明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常359 映画「突然具合が悪くなる」をめぐって

こんにちは。

 

先日、現代日本を代表する言論人、小説家の訃報が立て続けに流れてきました。お一人は評論家の山田五郎さん、享年67歳。死因は原発不明がん。もうお一人は、ミステリー作家の東野圭吾さん。享年68歳。死因は大腸がんだそうです。お二人は私とほぼ同世代。しかもがんで亡くなったということで、個人的にはかなり大きなショックを受けています。とくに山田五郎さんに関しては、彼が「タモリ倶楽部」という深夜時間帯のテレビに初めてで出演された頃から、その溢れる知性に裏打ちされた軽妙な語り口に注目していただけに、もう彼の洒脱な美術解説が聞けないと思うと、その喪失感は決して小さなものではありません。幸い、彼は「オトナの教養講座」というYouTubeチャンネルを開設しいて、これまでに多くの投稿がなされていますので、それらを見直しながら、故人を偲びたいと思っています。

また、東野さんに関してその膨大な著作の数々を前に、これまでさほど熱心な読者ではなかったことを恥じ入るばかりです。ですから、これから少しずつ手に取っていく所存です。

それにしても、お二人とも、亡くなる直前まで仕事に打ち込んでおられたようで、体調が悪い中での仕事への執念には感服するばかりです。しかし同時に、健康状態の把握よりも仕事を優先していたとしたら、とても残念だと思わざるを得ません。もちろん、「好き」がそのまま仕事になったような経歴の方たちですから、仕事とプライベートをきちんと区別することは難しかったのかもしれませんが、それにしても、もう少しバランスを取って、もっと長く活躍して頂ければ、と考えてしまうのは私だけではないでしょう。

今はただ、お二人のご冥福をお祈りいたします。

 

さて、今回紹介する映画は上に書いたことと、少し関連するかもしれません。映画のタイトルは「急に具合が悪くなる」(監督・脚本 濱口竜介)です。この映画には原作があります。それは、がんの転移を抱える哲学者・宮野真生子さんと、医療人類学者・磯野真穂さんによる同名の往復書簡です。この書籍に大きなインパクトを受けた濱口監督は、原作者と交渉の末、その「魂ごと引き受ける」形で、まったくオリジナルの脚本を執筆することになったそうです。したがって、この映画、内容的には原作とはまったく異なるものなのです。ただ、両者には「人は死に至るかもしれないという病を前にして、いかに生きていくのか」ということを正面から問いかけている、という共通点があります。それが濱口監督の言う「魂」なのです。

それはともかく、映画の簡単なあらすじから。

パリ郊外の介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー・フォンテーヌは、「エマニチュード」と呼ばれるケア手法の導入に熱心です。入居者を人間らしくケアすることを目標とするこの手法、最終的には、あらゆる入居者が「自分の足で歩く」ことを目標とします。考えてみれば、私達は寝たきりにでもなってしまわない限り、誰の手も借りずに自分の足で歩き続けることは大きな理想ですよね。しかし、これには大きなリスクが伴います。いつ転倒するかわからない人達に対しては、スタッフはいつも目配りをしなければなりません。それはとてつもなく手間のかかる作業であり、ただでさえも人手不足に悩まされる施設にとっては、実現困難な手法と言わざるを得ないのです。悩み続けるマリー。そんな中、ふとしたきっかけで、日本人の舞台演出家・森崎真理と出会ったマリーは、がん闘病中の彼女が演出する演劇に勇気をもらいます。また、真理が演出した一人芝居を演じる清宮五郎の姿にも深い感銘を受けるのです。

マリーと真理。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれて交流を始め、夜を徹して、互いを理解するようになります。いささか陳腐な表現になるかもしれませんが、彼女たちの友情はかけがえのないものとして育っていくのです。しかし、あるとき真理は急に具合が悪くります。もともと乳がんのステージ4と宣告されていたのですから、真理にとっては覚悟のできていたことであり、医者からは緩和病棟への入院を勧められます。「あなたの場合は、一度具合が悪くなれば、後はとてつもなく進行が早くなる危険性が高いですよ。」

しかしマリーはそんな真理の様子を見て、それまでよりも深い友情を感じ、最後の瞬間まで彼女が彼女らしく生きることができるように、自分の施設へ来ることを勧めます。施設でワークショップを開催するなど、自分のできることに取り組んでいく真理。しかし病気の進行は待ってはくれませんでした・・・

 

日本語とフランス語を交えた彼女たちの対話は、さまざまな分野に及び、とても興味深いものです。資本主義の本質とは何なのか、という講義のような場面があると思えば、これまでのキャリアの中での女性としての悩みや喜びを話し合ったりもします。マリーが進めるエマニチュードについても丁寧な解説が行われます。感性がとても似通っている彼女たちの出会いは運命的なものだったのかもしれません。しかしその関係は決して重くウエットなものではなく、ドライとまでは言えませんが、サラサラした手触りのものです。そのことがこの映画を独特の心地よいものとして成立させているのです。

ただし、二人の友情を直線的に描いていることだけが、この映画のメインテーマではありません。前述のエマニチュードをめぐる施設スタッフの感情の揺れ動きやスペクトラム自閉症の少年の自然なふるまいとそれに対する周囲の暖かい眼差し、精神病院という存在とそこに入院している患者たちの思い等、それ自体とても深いテーマがいくつも盛り込まれています。そのため全体の上映時間は3時間を超えており、「長すぎる」というコメントも散見されるようです。しかし、これらのテーマはバラバラに散りばめられているわけではありません。あくまで全体のテーマは「人間にとって本当に生きるとはどういうことなのか」であり、出演しているすべての人にとって、それがさまざまな形で問われ、また、それに対して応えていこうとする姿勢がみられるのです。ですから、この上映時間にはしっかりした意味があり、それだけ濱口監督の熱い思いが込められているのです。ですから、私にはすべてのシーンが必要なものだったと感じられ、決して退屈するようなことはありませんでした。繰り返しになりますが、それらが決して重々しくならないように描かれているところに、監督の秀でた手腕がうかがわれるのです。

ただ、タイトルだけを見ると、主人公が壮絶な闘病生活を送るのではないか、映画の主題はそこにあるのではないか、と誤解してしまう人もいらっしゃるかもしれません。実際に真理がベッドで苦しむ様子は、ほんの少ししか出てきませんし、臨終場面もありません。真理が医者の勧めにしたがって、緩和病棟に入っていたら、闘病生活メインという捉え方も間違いではない、というような内容の映画になっていたかもしれません。しかし真理はそれを選ばなかった。あくまで「どう生きるのか」が大事だったのです。

なお、キャストの中で、日本人は真理を演じた岡本多緒さん、一人芝居を演じる役者清宮五郎を演じた長塚京三さんのフランス語が達者のことには舌を巻きました。また、マリーを演じたヴィルジニー・エフィラさんの日本語もすばらしいものでした。この人達のキャスティングが、この映画の成功の大きな要因であることは間違いないでしょう。

扱っているテーマは決して軽々しいものではないし、上映時間は長い映画ですが、見終わった後の感覚は、なんだかホッとさせられるような、爽やかなものでした。



追記

YouTubeチャンネル「山田五郎 オトナの教養講座」の最新版(そしておそらく最終回)が公開されています。テーマは「メメント・モリ」つまり「死を想え」です。今回紹介した映画と併せて鑑賞することをお勧めします。

https://www.youtube.com/watch?v=DMe_hWiAp50

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常358 ワールドカップ雑感

こんにちは。

 

去る7月16日は祇園祭前祭(さきまつり)の宵山、そして17日は山鉾巡行でした。23基の山や鉾(後祭では11基)が豪華で勇壮な姿を見せるこの行事については、昨年の今頃にもこのブログで少し詳しく紹介しました。その際に書きましたように、祇園祭は、決して京都全体の祭ではなく、本来は、あくまで四条通界隈の「山鉾町」と呼ばれる地域が主体となって進められる八坂神社の祭、神事です。ただ、それでも、山や鉾が建てられたというニュースに接し、また、「コンコンチキチン」というお囃子の音を耳にすると、京都に住む人々は「ああ、真夏がやってきたなあ」と感慨深くなるのです。

下の写真は、山鉾巡行で必ず先頭を行くことになっている長刀鉾(なぎなたほこ)です。長刀は疫病・邪悪をはらうものとして、鉾先に大長刀をつけているのでこの名で呼ばれているのです。また、山鉾の中で唯一、生稚児(いきちご)、つまり人形ではなく生身の子供が乗っているため、祇園祭全体の中でももっとも注目される存在のひとつとなっています。私は、ちょうど宵山の日の午前中に四条通界隈に出かける用事がありましたので、軽く写真をとってきた次第です。午後から夕方にかけては、38万人という大変な人出になったようですが、午前中はまだ比較的空いていて、写真も撮りやすかったのです。「動く美術館」とも言われる山や鉾ですが、こうやって近くで見ると、その見事さは際立っています。もちろん、提灯の明かりに浮かび上がった夜の姿もとても幻想的ですが。

 


さて、話題は変わります。

一ヶ月強にわたって開催されていたサッカーのワールドカップが閉幕しました。個人的には、ワールドカップというと思い出すのが、12年前、はじめての長期入院の最中にブラジルで開催されていた大会のことです。ふだんサッカーの中継をさほど熱心に見る方ではないのですが、なにせヒマな入院期間、かなりの試合をライヴで観戦しました。そしてもっとも楽しみにしていたのが、準決勝でのブラジル対ドイツの一戦。「実質的な決勝戦」とも称されていたゲームです。たしか午前4時か5時の試合開始だったと思いますが、病棟の談話室の少し大きめのテレビをつけて、一人でゆっくりと観戦したのです。ところがふたを開けてみればドイツの一方的な試合で、最終的なスコアは7対1。地元開催にもかかわらずとんでもない醜態をさらすことになってしまったブラジルの選手たちは皆、途中から目が泳いでいましたし、観客席は、今にも暴動が起きるのではないか、と思うぐらい、不穏な雰囲気が充満していました。多分、試合後にはあちこちで暴れ回る人が出たでしょうが、スタジアム内で乱闘騒ぎが起きなかったのです。今考えると、これは奇跡に近いかもしれません。なお、この時のことについては、後に、ゲームが行われたスタジアムの名前にちなんで、「ミネイロンの惨劇」と呼ばれるようになったそうです。

この時、サッカーというスポーツがいかに世界中で熱狂的な興奮を生んでいるのか、そして自国を代表する選手たちの一挙手一投足に多くの国民が期待と願望を込めているのか、よく理解できたものです。それは単なる「スポーツ観戦」などではなく、「国の威信をかけた戦い」であり、自分たちの未来への希望を選手たちに託している、というより背負わせている人がいかに多いのか、強く感じさせられたものです。

ゲームそのものは一方的な展開となってしまって、途中で興味をそがれてしまったのですが、異様な雰囲気に吞まれてしまい、結局、最後までテレビのスイッチを切ることができなかったことをよく覚えています。

 

それはともかくとして、今年の大会も色々と話題には事欠かない大会だったようです。

もっとも大きな問題として取り上げられたのがトランプ大統領の身勝手とも思える行為。これについては、今さら説明するのも腹立たしいので、詳細は省きますが、彼にはスポーツ、そしてそれに一途に取り組んでいるアスリート達に対するリスペクトが決定的に欠如しているのではないでしょうか。まあ、すべてのことを自分中心に回さないと気が済まない人のようですから、今さら驚くに当たらないのかもしれませんが、巻き込まれた人々が気の毒でしかたありません。

苦々しい話はこのぐらいにしておいて、少し気分を変えましょう。

今大会で大きな注目を集めた選手の一人に、ノルウェーのハーランドがいますね。あの巨体で、相手ディフェンスを蹴散らしながら、どんどん攻めあがっていくパワーとスピード。規格外とも言える彼のプレイに魅了された人は少なくないはずです。既にヨーロッパではスーパースターの地位を欲しいままにしている彼ですが、サッカー・ファン以外の一般の認知度、人気も一気に上がりましたね。まだ26歳。まだまだこれからの活躍が期待できる人です。アルゼンチンのメッシは39歳ですからおそらく今大会で最後となるでしょう。すると、次回はフランスのエムバペ(現在27歳)とならんで、この人が注目度ナンバーワンになることは間違いないでしょう。

余談ですが、彼はどうやら二重国籍をもっていて、イングランド代表としてこの大会に参加することも可能だったようです。しかし、彼は生まれ故郷であり、自身が誇りにしている国、ノルウェーを選んだのです。そして決勝トーナメントではこの両国が対戦することになった・・・こういう巡りあわせってあるんですね。結果として、ノルウェーはここで敗退することになりましたが、おそらく彼は格上であるイングランドをあえて選択しなかったことを後悔はしていないはずです。それよりも、自らのルーツ、誇りを優先したのです。そんなところも、彼の人気をより高いものに押し上げる要因となっているのですね。

 

決勝トーナメントに進出している国の多くはもともと「強豪」と言われているところですが、中にはダークホースというか、私達がほとんど知らなかった国も健闘しています。今回の大会で言うと、もっとも注目されるのはなんといってもカーボベルデでしょう。西アフリカに位置する島国である同国、人口は約60万人、面積は滋賀県や山梨県とほぼ同じぐらい、という小国ですが、この国について多少なりとも知識をもっている人は、日本にどのぐらいいるでしょうか。また、カーボベルデほど知名度が低くはないものの、コートジボワール、パラグアイ等についても、私達の知識はまったく足りていないのが現実です。また、コンゴは、名前こそ知られているものの、そこでは今でも内戦が継続中であり、本当なら「サッカーなどしている場合ではない」状況だったはずです。しかし選手たちはそんな不利な状況を跳ね返すような活躍を見せてくれていました。このことについても、私達はどこまで知っていたでしょうか。

しかしまあ、世の中は「知らない」ことで溢れていますので、これらの国について私達のもっている情報量が少ないこと自体はそんなに恥じ入ることではないのかもしれません。ただ、せっかくの機会ですから、こうした国の地理や歴史、そして経済や産業、政治等の現状について調べてみるよいチャンスとすることはできるのではないでしょうか。

