが結果ではない、ということを踏まえると、私としては「闘」という字を使って、より幅広くワールドカップというイベントを捉えたいと思うのです。

さて、今回取り上げるのは試合が行われているスタジアムについてです。

ワールドカップは、いよいよ決勝戦間近という段階ですが、ここまでで予定していた試合のすべてを終えたスタジアムのひとつについて、解体作業が始まったそうです。

今回の大会ではカタール国内の8つのスタジアムで行われているのですが、すべて首都であるドーハ近郊にあります。そして、もともと全人口が約280万人しかいない同国において、国際試合を行うことのできる大きなスタジアムをこんなにたくさん維持しておくことに意味はありません。今回のワールドカップ誘致は、比較的盛んなスポーツであるサッカーを通じて、町おこしならぬ「国おこし」するとともに、世界にカタールという国の存在感を見せつけることを目的として誘致されたのですが、それにしても、ワールドカップが終了してしまえば、設備が過剰になることは、当初から予想されていたことなのです。

そういうわけで、ひとつのスタジアムに関しては、はじめから、大会終了後に解体し、それを移動、再利用することが可能なように設計されたのです。具体的には、輸送用コンテナを標準化した部品を使って組み立てられたそうで、建設資材の節約、廃棄物の減量、建設期間の短縮化といった効果が得られたそうです。建設費用は推定3億ユーロですが、それでも従来の恒久的な施設として建設されたものよりは、相当安価になるようです。また、解体してしまうので、大会終了後の施設管理維持は不要です。そして、資材の再利用先としては、将来ワールドカップを開催する国なども想定されているそうです。(具体的な移動先はまだ未定です。)

このスタジアム、もちろん現地を見たわけではありませんが、FIFAの基準を満たしている以上、そんなに貧相な作りのスタジアムではないでしょうし、数試合を開催するだけならば十分なレベルだったのでしょう。

このような方式をとった会場建設は、おそらくオリンピック等、サッカー以外の国際スポーツ大会では非常に珍しい試みだったでしょう。少し調べてみると、かつてオリンピックが華々しく開催された国や都市では、その後施設がまともに利用されず、廃墟と化してしまったところが多数あるようです。さすがに、昨年の東京オリンピックについては、まだ終了からさほど時間が経過していませんので、そんなにひどいことにはなっていないと思いますが、その維持管理に多大な費用がかかり、それが次第に自治体の財政に重くのしかかっていくことは容易に想像できます。当時、「レガシー(遺産)としての活用」という言葉が小池東京都知事やその周囲から何度も繰り返し使われましたが、それらはあくまで、建設された施設を有効活用する、という発想に基づくものにとどまっていたように思います。

しかし、レガシーは施設や建物だけではないのです。人々の記憶に大会での感動や悔しさといったものが残れば、それは十分にレガシーと呼べるものではないでしょうか。ですから、巨額の費用をかけて建物を維持することにこだわらず、カタールのような方法をとることも一案として考えてもよかったのかもしれません。

世界的な大会の規模が大きくなるにつれて、それを開催する国や自治体の負担は非常に重くなっています。今のまま進めていくと、もうしばらくすれば、オリンピックにもワールドカップにも立候補するところが出てこなくなる可能性すら指摘されているのが現状です。そんななかで、スタジアムの早期解体と再利用という方式は、今後大きなイベントを開催するうえで、ひとつのメッセージとして受け止めるべき意味を持っていると思うのです。

ただ、それにしても、まだ大会期間中なのに、「この会場での試合は全部終わった」と言って、さっさと解体工事を始めてしまうあたりは、ちょっと苦笑いしてしまいますね。せめて決勝が終わるまで待てばよいのに、と思うのは私だけでしょうか。

 

解体の始まった974スタジアム(ニュース記事より転載)

 

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常160 PK戦への疑問

こんにちは。

 

昨日は、4週間に一度の血液内科の受診日でした。検査結果はまずまずで、現在の治療体制を継続して、新年を迎えることになりました。それはまあよかったのですが、年末が近づいてきたせいか、病院はかなりの盛況ぶりで、採血室など、いつもの2倍以上の行列ができていました。それはその後の診察や治療(注射)にも波及していて、結局、病院を出たのはいつもより1時間30分以上遅くなってしまいました。まあ、途中の待ち時間に、薬局に処方箋をファックスで送っておいたので、薬の受け取りは比較的スムーズでしたが、それでも疲れてしまいました。自分自身はたいしたことをしてないんですけどね。

