明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常244 福田平八郎に見る具象画と客観性の行く先

こんにちは。

 

来週はゴールデン・ウイークに突入しますね。既に定職をもっていない私のような人間にとってはあまり関係のない話ですが、昨年以上に関西を訪れる観光客の数も増えるのでしょうね。最近は、一時減っているように見えた中国からの方も徐々に増加しています。

そんなわけですから、関西在住の方で、近場への観光を考えている方は、混みあう前にお出かけになることをお勧めします。

かく言う私は、先日、大阪中之島美術館で「没後50年 福田平八郎」という展覧会を見てきました。同美術館では同時開催でモネ展もやっていて、そちらは平日にもかかわらず、とんでもない行列ができていて、ぎょっとしたのですが、福田平八郎の方はさほどでもなく、ゆっくりと彼の足跡をたどることができました。それにしても、モネってやっぱり抜群の人気を誇っているようですね。

 

福田平八郎(1892-1974,明治25-昭和49年)画伯と言っても、名前はともかく、その画業についてよくご存じの方は案外少ないかもしれません。大分市で生まれたこの人は、幼い時から絵をかくことは得意だったものの、数学がとんでもなく苦手で、そのために中学校を落第してしまうという憂き目を見ています。しかし、これをきっかけに故郷を離れ、京都の美術学校に入学し、そこで腕を上げることになります。ただ、さまざまな美術展に応募したものの、なかなか入選することはできなかったようです。そして、何でも器用に書きこなしてしまう彼の姿を見かねた教師からは、「自然に直面したとき、主観的に進むか、客観的に進むかのどちらかなのだが、君は自然を客観的に見つめていく方がよいのではないか」という助言を得たのです。これが彼のその後の進む道を決定づけることになります。今回の展覧会で見られる絵も、ほとんどは自然、とくに水、竹、植物、鳥、魚(主に鯉や鮎)など、自然の素材をどこまでも客観的に見つめ、それを自分なりの表現に昇華させる、という手法で作品を描いています。写生帖や素描もたくさん展示されていますので、一枚の作品を仕上げるために、数えきれないほどの下絵を描いて、試行錯誤を繰り返していることがよくわかります。

日本画家である千住博氏は次のように言っています。「福田の絵は、客観性をどこまでも尽きつめたところにある抽象的なもの(抽象画そのものではない)に辿り着いたところに大きな魅力がある。」すなわち、その本質は、あくまで客観性に基づく具象画だということです。

そんな姿勢がもっとも結実したのが、代表作とされる「漣(さざなみ)」でしょう。

「漣」(1932年)素晴らしいデザイン性です。思わず、この柄のTシャツを購入してしまいました。


この絵だけを見ると、まるで現代アート作家が描いたデザイン重視のもののように見えてしまいますが、琵琶湖で釣りをしながら湖面を見つめ、肌にも感じないような微風が美しい漣をつくっていることに気づいたことが、発想の原点になっているそうです。

彼は、この絵だけではなく、雪や氷、池など、「水の姿」を描いていますが、徹底した具象観察を出発点としているからこそ、私達は水というものにさまざまな姿、表情があることに気づかされるのです。

新雪」(1948年)


もうひとつ、彼の絵の特徴として、マティス等に端を発する「大胆な色彩表現」を自らの表現手段としていることです。(マティスについてはこのブログ241回(2024.4.5)「マティスに見る「自由さ」でも少し書きましたので、未読の方はよろしければご覧ください。)若い時から稀代のカラリストと呼ばれた彼ですが、その代表的な作品が、さまざまな色遣いで描かれた竹の姿です。こちらは今回写真撮影可能な作品がありませんでしたので、ここで写真をあげることはできませんが、やはり膨大な数の写生帖、素描、下絵を通じて、自己の表現として確立させる過程で、マティスゴーギャンの手法を創造の活路として注目し、それを日本画の伝統を深く意識したうえで受け入れるという成長を遂げているのです。

しかし、全体を通してみているうちに、どうやら彼が描いていてもっとも楽しそうなのは魚の姿だということに気づきます。そこで描かれる魚は、鮎にせよ、鯉にせよ、あるいは甘鯛にせよ、とても生き生きとしています。それぞれの顔や眼の表情がそれを物語っています。このたりはやはり江戸時代以降の日本画の伝統を踏まえていると言えるでしょうか。そして、その背景(当然、それは「水」ということになります)をどのような色彩で表せば、魚たちの姿をよりクローズアップさせることができるのか、ということに心を砕いているのです。

「游鮎」(1965年) 仕上がりだけ見るととてもポップな絵に見えますが・・・


そして、ここまであげた彼の特徴、つまり大胆な構図、豊かな色彩、徹底した具象描写といったものは、従来の日本画にはあまり見られなかったものであり、むしろ西洋絵画の影響を強く受けていること、そしてそれらを総合的に組み合わせたところに現代にも通じるすぐれたデザイン性があることに気づかされるはずです。しかし、当時の京都画壇には、そうした彼の絵を快く受け入れない閉鎖的な風潮があったようで、結局、彼は故郷である大分に戻って、そこでそれまでよりも伸び伸びと画業に専念していくことになるのです。

福田氏の晩年の作として、「雲」というのがあります。これは、それまでの作品とはかなり様相が異なり、描かれているのは、ほとんど空と雲だけ。しかも彼はこの絵について公式には何もコメントを残していないそうです。この絵から何を感じるのか、鑑賞者のイマジネーションに任せたということなのでしょうか。

「雲」(1950年)

 

余談ですが、最晩年の彼は、もらった和菓子やハマグリ、林檎から子供の絵、新聞の報道写真に至るまで、目につくものを手あたり次第描いています。まさに根っからの画家だったということになりますが、その際にも、若い時から身に着けた対象を徹底して客観的に捉えていくという手法が十分に活かされていたのです。時として、身内からは「変人」扱いされたりもしたようですが、それはそうでしょう。せっかくの菓子なのに、絵が描き終わるまで食べられないのですから(笑)

最後に、彼の言葉をひとつ紹介しておきます。

「人間は凡人になればなるほど、落ち着くようだ。

俺(わし)らは画にこそ多少の自信はあっても

土台、凡人であることを

欣(よろこ)んでいる。」

うーん。画業でこれだけの実績を上げた人の言葉だからこそ、とても深い含蓄を感じますね。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

皆さん、よいゴールデン・ウイークをお過ごしください。