私自身の経験からすると、小学生の時、1970年の大阪万博で、それまで聞いたこともなかった国名を耳にし、そこから世界の地理に興味を持ったことをよく覚えています。今では「もっとも幸福な国」として誰もが知る国になったブータンは、そんな典型的な例でした。ただ、当時はインターネットはありませんでしたから、「調べる」といっても、図書館に出かけたり、重い百科事典のページをめくったりする必要がありました。それに比べれば、現代は実に「お手軽」な時代です。もちろん、ネット情報だけを鵜呑みにすることは危険ですが、知識を増やす入口となってくれることは確かです。小学校などの社会の授業では、ワールドカップをきっかけとして、ひとつの国について調べさせることを生徒への課題として与えてはどうでしょうか。ついでに言うと、ネット検索だけに頼らない、より確かな情報の集め方を教えることも大きな意味を持つと思います。先生方には、教科書に載っていなくても、生徒たちが興味を持つことができるように、さまざまな材料を与えてあげてほしいですね。

 

それにしても、私の印象では、今大会は、前半から中盤にかけて対戦する両チームが拮抗していたのが、終盤に点が入ってゲームが大きく動く、というケースが非常に多かったような気がします。つまり接戦が多く、見応えがあったということです。それだけに、決勝戦での「ハーフタイム・ショー」はやや虚を突かれた感じで、私に限らず、古くからのサッカー・ファンにはあまり評判は良くなかったようです。折角サッカーに集中していたのに・・・ということですね。これはショーの中身や出演した歌手たちの問題ではありません。それならいっそ、ゲームそのものの始まる前に、こういった華やかなショーを行うのもひとつの手かもしれません。ただ、ハーフタイム・ショーは例えばアメリカン・フットボールでは当たり前のように行われているので、慣れてしまえば、今回のような批判は自然と小さくなってくるかもしれません。このあたりは今のところ今後の展開を見守るしかありませんね。

 

最後に、今大会の中継では、元日本代表の本田圭佑さんの解説ぶりが大きな話題になりました。彼の解説する試合全部を観たわけではありませんが、たしかにその、無難な言葉を選んだり、忖度したりしない彼の言動は、他の解説者にはないユニークなもので、中継を面白くするのに有効なスパイスとなっていました。(サッカーの技術面、戦術面での指摘が的確であったことは言うまでもありません。念のため。)

ただ、彼は決して無頓着で、単なる天才肌でやってきた人ではありません。サッカーの試合中ではありませんが、彼はある番組に出演した時にこんなことを言っています。「量こなさない人に質を語る資格はありません。効率を重視しようとして、最小限の良質のものだけを掬い取ろうとするのは、効率的なように見えて、実は危険なことです。」(少し表現は違っていたかもしれませんが、ニュアンスとしてはこういうことです。)私はこの考え方に全面的に賛成です。彼はスポーツの練習を念頭に置いて発言したのでしょうが、これはどんなジャンルにも言えることです。タイパ、コスパを意識することも大事でしょうが、それによって無駄と見なされ、そぎ落とされてしまった事柄の中にも、長い目で見ればとても重要な価値を有していることはたくさんあるはずなのです。とくに若い人たちには、こんな考え方を持ってほしいですね。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常 357 問題作「シラート」を観て

こんにちは。

 

連日最高気温が35℃近い猛暑が続き、ようやくセミが鳴き始めましたね。気候不順のせいか、例年より少し遅いような気がしますが、やはり自然の生み出すBGMとしては、夏に欠かせないものです。少し耳障りに感じることもありますが。

 

さて、今回レビューする映画は「シラート」(原題:Sirat、オリベル・ラシェ監督、スペインとフランスの共同制作)です。この聞き慣れない言葉、アラビア語で「橋」という意味で、イスラム教では、審判の日に人々が渡る、天国と地獄の上に架かる細い橋のことを意味するそうです。また、人生における困難に直面した時に進もうとする「危うい橋」という意味をもつこともあるそうです。そして、この映画はまさに「危うい橋」を渡っていこうとする主人公たちの心理に焦点を当てた、かなり衝撃的な内容をもつ映画なのです。

舞台は、アフリカ北部のどこまでも砂漠が続く殺風景な地帯。そこで開催されているレイヴ・パーティでの出来事が、あまり詳しい説明がないまま、描かれていきます。

レイヴ・パーティとは、広い野外に巨大なスピーカーを何台も積み上げ、それでテクノ系とかトランス系とか呼ばれる超重低音と電子音が奏でる単調で反復的な音色の音楽を、大音量で流し、それに合わせて人々が踊る、というイベントです。相当の大音量のため、開催場所は人里からは遠く離れたところに限られており、日本ではあまり普及していません。しかし1980年代から1990年代年代頃にかけて、ヨーロッパでは、多くの若者の心をつかみ、流行のピークを迎えたものです。もともと「踊るための音楽」であり、「聴くための音楽」ではありませんので、私自身まったく縁がないジャンルなのですが、世界的なレーベルで活躍する日本のミュージシャンとして、“RINALY” や “Shingo Nakamura”等がいます。と言っても一般に知名度が高いわけではありませんね。彼らの音楽をあえてイメージするならば、石野卓球さんが中心となっているテクノ・グループとして名前を知られている“電気グルーブ”の音楽からメロディを大胆に削除した、「脳で聴くのではなく、体で聴く」音楽であると言えば、少しわかりやすくなるかもしれませんね。なお、「踊る」と言っても、そんなにたいした踊りではありません。ビートに合わせて、参加者たちは勝手に体を揺らし、大音量による強烈な効果によって、一種の酩酊状態に入っていく、というのが正しい表現かもしれません。また、そのような状態を作り出す補助的な手段として、LSD等のドラッグが利用されることも、ヨーロッパでは当たり前になっているようです。

さて、そんな独特の雰囲気に包まれた場所に現れた親子、ルイスとエステバン。一見すると、その場にはまったく似つかわしくない容姿と服装です。しかしこれには理由があります。彼らは、このパーティに参加すると言ってそれっきり失踪してしまった娘(エステバンにとっては姉)を探すために、ここにやってきたのです。

そんなわけで、レイヴとはまったく無縁な世界で生きてきた親子ですが、その場の雰囲気に戸惑ってはいられません。たむろする若者たちに片っ端から声をかけて、娘のことを聞き出そうとします。しかし、何の手掛かりも得られないまま、ふとしたきっかけから、あるグループと行動を共にし、「次のパーティ会場」であるモロッコに向けて、車を走らせることになります。ただ、行く手は道なき道、というかほとんど砂漠地帯。父の運転する車では通れない所もあり、気のいい若者たちに助けられながら、進んでいくことになります。そうしているうちに、こんな経験がなければ知り合うことなどなかったであろう若者たちと打ち解けて話をするようになります。食料、水、そしてガソリン。助けあわなければならないことは山ほどあります。そんななかで、息子は、彼らの姿や立ち振る舞いに「カッコよさ」を見出すようになります。彼らに頼んで、髪の毛をモヒカン刈りにしてもらうぐらいですから、彼の意識や価値観はかなり変化したのでしょう。このあたり、典型的なロード・ムービーのような雰囲気が続いていきます。途中でいくつかの大きなトラブルに見舞われたりもするのですが、それも彼らの親交をより深いものにするきっかけになったのです。

そんなある日、彼らは暇つぶしのつもりでしょうか。砂漠の真ん中で、自分たちだけの小さなレイヴ・パーティをはじめます。久しぶりの大音量をシャワーのように浴びる感覚に皆が酔いしれる様子をみているうちに、ルイスも何となくその感覚が体中に溢れてくるのを感じはじめます。もう少しで彼らと同じように踊り始めるか、と思ったその刹那・・・

 

ここから先は、かなりのネタバレになってしまいますので割愛しますが、急に現実に引き戻されたことへの混乱と戸惑い、絶望と希望へのかすかな光が入り混じった複雑な感情が、彼らに、そしてスクリーンのこちら側にいる私達にも押し寄せてくる場面が展開する、ということだけ、記しておきましょう。とにかく、かなり衝撃的な展開が待ち受けているのです。いったいどうなるのか? 傍観者であるはずの私達もドキドキしてしまいます。彼らの前にはまさに「シラート」が立ちはだかるのです。

そしてラスト・シーン。ここでも何の説明もなく、どうにも割り切れない感覚を私達に残したまま、この映画は唐突にエンディングを迎えます。「えっ、これで終わり?」と戸惑う私達は置いてきぼりにされたまま、エンド・ロールは流れていくのです。この後何かの映像が流れるのか?という淡い期待はあっさりと裏切られ、会場の照明は明るくなってしまうのです

映画監督の山田洋次さんは次のようにコメントを寄せています。

「映画を鑑賞したというより、強烈な体験をさせられたとでも呟きたくなるような、他とは比較しにくい激しい映画。スペイン映画にはこのような不思議な映画を生み出す伝統があるのだろうか。」

この映画、全編を通じて余計な説明は一切ありません。描かれている世界は、私達が日々暮らしている世界とはまったく異なる雰囲気です。ほんの少し、戦争の勃発を匂わせるようなラジオ放送?が入ったりしますが、そういった世の中の動きから逃避してレイヴに身を浸す彼らの姿には、正直なところ、共感のしようもありません。しかし、それだけに、色々と想像をめぐらせる余地が大きく、山田洋次さんの言うように、他では得られない感覚を味わうことができるのです。

もう一点、気がついた点を。

上にレイヴ・パーティについて説明したところで、「若者の心をつかんだ」と書きました。しかし、この映画でこのパーティに参加している人達の様子を見ると、必ずしも若年層だけでなく、30~40歳台と思われる人もちらほらと見られるのです。ヨーロッパの人々の年齢は、外見よりも若いというのもよくあることなので、断言はできませんが、10年、20年とこのようなパーティに身をやつしていくならば、その人のその後の人生とはどのように展開していくのでしょうか。それを想像していると、なぜか、ラスト・シーンでの列車に乗った登場人物たちの無表情な様子が、頭の中で、重なり合ってきます。彼らにとって「橋」(シラート)は無事渡り終えたものなのでしょうか。それとも、これからもっと過酷な「橋」が待ち受けているのでしょうか。

いやあ、映画を観に行ってこういう感覚に陥ったことはあまりありませんね。この映画が「問題作」と言われているのも納得です。




今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常356 やはりマイケルはカッコイイ

こんにちは。

 

6月中は「梅雨寒(つゆざむ)」とでも言えそうな、この時期としては比較的気温の低い日がありましたが、ここへきて、ようやく最高気温が30℃を超える夏らしい?天気になってきましたね。ただ、相変わらずかなり湿度が高めなので、うっとうしい気候となっています。一年で、この時期がもっとも嫌だ、という人は少なくないでしょう。かく言う私もその一人です。

でも、最近のヨーロッパのニュースを見ていると、そんな生易しいことは言っていられないようです。連日、気温が40℃を超えるような猛暑が続いているそうです。被害はフランス、ドイツ、オランダ、スペイン等広範囲に及んでおり、既に5000人以上の死者が出ているようです。ヨーロッパはエアコンがないところも多いので、本当に大変でしょうね。こういうニュースに接すると、日本の蒸し暑さなんてどうってことはないのだ、と思えてしまいますね。

 

さて、私は6月下旬から7月初めにかけて、数本の映画を観ています。その中から、今回は大きな話題となっている「マイケル」(原題:Michael、アントワーン・フークア監督/製作総指揮)についてです。言うまでもなく、これはマイケル・ジャクソンの伝記的映画となっています。

ポップ・ミュージックに興味のない人でも、マイケル・ジャクソンの名を知らない人は多分いないでしょう。私自身も、彼のソロ・アルバム「オフ・ザ・ウォール(Off the Wall)」、「スリラー(Thriller)」そして「バッド(Bad)」といったアルバムに収められている曲は、かつて本当によく聴いていましたし、その稀有な才能には舌を巻くしかないと感じてきたものです。積極的なファンだったわけではありませんが、例えば「ビリー・ジーン(Billy Jean)」の少し妖しい雰囲気が漂うミュージック・ビデオには魅了されたものです。

そして、この映画が制作されるというニュースを聞いた時、正直なところ「大丈夫かなあ」と思ったのです。というのも、「キング・オブ・ポップ」という異名を持つマイケルについては、今でもたくさんのミュージック・ビデオやライヴ映像その他を手軽に観ることができますし、それらを通じて、彼の偉大な足跡を辿ることも容易です。ということは、本人が出演しない映画をどんなに高いクオリティでつくっても、「本家」と比べられてしまい、結局のところ「やっぱりマイケル本人は凄いなあ」と改めて感じ入ってしまうのがオチになるからです。主役をジャクソン兄弟の三男ジャーメインの息子、つまりマイケルの甥にあたるジャファー・ジャクソンが務めることになったことも、事前の評価を微妙なものにすることにつながってしまいました。「マイケルのそっくりさん???」という偏見をもってしまった人は少なくないはずです。ついでに言うならば、幼少期から亡くなるまでのマイケルの足跡については、これまでにかなり明らかにされてきており、「今さら」感があったことも否めません。

しかし、この映画は世界中で空前の大ヒットとなっています。いったいどんな具合なのだろうか。まだ偏見を払拭できないまま映画館に足を運んだのです。

結論から書いてしまうと、この映画、事前の予想をはるかに超える良い出来だったと思います。主役のジャファー・ジャクソン、そして幼少期のマイケルを演じたジュリアーノ・ヴァルディの二人は、ともにマイケルを演じるために、かなりの期間にわたって訓練を積んできたことがよくわかる、見事な演技でした。とくに、マイケルの大きな特徴であるダンスに関しては、非の打ちどころのない出来だったと言えるでしょう。しかしそれだけではなく、話し方やちょっとした仕草も、「ああ、マイケルってこんな感じだったよなあ」と思い起こすのに十分なクオリティだったと思います。

