明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常180 自己判断にゆだねられたマスク着用

こんにちは。

 

去る3月13日より、マスクの着用が「個人の判断」に委ねられるようになりましたね。飲食店などでも、パーテーションの撤去などを今後進めていくところが多いようです。しかし、報道を見たり、実際に街を歩いたりしてみると、まだマスクを外している人は少数派のように思えます。いくつかのアンケート調査の結果では、「当分は外すつもりはない」「様子を見る」といった回答がもっとも多いようで、マスク外しが数日のうちに一気に広まるということはなさそうです。「自分で判断」と言われて戸惑っている人も少なからずいらっしゃるようです。

もちろん、時節柄花粉や黄砂から身を守るためにマスクを着用している人も多いので、一概には言えないのですが、やはり日本人そして日本社会特有の同調圧力、「右に倣え」の姿勢がここにも表れているのでしょうか・・・と思っていたら、この傾向は必ずしも日本だけのものではないようです。例えば香港では、これまで場合によっては最高5000香港ドル(約86000円)罰金が課せられることもあるという厳しいマスク着用義務があったのですが、3月からこれがすべて撤廃されました。しかし今のところ公共の場では7割以上の人がマスクを着用しているそうです。また、2月20日から公共交通機関や病院、学校などを除く国内でも着用が不要になった台湾でもほぼ同様の傾向だそうです。ただ他方で、昨年初めからマスク着用が不要になったアメリカやイギリスなどでは、着用している人はほとんど見かけないそうです。WHO(世界保健機関)は現在でも他人との距離が保てなかったり、換気が悪かったりする場所での着用を勧めていますが、色々とお国柄があるようですね。

私自身は、しばらく前から屋外では基本的にマスクを外しています。そして、人が密集しているところや屋内ではポケットからマスクを取り出す、という感じです。ですから、今回の「緩和」によって行動パターンが大きく変わることはありません。まあ、病気と薬の影響で、他の方と比べて免疫力が弱くなってしまっている、という事情がありますので、今後も少し気を付けて着用を続けていくことになりそうです。

屋内施設としては、病院や高齢者施設がおそらく最後までマスク着用を義務とし続けることになるでしょう。(入口での体温チェックなどは次第に緩和されるかもしれませんが)これは、施設の性質上止むを得ないことです。ただ、入院患者への面会(お見舞い)の禁止は、できれば緩和してもらいたいですね。この3年間、入院患者やその家族は色々と大変な思いをしてきました。着替えや差し入れを直接渡すことはできませんし、携帯電話やスマホを持っていない場合は、連絡を取り合うのも一苦労です。荷物の受け渡しや伝言は病院スタッフの仕事になってしまい、ただでさえも忙しい彼らに新たな負担を背負わせることになっています。そして、何よりも問題なのは、入院患者を孤独な状況においてしまうことです。結局、家族には誰にも看取られずに亡くなっていった人の数も相当に上ってしまっているのです。これは寂しい話ですね。

 

外部からのウイルス持ち込みや院内感染の予防には細心の注意を払わないといけないことはこれまでどおり当然です。しかし、何らかの方法で面会が可能となるように工夫はできないものでしょうか。例えば、これまでコロナ患者専用に使っていたスペースを縮小し、その分を入院患者との面会用に回すことができないものか、と思ってしまいます。

ちなみに、私もこの期間に何回か身内が入院したのですが、そのたびに上に書いたようなことのためにドタバタしたことが幾度となくありました。ただ、病院によっても異なるでしょうが、こうした制約は必ずしも「絶対」だったわけではありません。例えば、医師からの説明を受けるときには、同じ空間で患者と一緒に話を聞くことは認められていましたし、入院日と退院日には病室まで入ることも許されていました。医師の説明は、患者本人だけが聞くよりも家族も交えて、聞き漏らしがないようにすることは妥当でしょう。また入退院時には荷物の整理等がありますから、手助けをする人が必要です。ですから、こうした措置はきわめて合理的だと思います。そして、そのことによって感染が拡大するなどといった問題はまったく生じていないようです。結局、人との距離を保つ、とか不要な大声をあげない、といった心がけ次第なのですね。

ただ、私はこの3年間のさまざまな規制がまったく無駄だったとは思いません。未知のウイルスに対する構えを、まずは厳しめに考え、その後感染状況やウイルスそのものの科学的解明を通じて、徐々に緩めていく、という手順は決して間違いではありませんし、そうしたプロセスを通じて、私たち自身が学習していくことができた、ということには大きな意味があったはずなのです。

新型コロナ・ウイルスそのものは無くなったわけではありませんし、再度流行する可能性は十分あります。また、今後未知のウイルスや菌が新たな脅威として私達を襲うこともある程度想定しておかなければなりません。ただ、そのための準備、心構えとしてこの3年間の行動制限や自粛、マスク着用等の経験を活かせるかどうかは、私たち次第なのです。そうしたことも含めて、「個人の判断」はとても重要なのです。そして、そうしたことの積み重ねが、社会を成熟させていくことに繋がるのだろうと思うのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。