こんにちは。
前回の投稿で、私の病状に関する近況を書きましたが、その中でひとつ、書き落としたことがあります。それは、骨髄腫細胞の産出する物質によって、破骨細胞、すなわち、骨を壊す働きを持つ細胞が活性化してしまうことがあるということです。これによって、骨が溶けやすくなる症状が出ることがあるのです。私の場合も、当初、というか病名を告知される少し前、腰痛に苦しめられました。その時は単なる腰痛かな、と思っていたのですが、実は・・・というわけだったのです。ですから、腰痛には少し敏感になっています。そして今回、igAの値が急上昇したタイミングで、少し腰痛、というか腰に違和感あるいは軽いしびれのようなものを感じたのです。これについては、主治医に相談し、現在対応をしようとしているところです。まだ、原因がこの病気に関わるものなのかどうかもよくわかりませんが、ある程度めどが立ちましたら、また、このブログでお知らせします。
というわけで、今回の話題に入っていきます。前回の内容とはまったく関係なく、久しぶりにクラシック音楽に関する話題です。
皆さんは「左手のためのピアノ」というカテゴリーがあるのをご存じでしょうか。事故や戦争による負傷、脳神経障害、局所性ジストニア、重度の腱鞘炎などによって、右手が自由に使えなくなったピアニストのために、左手だけで演奏できるように書かれたピアノ曲のことです。といっても、芸術的な完成度が、両手で弾く曲よりも低い、ということはありません。左手だけでもとても高い技術と音楽性が要求されるため、これに取り組む人の数は決して多くないのが現状です。
ちなみに、局所性ジストニアとは、通常よりも激しく手先を使う機会が多い職業(ピアニストやスポーツ選手等)が特定の動作中に筋肉のこわばり、異常姿勢、大きな震え等の不随意で持続的な筋肉収縮が引き起こされてしまう神経疾患のことです。自分で手や指の動きをコントロールできなくなるため、ピアニストにとっては致命的ともいえる障害で、プロのピアニストの50人に1人は何らかの形でこの症状を抱えているとも言われている厄介な代物です。
左手のための曲として、一般に比較的よく知られている曲としては以下のようなものがあります。
ラヴェル 「左手のためのピアノ協奏曲」
オーストリアの名ピアニスト、ヴィトケンシュタインは、第一次世界大戦の際に右手を失い、ピアニストとしてのキャリアを失いかけたのですが、ラヴェルに、左手だけで演奏できる曲の作曲を委嘱したものです。おそらく最も有名な「左手のためのピアノ曲」です。なお、ラヴェル自身も志願兵として戦場に赴いた経験を持っており、その悲惨さを知っていたため、この作曲には相当の力を入れたようです。
スクリャービン「左手のための小品」
スクリャービンは、ラフマニノフと同級生だった人です。しかし、ラフマニノフが大変な大男で、手も大きかったのに対して、スクリャービンは小さな手。それでも対抗するために猛練習を重ねた結果、右手を痛めてしまいます。そんな彼が自分のために作ったのがこの曲です。
「シャコンヌ」はもともと「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番」として有名な曲で、多くのヴァイオリニストが取り上げている作品です。ブラームスは、これを当代一と言われたピアニスト、クララ・シューマンのために左手だけで弾くように編曲しました。クララは、けがのために一時右手が使えない時期があったそうで、その時期に贈られたものですね。なお、クララは作曲家として有名なロベルト・シューマンの妻ですが、ブラームスはこの人に密かに恋心を寄せ続けていたと伝えられています。
他にもたくさんの曲がありますが、先にも書きましたように取り上げるピアニストが少ないこと、かなり演奏上の難易度が高いものが多いこともあり、ほとんどは時代の波に埋もれてしまったようです。
ピアニストがこれらの作品を取り上げるときには、両手のためのピアノとはかなり異なる工夫をしなければなりません。まず、左手だけでメロディと伴奏を同時にこなさなければならないので、かなり忙しく手を動かすことになります。また、一度に出せる音は左手の指の数、すなわち最大限で5つしかないわけですから、それ以上たくさんの音を出そうとすると、ペダルを駆使したり、和音をふたつに分散して「ジャ、ジャーン」という感じで弾き分けたりしなければなりません。さらに、高音から低音までを全部左手だけでカバーしなければならないので、時として体をかなり捻じ曲げる必要も出てきます。しかし、ピアニスト達はこういった技術面での難しさをクリアしなければ、演奏活動を続けているのです。
現在活躍している左手だけのピアニストの多くは、もともと両手のピアニストとしてそのキャリアを積み重ねていた人です。それを断念せざるを得なくなった時の失望感は計り知れません。もちろん、それを契機に、ピアノの道をあきらめてしまった人も少なくありません。しかし、ピアノを続けようとした人は、自分のこれまでの弾き方を根本的に見直し、それこそ「ドレミファソ」を無理なく弾くにはどうしたらよいのか、という原点に立ち返って、自分とピアノの関係を見つめ直して、次第に上記のような難曲にも挑戦するようになっているのです。
彼らの生き方には、私達も学ばなければならない点がたくさん含まれています。ヒトは誰でも自分が積み重ねてきたキャリアの上に、次の計画を立てていきます。しかし、それは必ずしも保証されているものではなく、さまざまな事情で、ある日突然その計画が崩れてしまうことがあるかもしれません。そんな時、「すべてが崩壊した」と絶望してしまうのではなく、自分の来た道を振り返りながら、「今の自分に何ができるのか」と冷静に考えることこそ、次の一歩を踏み出すきっかけになるはずなのです。
なお、日本人の「左手のピアニスト」として有名な人に館野泉(たてのいずみ)さんがいます。1936年生まれのこの人は、両手のピアニストとしてかなりの名声を博していた人で、ベートーヴェンの録音なども高い評価を得ています。そして、30歳代半ばからはフィンランドに拠点を移し、北欧音楽の伝道師としても幅広く活躍していました。ところが、2002年、脳溢血のため転倒し、右半身に麻痺が遺ってしまいます。リハビリを経ても右手が不自由のままでしたが、2003年8月の音楽祭で、スクリャービンやリパッティによる左手のためのピアノ作品の演奏を行い復帰したのです。その後は、数多くの日本人作曲家に左手のためのピアノ曲を作曲依頼し、これを初演するなどして、80歳を超えた現在でも積極的な活動を展開しています。この人の活動は、不自由な身体を抱えている音楽家に希望の光を与えていますし、このジャンルが注目されるのに大きな役割を果たしているということができます。詳しくは、以下の本を参照してください。
館野泉著「左手のコンチェルト―新たな音楽のはじまり」(佼成出版社、2008年)
また、YouTube等で実際の演奏を数多く視聴することもできます。
最後に、蛇足をひとつだけ。
「左手のための曲」を右手だけで弾くことはルール違反なのか?
結論だけ言ってしまうと、別にルール違反ではないようです。ただ、これにチャレンジする人はおそらくいません。理由は色々あるのですが、もっとも説得力のある説明として、左手だけの方がメロディを浮きだたせやすいというのがあります。左手だけの場合、メロディの部分は主に親指とひとさし指という比較的力を入れやすい指で弾くことになるためです。これが右手の場合、小指と薬指という力の入れ方にちょっとした工夫が必要な指でメロディを弾くことになるため、どうしてもそこに無理がいってしまい。全体のバランスをとるのが難しいようです。
今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。