診察室で、次の受診日を決めるのですが、主治医の先生が「次は4週間後の1月5日ですね・・・わあ、この日、たくさん入ってるなあ」と仰ったもので、またまたゲンナリ。次回も相当時間がかかること、確定のようです。

とはいえ、循環器内科の受診のため、来週も通院しなくてはなりません。まあ、こちらはさほど時間はかからないはずですが・・・

 

さて、気を取り直して本題に入りましょう。

サッカーのワールドカップ、日本が惜しくもPK戦の結果、次に進めないことになり、日本国内では、大騒ぎは少し収束しつつあります。それにしても、クロアチア戦の時の盛り上がりも凄かった。深夜12時キックオフということで、どうしようかな、と思いながら、まあ前半だけでも・・と考えていたのですが、あの緊迫した試合を途中で切り上げるということはできず、結局最後まで見てしまいました。寝たのは3時前だったでしょうか。

 

ニュースで見た話ですが、社員にサッカーを楽しんでもらうために、翌日の出社時間を2時間遅らせた会社があったそうですね。まあ、本音は社長自身がテレビを見たかったのかもしれませんが、残念ながら、2時間では決着はつきませんでした。この会社、どうしたんでしょうね。

今回は、サッカーやそれをめぐる報道に接してちょっと気になったことを、取り上げます。それはPK戦についてです。と言っても、日本対クロアチア戦のことではなく、もう少し一般的なことです。

そもそも以前から私は、この言葉に違和感を持っていました。両チームの誰も反則を犯しているわけではないのに、どうして「PK」という言葉を使うのでしょうか。そう思って、調べてみたところ、この方式は英語では”kicks from the penalty mark”つまり、本来ペナルティ・キックを蹴るポイントからの複数の選手によるキック、ということになります。これなら十分納得できます。これをもう少し上手に日本語訳することはできないものでしょうか。

サッカーのルールを巡っては、名称が変更された例はあります。例えば、現在「アディショナル・タイム(additional time」と呼ばれている時間、つまりプレー中に選手が負傷したり、何らかのトラブルがあったりして、審判が時計を止めた時、本来の時間に追加してプレーを続行させる時間のことです。これは以前日本では「ロス・タイム」と呼ばれて、それが一般的でした。しかし、これでは英語圏の人には何のことかさっぱりわからない、ということで、世界共通で使える用語である現在のものに変更されました。なお、「インジュアリー・タイム(injury time)」と呼ばれることもあるようですが、これは「損傷」という意味ですので、選手交代に費やした時間等も含めて運用するために、今ではほとんどの場合アディショナル・タイムという言い方になっているようです。

そんなわけですから、日本で慣れ親しんでいる名称でも、変更は可能なはずです。まあ、英語名称の頭文字を取ってKFPMもなんていうのはちょっと安易かもしれませんが。

 

名称のことはともかくとして、私はPK戦という決着のつけ方そのものにも少し疑問を持っています。それはキッカーとゴール・キーパーによる1対1の勝負です。つまり、サッカーという競技で必要なテクニックのひとつが使用されるものではあるのですが、チーム戦であるサッカー競技そのものとは大きく性格を異にするものです。そんな勝負を、そこまで120分にもわたってチーム戦を戦ってきた彼らに、スイッチを切り替えさせ、やらせるのはちょっと酷なことのような気がするのです。当然、プレッシャーも大変なものでしょう。そして、その戦いに敗れた方は、その最後の瞬間を必要以上に重いものとして受け止めてしまうとすれば、彼らの心労は想像以上のもののはずです。

ちなみに、サッカーの公式記録では、延長戦でも決着がつかなかった場合は、「引き分け」と記載されることになっています。つまり、PK戦は次の試合を行う権利を得るための新たなゲームであって、試合そのものとは切り離して考えるべきものなのです。ところが、サッカーのテクニックを使って、その雰囲気を引きずったまま行われるので、それらの結果全部をひっくるめて考えられたりすることになるのです。

ラグビーでは、スコアが同点の場合、やはり公式記録は「引き分け」となります。そしてトーナメント方式で、次の試合に進む権利がどちらにあるのか決めなければならない場合は、トライ数で決め、それも同じ場合は、抽選、コイントス等で決定するようです。

