明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常

元大学教員が綴るこれまでの経過と現在 。なお、入院と本格治療の経験については、00から34あたりまでをお読みください。 。

明日を生きる多発性骨髄腫患者の日常229 個人的に考える「能登の魅力」(2)

こんにちは。

 

能登(のと)という地名の語源はご存じでしょうか。

一説には、アイヌ語の「あご」や「みさき」を意味する「のっ」だということですが、この地域にアイヌ民族が住んでいたという証拠は見つかっていません。また、能登半島自体が朝鮮半島に比較的近い位置にあることから、ハングルの影響を示唆する見解もあります。現在まで、確たる結論は出ていないようですが、いずれにせよ、相当昔から、いわゆる「大和文化」とは異なる文化の影響を受けていた地域であることは確かなようですね。

 

というわけで、前回の続きです。

前回は珠洲市に入ったところあたりまでご紹介しました。珠洲は「市」と言いながら、人口は1万1千人あまり。かつてはそれなりに栄えたものの、現在では過疎の典型のように言われてしまっている地域です。主な産業は農業、漁業ですが、いずれもこれに従事する人の高齢化率が深刻な問題となっており、次代を担う産業や人材の育成も思うようには進んでいません。それでも、平安時代末期から室町時代後期にかけては大きな産業であったやきもの、「珠洲焼」を復興し、広めようとする動きは確実に育っています。灰黒色の落ち着いた美しさは、現代の生活にも十分マッチするもので、値段も手ごろです。また、揚げ浜式塩田で昔ながらの製法で作られる塩は、全国的に高い評価を得ています。珠洲焼の湯飲み茶わんや珠洲産の塩は、土産物としてもちょうどよいので、訪れたなら、ぜひ手に取ってほしいものです。

また、能登半島の先端にある禄剛崎(ろっこうざき)灯台を訪れる人もたくさんいらっしゃいます。ただ、この灯台は海の縁ギリギリに立っているようなイメージを持って訪れると、少々拍子抜けしてしまいます。思いのほか広い敷地にポツンと立っているからです。しかしまあ、ここが先端だという思いを抱くことはできます。ちなみに、ここの地名は狼煙(のろし)と言います。合図や情報伝達の手段としてかつては広く利用された狼煙ですが、ここでは海上交通の安全を確保する手段として、つまりまさに灯台代わりとして、古代から利用されていたのです。

珠洲は、今回の地震でもっとも津波の被害を大きく受けた場所です。特に、漁業への影響は深刻で、細々と続けられてきた漁業関係者の方々には、漁港の再建と漁船の修復が重い課題としてのしかかっているのです。

珠洲をから回り込むと、外浦、つまり日本海の荒波が直接押し寄せる地域になります。そのため、海を臨む風景は内浦とはかなり異なります。この変化も、能登を巡ることの面白さのひとつかもしれません。そして、その眺めを楽しみながらしばらく進むと輪島市に入ります。このあたり、冬の間は岩に白波が打ちつけることによってできる「波の花」が見ものです。とくに、曽々木海岸や鴨ヶ浦付近で多く見られます。また、曽々木海岸には、波の力によって岩に穴が開いた「窓岩」もあるのですが、残念ながら、今回の地震によって崩落してしまったようです。まあ、それだけ厳しい自然を体感できるところだということになります。

また、これは能登半島全体に言えることなのですが、山間部が海の近くにまで迫っていますので、がけ崩れ等の危険が高いところです。このダイナミックな景色が大きな魅力なのですが、今回の地震では、このことによって、多くの集落の孤立化を生んでしまいました。

なお、ここから少し西に進んだところに、「白米千枚田(しろよねせんまいだ)」という棚田があります。棚田そのものは全国各地にありますが、海に面しているのは数少ないでしょう。そしてその美しさは格別で、冬季にはライトアップもされます。しかし、これも地震のために、その多くが崩落してしまったようです。本当に残念でなりません。

輪島市内には、「朝市」、そして「輪島塗」の工房やショップが軒を連ねていることは、有名ですね。おそらく能登でも随一の観光スポットでしょう。しかし、今回の地震による大規模な火災で、壊滅的ともいえる被害が出てしまったことは、皆さんご存じのとおりです。これらの再興は、輪島市、そして能登全体が復活できるかどうかのキーポイントになるでしょう。

半島の西側は全般的にかなり厳しい風景が続きますが、金沢に少し近づいたところにある「千里浜(ちりはま)」は風景が一変します。延々と続く砂浜なのですが、ここは海のすぐそばまで自動車が進入することができ、俗に「千里浜なぎさドライブウェイ」とも呼ばれています。砂は一粒ひとつぶが約0.2ミリメートルと同じ大きさのきめ細かい砂が海水を含み、固く引き締まることから、二輪駆動でも四輪駆動でも、走行可能となっているのです。ここは、地震の影響はさほど大きくなかったようですが、そもそも近年、波による浸食のため、砂浜の面積そのものが年々小さくなってしまっており、将来的にはその存続が危ぶまれています。

 

いわゆる観光名所を中心に紹介してきましたが、伝統文化についても、見逃すことはできません。とくに、7月から10月頃にかけて、各集落で開かれる「キリコ祭り」は夏の能登の名物です。各地の氏子たちが、能登固有の意匠をもつ、華麗な風流灯籠「キリコ」を担ぎ出し、町内を勇敢に練り回りまる祭で、地域ごとにその華聯さ、勇壮さを競っています。とても見応えのある祭りなのですが、今年はどうなるのでしょうか。能登の人々の心の拠り所であるだけに、心配なところです。

キリコ(wikipediaより転載)


ざっと見てきただけですが、能登という場所がいかに魅力ある地域であるか、少しでもわかっていただければ幸いです。「行ったことない」という方には、落ち着いたら、ぜひゆっくりと観光してもらいたいものです。

しかし、書いてきたように、その多くが今回の地震でかなり深刻な被害、損害を被ってしまいました。もともと人口減少傾向が止まらないこの地域の将来がどうなるのか、本当に心配でなりません。そこで、次回は、「能登の将来」について少し考えていきたいと思います。

 

今回も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。