明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常183 ブルース・リーと香港そしてアメリカ

今回はまず、これを読んでいる皆さんに御礼を。

このブログ、2021年7月3日に最初の投稿をして以来、昨日で総アクセス数が10000を越えました。単純計算すると、1日あたり約16、1記事あたり約54のアクセスがあったことになります。とくにアクセス数を増やすための工夫とかをしているわけではないのに、思いのほか多くの方に読んでいただいていることに、深く感謝申し上げます。また☆をつけたり、コメントを下さったりしている方々には重ねて御礼申し上げます。(個別に御礼を申し上げるべきところなのですが、ついついサボってしまい、申し訳ありません。)今後も、これまでどおり気の向くままにさまざまな話題を取り上げて、不定期にアップしていくと思いますので、お付き合いいただければ幸いです。

 

さて、前回は団時朗さんのことを書きましたが、今回は、同じ俳優、といってもまったく異なる路線の人、一時期世界的なスーパースターとなったブルース・リーのことを書こうと思います。

ブルース・リーの代表作、「燃えよドラゴン」が日本で公開されたのは1973年、今から50年前のことになります。当時、ヌンチャクという見たこともない武器を操り、奇声を発しながら敢然と悪に立ち向かっていくその姿に心ときめかせた男の子は数知れなかったものです。いや、少年だけではなく、日本中が沸き立つ社会現象になったと言っても過言ではありません。ブルース・リー自身が原案の立案や武術指導にあたったこの作品は、いわゆる勧善懲悪のわかりやすいストーリーだったことに加えて、彼自身のカンフー・スタイルの斬新さが大ヒットの要因だったのでしょう。ただ、実はこの映画が日本で公開された時、ブルース・リーはわずか32歳で既に亡くなっていたことが知られるようになったのは、ずいぶん後のことだったと記憶しています。あまりにも突然の、そして若すぎる死去の原因については、色々とまことしやかな話も伝わっているようですが、ここで取り上げたいのはそのことではありません。

彼は、アメリカ・サンフランシスコ出身なのですが、父は中国系の演劇役者、母は白人と中国人のハーフで、父親の長期アメリカ巡業中に当地の病院で生まれました。その後、イギリスの植民地であった香港に帰国し、少年時代から子役として映画に出演していたのです。その頃の香港では、自国で映画を製作する機運が高まっており、その波に乗った形だったのでしょう。またティーン・エイジャーになった頃から格闘技に興味を覚え、紆余曲折を経ながら、次第に独自のカンフーを編み出していったのです。ただ、相当な「やんちゃ坊主」だったらしく、日々喧嘩に明け暮れて「俳優の不良息子」というレッテルを貼られてしまった彼の将来を案じた父親は、わずか100ドルの所持金を持たせて、単身アメリカ・シアトルに移り住まわせることになったのです。そして、この地で武道家、武道教師としての道を歩み始めたのです。そんな中、ある大会での演武のビデオがTVプロデューサーの目にとまったことが、アクション・スターとしてのキャリアをスタートさせるきっかけとなったようです。

ここまでの経歴を見てわかるとおり、彼は香港とアメリカ、両方に「故郷」を持っていました。しかしそれは、逆に言うと、どちらも「本当の故郷」として馴染むことができる土地ではなかったことを意味しているのです。せっかくハリウッド映画に出ることができるようになっても、「東洋人」というだけでよそ者扱いされていましたし、香港では「故郷を捨て、アメリカに移っていった奴」という白い目で見られてしまうのです。つまりどこにも居場所がない「異邦人」だったわけですが、そうした環境の中で彼が身に着けた処世術は、周囲にむやみに反発するのではなく、世界中どこででも受け入れられるようなスタイルの映画を作ることを目指すというものでした。そして、それがその後の大成功につながったのです。

彼は、しばしばテレビのインタビュー番組に出演し、さまざまな言葉を残しているのですが、その中に次のようなものがあります。

Empty your mind, be formless, shapeless – like water.

(心を空にするんだ。型も形もなくすんだ。水のように。)

Now you put water into a cup, it becomes the cup.

(君が水をカップに注げば、それはカップの形になる。)

You put it into a teapot, it becomes the teapot.

ティーポットに注げば、そのポットの形になる。)

Now water can flow or it can crash.

(そう、水は自由に動き、ときには破壊的な力を持つのだ。)

Be water, my friend.

(友よ、水になれ。)

(以上、一部割愛)

どこにいても異邦人との扱いを受けた彼が、コスモポリタンとして生きていく覚悟を示した言葉だと思います。生まれ育ったひとつの地域にアイデンティティを求め、それを自身の誇りの源泉にしていくことは、もちろん素晴らしいことです。しかし、さまざまな事情でそれができない人、したくない人はたくさんいるはずです。そのような思いを持つ人にとって、「水のようになれ」というのはとても含蓄のある座右の銘だと思います。

この言葉、実は元ネタがあります。それは中国の老子の書に出てくる「上善如水(じょうぜんみずのごとし)という言葉です。

上善如水

(最も理想的な生き方は、水のようなものである。)

水善利万物而不爭

(水はあらゆるものにメリットを与え、他のものとは争わない。)

(以下割愛)

本当の強さというのは、ブルース・リーのような「こだわることにこだわらない」生き方なのかもしれませんね。私自身は、格闘技にはさほど興味はないので、実は彼の出演する映画をちゃんと見たことはないのですが、生前に残した言葉の数々には、ハッとさせられるものも多く、わずか30歳あまりでこのような境地に達した彼の生きざまを思い知らされた次第です。

そういえば、新潟には上善如水というお酒があります。すっきりした辛口で、とても飲みやすく、また、どんな料理とも相性が良いお酒です。そして、私がとても好きな日本酒のひとつでもあります。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。