明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常181 障害者とその雇用

こんにちは。

 

梅花は最盛期を過ぎましたが、日々春の色は濃くなっています。桜も咲き始めました。我が家のベランダには、一年ぶりにイソヒヨドリが訪れてくれています。この鳥、そんなに大きくはないのですが、体の色はけっこう鮮やかです。イソヒヨドリという名前はもともと磯や岩場に生息していて、ヒヨドリに似ているためについたものなのですが、実際にはヒヨドリ科ではなく、ヒタキ科だそうです。そしてヒヨドリが果物を好物としているために害鳥に指定されているのに対して、イソヒヨドリは主に昆虫や小型爬虫類などを好むようで、両者はまったく異なるものです。また、人間をあまり怖がらないため、最近では街中でもしばしばみられるようになったのだそうです。そして何よりも特徴的なのはその高く美しい鳴き声で、春の訪れを知らせてくれているようです。


そんな浮き立つような気持ちを抑えきれなくなる季節ですが、私には毎年この時期になると、ひとつの苦い思い出がよみがえります。

それは、今から25年ほど前のことになります。私は大学に勤務していたわけですが、定期試験や入試がすべて終わり、後は卒業式だけが年度内の主要行事、というほっとする3月のある日、突然研究室の電話が鳴りました。卒業式を数日後に控えていた学生が、アルバイト先の倉庫で事故に遭い、下半身不随になってしまう大けがを負ったというのです。あまりのことにすぐには声を出すことすらできませんでした。当然本人は卒業式には出席できなかったのですが、ゼミの同級生たちに事故のことを伝えると、卒業式の晴れやかな雰囲気が一変してしまったことをよく覚えています。

その数日後、この学生が入院している名古屋の病院にお見舞いに訪れたのですが、彼は終始にこやかに私に接してくれました。病室を出た後、しばらくの間お父さんとお話ししたのですが、「息子は全然泣き言を言わないんですよ。私には、そのことがとても辛いんです。」という言葉は、今でも耳の奥に残っています。

事故の責任や損害賠償についての交渉は、すべてお父さんがなさったので、私は詳細を把握していません。ただ、数か月して退院した後も、結局車椅子がないと移動がまったくできない体になってしまった彼を待ち受けていたのは、内定していた企業からの「内定取り消し」という残酷な通知でした。これについては、私も会社の人事担当者と何回か電話で話したりしたのですが、当時はまだバリアフリーという概念すら一般にはそれほど広がっておらず、何の落ち度もない企業側に対してあまり無理を言うことはできませんでした。一人の従業員のために、社内全部を車椅子で移動できるようにするということは、一企業にとってはあまりにも費用負担が大きく、それがどんなに優秀な従業員であっても、なかなか簡単には踏み切れなかったことは、理解せざるを得なかったのです。

現在、障害者雇用促進法によって、一定数以上の従業員規模の事業主は、従業員に占める身体障害者知的障害者精神障害者の割合を2.3%以上とすることが定められています。(今年4月からは2..5%に引き上げ)ただ、障害者雇用に際しては、企業側にさまざまな負担が生じますし、そもそも業務内容から見てまったく雇用が不可能という職場も存在します。このため、さまざまな例外措置や特別措置、条件などが付されていて、かなり複雑になっているのですが、それ以上に大きな問題点は、「納付金」という制度の存在です。これは上に書いた制度の適用対象である企業がその雇用率を達成しなかった場合、不足1人あたり50000円を納付させるという制度です。これは、企業それぞれの事情に配慮したものともいえますが、穿った見方をすれば、「障害者雇用の努力不足を金で解決する道を用意する」ものとも言うことができるのです。

近年では、バリアフリーの普及やダイバーシティ概念の広がりによって、定められた雇用率以上の障害者雇用を行っている企業も徐々に多くなってはいますが、まだまだ当該障害者にとっては門戸は狭い状況です。それは、彼らの多くが非正規雇用(パートやアルバイト等)で働いていること、そして定着率が健常者に比べてかなり低いことからも明らかです。ちなみに、障害者雇用枠の中で正社員の割合はわずか25%であるということが、厚生労働省の調査により明らかにされています。また、1年定着率は身体障害者の場合約70%、知的障害者は68%、精神障害者は60%にとどまっています。(独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構の調査による)

このことは、当然ながら彼らの賃金・収入にも反映されてしまいます。もちろん、自らアルバイト等で働きたいという希望をもつ人も少なくないので、一概には言えませんが、障害者が安心して働き、自立して生活していけるような「共生社会」は、少なくとも日本の場合、まだまだ遠い状況なのです。

先日、大阪地方裁判所でひとつの注目すべき判決が下りました。聴覚障害のある11歳の子どもが重機(ショベルカー)にはねられて死亡した事故をめぐり、ご両親が運転手らを相手取って損害賠償を起こした裁判です。ここで争点になったのは「逸失利益」、つまり、もしも事故に遭わずにこの子供が成人し、職業に就くことによって得られたはずの収入をどのように計算するかでした。当初被告側は、原告側の子供が聴覚障害者であったことを踏まえて健聴者の40%とすべきだと主張したのです。これは被害者が女の子であったために、女性労働者のみの実態から算出された数字でしたが、さすがに男女差別はこの時代認められるはずがないと判断したのか、途中から全聴覚障害労働者から計算して、全労働者の60%にすべきだというように主張を変更しました。これに対して、原告側のご両親は障害を持っていることは考慮すべきではなく、全労働者の平均賃金で算出することを求めました。そして判決は、「年齢に応じた学力を身につけて将来さまざまな就労の可能性があった」としつつ「労働能力が制限されうる程度の障害があったことは否定できない」として、最終的に労働者全体の平均賃金の85%を支払うよう、被告側に命じたのです。

この判決について、原告側は「血の通わない判決」として控訴に踏み切ったそうです。心情的には、このご両親の気持ちは痛いほどわかります。おそらく金額を争おうとしているのではなく、障害者を特殊な者として扱うことそのものの是非を問うているのでしょう。

ただ、裁判所は障害者差別が許されることではないことを理解しながらも、現時点ではあまり先進的な判決には踏み切れなかったという事情もわからなくはありません。その妥協の産物が85%という数字だったのでしょう。時代を切り開いていくことは、行政や政府の役割であって、裁判所が先頭に立つのは少し筋違いなのかもしれません。

今や、障害者に対するハード、ソフト面での支援体制は徐々にですが進みつつあります。とくに身体障害については、科学技術の進歩によって、相当高度なレベルの支援機器の開発が進んでいます。それらを駆使することによって、本当の意味での「共生社会」が実現することも決して夢物語ではないと思います。ただ、そのためには私達一人一人がこのことに関してもっと意識を成熟させていかなければならないですし、それを行政等への働きかけという形で昇華させていく必要があるとも思うのです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。