明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常230 能登の将来(1) 農業・漁業の側面から

こんにちは。

 

去る1月17日で阪神淡路大震災からちょうど29年が経過しました。来年で30年。本当に早いもので。神戸の街は見事に復興しましたし、阪神間の街並みは、地震前よりも発展しているかのように見えます。また、淡路島は今や京阪神から手軽に訪れることのできるリゾート地として、また、大都市を離れた企業が新たな本社機能を置く拠点としても、大きな注目を浴びるに至っています。

しかし、細かく見ていくと、この復興には色々と問題が隠されているようです。そして、今回の能登地震からの復興、再建を考えるうえで、この経験はとても役に立つように思います。

 

能登半島の各自治体は、長期的な人口減少と少子高齢化に歯止めがかからず、次代を担うはずの若い世代が不足する状況が続いています。私がかつて指導していた学生の中にも能登出身の学生が何人もいましたが、地元に戻った者はほとんどおらず、たいていは「能登は好きだけど、仕事がないし、将来も見通せない」といって、都市部での就職を選択しました。もちろん、彼らは大学進学を考える時点で能登から離れているのですから、就職においてもこのような志向になるのは当然かもしれません。しかし、この傾向は大学や短期大学等に進学した若者だけの特徴ではありません。能登半島の基幹産業である農業や漁業を継いでいこうとする若者は年々少なくなり、この分野での高齢化、後継者不足はかなり深刻な状況になりつつあります。珠洲のある地域では、65歳以上の高齢者が人口に占める割合が60~70%にも達しているのです。つまり、限界集落になりつつあるのです。

 

もちろん、これまでも行政はこうしうた事態を、ただ指をくわえてみていたわけではありません。珠洲では、地元企業ともタッグを組んで「限界集落を現代集落へ」というプロジェクトが始動しています。そのサイトを見ると、冒頭に次のような文章が載せられています。

「それは単なる過疎化対策の施策ではありません。わたしたちはここで「100年後の豊かな暮らし」を実験します。人は、自然から何も奪わない暮らしが実現できるのか?モノやお金に縛られない生活ができるのか?わたしたちの問題意識は、たとえば「行き過ぎた資本主義」であり「都市の一極集中」です。この潮流のなかで人は100年後も本当に豊かに暮らせるのか?と、懐疑と不安を覚えています。わたしたちは「都市生活のオルタナティブ(代替生活圏)」を考えます。そのために「水や電気や食を自給自足できる集落をつくり、自然のなかで楽しむ生活を、先人の知恵とテクノロジーで実現したい」。そう本気で考え、プロジェクトを立ち上げました。」 https://villagedx.com/

そのため自然と共生しながら人の快適性を追求する、という志向を持ち、その実現のためにテクノロジーを駆使する「VILLAGE DX(ヴィレッジ・デジタル・トランスフォーメーション)」を謳っています。これは、明らかに若年層を視野に入れた訴えかけですね。ただ、理念がかなり壮大なものであるため、いくつかの動きは始動しているものの、現時点では大きな成果を上げるには至っていません。あくまで100年先を見据えた動きなのです。

珠洲に限った話ではないのですが、今回の地震では津波だけでなく、大きな地殻変動が起きたため、これまで利用してきた漁港のほとんどがまったく使えない状況になってしまいました。海岸線そのものが変わってしまったため、漁船が使えるような港にするには、おそらく単なる修復ではなく、イチから港を作り直すような大工事が必要でしょう。そうなると、地元の努力だけでは限界があります。政府を含めた相当大規模な支援がなければ、どうにもならないのです。しかし、そうやって何とか漁港を復活させたとしても、肝心の漁業従事者の高齢化が進んだままだったら、結局この地域での漁業は衰退の一途をたどるしかないのです。このことは、農業においてもまったく同様です。もともと能登地域には、利用できる農業用土地がさほど大きくなかったこともあり、いわゆる大規模農地はあまりありません。そのため、さまざまな質の良い農作物が収穫できるにもかかわらず、全国的な知名度はいまひとつ、というのが現状です。そこに今回の地震による大きな地割れ等は、ただでさえ高齢化が進む農業従事者に、「もう農業はあきらめるしかない」と思わせるに十分な打撃を与えてしまいました。そんな人たちばかりしかこの地域に留まらないならば、多額の税金を使って農地を整備し直すことに「どれだけの意味があるのか」という疑問が出てきても不思議ではないのです。

農業、漁業の将来は、おそらく40歳台ぐらいから下の若い世代にかかっています。次代を担う人材をどうやって育て、あるいは他地域から呼び寄せるのか。そうした時に、上に紹介した「現代集落プロジェクト」のような新しい取組との連動が必要となるのです。また、三次産業との機動的な連携を推し進めていくことも必要でしょう。描ける道はひとつだけではないのです。ただ、いずれにせよ、新しい感覚と意識をもった若い世代が必要です。それには、この土地に住む人が能登という場所に「誇り」と「希望」を持ち、若い世代に「あこがれ」を抱かせるようにならなければならないのです。

ただ、二次避難がなかなか進まない現状で、このようなことを書いても、地元の方からすれば「今はそれどころではない」というのが本音でしょう。そこで行政の出番なのです。石川県や各地方自治体は、今のうちから「二次避難のその後」を描くことが必要だと思うのです。例えば5年後、10年後にどのような形で復興するのか、そのためには、二次避難した人々にいつ頃帰ってきてもらうのか。そうした将来像がある程度示されれば、今は避難に消極的な人々の中にも、少しは安心感が広がるのではないでしょうか。

ただ、この将来像は行政が一方的に計画する「押しつけ」のようなものになってはなりません。これは、阪神淡路大震災の時にも、そして東日本大震災の時にもしばしば議論されたことですが、地元には必ず「この地で復活したい」という強い意識をもった人々がいます。そうした人々と連携し、協力し合いながら、計画を進めていかなければならないのです。

 

今回、最初に阪神淡路大震災のことを少し取り上げたのは、今回の輪島での大火災が当時の神戸市長田地区での大火災の映像と見事に重なり合ったからです。しかし、文章が随分長くなってしまい、輪島のことを書く余裕がなくなってしまいました。輪島を含めた、能登の中でも都市部と呼ばれる地域については、次回に回したいと思います。

 

今回も、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。