また、マイケル以外の登場人物、とくにジャクソン家の人々についても、特殊メイクを施しているとはいえ、完璧にそれぞれの人物を演じていました。こうした努力、配慮が、伝記映画としての質を高めていることは間違いないでしょう。

また、ストーリーに関しても、デビュー前の父親からのスパルタ訓練からジャクソン5としてのデビュー、スターダムへの駆け上がり方、ソロ・デビューとそれをめぐっての父親との不和、ジャクソンズから離れる最大要因となってしまった「ヴィクトリー・ツアー」の様子等、テンポの良い流れで話が進んでいくため、見る側がストレスを感じるようなことはありませんでした。彼が長年悩まされた肌の病気である白斑や、晩年鎮痛剤によって苦しめられるきっかけとなった大火傷についても、しっかりと触れられていました。そして、それらを通じて私達が改めて気づいたことは、彼が「みんなに光を与える存在にならなければならない」という宿命を背負いながらも、それを過剰に重荷に感じることはなく、あくまで自然体で心優しい青年であり続けたという事実です。また、彼には同世代の友達と呼べる人は結局現れず、心を許せるのはチンパンジのバブルス君、そしてネバーランドで飼われていたキリンその他のペットだけだったのです。マイケルという人が、心優しいのに不器用で、とても寂しい私生活をおくっていたことがよくわかりました。いわゆるポップス界のスターの中で、こんなにピュアで、それにもかかわらず寂し気な精神の持ち主は他にいるのでしょうか。

ただ、そうしたテイストであるだけに、「本当にこんなきれいな話でまとめてしまってよいのだろうか」という疑問が出てくることも事実です。とくに年齢を重ねるにしたがって、彼をめぐっては、大きな誤解も含めて、随分厳しい批判的な論調が増えたことは事実としてよく知られています。しかし、この映画ではそうした側面はほとんど描かれていません。それらの幾つかは法廷闘争にまで発展したのですが、それについてのマイケル自身の苦悩はどんなだったのか、残念ながら明確にはなっていません。こうした面が大幅にカットされたウラには、「大人の事情」があったようですが、それにしても伝記映画としてはいささか物足りなさを感じてしまいます。また、彼と非常に近い関係にあった女性、つまり、妹のジャネット・ジャクソン、そしてモータウン時代から信頼できる先輩であり、ある時は母親、そして別の時には恋人としての役割を担っていたダイアナ・ロスがまったく出てこないことにも、大きな失望を感じてしまったことを否定できません。こちらも、本人たちが映画への出演や協力を拒否したという事情があったそうですから、しょうがないのかもしれませんが、彼女たちが出ていたら、この映画、随分違う雰囲気になっていただろうと思うのです。

そんなわけで、映画の中で良くも悪くももっとも存在感を見せつけていたのが、マイケルの父親、ジョセフ・ジャクソンを演じたコールマン・ドミンゴでした。相当の悪役として描かれている彼は、本当のジョセフを少しデフォルメした感もありましたが、彼のような存在が、マイケルの苦悩をリアルに表現するのに、十分な役割を演じていました。彼を主役にしたスピンオフ作品をつくっても、十分おもしろいものになるのではないか、と思った次第です。


いずれにせよ、この映画のヒットをきっかけにして、彼の功績は再評価されることでしょう。彼のダンスについては既にさまざまな角度から分析・評価されていますが、私自身としては、彼の作曲・編曲能力、そして歌唱力にもっと焦点を当てるべきではないか、と考えています。そこに彼の完璧主義的な性格がはっきりと表れているからです。また、その後のポップス音楽への影響も、そうした面から考えてみることに大きな意味があると思われるからです。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常355 シリア難民はどのように描かれたのか

こんにちは。

 

先日、近鉄(近畿日本鉄道)京都線で、始発電車が京都駅を出発した直後に脱線するという事故がありました。早朝ということで乗客数は少なかったため、幸いけが人は出なかったようですが、これが通勤ラッシュ時の満員状態だったら、と思うと、大げさではなく、背筋が凍る思いです。実は、この路線は、私が中学生・高校生の時には毎日のように使っていた路線であり、現在もたまに利用しているので、大きなショックを受けた次第です。路線は約30時間後に全面復旧・運転再開となったのですが、まだ原因は特定されていません。これって大丈夫なのでしょうか。もちろん、利用者としては早い復旧に越したことはないですし、そのために努力してくれた近鉄社員の皆さんには敬意をはらうものですが、なぜ脱線したのかわからないのに、そのまま電車を走らせるということに、危うさを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 

さて、以前も書きましたが、映画館に出かけた時の楽しみのひとつとして、本編が始まる前に流される数本の予告編が挙げられます。未知の映画やそこで描かれる世界を手軽に知るチャンスとして、予告編はとても価値があるのです。場合によっては、本編と同じぐらいのインパクトを私達に与えてくれると言ったら言い過ぎでしょうか。

そして、今回取り上げる映画は、以前紹介した映画「オールド・オーク」を観に行ったときに予告編ではじめて知ったものです。詳細は繰り返しませんが、「オールド・オーク」は、シリアから逃れてきた難民たちがイギリスの田舎町に住むことになるにあたって生じるさまざまな問題、軋轢を描いたものでした。(未読の方は、第348回、2026年5月15日を一読ください。)そして、今回取り上げる「アイ・ワズ・ア・ストレンジャー」(原題:”I Was A Stranger” ブラント・アンダーセン監督・脚本)はその前段階、つまり、長期化する内戦で荒廃しつつあったシリアに暮らす人々が命がけで祖国を脱出していこうとする様子を、膨大な取材に基づいて映像化した、とても重い内容の映画です。

映画の紹介の前に、シリア内戦について少しだけ。アサド大統領による長期独裁政権への不満を発端に、シリア政府軍と反体制派の間に勃発したシリア内戦は、2011年から2024年まで続いた史上最悪とも言える内戦です。現在までに判明している犠牲者数は40万人以上。そして、長期にわたる戦禍から逃れるため、1,400万人もの人々が国内外への避難を余儀なくされています。アサド政権の崩壊によって2025年に一応の収束を得たものの、現在もなお国内各地で小規模な戦闘が続いているという現実を知るだけでも、その深刻さ、悲惨さが伝わってきます。

そんなとんでもない状況に置かれた国、シリアにおいて、引き裂かれる家族と、彼らに関わる人々の姿を多角的に描き出したのがこの映画です。

主な登場人物は5人。

・危険を承知のうえで娘を連れて国外脱出を図る医師アミラ。

・政府軍に属しながら、その強引で無慈悲なやり方に疑問を持ち始めた兵士ムスタファ。

・国外脱出の手引きをしながら、大金を手にし、その金で息子とともにアメリカへの移住を目論むトルコ人密航業者マルワン。

・その業者の手引きで小さなボートに乗り込み、家族とともに国外脱出をはかる詩人ファティ。

・命からがら脱出してきた難民たちを助けようとするギリシャ沿岸警備隊の船長スタヴロス。

国籍も職業も立場も異なる者たちの思惑が、戦争という悲劇によって交差し、わずかに見える希望の光を目指して、絶望の淵から逃れるべく、決死の行動に走るのです。そして重要なのは、彼らそれぞれには愛すべき家族がいる点です。壊滅的状況に追い込まれた人々の恐怖と絶望を描きながらも、愛する者を守り、希望を手放さずに生きようとするひたむきな姿が鮮明に描かれているのです。

この映画、5つのパートに分かれていて、それぞれ上に紹介した主要登場人物を追いかける形でストーリーは展開していきます。しかし、全体は大きな繋がりが持っており、シリアの状況がいかに混とんとした、そして救いがたい状況にあるのかがとてもリアルに、まるでドキュメンタリーであるかのように描かれています。テイストとしては、ストーリーの展開はとても早く、なおかつ淡々としているとの見方もできるかもしれません。しかし、それによって、2時間足らずの間、鑑賞する側は必要以上に落ち込みすぎることなく、客観的に、なおかつ緊迫感をもって状況を理解することができます。

また、個人的には、もっとも「人間」をよく描けているな、と感じたのは、密航業者マルワンです。彼は、密航希望者たちから高額の料金をふんだくったうえで、小さなボートに乗せ、仲間には「あいつらが密航に成功しようが失敗しようが、俺の収入は変わらない」とうそぶくのです。その点だけを見れば、とても冷徹な人物のようですが、家で待つ子供との新たな生活を夢見ているからこそ、カネを荒稼ぎすることに必死なのです。そんな側面をもつ彼の姿は、映画全体のなかでも、クセのある人物として、ひときわ目立っているように感じたのです。

 

映画の冒頭、爆弾が落とされる続ける最中、病院に次々と運びこまれる怪我人の治療にてんてこ舞いになる医師の姿を追いかけるシーンを見るだけで、私達は圧倒されてしまうのですが、映像そのものはあくまで客観的で、見る側に過剰な思い入れを押し付けようとするアプロ―チは注意深く避けられています。そのような工夫がなされているところに、監督の演出手腕がうかがえると思うのは私だけではないでしょう。そうです。この映画、シリアの悲惨な現実を訴える、ということが大きなテーマであることは事実ですが、それを多くの人が鑑賞する映画作品として昇華させることに注力されているがゆえに、とても強い訴求力をもつことができているのです。

 

ところで、とても気になるのがこの映画のタイトルです。単純に考えれば、stranger(よそ者)とは見知らぬ土地へと逃れていく難民たちのことを指すかのように思ってしまいますが、それならば、なぜweではなくIなのか、またなぜ現在形ではなく過去形なのか、という疑問が湧いてきます。難民の悲惨さを伝えたいだけなのなら、”we are strangers”でよかったはずです。彼らを「難民」という言葉で一括りにしてしまうことの愚かさを戒めるためにあえて主語を単数形にした、とも考えられるかもしれません。しかし、それにしても彼らの苦難はシリアからの脱出後も続くわけで、問題は解決していません。そんなことは、制作側は百も承知のはずです。すると、過去形にしていることの説明はつきません。

映画館を出た後もしばらくこのことを考えていたのですが、どうにも「これだ!」という答えは見つかりません。

ひょっとすると、実はstrangerとは、この状況をスクリーンを通して見ることしかできていない私達観客側、そして映画を製作した側のことを指しているのかもしれません。私達は、シリア難民のことを単に「知識」として知っているのみであった鑑賞前に比べれば、多少は「よそ者」から脱却するきっかけが与えられたのかもしれません。そんな風に観客に働きかけることができたら・・・制作側のそのような期待を込めて、あえて過去形の文章にしているのかもしれません。・・・いやいや、ちょっと考えすぎかもしれません。ただ、色々な解釈が可能なタイトルであることは間違いありません。たからこそ原題に込められた思いを変に曲解・誤解されることを避け、その雰囲気を壊さないようにするために、邦題はこれを単にカタカナに置き換えるという一見するとカッコ悪い措置が取られたのかもしれませんね。いや、単なる思いつきです。

いずれにせよ、この映画を鑑賞することが、今でも世界各地で続く内戦や戦闘の実情に少しでも関心を持ち、翻って、日本という国が置かれている現状を見直すきっかけになれば、と思った次第です。



今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常354 洋画家高島野十郎の魅力

こんにちは。

 

6月も下旬になりました。私にとっては、約10日間の入院生活があったため、とても短い一ヶ月であったような気がします。皆さんは、この梅雨のうっとうしい天候の時期、体調を崩さずにいらっしゃるでしょうか。

 

6月は水無月とも称されますが、この由来はご存じでしょうか。古語の「無」は「の」を意味し、本来は「水の月」という意味なのです。そして、旧暦6月は、田に水を引く大事な時期だったことから、このような名称がついたのだと言われています。

ところで、その名も「水無月」という和菓子があることをご存じでしょうか。この時期、京都の和菓子屋さんには、必ずと言ってよいほど、この菓子が店頭を賑わせることになります。とは言っても、見た目はかなりシンプルです。ういろうの生地を蒸籠に流して蒸し、大粒の大納言小豆や甘納豆を並べて再び蒸したもので、たいていは三角形に切り分けて販売されています。この形状、どうやら昔は高級品であった氷を模しているようで、その意味でも、この時期にぴったりということで、広く普及したようです。現代の感覚からすれば、「どこが氷だ??」とも感じますが、江戸時代の人々にとっては、氷というものを目にすること自体があまりなかったわけで、菓子屋さんとしては、氷を模したというよりも、涼やかさと美味しさの両方を求めた結果がこの菓子の形になったというところでしょう。なお、もともとは、過ぎた半年の穢れを祓い、来る半年の無病息災を願うという意味が込められています。本来は、6月30日に食するのが正式とされていますが、今では「6月中に食べれば・・・」ということになっているようです。いずれにせよ、京都に住む人には、これを食べながら「ああ、今年も半分過ぎたなあ」という思いに耽る人も多いのです。

水無月(俵屋吉富のサイトより転載)



さて、今回の本題です。皆さんは高島野十郎(たかしま やじゅうろう)という画家をご存じでしょうか。明治の後半から大正、そして昭和40年代頃まで活動し、その精密な筆致で注目された洋画家です。しばらく前になるのですが、この人の大規模な個展が大阪・中之島美術館であったので、観に行ってきました。今回は没後50年を記念して開催された関西では初の回顧展ということで、非常に見ごたえのあるものでした。

この人、いわゆる美術系の大学や専門学校を卒業していないこともあり、画壇には仲間と呼べる人はあまりいなかったようです。また、70歳を超えてからは、千葉県柏市に水道も電気も通っていない小さなアトリエを建てて、そこで亡くなるまで描き続けたことから、「孤高の画家」と呼ばれています。しかし、そのような印象からだけでこの人の作品を鑑賞することは、必ずしも正しい観方ではない、そんなことを感じさせる展覧会だったのです。

