明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常182 団時朗さんと京都

こんにちは。

 

今年の春は、とても急ぎ足です。あっという間に桜が咲いたと思ったら、もう散り始めてしまっています。多分4月になるまで花はもたないでしょう。これも気候変動の影響なのでしょうか。先日見たニュースでは、ヨーロッパのアルプスで、雪不足のためにスキー場の営業を短縮せざるを得なくなっているそうです。50年後、100年後の地球の姿が本気で心配になってきてしまいます。

桜と小川と雨


さて、先日俳優の団時朗さんが肺がんのため亡くなりました。享年74歳。まだまだ若いですよね。残念なことです。

団さんというと、もっとも有名なのが、この人がブレイクするきっかけとなった「帰ってきたウルトラマン」です。私自身ウルトラマン世代ですので、当然ながら、よく見ていました。ただ、その時はまだ幼かったこともあり、俳優としての団さんに興味を惹かれることはなく、もっぱら変身した後のウルトラマンの活躍に心を躍らせたものです。

そんな団さんの晩年の作品に、NHKの「ザ・プレミアム」として放映された「京都人の密かな愉しみ」があります。これはちょっと特殊なつくりの番組で、常盤貴子さんを主役に据えたドラマを軸にしながら、それとはまったく関係のないミニ・ドラマや京都の文化・風習・季節の移ろいを紹介するドキュメンタリーや、料理研究家の大原千鶴さんが京都でよく食べられる「普通の」料理を紹介するコーナーなどが挟み込まれる、という盛りだくさんの内容でした。そして、そんなにたくさんの内容を詰め込んだ番組であるにもかかわらず、全体的にとても静かで落ち着いた雰囲気が漂う丁寧な作りで、2015年から2022年まで、全10回というゆっくりしたペースで、不定期に放映されました。その中で、団さんはイギリスからやってきた文化人類学エドワード・ヒースローという役で、ドラマ部分のナレーションも担当して、コミカルながら渋い演技を見せてくれていたのです。ちなみに、団さんががんを発症したのは2017年ですから、番組制作中は既に罹患した状態だったようですが、そんな素振りはまったく見せませんでした。

このドラマ部分、京都を舞台にしているため、当然ながら、会話はほとんど京都弁で進行していくのですが、出演する俳優さんたちはほぼ全員関西以外の出身でした。それにもかかわらず、かなり自然に近い京都弁を話していて、特訓されたのだろうなあ、と感心したことをよく覚えています。とくに常盤さんのたおやかな話し方は、美しい着物姿と相まって、際立っていました。また林遣都さんの好演も光っていました。(この人は滋賀県大津出身なので、京都弁にはそんなに苦労しなかったかもしれませんが)

余談ですが、関西を舞台とするドラマで、関西以外出身の俳優さんが怪しげな?関西弁を使うことを、関西人は極端に嫌います。とくに、イントネーションが難しいようですね。

そんな中で、団さんは唯一京都出身でした。しかし、外国人役ですから、京都弁は一切話しません。また、京都が好きで、10年もこの地で暮らしているにもかかわらず、京都の風習をよく理解していないところもある、という複雑な設定ですから、演じるのはかなり難しかったのではないだろうか、と想像します。この人は、父親がイギリス系アメリカ人だったそうで、日本人離れした顔立ちだったからこそ、この役での出演が決まったわけですが、それにしても、まわりの俳優さん達が京都弁で苦労しているのを、どんな気持ちで眺めていたのだろうか、と思うと、少し複雑な気持ちになってしまいます。

団さんに限らず、ハーフの方は自身のアイデンティティをどこに求めればよいのか、時として戸惑ってしまうことがあるようです。日本という国の場合、住んでいる大多数の人が、両親ともに日本人で、日本で生まれ、育ち、今も生活していますので、普段、あまり自分のアイデンティティを意識することはありません。しかし、その社会環境は、こうした人生をおくってこなかった人を「少数派」へと追いやり、時として、配慮を欠く制度や行動が当たり前のものとして、何の疑問もなく多数の人に受け入れられてしまう、という風潮を生むことにもつながってしまいます。

京都という街はとても閉鎖的だ、とよく言われますが、それも、上に書いたようなことと関係するのでしょう。このドラマで、師匠であり、許婚でもあるヒースロー先生をイギリスから追いかけて京都にやってきた若手研究者エミリー・コッツフィールド(演じたのは、朝ドラ「まっさん」で一躍有名になったシャーロット・ケイト・フォックスさん)の独白の中で「世の中には二種類の人間しかいない。京都が好きな人と、好きになれない人だ」というのがあります。この言葉自体は、裏表のある京都独特の言い回しにイライラを隠せない中での言葉なのですが、実はとても深い意味が隠されているのかもしれません。

そんなことを考えながら、全部録画してあるこの番組をもう一度見直してみようかな、と思っています。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。