明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常185 矢野顕子礼賛

こんにちは。

 

最近街を歩いていると、本当に外国人が増えてきたことを実感させられます。それも、どうやら欧米系の方が多いようです。しかも10~20人の団体で行動しておられることが多いため、場所によっては、ここがどこの国なのかわからなくなるほど、日本語以外が飛び交ったりします。もちろん、世の中が3年半前の状態に戻っていくのは良いことなのですが、元への戻り方があまりにも急速で、ちょっと戸惑ってしまいます。本当にこのままコロナ禍が収束することを祈るばかりです。

 

さて、前回坂本龍一さんの訃報について少し触れましたが、その後、各方面から惜別の言葉がメディアを通じて寄せられています。そんななかで、元パートナーであった矢野顕子さんに焦点があたっています。彼女のメッセージはツイッター上での「親愛なる龍一さん、もう一度ピアノで連弾しませんか。あなたがいなくなり、とても寂しい。」というものでした。

ちなみに、連弾とは一台のピアノに二人の演奏者が並んで一緒に曲を演奏するスタイルのことです。つまり、2台のピアノを互い違いに並べて演奏するスタイルとは異なり、演奏者同士の親密度はより強いものとなります。曲によっては、腕が交差したりしますしね。

クラシックで有名な曲としては、ブラームスハンガリー舞曲第5番があります。これはピアノ学習者がはじめて本格的に連弾に取り組む際によく練習する曲で、私自身もたしか小学校高学年の頃に弾いた覚えがあります。メロディは大変有名なもので、おそらく聴けばどなたもご存じだと思います。

坂本さんと矢野さんは、映像に残っている連弾があります。それはもちろんブラームスの曲ではなく、YMOの代表曲のひとつともなっている「東風」です。

https://www.youtube.com/watch?v=DHhksjfg8Ik

この映像は、とても古いもので、音質も貧弱ですが、途中にYMOによる同曲の演奏も挿入されているので、それと比較することができ、興味深いものです。また、動画を見ていると、最初は互いに様子を見ながら、という感じなのが、次第に矢野さんがノってきて、それに触発されるように、坂本さんも体の動きが大きくなっていくのです。この頃のお二人の関係性を垣間見られるようで、その点でも非常に面白いものとなっています。

個人的には、矢野さんの音楽的才能は坂本さんに決して劣るものではなく、むしろ坂本さんには絶対に出せないような跳躍感のあるリズムと独特の感性をもっている貴重な人だと思います。

彼女は、学生の頃からジャズ・クラブでピアノを弾いていた早熟の人で、1976年にレコード・デビューしていますが、そのファースト・アルバムに収められた「丘を越えて」(オリジナルは藤山一郎さんが1931年に発表して大流行した戦前歌謡の代表曲)が大胆な変拍子を用いたアレンジで、注目を集めました。ただ、NHKオーディションでこの曲を披露したところ、偶然その時の審査を務めていた藤山さんの逆鱗に触れ、あえなく不合格になる、というスキャンダルに巻き込まれてしまったのです。当時はNHKのテレビ番組で歌を歌うには、このオーディションに合格することが絶対条件とされていたのですから、注目を集めたのも当然でしょう。1990年代頃にはこのオーディションは撤廃されたそうですが、そのきっかけのひとつとして、この「矢野顕子事件」があげられているのです。ちなみに、もうひとつ「浅田美代子事件」があるのですが、長くなりますので割愛します。

まあ、自ら正統な西洋音楽の継承者であり、日本語を大切にする第一人者としての自負をもっていた藤山さんに、この時の矢野さんの歌い方やアレンジを受け入れられなかったのは無理のないことかもしれません。今となっては、むしろこの出来事で「古臭くて頭の固い爺さん」というレッテルを貼られてしまった藤山さんが気の毒でもあります。