この人の作品の特徴を私なりにまとめてみると、以下の点が挙げられると思います。

第一に、とても精緻な筆遣いと、そこから感じる「写実の極致」とも言われる力強さです。この人の作品は、風景画、人物画、静物画など非常に多岐にわたりますが、それは若い時から身につけていた描写の正確性に裏打ちされたものだったのです。しかし、彼はもちろんそのレベルにとどまっていた画家ではありません。その写実の力を大きな武器として、自身の精神的な高まりを表現するのが彼の画風だったのです。ですから、例えば静物画を描いていても、それは「なぜその物はそこに置かれているのか、あるいは存在するのか」という「謎」を見る者に考えさせるきっかけになっているのです。そこに、静物を単なる静物として描く凡百な画家の作品とは一線を画する「何か」があるのです。ですから、彼の作品を見ていても、決して飽きることはありません。その「謎」を解き明かすという楽しみが私達に与えられるのですから。



第二に、静物画の中でもとくに花の絵に見られる妖艶な美の世界です。彼は「花ひとつを、砂一粒を人間と同物に見ること、神と見ること」と述べていますが、花が自らの強い意志を持ち、私達に真正面から迫ってくるような美しい迫力がそこにあるのです。それは例えば、ゴッホの「ひまわり」等と共通するところなのかもしれません。そう、私達は絵を見ているようでいて、実は、絵の中に描かれる花に見つめられているのです。


第三に、彼の代表作とされている連作「ろうそく」とさまざまな風に描かれる月や太陽の絵についてです。考えてみれば、ろうそくをこれだけ描いた画家は、古今東西彼の他にいないでしょう。今回の展覧会では、最後の部屋に大量のろうそくの絵が陳列されており、それらのもつ荘厳さに圧倒されたものです。それらは、本当にゆらゆらとゆらめいているように見えてきて、こちらの目がおかしくなったのではないか、と錯覚してしまうほどのものでした。まさに、彼の写実の集大成ともいえるものでしょう。



彼は言います。「月ではなく、闇を描きたかった。闇を描くために、月を描いた。月は闇をのぞくためにあけた穴なのです。」

なんとも面白い、独特の観点ですね。彼はその闇の中に何を見出したのでしょうか。そして、月の表情が変われば、それにともなった闇の表情も変化するのでしょうか。考えれば考えるほど、「闇」がどのような意味を持つのか、そこに彼の精神の根源を覗きみることができるような気がするのです。


総じて、彼の描く世界は、彼独自の世界観と精神性に基づくものでありながら、実は、かなり多くの画家たちから強い影響を受けているようです。先述のゴッホはもちろんですが、岸田劉生、青木繁、古賀春江など、日本における洋画の世界を切り拓いた人達との出会いと交流を通じてこそ、独自の「野十郎ワールド」を作り上げていったのだろうということをつくづく感じた次第です。つまり、彼はとくに晩年においては、ひたすら自分の世界を追い求める「孤高の画家」であったのは確かな事かもしれませんが、そこに至るまでの道程では、決して「孤独の人」ではなく、世間一般から大きな注目を浴びることはなかったとしても、彼の絵に魅せられた人々に見守られ、とても幸せな画家人生を送ったのではないだろうか。そんなことをふと思って、会場を後にしました。

なお、この展覧会についての感想、本当はもっと早く書きたかったのですが、入院その他の事情で随分遅くなってしまいました。展覧会自体はとっくに終了してしまっています。見逃した方は、次の機会のぜひどうぞ。

また、この展覧会はほとんどの絵が撮影可でしたので、撮りまくってしまいましたが、こうやって見てみると、あまり良い写真にはなっていませんね。悪しからずご了承ください。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常353 退院しました

こんにちは。

 

昨日、無事退院してきました。皆さんには、ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。まだ咳が残っていて、就寝時などはそのために眠りが浅かったりしますが、まずは一安心というところです。

 

今回の入院中も色々と気づかされるところがありましたが、中でも気になったのが、ナフサを利用した製品、例えば手袋や点滴用のルート、透析回路、カテーテル、その他手術用の各種用具などが、いかに多く使われているかです。これらは扱いやすく、安価であるため、使い捨てするに非常に適しており、その大量利用によってこそ、日本の医療現場における安全衛生は確保されているといっても過言ではないのです。

ホルムズ海峡問題がいつになったら解決するのか、まだはっきりしていませんが、これが本当に長期化することになってしまえば、医療現場は大変な混乱に陥ることは確実です。なにせ、医療機関における診療報酬は毎年厳格に決められており、材料費が高騰したからと言って、それをそのまま診療価格等に上乗せすることはできないからです。また、これらの仕入れが上手くいかなくなれば、診療体制そのものの大幅な見直しにつながりかねないのです。

今のところ、ナフサを代替するような原材料は開発されていないようです。しかし、現代社会におけるガソリンや重油、軽油、そしてナフサ製品等への依存度がいかに大きいかがはっきりした今日、その代替となるものや仕組みを開発していかないと、医療のみならず、日本の産業全体に重大な支障を来すことになります。今の困難を、石油の大量利用に裏打ちされた20世紀型社会からの脱却に本腰を入れる契機として捉えるべきではないか、そんなことを考えた次第です。

もう一点。

前にも書きましたように、入院中は時間を持て余すことになるのですが、そんな時間を利用して、今回は原田マハさんの小説「まぐだら屋のマリア」を読みました。この人の作品これまでに数冊読んだことはあるのですが、それらのほとんどは実在する美術界の巨人たちを取り上げ、そこに架空の人物を絡ませることによって、物語に深みを与える、というつくりのものでした。例えば、「リーチ先生」はバーナード・リーチ、「楽園のカンヴァス」はルソー、そして「たゆたえども沈まず」はゴッホ兄弟、といった感じです。

しかし、本作はかなり趣が異なり、登場人物はすべて完全に作者のオリジナルです。タイトルからはキリスト教における聖人「マグダラのマリア」を思い起こしますが、これとはまったく関係ありません。また、主要登場人物の名前にも、キリスト教になじみのある言葉が使われていますが、これもまた、とくに意味があるわけではないようです。さまざまな理由で「縁もゆかりもない」北の土地に流れ着いた人々の心のゆらぎが丁寧に描かれていいる、一種のほろ苦い青春小説というのが、本作の装いです。そしてもっとも重要なテーマは、「ふるさととは?」そして「家族とは?」なのです。どんな人にも、思い出すだけで心が苦しくなるような過去はあります。そのことから逃れるために、誰も知らない土地へと移り住むことを考える人も少なくないでしょう。そして、そうして流れ着いた土地にも、その人をやさしく包んでくれるような環境はあるかもしれません。その人にとっては「第二のふるさと」なのです。そしてそこに留まり続ける人もいますが、他方で、やがて、本来の家族の元へと戻っていくことを決断する人もいます。どちらを選ぶのかは、その人次第であり、「正解」といえるようなものはありません。ただ、誰もが「罪人」であり、「心の平穏」を望んで、もがき苦しんでいるのです。そこから先は、読者自身が考えるべきことなのでしょう。

この小説、最近ドラマ化されたのですが、私はまったく見ていません。つまり、上に書いた感想、印象は、あくまで小説を読んでのものです。ただ、読後感としては、個人的にはそっと穏やかな風が頬をかすめていった・・・そんな印象が残りました。

原田さんの文章はとても絵画的で、容易にそれぞれの場面を頭に描くことができます。いわば、ヴィジュアル的にとても工夫された小説なのです。このあたりは、さすがにキュレーター出身で、古今東西のアートに精通している作者ならでは、と言えるでしょう。この作品が、これまで映像化されてこなかったのが不思議なくらいです。

 

最後に、過去の投稿について、訂正とお詫びです。

第350回(2026年5月29日)の投稿で、布施明さんの「君は薔薇より美しい」の作曲者としてミッキー吉野さんを紹介しましたが、その際、彼が「元ゴダイゴのメンバー」であると記しました。しかし、これは完全に誤りでした。ゴダイゴというバンドは1985年に解散した後、何度かの再結成を経た後、2006年に「恒久的な再始動」を宣言して、現在も精力的に活動を続けています。そしてミッキーさんは過去から現在に至るまで、このテクニシャン揃いのバンドを、リーダーとしてまとめています。前回の投稿の際に確認が不足しており、大変失礼しました。

ちなみに、「ゴダイゴ」というバンド名は、リーダーである吉野さんの苗字にちなんでいるそうです。つまり、南北朝時代に南朝の初代天皇として、北朝側との争いに明けくれたことで知られる後醍醐天皇の本拠が今の奈良県の山奥、吉野にあったことに由来しているそうです。また、英語表記はGODIEGOとなっていますが、これはメンバーの発案で、まあ、「七転び八起き」的な意味が込められているようです。なお、ミッキー吉野さん自身は、奈良県出身ではありません。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常352 入院中(._.)

こんにちは。

 

記事の更新が止まってしまいました、申し訳ありません。実は、先週木曜日から肺炎のため入院中です。

今回はさほどひどくはないのですが、やはり免疫力が低下しているというのは怖いことですね。

順調にいけぱ、今週後半には退院の見込みでそので、次回のブログ更新はその後、週末になると思います。

楽しみにしている方(そんな人いるのか??)申し訳ありません。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常351 合唱の未来

こんにちは。

 

去る6月2日で、私が多発性骨髄腫の診断と余命宣告を受けてから、ちょうど12年が経過しました。そして、今日もこうして生きて目を覚ましています。このことに、周囲のあらゆる方、そして医療関係者の方に重ね重ね感謝する次第です。この病気の5年生存率は約50%、そして10年生存率は30%強となっており、10年前に比べると、格段の向上が見られます。ただ、そうは言っても罹患した方の約半分は5年以内に亡くなっているわけで、自分の運の良さをしみじみと噛みしめています。いつまでこの命を長らえることができるのか、あるいは日常生活を送っていくうえで最低限の健康状態を維持できるのかわかりませんが、これからも、一日一日を大切にしていきたいと思っています。

 

さて、今回の本題です。

先日、ロームシアター京都で開催された京都合唱祭に出かけてきました。この会場、以前は京都会館と呼ばれていたコンサート・ホールで、比較的収容人数の多い大型のホールを2つ揃えているほか、いくつかの設備を併設している、京都市内でも指折りの大型施設です。ル・コルビジェの弟子であり、昭和を代表する建築家だった前川國男さんの設計による堂々たる建物は、平安神宮に隣接した絶好の立地ということとも相まって、市民のみならず多くの人々に愛され続けています。同じ敷地にふたつの大きなホールを抱えているという場所は、そんなに多くないため、とくに大規模なイベントでは重宝されているようです。そして、2016年に大規模改修を行った際に、現在の名称に変更された経緯があります。ちなみに、「ローム」とは、京都市に本社を置く半導体、電子部品メーカーで、そのビジネス領域は世界中に広がっています。

以前も少し紹介しましたが、日本には全国に散らばる合唱団体の活動を支援するとともに、各種イベントを主催している「全日本合唱連盟」があり、各都道府県にはその支部が設けられています。そして、各支部のもっとも重要な年中行事のひとつとして、毎年5月から6月に開催されている「合唱祭」があります。(地域によっては「合唱フェスティバル」という名称で開催)


合唱祭には、連盟に加盟している多くの団体が参加して、それぞれ日頃の練習成果を披露しているので、聴衆にとっては、その地域の合唱活動の現状を知るにはもっとも手っ取り早い機会となっています。各団体の演奏時間は約10分程度という短いものですが、とくに小規模団体にとっては、大きな会場で、たくさんの聴衆に演奏を聴いてもらえる機会はさほど多くありませんから、本当に貴重なイベントなのです。また、中学・高校・大学等の各合唱団にとっては、新入生が入団してはじめて経験する大きなステージであり、比較的気候が安定しているこの時期に行われるこのイベントは、部活(サークル活動)運営の観点から見ても、とても大きな意義があるのです。

しかし、合唱が盛んであるか否かには相当の地域格差があります。そのため、合唱祭の「賑わい」の程度にもかなりの違いがあるのが現実です。加盟団体そのものが少ない都道府県では、日曜日の午後だけですべてのスケジュールをこなすことも可能かもしれませんが、加盟団体が多いところではそうはいきません。京都の場合、ロームシアターのふたつのホールを同時並行で使用しながら、この時期の土曜日、日曜日の二日間、朝から夕方までにわたって賑々しく開催されているのです。

私がはじめて京都の合唱祭に参加したのは40年以上も前のことですが、その規模の大きさ、参加人数の多さ、そして会場周辺の晴れ晴れした雰囲気に圧倒されたことをよく覚えています。その後、自身でもステージに立ったり、多くの団体の演奏を聴かせてもらったりするため、何度も足を運んでいますが、会場を包む雰囲気そのものは、今でも大きく変化していません。ちなみに、今年の参加団体数は87団体、その他、同時開催の形で行われた「全日本おかあさんコーラス 関西支部京都大会」に23団体、「小アンサンブルコンテスト」に42団体が参加していますので、合計すると、約150にも及ぶ演奏が展開されたことになります。もちろん、これを全部聴きとおすことは不可能なので、会場は常に人の出入りが絶えず、また、合間を縫って、ピロティや中庭には多くの合唱愛好者がたむろし、旧交を温めています。それがまた、華やかさを演出しているのです。

 

ただ、感覚的には、一昔前に比べると、参加団体や人数は減少傾向にあるように思えたことも否定できません。とくに、高校生や大学生の数は明らかに少なくなっています。

実は、日本の合唱人口は長期的減少傾向にあり、年々その深刻さは増す一方なのです。少し古いデータになりますが、総務省の社会生活基本調査によると、合唱人口は2021年現在約186万人で、5年前の2016年の約323万人から大幅に減少しているのです。とくに若年層で新たに合唱を始めようとする人が激減し、これまで「名門」と言われていたような学校の合唱部でさえ、部員集めに苦労しているのが実情なのです。

この原因としてあげられる要因は、主に以下の通りです。

・少子高齢化に伴い、学生の数が減りっている

・趣味や関心領域の多様化によって、合唱以外の活動に目を向ける人が多くなっている

・中学校、高校においては、指導者である教員の負担増が問題視される中で、クラブ活動の時間制限が進み、課外活動を充実したものにするための土台が危ういものになっている

・学生の中には、ひとつの活動に多くの時間や労力、金銭をかけることを避ける傾向が強くなっている。つまり、合唱に限らず、どの活動にも属さない「帰宅部」的な人が増えている

