明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常240 ポリーニの訃報に接して

こんにちは。

 

20世紀後半を代表するイタリア人ピアニスト、マウリッツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini)が亡くなりました。享年82歳。今のところ、死因は明らかにされていないようです。

ポリーニは1960年、わずか18歳で第6回ショパン国際ピアノコンクールに審査員全員一致で優勝しています。この時、審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と賛辞を述べたそうで、これを機会に一躍国際的な名声を勝ち取り、華々しいデビューを飾ったのです。

その後、マルタ・アルゲリッチ、ウラディミール・アシュケナージらとほぼ同世代のピアニストとして輝かしいキャリアを積み重ねた人ですが、彼が他のピアニストと異なるのは、ショパン・コンクール優勝後、約8年もの間、イタリア国内でのごく限られたステージに立った以外はほとんど表立った活動を行わず、いわば「雲隠れ」状態だったことです。この期間、もともと興味のあった物理学をミラノ大学で学んだりもしていたようですが、「さあ、これから」という時期に活動をあえてセーブした最大の理由は、どうやら、自身のテクニックや音楽性がまだまだ未熟だと感じているうちに流れに乗って世界ツアー等を行う多忙な生活に入ってしまうことに対する大きな抵抗感、不安感があったようです。ちなみに、この期間に、同郷の世界的ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリに師事しています。

キャリアの積み重ねという観点からすると、彼のこのような行動はとても興味深いものです。

コンクールとは、言うまでもないことですが、若手のピアニストが「世界に自分という存在を認めさせたい」という希望をもってチャレンジするものです。ですから、そこで好成績を収めることは、将来に向けての展望が一気に広がる大きなチャンスを得るということであり、誰もが、それを逃したくはないはずです。一気に増える仕事の依頼を何とかこなすことによって、コンクールの成績がフロック(まぐれ)だったと見なされないように、大きなプレッシャーを感じながら、必死に演奏活動を行っていくのです。国際コンクールは毎年のように行われますから(ショパン・コンクールは5年に一度ですが)、新しい優勝者・入賞者は次々に現れます。そんな人たちの中に自分が埋もれてしまい、忘れられてしまわないようにするためには、意地でも食らいついていかなくてはならない。それが演奏活動を行うプロの演奏家としての道を歩み始めた者の宿命なのです。しかし、大きすぎるプレッシャーと多忙なスケジュールに押しつぶされて、早々に自分の才能をすり減らし、演奏家として大成できないまま終わってしまう人も少なくありません。

しかし、ポリーニはこの絶好の時期に、8年ものブランクを自ら設けたのです。とても思い切った決断です。と同時に、自分の立ち位置、現在の状況を客観的に判断し、それを行動に大胆に反映させることのできた彼の信念、ピアニストとしての矜持には感嘆するしかありません。裏を返せば、実は、彼には自分の将来のビジョンに絶対的な自信を持っていたということなのかもしれません。

しっかりと未来を見据えながら、キャリアを構築していく。それはある意味では理想的なライフ・ステージの作り方でしょう。しかし、誰もがポリーニのようにこれを実現できるとは限りません。どんなビジョンを持っていても、社会環境の変化その他によって、計画がもろくも崩れてしまうことはいくらでもあります。それでも、彼の生き方から色々と感じるところがあるのもまた事実なのです。

 

ポリーニは、実にレパートリーの広い人で、バッハからベートーヴェン、現代曲に至るまで、さまざまな曲を録音として残しています。訃報記事を読んでいると、この人の演奏の特徴を「正確無比」とか「精密機械のよう」と表現しているものが目立ちます。それは決して間違った表現ではありません。しかし、正確無比な演奏を行うピアニストは他にもたくさんいます。そのため、私自身は、このような表現に若干違和感を持ってしまうのです。

私がはじめて本格的にポリーニの演奏に向き合ったのは、まだ20歳代後半の頃、当時発売されて間もなかったショパンのピアノ・ソナタ第2番と第3番がカップリングされたCDを購入した時にさかのぼります。今思うと、私が購入したCDの中でもかなり初期のもので、それ以来ずっと棚の一角に飾られています。

ショパンの「葬送」 楽譜が苦手という方は、各和音の一番上の音だけを辿ってみてください。聴いたことのあるメロディが浮かんでくるはずです。


ピアノ・ソナタ第2番は、その第3楽章に誰もが知っている「葬送行進曲」のメロディが現れることで良く知られているとおり、とても重い雰囲気の漂う曲です。そして、ポリーニの演奏はまるで大ぶりの切れ味鋭い刀で空気を切り裂くような、そこを少し触るだけで、ケガしてしまいそうな、そして息苦しくなるような、ピリピリした雰囲気が終始漂うものでした。それだけ、このショパンは心の奥にズバッと切り込んでくるようなものだったのです。そこにはとても強くて太い「芯」のようなものがあり、それが私の心に突き刺さってくるのですが、それは決して荒々しいものではなく、もっと奥深いものを感じさせる演奏だったのです。これは、若輩者であった私にとっても、とてもインパクトの強いものだったことはよく覚えています。

ポリーニの演奏は、年齢を重ねるにしたがって、もっと深い解釈と深淵な美しさを湛えるようになります。例えばシェーンベルグ。あるいはドビュッシー。若い時に比べて、その音色はややソフトになっています。この人、もともと「歌心溢れる」というタイプの演奏をするわけではないのですが、年齢を重ねるにしたがって、美しい弱音が目立つようになり、私達にゆったりした気持ちをもたらしてくれるようになります。そこには、物理学にも興味を持っていた彼独自の分析力が如何なく発揮されていると言えるのかもしれません。もちろん、正確無比な技巧は若い時のままです。そして、時折見せる「強さ」、そして壮大なスケール感は若い頃を彷彿とさせるものであると同時に、彼の類まれなる成長ぶりを実感させられるものだと言えるでしょう。

こんな幅広さと強靭さ、そして客観的な分析力をもつピアニストだからこそ、ポリーニは世界中で認められたのです。決して情緒的な雰囲気に流されるようなことはありません。かといって、ただただ冷徹無比な演奏を目指しているわけではありません。そこに彼の演奏の魅力があるのです。

彼のような存在が、今後現れるのかどうか、わかりません。ただ、彼が残した録音はこれからも多くの人を魅了し続けることでしょう。

故人のご冥福をお祈りいたします。

 

閑話休題

今週は、妙にうすら寒くて、全国的にソメイヨシノの開花は予想よりも遅れているようですが、京都御苑では、糸桜(枝垂れ桜)が見ごろを迎えています。これもまた、とても見応えのある桜ですね。来週はいよいよソメイヨシノの出番でしょうか。

京都御苑近衛邸跡に咲き誇る糸桜

同上

こちらは御苑すぐそばの冷泉家の桜(バックは同志社大学の建物)





今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。