明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常233 能登の将来(2)消滅可能性都市からの脱却

こんにちは。

 

今週木曜日は、2週間に1回の多発性骨髄腫治療の日でした。血液検査の結果はまずまず良好で、これまでどおりの治療を継続することになったのは良かったのですが、病院に到着したのが午前8時半ころで、帰宅の途についたのが午後4時前。以前紹介しましたように、4時間ほどの点滴を中心にして、いくつかの注射や検査があるため、待ち時間も含めると、このような長時間滞在になってしまい、やはり疲れますね。まあ、健康第一?ですから、別に不満はないのですが、これで一日が終わってしまうというのも、なんだかなあ、という気分が残るのは確かです。

 

さて、今回はまず前回の補足から。

前回映画『PERFECT DAYS』をご紹介しましたが、主人公がカセットテープで聴く音楽はいずれも960年代から70年代頃までのもので、すべてウェンダース監督が選曲したものです。それらはいずれも、厳しく悲しい世相や現実を目の前にしながら、どこかポジティブな雰囲気を漂わせるもので、この映画の含意を示唆するものであると同時に、監督のセンスの良さをうかがい知ることのできるものでした。

ちなみに、選曲リストは以下の通りです。

アニマルズ “House of the Rising Sun”(朝日の当たる家)

ヴェルヴェット・アンダーグラウンド “Pale Blue Eyes”

オーティス・レディング “(Sittin’ On) The Dock Of The Bay”(ドック・オブ・ザ・ベイ)

パティ・スミス “Redondo Beach”

ルー・リード “Perfect Day”

ローリング・ストーンズ “(Walkin’ Thru The) Sleepy City”

金延幸子“青い魚”

キンクス“Sunny Afternoon”、(サニー・アフターヌーン)

ヴァン・モリソン “Brown Eyed Girl”

ニーナ・シモン “Feeling Good”

すぐにわかるように、この中で、ルー・リードの曲がこの映画のタイトルの元ネタになっています。とても穏やかで優しいラヴ・ソングなのですが、曲の制作当時、ルー・リードはヘロイン中毒でボロボロの状態だったらしいです。そんななかで書かれた曲は最後に次のような詞で締めくくられています。

「自分が蒔いた種は、すべて自分で刈り取らなくてはいけない」

この詞の持つ深い意味を感じながら音楽や映画に接すると、ますます色々と考えさせられるのは私だけではないでしょう。

 

ここからが今回の本題です。

1月に入ってから、何回かに分けて能登で起きた震災および能登半島自体のことについて書いてきましたが、立春も過ぎ、2月も半ばに入ってきましたので、そろそろ一度この話は打ち止めにしようと思います。(もちろん今後も機会あるごとに触れるつもりです。)そして、最終回は、輪島や七尾など、能登半島の中では比較的産業や人口が集積している都市の将来についてです。

今からちょうど10年前の2014年、日本創世会議(増田寛也座長)は、このまま少子高齢化と東京一極集中が進むと、2040年までに日本にある都市の約半数は消滅してしまう可能性がある、との内容のレポートを発表しました。これがいわゆる「消滅可能性都市」です。これによると、石川県能登地区では七尾市輪島市珠洲市羽咋市志賀町宝達志水町穴水町、能都町の8自治体がこの脅威にさらされているというのです。

このレポートが各自治体に与えたショックはあまりにも大きなものでした。もちろん、名指しされてしまった各自治体の反発も相当なものでしたが、直面している課題を明確に示したレポートであったため、反発ばかりをしてもいられず、各地で対策が練られるようになったのは言うまでもありません。また、政府(総務省国土交通省)も対策を発表し始めます。

国土交通省がまとめた下記の資料によると、第3象限がもっとも危険な状態ですが、第2象限や第4象限も決して安泰というわけではありません。そこで、まずは域内の「稼ぐ力」を育て、それをテコにしてとくに若年層の流入をはかり、域内消費増加を促し、ひいては出生率の増大にも寄与させる、つまり年齢別人口バランスを改善させる、というのが自治体でが描くべき粗筋ということになります。