 そこにコロナ禍の影響が決定的なダメージとなってしまったのです。ただ、これらはいずれも、合唱に限らず、ほとんどの部活、サークル活動が同様の問題を抱えています。例えば野球部等でも一校だけでは単独でチームを編成できないところも増えつつあります。

では、合唱活動特有という問題は何でしょうか。

実は、今回の合唱祭では「ゲスト・トーク」として作曲家の信長貴富(のぶなが たかとみ)さんが合唱の未来について語るコーナーが設けられていました。そこで信長さんも上に書いたのと同様の危機感をもって、「これまでのようなやり方では駄目でしょう」と何度も繰り返したうえで、「おそらくもっとも時間をもてあましているであろう大学生にターゲットを絞って、もっと積極的に勧誘活動を進めるべきだ」という主旨の発言をされていました。しかし、長く大学の教育現場にいた身からすると、この見立ては希望的観測に過ぎず、解決策としては不十分と考えざるを得ません。

私達が学生だったころと比べると、たしかに、今の学生たちは課外活動にさほど興味を示さないのが一般的になりつつあります。それは、上に書いた「関心の多様化」もあるのですが、大学での勉学そのものが以前よりかなり厳しくなり、年中レポートや課題に追われるというのも珍しくなくなり、「課外活動にうつつをぬかしている余裕などない」と考える人が増えていることにも注目しなければならないのです。また、授業の出欠管理の厳しさも、彼らにとってはプレッシャーになっているようです。もちろん、大学は「勉強するところ」ですから、そちらが優先されるのは当然のことでしょうが、大学・教員からの指示にしたがうことに時間を取られて、自身の生活を窮屈なものにしてしまっているとしたら、彼らはとても可愛そうな存在と言えるのではないでしょうか。そうやって、課題をこなしていく生活で、想像力や創造力はどこまで育つのでしょうか。課題を与える立場であった私がこんなことを書くのは自己矛盾になるかもしれませんが・・・。

とはいえ、課外活動はあくまで自主的な意志に基づいて行うものであり、自分の中でその活動に対する優先順位を高めることが出来なければ、多くの時間や労力を費やす気にはなりません。では、合唱の場合、どうすれば彼らの心に訴えかけることができるのでしょうか。

簡単に答えを見出せる問題ではありませんが、私は合唱がもっと「カッコイイ」「楽しそう」と思える活動を意識する必要があるのではないか、と思っています。言い換えれば、もっと「見た目」を意識することによって、未経験者にアピールすることを考えてみてはどうだろうか、ということです。ステージで歌っている団員たちに対して「私もあの一団に加わりたいな」と思えるような活動、スタイル、そしてパフォーマンスです。それはひょっとすると、音楽的なレベルの高さの追求と同じぐらい重要であると思うのです。

今回の合唱祭でも感じたことなのですが、ほとんどの合唱団はステージ上で「棒」のように突っ立って。ほとんど身動きをせずに歌っています。振り付けしたり、手拍子・足拍子を組み合わせたりしている団体は稀有といってよいでしょう。まあ、それが伝統的なスタイルだと言ってしまえばそれまでですし、曲目によっては、それでOKなのでしょうが、それだけでは、見ていてあまり面白くないとおもわれても仕方ありません。要するに、地味で生真面目すぎるのです。

合唱が音楽のジャンルのひとつである以上、音楽そのものを好きになってもらうのが合唱への王道であることは言うまでもありません。しかし、入り口の段階で必ずしも深く音楽を好きになったり、理解したりする必要はありません。「なんだかカッコイイな」というので十分なのです。そうやって間口を広げておいて、その後次第に合唱という「沼」に新人たちを誘い込むことができれば・・・。邪道のやり方があってもいいのではないでしょうか?

同じ音楽関係の課外活動でも、例えば吹奏楽団の中には「あこがれ」だけで入団してくる学生、生徒が多く存在するところもたくさんあります。例えば、「オレンジの悪魔」という異名を持つことで知られる京都橘高校の吹奏楽部は、毎年約30名の新入団員を迎えているそうですが、この高校、一学年の入学定員は270名ですので、9人に1人が吹奏楽部の門を叩いている計算になるのだから、たいしたものです。ここの活動はYouTube等にたくさん動画が上がっていますので、ご存じない方にはぜひ見てもらいたいのですが、激しく踊ったり、マーチングしたりしながら、笑顔で高度の演奏を展開する彼らの姿は、とてもカッコ良く、あこがれを持つ人が多いのも頷けます。相当の基礎訓練や体力づくりが課せられていることも容易に想像できるのですが、「それでもやっていきたい」と思わせるものがビシビシと伝わってくるのです。

 

実は、この週末、私は大学時代の合唱仲間との同窓会を控えています。同期は19人いるのですが、そのうち14人が参加する予定ですから、かなり高い出席率と言えるでしょう。大学を卒業してから40年以上も経つのに、当時の仲間とこれだけの繋がりを持つことができるのは、あの4年間、一緒に相当濃密な時間を過ごしたという記憶と意識が確かなものとして心のどこかにずっと残っているからでしょう。歌を歌っていたからといって直接何かの役に立つなどということはありませんし、当時もそんなことを意識したことはありません。ただ、誰に頼まれたわけでもなく、自分自身の意志として合唱を続けたことが、そのような自意識形成の根幹をなしているはずです。ただ、こればかりは経験した人にしか理解できない感覚でしょう。未経験者には、とにかく門を叩いてもらうように工夫をこらす他ありません。奥深さを知るには、まず入口の段階での親しみやすさをアピールする。合唱の未来を明るくするには、これしかないのでは?と思っている今日この頃です。ひょっとすると、合唱以外のさまざまな活動でも同じようなことが言えるかもしれませんね。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常350 再び、バラの魅力について

こんにちは。

 

先日、ジャズ界の巨人、ソニー・ロリンズが亡くなりました。享年95歳。いわゆるハード・バップの流行を支えたテナー・サックス奏者であるこの人の演奏は、一言で表現するならば豪放磊落。その親しみやすいメロディと突き抜けるような力強いサウンドは、1950~1960年代にはやや内省的、閉鎖的なアプローチあるいは宗教的なメッセージを伝える潮流が広がっていたアメリカのジャズ界に風穴を開けると同時に、聴く者をとても前向きな気持ちにさせるという足跡を残しました。とくに彼の代表作である1956年発表の「サキスフォン・コロッサス」でのプレイはバリバリと吹きまくる中に、彼のめざす音楽の本質を垣間見ることができます。彼は言います。「現実の世界は辛く、悲しい出来事も多いが、音楽は一時的にでもそこからより高い世界へ・・・」

しかし、私のいちばんの「お気に入り」は1993年、つまり彼が60歳を超えてから録音した「薔薇の肖像」です。このアルバム、ほぼ半分がスタンダード・ナンバーで、それらをとても落ち着いた、これまでのどのアルバムよりも暖かみの感じられるサウンドで仕上げるという作りになっています。その、終始リラックスした雰囲気で展開される演奏は、例えばジョン・コルトレーンの代表作の一つ「バラード」と双璧をなすものではないでしょうか。

そういえば、5月はバラの季節でもあります。そこで、盛りを迎えたバラを見に、京都府立植物園に行ってきました。この植物園のこと、バラという花のことは、これまでもこのブログで数回触れてきましたが、その際にも書いたように、この創立100周年を迎えた植物園は年に数回、季節が変わるごとに訪れたいスポットです。とくに今回は、開園間もない午前9時過ぎに入場しましたので、まだ人出も少なく、気温も「暑からず寒からず」で、ゆったりと過ごすことができました。

バラの種類は全世界で4万にも及ぶそうです。そして、そのほとんどは人工的に交配を重ねることによって作られたもので、その事実からだけでも、広く愛されている花だということがうかがえますね。そして、京都府立植物園には、現在そのうち30種類が栽培、展示されているそうです。

 



私が訪れる前日に、かなり強い雨が降ったせいで、花弁はけっこう落ちてしまっていましたが、とにかく多くの種類が植えられているので、まだまだ見頃のものもたくさんあり、とても見応えのあるものでした。さまざまな色の花があるだけでなく、種類によって花の形も様々で、いくら見ていても、飽きないです。ただ、子供にはどのように映っているのでしょうか。近所の幼稚園児たちが見学に来ていましたが、園児たちよりも先生たちの方が盛り上がっていました。ひょっとすると、「大人向き」の花なのかもしれませんね。


ところで、バラにまつわる歌は、ずいぶんたくさんあります。

例えば、リン・アンダーソンが1971年に歌って大ヒットした「ローズ・ガーデン」。

♪言っておくけど

幸せなバラ園を約束したわけじゃないの

太陽が射せば  時には雨も降るものよ

奪うばかりじゃだめ

生かしてあげるか 手放すか

どっちかなんだから

だから言っておくのよ

バラ園を約束したわけじゃないって♪

ここで、「バラの園」は永遠の幸福や繁栄を意味するようです。この歌、恋愛の歌ですが、軽快なリズムとは裏腹に、決して甘ったるくはなく、もっと現実的な面を見るように、恋人に語りかける、という少し斜に構えた内容となっています。1971年と言えば、ベトナム戦争が泥沼化していた時期。アメリカ全体に戸惑いや倦怠感がまん延していた時期で、そんな不安定な時代背景を映しとったかのような内容が、多くの人の心に刺さったのでしょうか。

 

加藤登紀子さんが和訳して歌い、大きな注目を集めた「百万本のバラ」。

♪小さな家とキャンバス 他にはなにもない

貧しい絵描きが 女優に恋をした

大好きなあの人に バラの花をあげたい

・・・・

窓から見える広場を 真っ赤なバラで埋め尽くして

・・・

ある朝 彼女は真っ赤なバラの海を見て

どこかの金持ちが ふざけたのだと思った

貧しい絵描きは 窓の下で彼女を見ていた

出会いはそれで終わり 女優は別の街へ

真っ赤なバラの海は はなやかな彼女の人生

貧しい絵描きは 孤独な日々をおくった

けれどバラの思い出は 心から消えなかった♪

 

なんともロマンティックですが、結局思いを直接伝えることはない、片思いの歌です。切なく、ほろ苦い歌ですね。広場いっぱいのバラの美しさが、その空しさをいっそう辛く悲しい雰囲気を強調しているかのようです。

 

もう一曲だけ。

布施明さんが1979年にヒットさせた「君は薔薇より美しい」(作詞は   門谷憲二さん)。

♪なぜか今日は君が欲しいよ

違う女と逢ったみたいだ

体にまとったかげりを脱ぎ捨て

かすかに色づく唇

目に見えない翼広げて

確かに君は変わった♪

 

この歌は、どんどん美しくなる女性に翻弄されながら、その影をどこまでも追いかけていこうとする、「男のいじらしさ」を歌っています。ただ、ミッキー吉野さん(元ゴダイゴのキーボード・プレイヤー)作曲のこの歌、軽快ですが、音域がとても広く、またメロディ・ラインも少し複雑で、歌唱するにはかなり難易度が高いのです。布施さんでなければ、聴き映えのする仕上がりにはならなかったでしょう。彼の歌唱力は唯一無二です。そのメロディの難しさが際立っているため、多くの人は、このオロオロした感じの歌詞の内容をよくわからないまま聴いているような気がします。

 

こうやって見ていくと、ストレートに美しさや楽しさを歌ったものよりも、ふつうはあまり描かれないような角度から恋愛や人生を見つめるようなスタンスのものが多いのかもしれません。それは、バラという植物が、美しい花をつけると同時に、トゲによって簡単には人や虫たち、その他の動物たちを寄せ付けない気高さをもつという側面があることを反映しているとも言えるでしょう。そして、そんな両面があることに、人々は魅了されるのでしょうね。

また、西洋では古くから「秘密」を意味する花としても扱われており、天井にバラが描かれた部屋(バラの下で)で交わされた会話は決して口外してはならないという習慣もありました。ここでもバラが「美しさ」「妖しさ」が満ち満ちたものとして扱われてきたことがわかります。ただ、そういった性格のためか、キリスト教では「人を惑わすもの」としてタブー視された時代もあったそうです。

 

と、ここまで書いたところで、改めて上に紹介したロリンズのアルバムを見たところ、そのオリジナル・タイトルは“Old Flames”となっています。つまりバラ(rose)という言葉はどこにも使われていません。それぞれの曲のタイトルも同様です。その代わり、といってはおかしいかもしれませんが、ジャケットにはバラの花が描かれています。うーん。これをどう解釈すればよいのでしょうか。もう少しよく考えてみようと思います。とにかく今は、謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常349 映画「ザ・コラール」は音楽映画なのか?

