明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常179 地震、そして原発

こんにちは。

 

今朝、突然スマホに聞き慣れない音が鳴り響きました。どうやら自治体が実施した一斉防災行動訓練に伴う緊急速報メールだったようです。訓練ですから、すぐに何かをせよ、ということではありませんでしたが、やはり少し驚いてしまいますね。

これはもちろん万が一の災害に備えての訓練なのですが、同時に、明日でちょうど12年を迎える東北大震災を忘れるな、というメッセージですよね。

当時(今でもそうですが)東北地方からはかなり離れた地域に居住していた私ですが、あの地震では少し不安になるような揺れを感じましたし、その後次々にテレビに映し出されるショッキングな映像は今でもよく覚えています。ただ、その教訓を普段の生活に活かせているか、というと少々自信がなくなってしまうことは否定できません。

あの地震で亡くなった方は、現時点で分かっているだけで約16000人にのぼります。そして、行方不明者はいまだに2500人以上です。その他、いわゆる震災関連死(避難先で体調を崩して亡くなった方など)を合わせると、合計約22000人もの方が命を落としています。また、原発事故のために故郷を離れざるを得なくなったりして、生活が一変してしまった方の数は、それこそ数えることができないほど多数にのぼります。

また、街の復興は徐々に進みつつあるようですが、その度合いはかなりまだら模様です。つまり、賑わいを何とか取り戻した地域がある一方で、避難指示が解除されてもなかなか住民が戻ってこず、寂しい状況が続いているところも少なくないのです。該当する地域にはそれぞれの事情がありますから、これらをひとまとめにしてしまうことはできませんが、既に地震発生から12年。当初立てられていた復興計画を根本的に見直す時期にさしかかっていることは間違いありません。

さらに厄介な問題としてのしかかるのが原発廃炉問題です。これについては、当初の計画よりも遅れに遅れてしまっている状況で、最終的にいつ完全に作業が終了するのか、まだ先が見えていないといってもよいでしょう。

ここまで書いたことは、ほとんどの方がよくご存じのことでしょう。にもかかわらず書いたのは、私自身が日々の生活の中で知らず知らずのうちにこのショッキングな出来事を心の中で風化させてしまっていると思われるからです。いや、私だけでなく、おそらく日本中がそんな感じになっているのではないでしょうか。

論点を拡散させないために、今回は原発問題にのみ焦点をあててこのことを考えましょう。

原子力規制委員会は、先日、運転開始から60年を超える原子力発電所の安全規制に関する新たな制度案と原子炉等規制法改正の条文案を可決了承しました。原発の運転期間は、これまで法律で原則40年、最長60年と定められていたのですが、経済産業省が先月、原子力規制委員会の審査などで運転を停止した期間を除外し、実質的に60年を超えて運転できるようにする方針案を取りまとめたのを受けて、この方針を同委員会が追認した形です。これによって、その寿命はかなり延びることになりますが、老朽化によるリスク増加が懸念されているのです。原発に限らず、あらゆる機械や建物は、稼働中にだけ経年劣化を起こすわけではありませんから、この決定はあまり合理的・科学的とは言えず、安全性よりも再稼働に向けての道筋づくりが優先されていると思われてもしょうがない決定でしょう。

原発の安全性問題についてのさまざまな議論は、今に始まったことではありません。古くは1970年代から、とくに原発立地が予定された地域では、各自治体、住民、電力事業者のみならず観光業者や新規にビジネス立ち上げを考えている人達を巻き込んで、それぞれの立場から意見が出されて、時には街を二分してしまうような騒動に発展したこともしばしばでした。

日本ではじめて原子力発電がおこなわれた1963年です。その後いわゆる「電源三法」成立(1974年)によって、原発建設・稼働について国から相当額の交付金が支給される仕組みができあがるという経緯を経て、次第にその数を増やしてきました。東北大震災の直前の2010年の段階で、全国の原発は54基、電力供給の内原発への依存率は28.6%に達していたのです。そして、こうした状況にもかかわらず、いまだに核廃棄物の最終処分場に関してはなかなか建設に向けての歩みが進んでいないということは揺るがない事実です。口の悪い人は「トイレのない家を作っているようなものだ」と揶揄しますが、60年も経っているのにまだ処分場が建設されていないというのは、原子力への依存度を重視するエネルギー政策の仕組みづくりそのものに根本的な欠陥があったと言わざるを得ないのではないでしょうか。

日本はこれまで、大きな政治的意図と時としてやや強引な手法によって、エネルギー政策が転換してきました。詳細は省略しますが、石炭中心から石油依存へ、そして原子力の積極的利用へという変遷を検証すれば明らかなことです。その強引さには唖然とするものもありますが、少し見方を変えれば、政府・行政などの決断次第で、事故が起きた時の被害、損害があまりにも大きい原発という存在のリスクを減らしていくことは可能なはずなのです。その際重要なのは、イデオロギーやビジネスの観点からの議論ではなく、エネルギー(とくに電力)の安定供給、そして地域や環境への十分な配慮が優先されるべきであることは言うまでもありません。

日本という地震大国に住み、常にそのリスクにさらされている私たちにとって、3月11日は、最適なエネルギー供給方策がどんなものであるのか、もっと真剣に議論を深めていくきっかけにすべきだと私は思っています。

そんなことを考えていても、春の足音は確実に近づいてきています。繊細で美しい季節の移り変わりという日本の自然をすべての人が満喫できることを祈るばかりです。

京都府立植物園の梅(3月8日)


今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。