そして、今回の地震による住民の「避難」が長期化すれば、次第に能登に戻る人は少なくなってしまい、「消滅可能性都市」化に拍車がかかってしまうことは明白でしょう。つまり、とりあえずの避難先での住民の生活支援という短期的視点と同時に、いかにして能登の復興再生計画をたて、魅力ある地域にしていくのか、という長期的視点をもつことが、喫緊の課題なのです。

能登地区の場合、その中心である輪島には、伝統産業である輪島塗と輪島朝市という全国にその名を知られた貴重な観光資源があります。普通に考えれば、これらをどのように活かすのか、というのがポイントでしょう。また、七尾の場合は、和倉温泉という能登全体のハブ、つまり観光拠点の役割を果たすことのできる場所があります。ここを起点にして、数回前にご紹介したような各スポットに足を延ばすことは決して難しくないのです。つまり、観光を中心産業として地域の再生を図ると腹をくくれば、自ずから目指す方向は見えてくるはずなのです。


しかし、輪島塗にしても、朝市にしても、その担い手は年々高齢化が進んでおり、担い手そのものが減少してしまっている状況です。例えば、輪島塗に関しては、生活様式の変化もあって、これまで主力であった膳や椀などの食器類の売り上げはかなり落ちています。ただ、漆器の美しさに魅せられた若手作家や外国人作家による、もっと芸術性の高い作品も作られつつあります。

また、朝市に関しては、もともと「地元のおばちゃん」が店頭にいること自体がその魅力であったため、簡単には世代交代が進みにくくなってしまっているようです。今回の地震では、朝市地区全体が大規模火災に見舞われ、元の場所での再開は当面困難と考えられています。最近、とりあえずの措置として、金沢市内での仮店舗がオープンしましたが、これはあくまで「仮」であり、本格的に元の場所で再会できるかどうか、まだまったく見通しは立っていません。よほどの支援と地元の努力がなければ、元の姿に戻すのは難しいのかもしれません。

つまり、全体としてこれまで基幹であったものにはそのままでは頼れないのです。では、どうすればよいのか? そこで出てくるのがもっと「観光産業」寄りへとそのスタンスをシフトさせることでしょう。また、その際にはほかの地域と連携し、能登全体を周遊するようなコースの立案、広報を推し進めていくことが求められます。新しい朝市の姿もそんな中から見えてくるのではないでしょうか。

もちろん、観光産業というものは、もともと景気変動等によって売り上げが高下するという不安定性を持っているものです。また、ブームになればなったで、オーバーツーリズムの弊害等も発生する危険性をはらむものです。だからこそ、この方向性を選択することには、それなりの覚悟が必要です。

もちろん、能登にはさまざまな農産物や漁業製品などの名産もあり、それを軸に再生を考えるという道もあります。しかし、それだけでは、全国へのアピールという点ではやや弱く、若年層の地域流入を促すには相当の時間が必要となります。ですから、もう少し即効性のある手段として観光産業推進が注目されるべきだと思うのです。また、その過程では、アグリ・ツーリズムなど、既存の一次産業と観光産業を結びつけるような取り組みも、有効でしょう。

 

もちろん、ここに記したのは単なる私の思い付きであり、具体的かつ有効なプログラム策定には、専門家の綿密な調査が必要です。そして、何よりも必要なのは、その担い手になるはずの地元の方々の総意と工夫です。

 

突然の自然災害によって多くの人命が失われたうえに、大きな経済的損失を被ったことは、本当に不幸なことで、今の私達ができることはどうしても限られてしまいます。ただただ、深くお見舞い申し上げるしかありません。また、ボランティアとして早くも現地に入り、活動している方々には尊敬の念しかありません。

 

私としては、この大きな災害を、能登という特徴的な、そしてとても興味深い場所を「作り直す」きっかけにしてくだされば、と思うばかりです。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。