こんにちは。

 

まだ5月下旬だというのに、季節外れの暑さのせいで、体調を崩しそうな日々が続いていますね。困ったものです。皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。

前回は映画「オールド・オーク」について自分なりの感想を書きましたが、「そういえば、ここのところブログに映画について書く機会が多いなあ」と思って数え直してみたら、今年に入って既に6本の映画を取り上げていますね。ほとんどは比較的最近封切りまたは公開されたもので、我ながらよくアンテナを張っているなあ、と自画自賛?している次第です。(いや、自分で言わないと、誰も言ってくれないもので・・・笑)

 

そんなわけで、今回も新作の映画について。今回は「ザ・コラール:希望を紡ぐ歌」(原題:The Choral、ニコラス・ハイトナー監督、2025年公開)です。この映画、そのタイトル通り合唱および合唱団を舞台とした映画ですが、数ある音楽映画の中でも、これは比較的珍しい設定です。オーケストラや吹奏楽団、あるいは作曲家個人に焦点を当てた映画は随分たくさん作られているのですが、どうやら、合唱団というのは「見栄え」が少し地味と考えられているからでしょうか? クラシック音楽の中では、合唱は教会で歌われる聖歌、讃美歌に起源をもつ「音楽の原点」とも言われているのですけどね。

映画の舞台は1916年、つまり第一次世界大戦中のイギリス北部ヨークシャー。徴兵で多くの人々が戦場に送られていくことによって、地元の合唱団は深刻な団員不足に陥っていました。加えて、指揮者までもが戦場に赴くことになり、団は存亡の危機に立たされてしまったのです。何とかしなければならない。団の幹部が新たな指揮者として白羽の矢を立てたのは、敵国であるドイツで活動していたガスリーでした。ドイツでの活動履歴に反発、偏見を抱く市民も少なくなかったのですが、そんなことでへこたれるガスリーではありません。彼にとっては「良い音楽をつくる」ことがすべてだったのです。

しかし、数週間後に予定されていたコンサートでの演奏曲目はバッハ作曲の「マタイ受難曲」。さすがにドイツ語ではなく、英語での演奏を準備していましたが、ドイツ人であるバッハの音楽を演奏することへの反発は、予想以上に強いものでした。練習会場に煉瓦が投げ込まれたりする始末です。さすがにこれはマズイ。団員たちに危害が及ぶ可能性も考えられたので、曲目を変更する必要に迫られます。しかし、クラシック音楽の作曲家の中にはドイツ人が大変多いという現実が彼らに立ちはだかります。ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーン、ヘンデル・・・みんなドイツ出身です。しかしガスリーは思いつきます。「エルガーがいるじゃないか!」 エルガーはイギリス出身で、この頃から現在に至るまで、母国でとても人気のある作曲家です。誤解を恐れずに書かせてもらえれば、17世紀バロック時代に活躍したパーセル以降、世界的に高い知名度を得た作曲家は、エルガーの登場まで、いなかったのです。しかし、彼の作曲した「威風堂々」や「チェロ協奏曲」は世界中で愛されており、名実ともに「名作曲家」としての地位を得ているのです。そんな彼の作曲したオラトリオ「ゲロンティアスの夢」。この作品は、年老いて死が間近に迫ってきた男ゲロンティアスの魂の旅を描いた、宗教的色彩の色濃いもので、原作となっている詩はカトリック枢機卿が綴ったものであるという点では、若干の問題(イギリスは基本的にイギリス国教会の国ですからね)があったものの、もう時間がありません。急いでこの曲の公演に向けての準備がはじまります。合唱団員ももっと増やさなくてはなりませんから、オーディションを行ったり、あちこちで団員募集・勧誘を行ったりして、なんとかサマになる程度の人数を確保していきます。そこには、戦争で傷ついていた人々の心に希望を与えたい、という団員たち共通の願い、祈りがあったのです。「音楽を通じて心を豊かに。」それはガスリーがもっとも皆に伝えたかったことなのかもしれません。「毎日少しでも音楽を聴くべきだ。魂の美しさが世俗に汚されぬように。」 個人的に、大賛成です。

さまざまな困難はあったものの、コンサートは成功裏に幕を閉じます。このコンサートのシーン、演奏はもちろん、団員たちの衣装や振り付け、演出を含めて、とても見応えのあるものでした。しかし、それで「めでたし、めでたし」とはなりません。翌日からまた、皆は思い思いの日常に戻っていくのです。そして、そこには戦争の暗い影がはっきりと現れます。戦争が死あるいは回復不可能なほどの負傷につながってしまうという恐怖にさいなまれる団員たち。また、徴兵の対象ではない女性とて同じこと。身内や愛する人が戦場に旅立つことに悩み、苦しんでいきます。一人の若者が恋人の前で素っ裸になり、「この体を覚えておいてほしい。全部そろっているこの体を。」と言うと、そのまま何もせずに部屋を出ていくシーンは、この映画でもっとも印象に残ったシーンのひとつでした。

彼らの脳裏には、あのコンサートはどのような記憶として残っているのでしょうか・・・

 

改めて、この映画のチラシを見ると、こんな言葉が踊っています。

「偏屈な指揮者と寄せ集めの合唱団。声が祈りに変わる瞬間、人々に希望の火がともる」

耳障りの良いフレーズですが、合唱を長くやってきた人間からすると、このキャッチ・コピーを考えた人は、合唱のことをあまりよくわかっていないような気がします。まず、指揮者という存在は、大体において偏屈であり、唯我独尊的な振る舞いをするものです。彼らは、音楽づくりの全責任を負っているにもかかわらず、本番では自分自身は音を出すことはできません。だからこそ練習段階で、曲に対する自分の思いを少しでも強く団員全員に伝えたい。そんなことを思いながら指揮台に上がる彼らは、ある意味で「独裁者」である必要があるのです。

次に「寄せ集めの合唱団」。これは、市民合唱団である以上当たり前のことです。学校や職場で活動している団体ならいざ知らず、さまざまな立場、職業、年齢の人が集まっているアマチュア合唱団では、入団した目的や経緯、そして「今、何を考えながら歌っているのか」がバラバラであるのが普通で、そんな人たちが「声を合わせる」ことによって化学反応が生まれていくからこそ、合唱はおもしろいのです。そして、そんな具合に奇蹟的とも言える体験を練習や本番で経験した団員たちは、ひとたび合唱の場から離れてしまえば、そこにはいつもどおりの日常が待っています。誰もそこから逃げることはできません。また、その経験がそれぞれの人の心の内に、新たな感情や希望を見出すことができる、とは限りません。それはあくまで個人の問題であって、どんなにすばらしい演奏を行ったとしても、それを未来への糧とすることができるかどうかは、その人次第なのです。ついでに書くと、彼らが指揮者に対してどんな感情を抱いているのかもバラバラでしょう。ただ、一緒にステージに上がると決めた以上、時として独裁的とも思える指揮者の指示にも従い、ともにより良い音楽をつくることに力を尽くす。これは団員としての最低限のルールというかマナーのようなものなのです。

このように考えた時、この映画の本当の主役は指揮者ガスリーを演じたレイフ・ファインズではなく、団員たちであること、そしてコンサート終了翌日以降の彼らを描いた部分にこそ、監督が本当に伝えたかったメッセージが詰まっているように思えてきます。つまり、これはヒューマン・ドラマなどという口当たりの良いテーマを扱った映画ではなく、明確に戦争の罪深さとそれに翻弄される人々の戸惑いと苦しみを描いたシニカルな作品として位置づけられるべきなのです。

 

気分を変えて、少しばかり、細かいツッコミも書いておきましょう。

ひとつには、合唱のレベルがある時期を境に急に上達する点です。「そんなに急にうまくなるわけないだろう!」と突っ込みたくなるのは私だけではないでしょう。ただ、そういう過程の部分を大幅にすっ飛ばしているからこそ、むしろ上に書いた監督のメッセージが際立ってくると言えるのかもしれません。

第二に、上のことと関連するのですが、練習過程や本番の演奏を通じて、指揮者ガスリーや団員たちにどのような心理的変化があったのか、とくに音楽というものについてどのような想いを抱くようになったのか、もう少し丁寧に描いてほしかった、と思ってしまいます。それがあれば、「音楽映画」としての説得力はもっと増したでしょう。

第三に、作曲者であるエルガー自身が表敬訪問のような形で練習会場に現れるシーンがあるのですが、ここでの彼の振る舞いはとてつもなく横柄で、一言で言えば「嫌な奴」として描かれています。しかも、彼が激怒した楽譜の改訂や主役の起用については、結局もとのまま。つまりエルガーの要望は無視されます。これってどうなんでしょうか? 多分エルガーの子孫や親族は、実際にたくさんご存命だと思うのですが、そういった方面から抗議は出なかったのでしょうか? ちょっと心配になってしまいました。というか、結局もとのままにするということならば、わざわざこのシーンを入れる必要があったのか、少し疑問に思えてしまうのです。

 

そんなわけで、「合唱を扱う」音楽映画として観た場合には、若干の物足りなさを感じたものの、その奥に内包された監督の思いを感じ取ることができれば、「見る目が変わってくる」奥深い映画ではないだろうか、と考えた次第です。



今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常348 映画「オールド・オーク」のメッセージは深い

こんにちは。

 

最近、パンタ・ウイルスという聞き慣れない新たなウイルスによる感染症によって、死者が出始めている、という気になるニュースが流れています。クルーズ船内部で感染が広がった可能性が高いということですが、どうやら死者数はもっと増えそうで、心配です。潜伏期間が2週間もあるというのも厄介なところですね。そうこうしているうちに、今度はフランス・ボルドーの港に停泊中のクルーズ船で、胃腸炎と見られる感染症に数十人が発症したというニュースが流れてきました。パンタ・ウイルスとは無関係のようですが・・・

クルーズ船内部での感染拡大というと、数年前の新型コロナ・ウイルスが流行し始めた頃の記憶が蘇った方も少なくないのではないでしょうか。

あれだけ世間を騒がせた新型コロナ・ウイルスについては、最近ではたいして話題にならなくなりましたし、周囲に感染者が出た、という話もあまり聞かなくなりましたね。「コロナ明け」などという言葉が使われたのも、既に懐かしくさえ思えてしまいます。

しかし、このウイルス、なかなかしぶといようで、決して滅亡したわけではありません。最新のニュースによると、昨年一年間で新型コロナ・ウイルスに感染したうえに亡くなった人の数は、20429人にものぼったそうです。(厚生労働省発表)この数字、最悪だった2022年に比べれば半分以下にはなっていますが、それでもかなりの数ですよね。死亡した人を年齢別にみると、60歳以上の高齢者が多数を占めていますが、感染者数そのものをみると、20歳台から50歳台でも相当の数にのぼっています。つまり、油断できるレベルではないのです。このこと、もっと大きく報道されてもよいと思うのですが、いかがでしょうか。今こそ、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ということわざを思い出すべきだと思います。

これまで未知であったウイルスが新たに発見され、その感染症に苦しむ人が多くなるのには、グローバル社会の進展により、物流や人の交流が世界中で歴史上かつてないほどに拡大していることもひとつの要因でしょう。これに加えて、ダイバーシティの推進とそれに伴う異文化交流、コミュニケーションの活発化は、どんどん拡大する一方ですが、そこには強烈な副作用が伴うこと、それを乗り越えて「落としどころ」をみつけていくのは容易ではないこと。これらは既にはっきりしているのです。そういうことに対する気構え、制度整備、そして人々の意識改革ができていなければ、思わぬ問題が浮上してくるのです。そして、新種ウイルスの世界的な拡大もそんな現象のひとつなのです。

 

そんなことを改めて思い起こさせてくれる映画が「オールド・オーク(The Old Oak)」でしょう。監督はケン・ローチ、2023年公開)

この映画、イングランド北部にある田舎町がシリア難民を積極的に受け入れ始めたことに端を発して、もともとの住民たちと難民たちとの対立、軋轢をとてもていねいに描いた作品で、ローチ監督にとっては最後の作品になるだろう、と言われているものです。(誤解のないように最初に断っておきますが、ウイルス感染はまったく関係ありません。)

 

舞台となる田舎町は、かつては炭鉱によって活気を呈していたのですが、閉山以降は衰退する一方。住民たちには「昔はにぎやかでよかったなあ」という懐古観が漂っています。町としては、そうした雰囲気を打破し、カンフル剤としての効果を期待して難民受け入れを決めたのですが、事はそう簡単ではありません。住民たちに残された「最後の憩いの場」である古いバー「オールド・オーク」では、長くここに住み続けている住民たちが、今日も、難民が多くなるにつれて町の様子が変化していくことを嘆きながら、酒を酌み交わすばかりです。また、行政やボランティア組織が、難民の生活保護ばかりに気を取られ、自分たちは「置いてきぼり」にされているというのではないか、という不平不満の感情がふくらむ一方です。つまり、難民たちと新たな街づくりに向けてのヴィジョンを考えていく、というような姿勢はまったくといってよいほど見られないのです。彼らは、ただでさえも鉱山閉山に絶望を味わったのに、それに加えて、大量の難民流入により、深く傷ついているのです。

他方で、難民たちは祖国から命からがら逃げてきたわけで、自分たちの生活が少しでも「マシ」になるのなら・・というわけで、行きつく場所にそんなに選択肢はなかったはずです。この町についても、たいした予備知識はなかったでしょう。つまり、人生に深い絶望を覚え、無力感を抱えたまま、この地に降り立ったのです。しかし、「ここに来る」と決めたからには何とかこの町に馴染んでいくしかない・・・はずなのですが、地元民たちの冷たい視線やあからさまな反感を前に、さらに深く傷ついてしまうのです。

このように、両者ともに心に大きな傷をもっているのですが、これは「どちらが悪い」ということではないのは明らかです。誰でも、今まで慣れ親しんできた環境に愛着があり、それが急速に変化してしまうことへの戸惑い、抵抗感を覚えることは当然です。そして、その原因を他方に押し付けようとしてしまうならば、亀裂が大きくなるのは当然のことでしょう。

しかし、すべての人々がそんな現状を「良し」としていたわけではありません。「オールド・オーク」のオーナーでありバーテンダーであったTJは、以前から難民支援のボランティアとして活動を行っていましたが、自分の店にたむろするのが地元住民である以上、商売を考えると、なかなか表立っての行動はできずにいました。しかし、難民である女性ヤラがカメラを壊されたのを目撃して、後日その修理を業者に依頼する手助けをして以来、彼女との友情を思いがけない形で育むようになります。そしてついには、思い悩んだ末に、長らく閉鎖していた店の奥にあるスペースを修繕し、難民たちのコミュニティ・スペース(日本で言うところの「子ども食堂」のようなもの)として開放する決断に至ったのです。「食事を共にし、会話するようになれば、団結できる」これはTJの母の言葉であり、彼自身が心の奥底に秘めた信念でもあったのです。なお、この映画では、他のシーンでも、食事をすることによって、心がほどけていく印象的なシーンが出てきます。たしかに、人間は空腹状態ではロクなことは考えませんが、誰かと一緒に食事をしながら会話することによって、多少なりとも張りつめていた気持ちを楽にできるものですよね。

果たして彼の思いはすべての人に通じるのでしょうか。もちろん、事はそんなに簡単には進みません。新たな試みは、さらに亀裂を深めることにもつながってしまうのです。しかし・・・

