明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常213 「それってあなたの(単なる)感想ですよね」

こんにちは。

 

10月の声を聞いた途端にめっきり涼しくなりました。最近は季節の変わり目がやや乱暴になり体調管理に苦労すると感じるようになったのは、私がトシを取ってきたせいでしょうか? それとも、温暖化のせいで日本全体の気候変動が以前とは異なってきているのでしょうか? いずれにしろ、もう少し自然で穏やかな四季の変化を実感したいと思う今日この頃です。

さて、今回の表題は日本最大の匿名掲示板として知られる「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)の創設者であり、現在は実業家、コメンテーター等として活躍しているひろゆきさん(本名:西村博之さん)の決め台詞としてしばしば引用される言葉です。また、この人はインターネットやテレビ番組上でかなり思い切った発言を繰り返して相手を黙らせてしまうことから、賛同者からは「論破王」などと呼ばれて、多くの「信者」を生んでいる存在です。

(ただし、彼自身は、「それってあなたの感想ですよね。」という言葉はテレビで一度使っただけだと主張していますし、「論破王」と呼ばれることにはかなり戸惑いを感じているようです。)

様々な発言で、ネットを賑わしている彼ですが、私はここで、ひろゆきさん自身について論評するつもりはありません。ただ、この言葉が昨年小学生の流行語ランキング(ベネッセ・ホールディング社による調査)で1位になったことには、かなりの危惧を抱かざるを得ないのです。小学生たちの言葉を借りれば、ひろゆきさんのような歯切れのよい断言の仕方は、「スカッとする」とのことで、会話の相手を言い負かすにはとても手軽に使えてしまう言葉だ、ということになるのです。

ひろゆきさん自身は、こうした現象について、必ずしも諸手を挙げて喜んでいるわけではないようですが、他方「事実と感想を切り分けて話すべきだと思う」とも述べています。

まあ、それもあなたが「思っている」だけですよね、という軽いツッコミは置いておくとして、事実と感想をごちゃまぜにして話を進めることが誤解や曲解を生むものであることは確かです。その意味では、この主張は正しいようにも見えます。

しかし、実はこのふたつの区別はそんなに簡単でないことも、実社会ではしばしば起きます。ひとつだけ例を出しておきましょう。

ここに円柱形の立体があります。


これを真上から見た人は「円柱形とは丸の形をしている」というでしょう。

そして真横から見た人は「円柱形とは長方形をしている。」というでしょう。

もちろん、現在私達は、それを斜め上から見ることによって、円柱形の正しい形を捉えることができることを知っていますが、それでは、そうしたことを知らずに、真上から見た人、真横から見た人の認識は、嘘でしょうか。あるいは単なる感想でしょうか。否、それぞれの方向から見た限りにおいては、それらは真実なのです。ただ、ものの見方が一面的で、全体像を捉えるのに適していなかったに過ぎないのです。

こんな例は、毎日流れているニュースの中でもたくさんあることは、同じニュースを報道しているのに、新聞によって随分伝え方が異なることから見ても、明らかです。つまり、「事実」と「感想」を切り分けるという作業は、総論としてはその通りであっても、実際にはそんなに簡単ではないのです。というより、物事をこのふたつに分類して、決めつけてしまうこと自体がかなり危険で乱暴なことなのです。

なぜ、こんな乱暴なものの言い方が流行ってしまうのか。それは、会話をコミュニケーションとして捉えるのではなく、「相手より上に立つ」「相手を打ち負かす」(最近は「マウントを取る」という言葉がよく使われるようですが、個人的にはあまり好きな言葉ではありません。)手段と考える人が増えているからではないでしょうか。

いつからこんな風潮が生まれたのでしょうか。私の記憶にある限りでは、田原総一郎さん司会のテレビ朝日で長年続いている「朝まで生テレビ」あたりからではないか、と思います。この番組は毎回10名以上の評論家、政治家その他「論客」と呼ばれる人々がひとつのテーマについて議論する、というスタイルを取っていますが、元々かなり立場の異なる人達が同席しているので、議論そのものはほとんど平行線のまま終わってしまうことがほとんどで、ここで将来に向けての建設的な合意や結論が導き出されることはありません。というよりも、そんなことはまったく想定していません。テレビ局側も視聴者も、論客たちが時に感情をあらわにして声高に発言するのを楽しんでいるだけなのです。

しかし、これは本当の意味での「議論」と呼べるものではありません。

 

止揚アウフヘーベン)」という言葉をご存じでしょうか。これはドイツの哲学者ヘーゲルが提唱した概念で、「あるものを、そのものとしては否定しても、契機として保存し、より高い段階で活かすこと」「矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて、発展的に統一すること」などと説明されます。つまり、あらゆる議論・討論は、一方が他方をやり込め、自らの優位性を確立させるものではなく、あくまで将来的な発展に向けての共同作業のようなものとして、互いの主張の良いところを認め合う、というものなのです。言うまでもないことですが、こうした議論・討論に勝ち負けはありません。いや、そこから新たな発展に向けての道筋が導き出されるならば、すべての参加者が勝者になるのです。ぜひとも、学校の先生方には、こんなスタイルのモノの見方、考え方を子供たちに教えてほしいと心から願うものです。


作家であり、明治学院大学教授でもある高橋源一郎さんは自分の主宰するゼミの基本方針として「論破禁止」を挙げています。「誰かを論破しようとしている時の人間の顔つきは、自分の正しさに酔っているみたいで、すごく卑しい感じがするから」だそうです。これを受けて鷲田清一さんは「対話は、それを通じて各人が自分を越えることを希ってなされる。相手へのリスペクト(敬意)と自己へのサスペクト(疑念)がなければ成り立たない。」と述べています。私はこの意見に全面的に賛成するものです。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。