明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常167 三井寺と坂本龍一

こんにちは。

 

正月明け、コロナ・ウイルスによる感染症に罹患する人が急激に多くなっていますね。現在のシステムだと、正確な患者数はわからないのですが、死亡する方が大幅に増えているところを見ると、病院に行っていない方、報告されていない事例が相当あり、実際の患者数は発表されている数よりもかなり多いのではないかと思われます。巷では、中国での爆発的感染拡大に対応して、何とかこれを水際で押しとどめようとする動きについて、各国の政治的思惑も含めて、色々とコメントされていますが、中国のことを「対岸の火事」とは思わず、現在の「行動制限のない状況」の中でも気を付けなければならないことについて、改めて認識する必要があると思います。これを読んでいただいている方、くれぐれもご自愛ください。

 

ところで、前回の投稿で滋賀県大津市にある三輪神社のウサギの写真をご紹介しましたね。ここはあまり有名な神社とは言えず、境内もこじんまりとしているのですが、実は、有名な三井寺のすぐそば(というか敷地内?)にあり、同寺院の守護社として位置づけられている神社です。ここを訪れたのは1月4日でしたが、「せっかく来たのだから」ということで、三井寺(正式名称は天台寺門宗総本山 長等山園城寺)にもお参りしてきました。

ここは大変広大な境内を有しており、貴重な仏像も多く収められているのですが、なんといっても有名なのは、高さ155cm、口径124.8cm、重さ2250kgの巨大な梵鐘です。その重厚で美しい音色から「三井の晩鐘」と呼ばれ、江戸時代から「近江八景」のひとつとして地元で愛されてきたもので、国の重要文化財に指定されている貴重なものなのです。ところが、冥加料800円を納めれば、誰でもこの鐘を撞くことができるのです。

私は撞かなかった(別に800円がもったいなかったわけではありません 笑)のですが、けっこう頻繁にトライしている方がいらっしゃったおかげで、何回かその音色を聴くことができました。そして、それが噂に違わぬ素晴らしいものであることを実感した次第です。かなり大きな鐘ですので、相当の重低音だろうということは予想できたのですが、何よりも驚いたのは、響きの分厚さです。音は周囲の空気全体を震わせるような響き方で、10秒以上、いや、もっと長く鳴り続けます。その空気の振動がこちらの肌にも伝わってくる感覚は、どのような言葉で説明してもちゃんと伝わらないと思いますので、これ以上言葉を重ねることは止めておきますが、とにかく視覚、聴覚だけでなく、触覚でその存在の大きさを実感することのできるものでした。(私は実際に触れてはいませんが、空気の振動を感じたことにより、触れたのと同じような気持ちになれたと思っています。)

 

少し話は変わるのですが、先日テレビで坂本龍一さんが昨年12月にスタジオで録音したピアノ・ソロをテレビで見ることができました。坂本さんはこの数年間がんのステージ4と診断され、かなり壮絶な療養生活を送っておられます。今回の演奏も「こんな形での演奏はもう最後になるかもしれない」「体力が落ちているから、1回に数曲しか演奏できない」と述べていましたが、そんな中で作った新しい曲に加え、古い曲(YMOの代表曲であるTong Poo=東風、映画音楽として有名になったMerry Christmas, Mr. Lawrence=戦場のメリー・クリスマスなど)を新たにピアノ・ソロ用に編曲したものも披露していました。

彼はあくまで作曲家であり、ピアニストではありません。「自分の表現手段としてもっとも得意なのがピアノだから、これを弾いているだけです。ピアニストとしての技量はひどいものですよ。」と自嘲していましたが、実際の演奏は、そこいらのピアニストはほとんど裸足で逃げ出すに違いない、と思われるような中身の濃いものでした。指が速く動くわけではありませんし、すぐれたピアニストが持っているような多彩な音色で曲を聴かせるわけでもありません。ただ、一音一音を丁寧に、慈しむように弾いている姿がとても印象的だったのです。そして、「なるほどなあ」と思ったのが、「響きを大切にするために、ゆっくりしたスピードで弾いている」というコメントです。彼は、自分の出した音の響きをしっかりと確かめながら、演奏を進めていたのです。だからこそ、味わい深い、坂本龍一という人間の内面を吐露するかのような演奏に聴こえたのでしょう。

 

ここで話は三井寺での経験とつながってきます。

考えてみると、コンピュータやシンセシザーで作られた電子音がまん延している今、ナマ音の響きをこんなに感じる体験ができたのは久しぶりだったような気がします。「響き」とは簡単に言ってしまえば、音の広がりのことだと思うのですが、広がりながらも徐々にはかなくも減衰していくからこそ、音の響きというものに深淵な気持ちを抱くことができるのかもしれません。それは自然の波長が作り出すものであって、人の手によって音響工学的に作り出すことは、おそらく不可能に近いのではないでしょうか。坂本さんはYMOをはじめとするシンセサイザー演奏を極めたキャリアを持っているからこそ、今のような境地に達したのかもしれません。

耳をそばだてて、自然の音をキャッチし、それを体に染み込ませる。そんな経験を大切にしていきたいものです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。