 

この映画、ラストは希望の光を感じさせる展開となっています。見方によっては、これを「予定調和」ではないかと感じてしまう観客もいるでしょう。しかし、これはあくまでローチ監督の私達観客に対するラスト・メッセージであり、未来に向けての祈りだったのではないでしょうか。

オールド・オークとは英語で古い樫の木のことです。これはイングランドに住む人々にとって、強靭さや不屈の精神を思わせる存在なのです。それだけ、彼らの精神構造と深く結びついているものとして大事に扱われてきました。そんな名前を冠したバーには、TJに限らず、地元の人々は並々ならぬ誇りを持っているはずです。しかし、難民たちへの怒りから、彼らは自分たちにとっての「砦」であった店をも傷つけてしまいます。そのことに、TJは、怒りを通り越した深い悲しみに打ちひしがれ、旧友に感情をぶつけることになるのです。これはあまりにも辛い展開です。だからこそ、そんな悲しい状況と苦しい感情を緩和するためにも、ラストシーンの展開は、どうしても必要だったのではないでしょうか。

もう一点印象的なシーンを紹介しておきましょう。それは冒頭、TJが外れている店の看板を直そうとしているシーンです。(下にあるこの映画のポスターの写真をご覧ください。)店はこの町にとっての象徴的な存在であり、無くしてはならないものです。そんな店の看板が外れかかっている。そしてそれを直そうとするのだが、なかなかうまくいかない、というのは、この映画の主題を的確に表しているのです。冒頭なので、こちらはまだ映画の世界に入り込めていないのですが、油断してはなりません。お見逃しないようにしてください。

 

この映画のような状況は、イギリスに限らず、どこの国、地域でも起きうる話です。私達の身近な場所でもそんなことは起きていないのか、考え直してみるべきでしょう。グローバル化の進展は、決して拒絶すべきことではないでしょうし、止めることができるとは思いませんが、そこに生じる副作用についての認識をきちんと持つこともまた必要なのです。私自身、職場が大学という場所であったために、留学生や外国人教員は年々増加する傾向にあり、もちろん、それは大学に新たな風を吹かせるという大きなプラスの効果をもたらしたことは事実なのですが、他方で、そこに生じるさまざまな問題を目の当たりにしてきた経験があります。そんなことを思いだしながら、いろいろと考えさせられる、良い映画だったと思います。

 



今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常 347 日本画家竹内浩一の世界

こんにちは。

 

皆さん、GW中、リフレッシュはできたでしょうか? 連休が終わろうとしているこの時期、仕事をしている多くの人間は、ちょっとした憂鬱気分に見舞われます。というのも、この後、カレンダー上7月半ばまで祝日はないからです。しかも、気候としては、だんだん蒸し暑さが増してきて、6月になると、梅雨入りしてしまいます。一年でもっとも気だるさを感じる季節といっても過言ではないでしょう。

この季節、病院では精神科や心療内科を受診する人が増えるようです。そう、五月病ですね。これは医学用語ではありませんが、この時期に適応障害、うつ病、パーソナリティ障害、パニック障害、不眠症等が起きることの総称として、広く認識されています。春は、進学、就職、転勤や異動など、生活環境が大きく変わる季節です。期待や不安で緊張が続きますが、ゴールデンウィークの連休でその緊張は緩みがちになり、それが心身のバランスを崩すきっかけとなる・・・これが五月病の正体らしいです。連休って必ずしも「あればあるほど良い」というものではないのですね。人間の体の難しいところです。

そんな事態にならないようにするには、「ストレスは必ずあるもの」と認識して、ストレスと上手につきあう方法を考えることが大切なようです。なるべく気持ちを穏やかに保つよう心がけることによって、心身のバランスは整ってくるのです。

気持ちを健やかに、そして穏やかにするには、美術館や博物館での芸術鑑賞、そして静かな寺社への参拝も有力ではないでしょうか。こういった場所は、その凛とした空気感が街中とはまったく違います。なんというか、背筋がピンと伸びるような心地よさを感じられるはずです。

そんなわけで、先日、京都市北区にある堂本印象美術館、そして大徳寺の塔頭である:芳春院に行ってきました。この2カ所を訪れたのは、清々しい空間に身を置きたかったから、というのもありますが、もうひとつの重要な目的は、竹内浩一さんの作品を鑑賞することでした。

竹内浩一、といってもご存じない方が多いかもしれませんね。1941年生まれ、つまり今年で85歳になる日本画家です。デザイナーとして職歴をスタートさせた方ですが、後に京都画壇の重鎮・山口華楊に師事し、本格的に画業の道に入り、近年の日本画の風潮とは一線を画する独自の画風で人気を集めています。日本画家としてスタートした頃について、彼自身は以下のように振り返っています。

「20歳を過ぎたころ、何の目覚めなのか小心に悩み、悲観的になり不安がつのり、日ましにつよくなった。純粋絵画の世界に飛び込んだのは、心に問いかけ悩みを打ち消したかったのが理由で山口華楊門下になった。」

このように精神世界を突き詰めるために日本画を描き出した彼の作品には、他の日本画家にはないいくつかの特徴がみられます。

ひとつには、この数十年日本画の世界では、絵具を「厚塗り」して、「線」重視から「面」重視へと方向転換する傾向が主流になりつつあったのに対して、彼は、あくまで伝統的な日本画手法での描き方にこだわっているということです。そのためか、彼の絵はとても繊細で微妙な筆さばきによって描かれています。また、色使いも、とても細やかです。つまり、全体としてはとても淡い印象なのに、そこに、「厚塗り」の絵にはない、心のひだにそっと静かに触れてくるような細やかさが感じられるのです。

第二に、「白」という色の使い方です。日本画に限ったことではないのですが、白色はもっとも美しさを表現するのが難しい色のひとつだと言われています。彼の絵では、とくに、この色が多用されているのですが、彼が描く「白」がもつ表現力はとても雄弁で、筆づかいの細やかさとあわせて、絵全体をとても奥深いものへと昇華させているのです。絵画における白色の部分は、余白を表すだけでなく、それを巧みに使うことによって、絵そのものの芸術性を一段と高いレベルに引き上げる効果をもつものなのだ、ということを認識させられます。

第三に、動物や自然への暖かいまなざしです。彼は猫や犬、猿、魚、鳥など多くの動物たちを絵の素材として扱っていますが、それらに向けられるまなざしは歓喜と悲哀、そして慈愛に満ちていて、彼自身の心の内を投影しているかのような穏やかさと優しさが感じられるのです。

彼は、自然や動物を描くことについて、以下のようなエピソードを記しています。

「秋口、信濃の湿潤なコスモス畑に何日も座り写生を取った。日照りも、風もあり、雨の日は傘をさして描いている。土の香りがして、鳥が鳴き、イタチも現れ、蝶も虫もひとつになって草木浄土を味わっている。」

「儚いテーマを描く前提の写生なのに、時を忘れて遊びに浸っている。」

つまり、彼にとって自然を描くこととは、単に自然を愛する気持ちを表すだけではなく、自らの精神性を見つめ直し、それを具象化する作業だ、ということになるのでしょう。

今回私が鑑賞した中では、とくに芳春院の72枚にもおよぶ襖絵が、昭和を代表する作庭家の一人である中根金作さんの手になる方丈庭園の佇まいとの相乗効果で、静寂の中に強い生命力を感じることのできるすばらしいものでした。(ちなみに、中根さんは、島根県の足立美術館の日本庭園を手掛けたことでも知られている方です。)

この襖絵、10年前に完成、奉納されたものですが、全容が一般公開されたのは今回が初めてだそうで、とても貴重な体験となりました。なお、この寺は普段非公開なのですが、今回は6月7日までの特別公開となっています。これから参拝を考えている方は、公開日程にご注意ください。

竹内浩一さんは、全国的にはさほどの知名度があるわけではないのかもしれません。とくに、普段日本画に触れる機会があまりない方にとっては、その作品群は未知の世界と言えるでしょう。しかし、有名か無名かは関係なく、深い芸術性をもった作品はたくさんあるのですね。

 

追記

・堂本印象美術館は、日本画の大家である堂本印象が自らの作品を展示するために、京都市衣笠の地(立命館大学衣笠キャンパスに隣接)に1966年に建てた私設美術館ですが、彼が亡くなった後、建物、作品は京都府に寄贈され、現在は「府立」の美術館として運営されています。こじんまりとした建物ですが、外観をはじめ、扉やドアノブ、柱など、堂本作品が多数飾られており、とても見応えのあるものとなっています。なお、「特別企画展 竹内浩一 風が迎えて」は6月7日(日)まで公開中です。

・臨済宗大本山である大徳寺には境内に24もの塔頭が点在していますが、芳春院はその北端の静かな一角に位置し、塔頭の中で最大の面積を誇っています。芳春院は、加賀藩主前田利家の夫人であるまつの法号です。彼女は、利家の死後、前田家が徳川幕府への忠誠を示すための「人質」として14年にわたって江戸で暮らすことになったのですが、京都にだけは特別に寺を建てることを許されたのです。こうして、前田家の菩提寺として建立され、現在に至っているのです。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

なお、今回訪れた2カ所は、いずれも多くの場所で写真撮影禁止となっていましたので、以下の写真は、ほとんどがいただいたパンフレット、チラシを独自に撮影、転載したものとなっています。ご容赦ください。

 

堂本印象美術館の外観 出典)京都観光NAVIのサイト







明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常346 看護師職の実情と映画「ナースコール」

こんにちは。

 

GW週間に入りましたね。皆さん、何か予定は立てておられるでしょうか?

私は通院が木曜日になることが多いのですが、今年のカレンダーでは木曜日は祝日とはまったく重なっていないため、通院による治療は平常通り行われる見込みです。まあ、余計な日程調整などをしなくて済むわけですが。

 

ところで、ふと思ったのですが、このブログを読んでいただいている方の中で、私と同様の長期入院の経験がある方はどのぐらいいらっしゃるのでしょうか。

健康に恵まれ、病院には滅多に行かない方にはピンとこない話かもしれませんが、病院という職場はかなり過酷な労働が強いられており、そのわりには職員の賃金は、医師を除いては比較的抑えられています。(医師の場合も、若手の間は、かなり労働が過酷で、とくに大規模な大学病院には「現代版御礼奉公」ではないか、という批判があるのが現状です。)とくに、患者との接触、コミュニケーションがもっとも頻繁になる看護師の劣悪な労働環境は、大きな社会問題となりつつあるのです。

少し具体的な状況を数字で紹介しておきましょう。

まず、賃金水準です。図1からわかるように、20歳代前半の入職時の賃金は産業全体の平均値よりも上です。しかし、35歳~55歳前後のもっとも仕事に脂がのっている「働き盛り」の年齢になると、平均値を下回っています。そしてその後は、また平均値より上回るようになっています。このことは、若い世代、そして一定年齢を過ぎたベテラン看護師の確保は難しいために、賃金水準を上げているものの、もっとも戦力として働くことのできる世代に関しては、かなり抑えられてしまっているということです。

図1 看護師職の平均賃金’全産業との比較)


こうした事情を反映しているからでしょうか。2024年度の看護職員の離職率は、正規雇用で11.0%、新卒8.4%、既卒16.1%となっており、この数値は過去10年以上にわたって、さほど変化していません。つまり、全体でみると、10人に1人は退職しているわけです(日本看護協会の調査による)。もちろん、退職理由はさまざまでしょうが、以前入院中に担当の看護師さんに聞いた話では、仕事にやりがいを感じてはいるものの、今の職場には少なからず不満を持っていて、「少しでも給与や労働条件の良いところ」を求めて離職・転職する人はかなり多いとのことです。なお、この背景には、看護師業界はヨコの繋がりが結構強くて、他の病院の状況を知る機会はかなり多い、という事情があるようです。考えてみれば、同じ看護学校等を卒業した人同士の友人としてのつながりは、職に就いてからもかなり強いということかもしれませんね。

なお、看護師の有効求人倍率は、2025年現在で2.5だそうです。つまり求人数が求職者数の2.5倍だということで、医療機関間で看護師の奪い合いが起きているわけです。それなのに、働き盛りの賃金が抑えられている、というところに大きな矛盾を感じてしまいますね。結局、どこの病院・診療所でも、「仕事へのやりがい」に依存した労働環境が一般的になってしまっているということなのかもしれません。(ちなみに、全産業の平均有効求人倍率は、現在1.2程度ですから、看護師業界がいかに異常な状況におかれているのか、よくわかると思います。)

そして彼らを育てる看護学校についてです。厚生労働省調査では、全国的に 看護学校の入学定員充足率は80%を下回ったと報告されていますし、日本医師会の調査では、さらに深刻で、60%以下となっているとのことです。ただ、看護系大学(学部)の定員充足率はほぼ100%だそうですから、一概には言えないのですが、「看護師は激務だ」というイメージが高校生等の間でも浸透していることも、その一因であることは間違いないでしょう。

このままだと、決して遠くない将来、必要な医療ができなくなり、いざという時に私達患者が大きな困難に直面するということになりかねないのです。もちろん、政府や厚生労働省、各医療機関も手をこまねいているわけではありません。外国人労働者に門戸を広げたり、一度職を離れた「看護職経験者」に職場復帰を促すキャンペーンを行ったり、また、定年後の再雇用等によってベテラン看護師を確保したり、というような努力は少しずつですが、行われています。しかし、ここまで紹介してきたような、「看護師の仕事はキツイ」という状況が変わらない限り、根本的な問題解決には至らないのではないか、と、普段から病院を頻繁に利用している身としては心配してしまうのです。

 

さて、ここまで日本の現状について書いてきましたが、実は、今回もっとも書きたかったのは、日本だけがこうした苦境に陥っているわけではない、ということを痛感させられる映画を最近観たことです。それは2025年にスイスで制作された「ナースコール」(原題:: Heldin、英語タイトル:Late Shift、ペトラ・フォルペ監督)です。

