明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常243 季節の移ろいと桜

こんにちは。

 

この一週間ほど、4月としては異常なほど気温が上がっていますね。早くも熱中症が心配されていますが、皆さん、体調管理は万全でしょうか。

などと、天候不順についてぼんやり考えていたら、今度は愛媛・高知方面で大きな地震。とりあえずは南海トラフとは直接関係はないようですが、何らかの影響が出る可能性はあるとのことです。本当に地震が多いですよね。こういう状況を見ていると、1970年代に大流行した小松左京氏作の「日本沈没」を思い出してしまいます。映画も大ヒットした作品ですが、今後、この国はどうなってしまうのでしょうか。ある程度の大地震が発生するのは避けられないでしょうが、少しでも被害が小さく収まることを祈るばかりです。

 

さて、当初の予定では、今前回に引き続き、北陸新幹線の話題を取り上げようと思っていたのですが、そろそろ桜も、北海道や東北地方以外は、見納めになってきましたので、「今春の見納め」として、もう一度だけ桜の話題を書くことにしました。

今年もいくつかの「桜の名所」を訪れましたが、そんななかで、このブログでまだ取り上げていなかったところを2カ所ご紹介します。

まずひとつは、京都市上京区西陣の近くにある興聖寺(こうしょうじ)。ここは1603年に建立されたのですが、茶道織部流の祖でもある武将・古田織部がその開山に関わったことから「織部寺(おりべでら)」とも呼ばれています。普段は非公開のため、知名度はさほど高くありませんが、本堂前や方丈の庭園の美しさは格別です。また、本堂天井画「雲龍図」や、青が印象的な青波の襖が奉納された方丈もみどころです。とくに枯山水庭園の見事さは特筆すべきものです。また、臨済宗の寺院であるこのお寺は、「本気の座禅」をキャッチフレーズに、座禅体験を積極的に企画しているそうです。

ここの本堂前庭にある桜が下の写真です。桜の木そのものは数本しかありませんが、とても枝ぶりが良く、手入れが行き届いていることがうかがわれます。

興聖寺本堂(2024.4.9撮影) 以下も同様

興聖寺 中庭

美しい枝垂れ桜

咲き誇っています

 

もう一件。それは京都市伏見区にある墨染寺(ぼくせんじ)。ここは京阪電車墨染(すみぞめ)駅近くの商店街の中にあるとてもこじんまりとした寺院で、一見すると、町中にある単なる小さなお寺、と思ってしまいますが、実は、古今集に詠まれた桜が植えられており、長い歴史を有しています。それは、平安時代前期、太政大臣であった藤原基経の死を悼んだ友人の上野岑雄(かんつけのみねお)が詠んだ歌です。

深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け」

という歌で、この歌が詠まれた後、境内の桜が薄墨色の花を咲かせたという伝説が残っているのです。寺の名前やこの地の地名は、この歌と伝説に基づいています。今植えられている桜は、もちろん当時のものではありませんし、その花は薄墨色というわけでもありませんが、今でもこのお寺は「桜寺」という別名で、近隣の住民には親しまれています。

墨染寺山門 今回撮り忘れたので、伏見区のサイトから拝借しました

墨染寺の桜 2024.4.12撮影

 

こちらも墨染桜

sumizome 

それにしても、この伝説からもわかるように、日本人はずいぶん昔から桜を愛でる、ということに一種特別の感情を抱いていたようです。

例えば万葉集には桜を詠んだ歌がいくつも掲載されています。

梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや」

「あしひきの 山桜 花日並べて 斯く咲きたらば いと恋ひめやも」 (山部赤人

また、伊勢物語には在原業平の歌があります。

「散ればこそ いとど桜はめでたけれ 浮き世になにか久しかるべき」

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」

現代歌人では、俵万智さんにこんな歌があります。

「散るという 飛翔のかたち 花びらは ふと 微笑んで 花を離れる」

キリがないのでこのあたりにしておきますが、もちろん俳句にも桜を詠んだものがたくさんあります。歌謡曲や流行歌にも桜をテーマにしたものは数えきれないほどありますよね。

 

そして、これらを味わっていると、すぐに気がつくのは、人々にとって、桜の花は「春の使者」であると同時に、「季節の移ろいをもっとも雄弁に語る花」だということです。古来、四季の移り変わりが比較的わかりやすかった日本という国。しかも桜の花は「桜前線」という言葉の示すとおり、南から徐々に北上し、日本中にくまなく春の訪れを告げてくれます。そんな花に人は浮き立つ心を隠すことはできません。しかも桜の開花時期はほんの2週間程度。とても短いのですが、だからと言って、それで桜の魅力がなくなるわけではありません。花の命が短いからこそ、人はそこに無常を感じるというのは、よく言われることです。しかし、それだけではありません。花が散った後の桜もまたとても魅力的です。新緑の息吹を感じさせる葉桜も見事ですし、下を見れば、散った花びらが道路や水面を飾る姿もとても美しいものです。とくに、水面を覆い尽くすような花びらの群れは、古来より「花筏(はないかだ)」とも呼ばれ、愛されてきました。

そんなわけで、主として平安時代頃から観賞用の花として桜を栽培し、あるいは品種改良が行われてきたようです。

現代は、少し前までのようなスムーズな季節の移り変わりがだんだんなくなりつつあり、一日で気温が10度から15度も変わってしまったり、季節外れの真夏日や豪雨が頻繁にみられるようになったりしてしまいました。しかし、いや、だからこそ、季節の移り変わりをもっと感じたいと思うのは、日本という風土の中で生まれ育った私達にとって、自然な感情でしょう。そして、その象徴となるのが桜なのです。つまり、桜を愛でるという行為は、自然に触れる行為であるようにも見えますが、現代では、きわめて人工的に作られた「春の装い」としての側面が強くなっているのです。

でも、そうしたことを踏まえても、やはり桜は美しいものです。いや、桜に限らず、「季節の移ろい」を感じさせるさまざまな花鳥風月や身の回りの物達は、きっと不滅だろうと思います。私達は、そうしたもの達に囲まれながら、ゆったりと季節を感じながら暮らしていければ・・・そんなことを想う今日この頃です。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました