明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常238 ソメイヨシノと河津桜

こんにちは。

 

前回、もともと仏教用語であった言葉が一般用語として使われるようになるにしたがって、少し意味が変化した例として「引導を渡す」をご紹介しました。

このような言葉は他にも色々あるようです。例えば「無事」という言葉です。現在では、「無事に暮らしています」など、変化が特になく、つつがないことを示す言葉として広く用いられていますが、本来の仏教用語では、「精神的になすべきわずらわしいことのない状態を意味し、こだわりがなく、障りのない心の状態」を示しているそうです。まあ、広い意味では似ているといえば似ていますが、参考まで。

 

啓蟄も過ぎ、日に日に春らしさが増してきましたね。そろそろ桜の開花情報も流れてきそうです。開花情報と言えば、各地の基準木であるメイヨシノの開花を基準として気象庁が発表していることはよく知られていますが、なぜ、数ある桜の種類の中でソメイヨシノが基準とされているのでしょうか。そして、この桜が日本中に普及したのは何故なのでしょうか。

ソメイヨシノは、自然種ではなく、交雑種(こうざっしゅ)、つまり、一本の母木から枝をとり接ぎ木して増やした品種です。もう少し具体的に書くと、母をエドヒガン、父を日本固有種のオオシマザクラの雑種とする自然交雑もしくは人為的な交配で生まれた日本産の栽培品種のサクラなのです。このことが明らかになったのは意外と最近で、1995年に遺伝子研究を行った結果だそうです。

ソメイヨシノの原産地ははっきりわかっていませんが、江戸時代、植木職人が多く暮らしていた染井村(現在の東京都豊島区駒込付近)から売り出された「吉野桜」が始まりと考えられています。奈良県の桜の名所・吉野山にちなんだ名前の付け方で、ブランド戦略の一種とも言えそうです。

ソメイヨシノ登場以前に桜の代名詞だったのはヤマザクラですが、これは花見ができるほど多くの花がつくサイズ(高さ10メートル前後)まで成長するのに10年はかかるのですが、ソメイヨシノは5年ほどで見栄えのするサイズに育ちます。つまり、成長が早くて花が大きく見栄えがいい。この特徴は花見の名所を作る側からすれば好都合です。これが明治時代以降、ソメイヨシノが全国に普及した理由のひとつです。しかし、もうひとつ大事な要因があります。

第二次大戦後の復興期にソメイヨシノの苗木の生産がさかんに行われたのです。戦後少し社会が落ち着きを見せ始めた昭和20年代、戦争で失われてしまった桜並木を復活させて世の中を明るくしようという国民の気持ちが高まります。そして、桜の名所を復活させるためにソメイヨシノが復興の象徴とされたのです。上にも書きましたように、成長の早いソメイヨシノはこの思いを託すのはぴったりだったのです。暗い時代を少しでも明るくする。この時代に植えられたソメイヨシノに与えられた使命はとても大きなものであり、その開花を喜ぶ人々の感情は、単に「美しい」というものを超越していたのかもしれません。ただ、ソメイヨシノの寿命は60年~80年と言われていますので、戦後まもなくの時期に植えられた木はそろそろ植え替えの時期が迫っていることになります。

 

現代では、計画的に植え替えを行うことができれば、必ずしも成長の早さだけに目をつける必要はなくなっています。そこで、これ以外の品種への注目も集まっています。

その代表格が河津桜でしょう。

伊豆半島に多くの名所があることで近年有名になったこの品種は、1955年に静岡県河津町で偶然発見されたもので、1966年から発見者のご自宅の庭で開花するようになったそうです。オオシマザクラカンヒザクラの自然交雑から生まれた日本固有の栽培品種で、現在でもその原木はこの地にあるそうです。1970年頃から各地に増殖されるようになったのですが、大輪で、ピンクの華やかな花弁、そして何よりもソメイヨシノに比べて早咲きであるうえに、見頃の期間が長いことが注目されたのがその要因だろうと言われています。

この河津桜、伊豆方面に名所がたくさんあることは言うまでもないのですが、関西にも少ないながらも、名所として注目されている所はあります。そのひとつが、京都市伏見区の淀水路沿いに植えられている300本ほどのサクラです。淀という場所、古くは豊臣秀吉の側室であった淀殿が居城としていた淀旧城(実は、淀城はもうひとつあります。こちらは徳川秀忠が建てたものですが、話が脱線しますので、今回は割愛します)、またJRAのG1レースも行われる京都競馬場の立地する場所として知られていますが、2002年に伊豆を訪れた地元住民が、河津桜の苗木を2本購入し、京都市の許可を得て、淀水路沿いの淀緑地に植え、それが次第に拡大して、現在に至るそうです。住宅街の真ん中を通っているこの水路は、それまでお世辞にも美しい場所とは言えなかったようですが、現在では多くの観光客を集めるスポットとなっています。最寄駅は京阪電車淀駅ですが、近年では、京阪電車も積極的に広報しています。私が訪れたのは、3月11日でしたが、平日にもかかわらず、とても賑わっていました。そして、その半数近くは外国人の方々でした。比較的地味な観光スポットの情報をどこで仕入れてくるのか、少し不思議に思いましたが、きっと「京都でもっとも早く花見のできる場所」として外国人向けのサイトやSNSに紹介されているのでしょうね。


ここでサクラを眺めていて湧き上がってくるのは、何ともゆったりした、というか弛緩した「春が来たんだなあ」という感情です。たしかに人の数は多いのですが、ベンチに座ってしまえば、そんなことは気になりません。できることなら、ここに1時間でも2時間でも佇んでいたい。そんな穏やかな気持ちになれる場所でした。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。