ちなみに、ご存じの方も多いと思いますが、ナースコールとは、入院患者が緊急事態に陥った時に看護師を呼び出すために、常にベッドサイドに置かれているボタンのことです。ただ、私の経験からすると、入院患者には、少しでも何かあった時にすぐにこのボタンを押して看護師を呼びつける患者と、「忙しそうだ」と考えていつも遠慮してしまう患者に二分されるようです。私は、常識的な範囲で使用していたつもりですが、誰もがそう思っているはずで、だからこそ、看護師側は対応に苦労するのですね。頻繁にボタンを押す人に対して、「いつものことだ」と思ってスルーしてしまうわけにはいかないし、逆に、全然連絡をしてこないために、とんでもない事態を把握するのに遅れてしまうということもあるのですから。

それは置いておいて、この映画の話に入りましょう。それはとてつもなく忙しく、いくつもの仕事を同時並行で行わなくてはならない、看護師の職場をとてもリアルに描いたものなのです。

この映画の主役は、スイスの州立病院で働く看護師フロリアです。彼女は、そろそろベテランの域に入りつつある、献身的で、使命感溢れる、大変プロ意識の高い看護師です。この映画は、ある日、夜勤(遅番)に入った彼女の出勤から退勤までの半日を追いかけたドラマなのです。(ノンフィクションではありません。)出勤時、彼女はとても活き活きとしています。そして、仕事着に着替えて間もなく、いくつもの仕事が彼女に襲い掛かります。それをてきぱきとこなしていく彼女。同僚からも、医師からも、そして入院患者からもとても頼りにされているようです。しかし、「仕事ができる人には、さらにたくさんの仕事が押し寄せてしまう」というのが世の常。時間が経過するにしたがって、次から次へと舞い込む仕事に、彼女はだんだん疲れてきます。顔の表情は次第に険しいものとなり、笑顔をつくる余裕はなくなってきます。心なしか、息も荒くなってくるようです。それでも仕事に手を抜くことはできません。入院患者の理不尽ともいえるわがままにもつきあっていくのですが、「コーヒーを入れるのに一時間以上もかかって、何をしてるんだ」と罵しりながら、横柄な態度で叱責する患者に対して、彼女はついにキレてしまい、彼の大切にしている高級時計を窓から外へ放り投げてしまうのです。

冷静になって、庭を探す彼女。しかし時計は見つかりません。いざとなったら弁償もやむを得ないだろう、と腹をくくるのですが、時計は意外なところから出てくるのです。

そう、彼女の頑張りをちゃんと見てくれている人はいたのです。

長い半日の激務を終え、やっと退勤。疲れ果ててバスに乗り込む彼女ですが、そこには奇跡とも言える瞬間が待っていました・・・

正直なところ、観ている途中から涙が出そうになるのをこらえるのに必死でした。そして、ラストシーンの「奇跡の瞬間」では、それまでとは違った意味での涙がこぼれそうになったことを否定できません。

この映画、「日本の病院だったら、こんなことはありえないだろう」というツッコミどころがいろいろありました。

・「先週退院した者ですが、病室に忘れ物をしたらしいので・・・」という電話がかかってくるシーンがあるのですが、こうした問い合わせが看護師個人が保有する携帯電話にかかってくることはありません。そもそも、患者側は電話番号を知らないはずです。

・緊急の場合でも、薬の準備は、看護師が一人ですべて行うことはないはずです。少なくとも、私が入院経験した病院では、必ずダブル・チェック、つまり複数の看護師でチェックして、ミスが起きないようにしていました。

・夜間に患者の家族が子供連れで面会に来ているシーンがありましたが、これもありえないことです。面会時間は夕方までと決まっていて、夜間は、患者が重篤な状態に陥った時等特別な場合を除いて認められていません。ましてや、子供連れは論外です。とくにコロナ禍以降、どこの病院でも、入院患者に対する面会はかなり制限されているのが現状です。

他にも、細々とした気になることがないわけではありません。しかし、総合的にみた場合、それらは取るに足らないことです。何よりも、これだけ看護師の働く環境をリアルに描いた映画はこれまでなかったでしょうし、主人公フロリアを演じたドイツ人俳優レオニー・ベネシュの演技は、素晴らしかったです。上にも書いたように、次第に表情が険しくなり、イラついていく過程を見事に演じていました。


なお、原題であるHeldinとは、女性の「英雄」を表すドイツ語で、強さ、美しさ、または献身的な人物を表現する際に用いられます。映画の内容にピッタリですね。

この映画、病院関係者には観てもらいたいですし、病院について「対応が悪い」とか「長い時間待たされる」などの不満を抱えた経験のある方にも是非観てもらいたいです。きっと、病院に対する認識が変わるはずです。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常345 映画「罪人たち」は何を描いたのか

こんにちは。

 

前回(先週)、肝臓の数値が悪化している(というか先々週に比べて急激に悪化した)ため、少々落ち込んだ旨を書きました。そんなもやもやを抱えて今週の検査に臨んだのですが、結果、数値は先々週の状況に近いところまで好転していました。いつも診て頂いている血液内科でも、急きょ追加的に診て頂いた消化器内科でも、「なぜでしょうねえ?」と首をひねるばかり。肝炎の疑いはまったくないようです。結局、今のところこの乱高下のはっきりした原因はわかっていないのですが、とにかく、たいしたことはなかったということで、ホッとしています。「ひょっとすると、その少し前に服用していた胃腸薬(病院で処方されたものではなく、市販のもの)が原因かなあ」とのことですが、そんなこともあるんですねえ。念のため、来週もう一度消化器内科の先生にも診て頂くことになりましたが、まずは一安心です。

 

そんなわけで、ここからは平常運転です。

今回取り上げるテーマは、今年のアカデミー賞で話題となった映画のひとつ、「罪人たち(原題: Sinners:ライアン・クーグラー監督)」についてです。この映画、ホラー的要素があるという情報を事前に得ていたので、そっち方面、とくにスプラッター的な要素が強い映画の鑑賞を避ける傾向にある私は、なんとなくスルーしていたのですが、どうやら単なるホラーではなさそうだ、とのことなので、遅ればせながら、映画館に足を運んだ次第です。

映画の舞台は1930年代のアメリカ南部の田舎町。黒人(近年は「アフリカ系アメリカ人」というように言い換える傾向も見られますが、いちいちまどろっこしいので、ここでは旧来の呼び方である「黒人」で通します。言うまでもありませんが、この言葉に差別的意味はまったく持たせていません。)を中心に、とても信仰心の深い人たちが暮らす町ですが、他方で、黒人に対する人種差別はかなり激しい時代・地域です。双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダンが一人二役)は、生まれ故郷に舞い戻ってきて、一攫千金の夢を賭けた商売を計画します。それは、当時禁じられていた酒をふるまい、極上の音楽(ブルース)のライヴ演奏を行うダンスホールの経営でした。そして、店のオープン初日、この世の欲望を詰め込んだような店には多くの客が訪れ、宴に熱狂します。とくに、友人でありいつもギターを手放さないサミーの歌声は、誰をも魅了するエネルギーに満ちたものでした。兄弟の思惑通りの船出だったわけです。しかし、怪しげな3人組が訪れたあたりから、様相は変わってきます。きな臭さを感じた店側は入店を拒否しますが、その直後、思わぬ形で店は惨劇に見舞われることになります。客として訪れていた人々や友人たち、そして兄弟は、夜明けまでなんとか生き延びるべく、壮絶な戦いに巻き込まれていくのです。

映画の前半は、当時の南部の雰囲気をリアルに描いていきます。あからさまな黒人排斥運動を展開するKKK(クー・クラックス・クラン)に怯えながらも、誰もが「もっと豊かな生活」を夢見て活気溢れる毎日をおくっている町の姿。そこでは当たり前のように銃が「人を従わせる道具」として使われています。つまり、そこには気は良くて、信心深いけれど、とんでもなく荒っぽい黒人たちの生活があるのです。そして彼らの周囲にはいつもブルースが流れ、皆で歌い、踊りに興じています。保守的なキリスト教の立場からは、ブルースは「悪の音楽」と見なされていたのですが、彼らにとって、そんなことは関係なかったのです。わずか90年ほど前のことなのに、現代とはあまりにも異なる町や人々の様子に少々驚かされます。そして、この映画が単純な人種差別問題を扱ったストーリーなのかと誤解してしまうのです。

しかし後半に入ると様相は一変。数多くの吸血鬼が現れ、一気にホラー映画としての色が濃くなってきます。吸血鬼の攻撃をどうやって防ぐのか、と思い悩むうちにも犠牲者はどんどん増えてしまいます。そのスリリングな展開に、こちらはハラハラドキドキの連続です。しかし、夜が明けてこの戦いが終わっても、物語はエンディングを迎えるわけではありません。かろうじて生き残ることができたサミーは、年を経て老人になるのですが、彼がバーで佇んでいるところに、訪ねてくる2人の客。「あの夜」について語るサミー老人と彼らの会話は、この映画をとても味わい深いものにしています。また、エンドロールが流れた後まで、決して座席から立ち上がることはできません。あわてて席を立ってしまうと、この映画のひとつの柱であるブルース・ミュージックの神髄に触れることはできないのですから。

この映画、映像はとてもクリアだし、俳優陣の緊迫した演技も素晴らしいものです。そして何よりも、誰もがとてつもなく歌が上手い! ブルースが黒人霊歌や労働歌に端を発する、黒人たちの誇り(そして楽しみ)に根ざした音楽であることを再認識させられる圧倒的なクオリティの歌の数々は、聴いているだけで体の中が熱くたぎってくるものでした。

ただ、私の勝手な思い込みですが、吸血鬼というとヨーロッパの古城等を舞台とした怪奇小説のイメージが強かったため、最初はどうしてもこの映画の前半と後半の結びつきをうまく理解することができませんでした。まあ、吸血鬼たちが楽しそうにアイリッシュ・ダンスを踊るシーンなんかは、ドロドロした怪奇小説とはまったく異なる雰囲気で、思わず笑ってしまいましたけどね。

それにしても、なぜ吸血鬼を登場させる必要があったのでしょうか。また、それはこの映画において、どんな役割を果たしているのでしょうか。これは、おそらく誰もが抱く疑問でしょう。

それを考えるには、兄弟がオープンさせたダンスホールの様子を思い返す必要がありそうです。この店の主役はあくまで黒人たち。ごくわずかの友人である白人は入店を許されていますが、この店の中は、あくまで差別される対象であった黒人たちの閉鎖的なコミュニティです。それ以外の人々はシャットアウトされます。吸血鬼たちでさえも、入店が許可されるまでは、店の外で待つしかないのです。(もともと、吸血鬼伝説では、招待されなければどんな家にも入ることはできない、というルール?があるようです。この映画は、その伝説をうまく利用していると言えるかもしれません。)そして、そんな空間だからこそ、ブルース・ミュージックは本来の姿で演奏され、客たちはそれを心の底から楽しめるのです。

(ここから少し映画から離れます。)しかし、アメリカ音楽史を振り返ってみると、ブルースは次第に洗練され、泥臭さを失いながら、万人受けするポップ・ミュージックへと変貌していきます。1950~60年代にデトロイトで産声を上げたモータウン・レーベルの歌手たちはその典型でしょう。当初は「こんなものは俺たちの誇りであるブルースを冒涜するものだ」と拒絶反応を示してしていた黒人たちの声も、時代の波によってかき消されていったのです。

と、ここまで思いをはせていて、はたと気がついたのです。ひょっとすると、映画で描かれた黒人たちの「城」とも言える店への吸血鬼の襲撃は、そのまま、その後のブルース・ミュージックの変貌と重なり合うところがあるのではないだろうか・・・

つまり、この映画が本当に描きたかったのは、吸血鬼が暴れまわる姿ではないのです。世界中に広がっていく、ヨーロッパに端を発する西洋文化(それも白人である人種・民族たちによって生み出され、発展してきた)が次第にそれ以外の文化圏に広まり、それらを侵食し、席巻していくようになることの象徴として、つまり、西洋文化が異文化ゾーンへと定着していくという文化の変容過程を、吸血鬼というかなりショッキングな姿で表そうとしているのかもしれない・・・。

他民族との文化の接触、交流は必ずしもハッピーなものになるとは限りません。時として、一方が他方を飲み込み、それまでの土着文化を葬り去ってしまうことも珍しくはありません。アメリカの場合、そもそも多民族国家ですし、その中でかなり強い民族間差別意識が国全体を覆ってきました。そんななかで、黒人たち、あるいは先住民族たちは自分たちだけの強固なコミュニティを形成しながらも、次第にその居場所を奪われ、あるいは白人中心社会へと飲み込まれてきました。そんな姿を、この映画で描かれた惨劇からイメージするのは、少々飛躍した発想でしょうか??

もう一点、この映画で感じる素朴な疑問があります。それは、結局「罪人(sinner)」とは誰のことなのか、という問題です。英語でsinとは宗教上あるいは倫理上の罪という意味ですが、この映画では特定の誰かを「罪人」として断罪しているわけではありません。

新約聖書「ローマ人への手紙」第1章では、「人間はすべて罪人であり、救いを必要としている」と述べています。この教えに従うならば、父親の忠告に背いてギターを決して手放さなかったサミーはもちろん、黒人も、吸血鬼も、さらにはKKKに属する人たちさえも含めて、この映画の登場人物、いや、観ている私達も含めてすべての人間が、「罪人」だということになります。しかし、個人的な思いを付言させてもらえるならば、「罪人=悪人」というわけではないはずです。善も悪もひっくるめて人間の姿であり、生きざまなのです。そして、誰もが「罪」を背負いながら生きている、そしてそんな人生そのものが「救い」を求める所以となっていると言えるのではないでしょうか。映画の終盤の展開、とくに先に触れたバーでのシーンやエンドロールが終わった後のシーンからは、そんなことをしみじみと感じさせられたのです。

結論:この映画、かなりショッキングな展開をはらんでいて、話題には事欠かない作りとなっていますが、考えれば考えるほど、観る人によって解釈が異なってくる深い内容をもった映画だと思いました。

 


今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。