その後、彼女はYMOの1979年ワールド・ツアーに帯同し、ギタリストの渡辺香津美さんとともに、YMOのメンバーとは対照的に、かなりアクティブな演奏を披露して、ステージを盛り上げる大きな役割を果たします。とくに、彼女がヴォーカルをとる「在広東少年」はプログラム全体のハイライト曲のひとつだったのです。こうしてミュージシャンとしての認知度は一気に高まるのですが、坂本さんとの出会いもこの時だったようです。

その後、お二人の蜜月時代はしばらく続き、矢野さんのアルバムに坂本さんが全面協力するという体制が確立されますが、プライベートな面での問題などを抱えて、やがて矢野さんは一人だけでの演奏(ピアノ弾き語り)や他のミュージシャンとのコラボを含めて、活動領域をより広げて、今日に至っています。

彼女の声や歌い方は唯一無二のものであり、他の誰にもまねできるものではありません。(物まねタレントの清水ミチコさんは矢野さんの熱心なファンで、ピアノ演奏も含めて見事な物まねを持ちネタにしていますが) ちょっと甘えたような、それでいて優しさや鋭さをも内包したヴォーカルは、はじめて聴くと、戸惑う人も少なくありません。また、ピアノはいわゆる正当なクラッシックの奏法とは相いれないような自己流の弾き方をすることもしばしばです。何よりも、「天性の人」である彼女はピアノの前では思うままに、感じるままにピアノと戯れ、歌っているので、「ついていけない」「生理的に合わない」という人がいらっしゃるのは不思議ではありません。しかし、それこそが彼女の個性であり魅力なのです。そして、納得いくまで短いフレーズを何十回も、何時間も練習するなど、実は練習の虫でもあります。多分、彼女自身は「努力」とは思っていないでしょうが、それがあってこそ、今日まで長い間第一線で活躍を続けることができているのです。

そんな矢野さんのアルバム、私が所有しているのは5枚ほどに過ぎませんが、自分なりの「お勧め曲」をいくつか紹介しておきましょう。

・「ごはんができたよ」

YMOの全面協力のもとで制作された、家庭的な暖かさと郷愁が入り混じった曲。私はこの曲が矢野さん流の「夕焼け小焼け」だと思っています。

・「ラーメン食べたい」

同じく、バックはYMOサウンドはこちらの方がカッコいいです。最後の方に、珍しく坂本さんのコーラスが入っているのも聴きものかもしれません。

・「春咲小紅」

これもYMOとの共作で、化粧品のテレビCMに使われたことで、彼女最大のヒット曲となっています。テレビの歌番組に出演した時、YMOがバックを務めたこともあります。ただ、私の記憶では、この時はカラオケを使用していて、YMOは演奏するフリをしていただけです。逆に言うと、それぐらい、全面的に彼女をバックアップしていたのです。

・「ひとつだけ」

とてもハッピーなラヴ・ソング。もともとは坂本・矢野共同編曲となっていますが、その後さまざまなヴァージョンで演奏しています。とくに忌野清志郎さんとのデュエット・ヴァージョンは涙が出るほど切なさと美しさが詰まっています。

・「SUPER FOLK SONG」

糸井重里さん作詞で、ロミオとジュリエットのお話を日本の田舎町に置き換えたような佳曲。この曲を歌う矢野さんは、本当に楽しそうです。ピアノも素晴らしい。

・「愛について」

とてもシンプルなピアノ伴奏で、しみじみと語り掛けるように歌っています。オリジナルはシンガー・ソングライター友部正人さん。矢野さんは、自身の作詞作曲した曲も素晴らしいのですが、他の方が作った実にたくさんの曲をカバーしています。そして、そのどれもが、完全に自分の曲として咀嚼・消化し、昇華させています。そういう意味では、これもまた彼女のオリジナル作品と言えるのかもしれません。

 

上にあげたほとんどの曲はYouTube等でも視聴できますので、興味の湧いた方は検索してみてください。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。