明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常232 映画「PERFECT DAYS」と完璧な日々

 

こんにちは。

 

少し前、アメリカのアカデミー賞候補作品が発表されましたが、日本人がスタッフあるいは出演者としてかかわった作品が3作、候補作品として最終ノミネートされました。宮崎駿さんが久しぶりに監督を務めた「君たちはどう生きるか」が長編アニメ映画賞、ゴジラ生誕70周年を記念して制作された「ゴジラ-10」が視覚効果賞、そして役所広司さんが主役を務め、現代東京の日常を舞台にした「PERFECT  DAYS」が国際長編映画賞の各部門で選出されたのです。このうち、日本のマスコミでもっとも地味な扱いなのが{PERFECT  DAYS}でしょう。そこで、先日この映画を見てきました。(もっとも、昨年のカンヌ映画祭役所広司さんが男優賞を受賞していますので、既に映画好きの人の間ではかなり話題になっていた映画のようです。)

この映画は、公衆トイレの清掃を職業とする初老の男性の何と言うことのない日常生活を描いただけの内容ですが、大変奥深く、考えさせられるところの多い映画でした。また、詳細な説明のないまま進行していくので、解釈は人によってそれぞれ異なるだろうと思います。ただ、まだ公開中の映画ですので、ネタバレになるような説明や先入観を持たれてしまうような私見は避けるべきでしょう。以下に、ストーリーとは直接関係のない、私自身が感じたことをいくつか記しておきます。

・まずは監督のヴィム・ヴェンダース。この人はドイツ人ですが「映画を撮っているうちに、私には日本人の血が流れていると感じた」と述べています。日本、そして東京のことを本当によく調べ、理解している仕上がりでした。まあ、そうでなければ、他のスタッフや出演者はすべて日本人なのですから、彼の指示に従う人はいなかったでしょう。私はこの人のドキュメンタリー「ヴエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」というキューバの年老いたミュージシャン達を追いかけた映画をみたことがありますが、その時にも、現地にしっかりと寄り添い、丁寧に描いていて、決して「欧米以外のあまり紹介されない地域の美味しいところどり」をするような人ではないと感じました。その思いは、今回も同じです。

・主役の平山(役所広司さん)は大変口数が少なく、ほとんどの演技は顔の表情だけです。でもそれがすばらしい。とくに、朝家を出て空を見上げた瞬間の少し眩しそうな表情、そして休憩中に公園のベンチで背の高い木を通して地上に降ってくる木漏れ日を見つめるときの、柔らかな表情は絶品です。

・平山が愛しているのは、カセットテープに録音された1960年代から1970年代頃の洋楽が中心。その他には、フィルム・カメラと文庫本の古本。でも決して昔にだけ生きている人ではありません。それと、最新式の公衆トイレの清掃というギャップが面白いのです。

・居酒屋のママを演じているのが石川さゆりさん。この人が「朝日の当たる家」(原曲は大変古いトラディショナル・フォークですが、1964年にイギリスのロック・バンド、アニマルズが世界中に大ヒットさせています)を歌うシーンも聴き逃せません。個人的には、この人はコブシを回す歌よりも、こういう艶やかで粋な、それでいて軽い節回しで歌う方が魅力的だと思います。「ウイスキーはお好きでしょう」とかルパン3世のエンディング曲「ちゃんと言わなきゃ愛さない」等です。ちなみに、ギター伴奏はあがた森魚さん。しばらく前にテレビ・ドラマ「深夜食堂」で流しの歌うたいを演じていた彼ですが、この人も実にいい味を出していますね。

・平山が姪っ子に「海まで連れて行ってよ」と言われた時の「今度ね」と少し困った表情で答えるシーン。「今度っていつ?」と訊かれた彼は「今度は今度」「今は今」と答えるのです。姪っ子は何故かその答えをとても気に入ったようでした。

・終盤に出てくる三浦友和さん(石川さゆりさんの元夫という役どころ)と平山のやり取り。「影は重なると色濃くなるのか」という話題を真剣に論じ、実証しようとします。その後、いいトシのおっさん二人は影踏み遊びを始めてしまいます。なんだか可愛い。

 

他にも、紹介したいシーンはいくつもあるのですが、遠慮しておきましょう。

平山の周囲では、基本的に毎日変化のない日常が繰り返されます。ただ、そうは言っても、小さなさざ波のような出来事は起きます。しかし結局、またもとの静かな日常にゆっくりと戻っていきます。過去にどんな生活をしていたのか、最後までわからずじまいですが、公衆トイレの掃除夫という今の仕事に彼は満足していますし、経済的にも、決して裕福ではないものの、食うに困るようなことはありません。これが、長い人生の中で彼が獲得してきた「日常」なのです。

ヴェンダース監督は、「平山のように生きていきたい」とも述べています。世界中で名監督としての名を馳せた彼ならば「そうかもしれないなあ」とぼんやり思ってしまいます。

ただ、よく考えると、この生活は、あくまで社会がある程度安定した状況でなければ成立しえないものです。例えば、ガザ地区で、あるいはウクライナのキーウで、さらに言うなら、震災により大打撃を受けた能登地方で、こんな生活が今可能か、と問われれば、その答えは書くまでもないでしょう。長い人生の中では、予定外、予想外のことは常に起きてしまう可能性をはらんでいます。今、獲得している「安定したさり気ない日常」は、次の瞬間にはもろくも崩れ去ってしまうかもしれない。そんな思いもまた、観終わったあとにふつふつと湧いてきてしまいました。本当のperfect days(完璧な日々)とはいったい何なのでしょうか。

しかし、それにしても色々と感じさせられるところの多い映画でした。ある程度以下の年齢の方には少し理解しにくいところもあるかもしれませんが、私としては、ぜひおすすめしたい映画です。上には紹介しなかった他の俳優さんも、実にいい演技をしています。例えば柄本明さんの息子(次男)である柄本時生さんの一見するとちゃらんぽらんな役どころも、この映画のスパイスとしては欠かせません。




今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。