もちろん、コイントスなどというゲームによって決まってしまうことにかえって「非常」を感じる人も少なくありません。PK戦の代替策を考えることには多くの議論があるでしょう。しかし、少なくとも、PK戦でキックを失敗した人達に向かって、「練習が足りないんじゃないか」「プレッシャーに弱すぎる」などの罵詈雑言は止めるべきです。一般に、PKの成功率は80%を超えると言われています。ワールドカップに出場するような選手達なら、普段の練習ではほぼ百発百中でしょう。しかし、神経戦でもあるPK戦は他の練習とはまったく異なります。そして、あのような雰囲気を普段の練習場で再現することは不可能でしょう。どんなにメンタルが強いと思われている人でも、その場に立ったらどうなるかわからない。PK戦とはそういうものだと、私達も心に留めておくべきでしょう。

 

今回も、最後まで読んでくださりありがとうございました。

次回も、もう少しワールドカップ関連のことを書こうかな、と思っています。

 

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常159 冬の星空

こんにちは。

 

12月になると同時に、一気に冬の気配になってきましたね。今年の冬は寒くなるのでしょうか。電気代やガス代が続々と値上げされる中で、ちょっと心配になってしまいますね。

 

私だけかもしれませんが、冬になると、夜空を見上げる機会が多くなるような気がします。それは、この季節になると、オリオン座を始めとする比較的わかりやすい星座や一等星がたくさん観察できるからです。「冬の大三角形」というのをご存じでしょうか? おおいぬ座シリウスこいぬ座プロキオン、オリオン座のペテルギウスという3つの一等星を結んでできる三角形のことです。これらの星座のある方向には、他にもいくつか明るい星が見られ、一年を通してもっとも華やかな夜空と言えるかもしれません。

この他に「夏の大三角形」というのもあり、こちらはこと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブによって構成されており、日本や中国では、このうちベガを織姫星、アルタイルを彦星と呼んでいます。天の川をはさんで輝く星たちの伝説(七夕)を知らない人はいないでしょう。さらにこの伝説の中では白鳥は二人の橋渡しをするカササギとして描かれていますので、もっとメジャーになってもおかしくないのですが、なぜか、冬の大三角形の方が圧倒的な存在感を見せています。

それは、ひとつひとつの星がかなり明るいこと(シリウスは全部で21ある一等星の中でももっとも輝いている恒星です。)、冬の方が夏よりも空が澄んでいて、天体観察に向いていることなども影響しているのかもしれません。そういえば、天の川は今や都市圏ではほとんど見ることができなくなっていますしね。

恒星の光が長い年月をかけて地球に到達していることも、大きな魅力になっているような気がします。例えば、シリウスは比較的地球からの距離が近い恒星として知られていますが、それでも8.7光年の距離です。一等星の中でもっとも遠くにあるのがデネブで、なんと地球から1500光年と言われています。つまり、今私達が見ることのできるこの星の光は、1500年前、日本でいえば飛鳥時代の頃?の輝きなのです。この光が星を出発した時、地球はどんな状況だったのか、そして現在、この星がどんな状態にあるのか・・・そんな時空を超えた想像に思いを巡らしていると、とてつもない広がりをもったファンタジーのようなものを感じることができるのです。

もうひとつ、夜空の星や星座をめぐっては、色々な伝説や神話が語り継がれていることも、星を眺めるうえでの空想を広げてくれます。例えば、オリオンというのはギリシャ神話に登場する大変屈強な狩人なのですが、あまりにも自分の腕を自慢しすぎるようになってしまいます。そして、それを見かねた女神ヘーラは大きなサソリを彼の足元に放つのです。さすがのオリオンも大サソリの毒にはひとたまりもなく、命を落としてしまうのです。その後、天に昇ってからもオリオンはサソリを苦手としたため、さそり座が東の空から出てくると、そそくさと西の空へと沈んでいくということを繰り返している・・・こんな神話、です。なんだかロマンを感じませんか?

ちなみに、オリオンが持っていた2匹の猟犬は、オリオンと一緒に天にあげられ、おおいぬ座こいぬ座になったそうです。

 

そういえば、夜空を眺めながら、その星と星を線でつなぎ、神話の登場人物や動物に見立てて、星座を形作った昔の羊飼いたちの空想力も素晴らしいものですね。

 

現代の都市圏では、ネオンライトやその他さまざまな人工の光が瞬いているために、空を見上げても、ほとんど星を見ることができない状態です。こうした光がなければ、人間の目には六等星ぐらいまで見えるそうですから、少し残念なことです。クリスマスが近いこの季節、ライトアップやイルミネーションがあちこちで人気を集めていますが、逆に、一切の電気を消してしまって、満天の星を眺めるようなイベントがあっても良いのにな、と思ってしまいます。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常158 敗血症の恐さ

  1. こんにちは。

 

今回はまず近況報告から。

先日、PET-CT検査の結果、左の首筋に異常があるかもしれないということをご報告しましたが、先週、耳鼻咽喉科でエコー検査を受けたうえで、生体を注射器のようなものでほんの少し採取して、がん細胞がないかどうか調べてもらったのですが、本日その結果を聞いてきました。結果としては、今のところ明確なことは言えないが、少なくとも、さらに大きな検査を行って、次の治療に備える等の必要はないだろう、とのことで、3か月後にもう一度経過を見ることとなりました。まずは一安心です

 

一息ついて、帰宅した後ニュースを見て、俳優の渡辺 徹さんが61歳の若さで亡くなったことを知りました。敗血症だったそうです。ほんの一ヶ月ほど前に久しぶりにテレビでお見かけしたところだったので、大変驚きました。渡辺 徹さんといえば、刑事ドラマ「太陽にほえろ」で華々しくデビューした頃から知っていましたし、その後、体形はずいぶん変わってしまいましたが、軽妙な喋り方で、バラエティ番組には欠かせない存在になっていましたね。たしかに一か月前のテレビでは、ずいぶん痩せたなあ、という印象をうけましたが、そんなに悪い状況だとは思いもしませんでした。

敗血症とは、簡単に言えば、ウイルスや細菌が体内に入り込んでしまい、感染症になったことがきっかけとなり、その後体内で細菌が増殖して、全身で炎症が起き、最悪の場合、多くの臓器が障害を起こして、重篤化するという病気です。日本人の場合、その致死率は約20%にのぼるという恐ろしい病気です。また、各臓器に必要な酸素や栄養分が十分に供給されなくなると、敗血症性ショックという状態に陥り、致死率は30~50%にまでなってしまうとのことです。

さらに恐ろしいのは、敗血症のきっかけとなる細菌やウイルスは、決して特殊なものばかりではなく、場合によっては、インフルエンザ・ウイルスや寄生虫など、私達の身近にあるものであることすらあり得るということです。したがって、比較的若い年齢でもこの病気に罹患する可能性があるのです。いずれにせよ、免疫力が低下している人ほど罹患しやすい、ということなので、私にとっても決して他人事ではないと思った次第です。

 

Dr.コトー診療所」というテレビ・ドラマをご存じでしょうか。原作は山田貴敏さんの漫画で、最初に放映されたのが2003年ですからずいぶん前のものですが、平均視聴率が20%前後のヒット作となり、その後特別編や続編が制作されています。いわゆる「医療もの」のドラマはずいぶん多く制作されていますが、離島の診療所で働く医師を主人公にしたものは、おそらく非常に珍しいでしょう。島の住民たちとのぶつかり合い、コミュニケーションを重ねる中で、さまざまな命のあり方を学んでいく彼のひたむきな姿は、「そんなスーパースターみたいな医師は滅多にいないだろう」と思いながらも、ついつい引き込まれてしまう、内容の濃いドラマです。主人公である医師役の吉岡秀隆さん(「北の国から」で子役として一気にブレークした人ですね)はもちろんですが、その脇を固める柴咲コウさん、時任三郎さん、泉谷しげるさん、小林薫さん、筧利夫さんといった名優たちの演技の素晴らしさ、そして主人公だけでなく、彼らの人生をもしっかりと描いた脚本も重厚で、秀逸でした。また、自分の命、自分と近い関係にある人たちの命を正面から見つめるということがいかに重いことであるのか、そして、だからこそ、そこに未来を見据えることができるということを思い知らされるのです。

このドラマ、間もなく16年ぶりに新作が映画として公開されるのですが、それに合わせる形で、現在、TVerGYAOなどのインターネット・サイトで過去の作品が無料で公開されています。過去に放映された時に見逃した方は、一度ご覧になることをお勧めします。

 

病気に関することを話題にすると、どうしても少し暗い文章になってしまいますね。(なるべく、感傷的にはならないように気をつけているのですが)

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。